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サイコキラーは治らない
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「はぁはぁはぁっ」
ミサオは手を緩めはしたが今だ拘束は解いていない。的打は、辛うじて呼吸ができる状態である。
「ねえりょーちゃん。アタシがなんで我慢できなかったか、教えたげよーか?」
返り血を拭いながらミサオが微笑む。的打は表情をしかめるだけで質問には答えない。だがミサオは続ける。
「アタシだって最初は従順にやってたよ。命令通り被疑者を誘い出して、アタシの色香で虜にした。正直さ、吐きそうなくらいあのクソヤローにムカついてたけどね。でも約束だからさ。仕方なくまんざらじゃないフリをしてた」
「はぁっ‥はぁっ‥」
「なんで囮捜査なんて周りくどいコトをするのか。アタシは尋ねたよね?そしたらりょーちゃん何て言った?『今のところ証拠が何もない。被害者との接点も、遺体も一部しか見つかっていない。だから奴が尻尾を出すように仕向けてください』そう言ったよね?」
ミサオは少しづつ緩めていた的打の首まわりにまた力を込めだした。
「アタシはりょーちゃんの言う通りにやったよ。あのゴミヤローの頭を何度、すり下ろしてやろうと思ったか。回数を数えてたけど知りたい?知りたくないよね!とにかくさ。あのキザで紳士ぶってるエセインテリヤローと恋人ごっこしてたわけ。そんで見事ヤローの懐に入りこんだ」
「ぐぎぎっ」
「そこまでお膳立てして、後は応援待って踏み込むだけって時にさ。面が割れてる筈の?どっかのバカ刑事さんが?ヤローにうっかりみつかっちまったんだよねえ!?あろうことかさあ!!最後の最後って時にさあ!あぁりぃえないよねえ!そんあことさあ!」
的打の額に当てられたナイフにも力が込められてゆき、一筋の血が肌を伝って落ちてゆく。
「散々りょーちゃんにも言ったよねえ!殺人鬼ってのはさ!サイコ野郎ってのはさ!どいつもこいつも野生動物みたいに勘が鋭いんだよねえ!少しでも違和感があると、危険を察知して逃げちまうんだよ!!あんまり迂闊な行動されたらアタシも我慢できねえんだよ!!」
ぎりぎりと、ミサオの身体中から音がしている。
「ヘマをしない様にと給仕係のガキを外したとこまでは良かったよ。だけどそのあと街中で、そのガキにうっかり遭遇しちゃったのはいただけなかったなあ。警察がどこまで話したんだか知らないけど、あのガキの怯えようったらなかった。このヤローが三流殺人鬼じゃなかったら、もう少しで感づかれてたかもしれない」
ミサオは鼻息を荒くして喋り続ける。
「給仕役のあのクソ警官もダメだよねえ。アイツは本当にダメ。相手がどれだけ動物じみた感覚を持ってると思っているの?緊張感まるで無いよ。後でアイツ殺すから。絶対。ねえりょーちゃん。アタシが我慢出来なかったのは殺人衝動じゃない。無能な警察の不手際に我慢出来かねるっつてんだよ!」
よく喋るのは興奮が極度に高まっている証拠だ。
相当な力が的打にかけられている。
「お陰でアタシはあの口臭さヤローに舌を入れなきゃいけないハメになった。最悪だったよ。自分から便器を舐めてる気分だった。でもそうでもしなきゃアイツはパーティをお開きにしようとしていた。冗談じゃない。ここまで来てダンスもしないで帰れるかっつーの。でしょ?ねえりょーちゃん。聞いてるの?」
ここでミサオの表情に柔らかさが戻り、また手が緩められた。
情けないことに的打は成人男性にも関わらず、失禁してしまっていた。死と、ミサオへのあまりの恐怖に耐えかねて。
「あの羽虫ヤローの息がアタシの顔に吹きかかる度に、アタシは気が狂いそうだった。あっ、元々狂ってるじゃねえかって言う野暮なことは言いっこなしね♡ま、とにかくさ、アタシは限界まで我慢してた。全部、りょーちゃんの為にね。だけど遂にそれも終わる時がきた。アタシがブチ切れたきっかけ、何だか知りたい?」
「え……いえ……」
「あのヤローはさ。事もあろうに嘘を付いたんだ。このアタシに。そりゃあキレちゃうよね?」
ミサオは何処か遠く一点を見つめ孤独なケダモノの様に咆哮し続ける。
ミサオの口の端には、興奮し過ぎた為か泡が着いている。
「もうダメだって思ったよねえ!つかれたのはごくごく小さな嘘だよ、だけどね!アタシは殺したいくらい嘘が嫌いなの。アタシが嘘をつくのは良いけど、アタシが嘘をつかれるのは嫌いなの。りょーちゃんわかるよね?」
ミサオは手を離して大げさな身振り手振りを始めた。完全に自分の世界に入っている。
「気が付いたらナイフを投げてた。そっからは早かったぁ。でもね。それまでずっと抱えてたストレスに羽が生えて飛んでった。だからもう自分の欲望に忠実になる事にした。で、イマココ、なわけ」
的打は薄れゆく意識の中で在りし日の、上司との会話を思い出していた。
もしかすると、一種の走馬燈のようなものかもしれない。
「いいかね的打亮平警部補。キミがあの、殺人鬼、檜山操に好かれている事は、神が与えた才能だと思った方が良い。惚れた弱みというヤツだ。あの殺人鬼はキミの言う事に辛うじて従っている。現状、彼女はわざと勾留されているだけだ。キミに会いたいというだけの理由からな」
「はい」
「我々警察の手に余る犯罪を、ああいった手合いに処理させ、なるべくこちらの犠牲を減らす事が最優先なのだ。キミはそれを促してくれるだけでいい。これはキミにしか出来ない特別な仕事なのだよ。くれぐれもあの女の機嫌を損ねない様に注意したまえ」
「もしも彼女に嫌われたら、私はどうなりますか?」
着任早々の的打はそう上司に問いかけた。彼はしばらく思案して、とても言い辛いという顔をした。
「特例捜査官として、キミの相棒として今は従順に命令に従っている。だが一度でもあの女の心がキミから離れたら。言い訳の時間すら与えられずに、キミは瞬時に肉塊にされるだろう。あの笑顔に騙されるな。軽快な会話に惑わされるな。殺人鬼は更生などしない。サイコキラーは決して治らないのだ」
「そんな‥」
それでは自分は、まるで人柱ではないか。
的打はそう言いかけたが、その言葉が出てしまう前に上司に肩を掴まれた。
「すまない。キミにしかできないのだ」
上司はそう言って、涙を浮かべていた。
彼が言う、自分にしか出来ない特別な仕事だという事をその時初めて重く受け止めた。
ミサオは突然憑き物が落ちたかの様な表情になり、その場に座り込んでいる。
「ミサオさん。ひとつ、聞いてもいいぜすか」
搾り出す様な声で的打はミサオに問いかける。
「なあに、りょーちゃん♡」
「ミサオさんはあそこに転がっている殺人鬼と自分が、同類だと思いますか」
ミサオの表情が止まる。
「いい質問ね。だから好きよりょーちゃん。あのヤローとアタシは同じ快楽殺人者ではあるけれど決定的に違う事がひとつある。それは動機やポリシーとかっていう物ではないの。もっと根本にあるもの」
「それはなんですか。」
「ヒトの部分が残っているか否か」
その時のミサオは本当に無表情で、まるで人形の様だった。
「この男はアタシと恋人ごっこをするウチに、もしかすると自分がヒトに戻れるかもしれない、むしろ戻りたいと思う様になった。殺人鬼なんて無様なもの。そんな考えが過ぎった瞬間、下手をうって死ぬ奴が多いの」
ミサオは立ち上がり歩き始める。そしてゆっくりと、自らが手にかけた男の側で立ち止まる。
「あれだけの人間を手にかけ、欲望の赴くままに弄んだ。それなのにヒトに戻って生きようとした。自分だけ平穏な側に逃げようとした。そういう奴はダメなの。何ていうか、それは許されない。だからコイツは死んでしまった。馬鹿だよね。一度自分の快楽の為に殺人を犯した奴は、更生なんて絶対できないんだよ。サイコキラーは治らない」
サイコキラーは治らない。
この言葉を口にする人間で、檜山ミサオ以上に説得力を持つ者がほかにいるだろうか。
「質問は以上かな?りょーちゃん♡」
ふっと我にかえる。ミサオが目の前で微笑んでいる。美しい、綺麗な顔立ちだと思う。雪川百合と偽って純情無垢な娘を演じていたわけだが、この容姿なら誰であっても心動かされてしまうに違いない。
あの男に、殺人鬼を辞めてヒトに戻ろうと思わせたきっかけは雪川百合という名の檜山操なのではないだろうか。そう考えると、ミサオという存在がつくづく残酷に思えてきた。
「ミサオさん。被疑者は雪川百合の為にヒトに戻ろうとしたのではないですか。百合という女性の為だから、もう一度人生をやり直したいと思ったんではないですか?百合を心底愛していたから。愛が彼を変えた。そうは思えませんか?」
的打は先ほどの事で更にミサオに対して恐怖を抱いてしまっている。しかしそれでも、彼の中の正義が口をついて出てしまう。今度こそミサオの機嫌を損なうかもしれない。今度こそ、殺されてしまうかもしれない。
だがしかし、彼の心配とは裏腹にミサオは上機嫌に笑い出した。
「あはははははは。りょーちゃん最高だよ。さっき余計なこと言ってアタシに殺されかけたのに、またそんな挑戦的なこと言ってアタシを煽る。だけど良いよ。そういうトコも魅力あるなあ。そうだね。確かにそうかもね。だけどそれがなに?相手は快楽殺人犯だよ。一時的に真人間になっても、またすぐに欲望がうずき始める」
そうしてミサオはふわりと身体を浮かせる様に移動して、今度は恋人がそうする様に的打の身体を優しく抱き寄せた。彼女は光のない目で、的打の怯えた瞳を見据えて言った。
「それに、まだ間違えてることがあるよ。コイツはね、愛がきっかけで変わろうとしたんじゃない」
ミサオは唇をぐっと近づけて、彼の耳元で囁く様に言った。
「このヤローはね、ずっとどっかでヒトに戻る機会を伺っていたんだ。愛を、雪川百合を言い訳にして、ヒトに戻ろうとしただけ」
的打は少しだけ驚いた顔をして尋ねた。
「どうして、そう思うんですか?」
ミサオは的打と優しく唇を重ね、またふわりと離れていった。
「コイツはさ、食人行為を『愛』の表現とかぬかしてた。相手を愛する行為だって。自分なりの愛情表現だって。命を奪い、愛を与えてるって」
「被疑者が書いていたと思しき個人サイトのブログには、確かそんなことが書かれていました」
「コイツが『イートマン』ならアタシは『マンイーター』、つまり人喰い。とうの昔にヒトを捨ててる。アタシにとって、ヒトは下位の存在。アタシがヒトから一方的に奪うだけ。何も与えない。もちろん愛も。だから人並みの人生なんて望まない。そもそもヒトじゃないから」
窓から差し込む月明かりを背にして、ミサオは笑ってみせる。
「ヒトに戻りたいと思ってしまうような奴は最初から半端者でしかない。本当のサイコキラーはね、一度こっち側に来たらもう何があっても元には戻らないのよ」
的打は眉をしかめて立ち上がる。
「僕は違うと思います」
「んん?」
ミサオがまた、可笑しそうに微笑む。
「たとえサイコキラーであっても、何かのきっかけで正常な心を取り戻す事だってあると思います」
的打がそう言うと今度はミサオは笑わなかった。
「だったら証明してみせろ。ひとでなしが人に戻れると証明しろ。アタシとコンビを組んでいる間に、一体どの位のサイコキラーを救えるかな。アタシが奴らを殺す前に、奴らを救ってみせろ。もしもお前が正しければ、アタシの命をもって祝福してやる」
「もし僕が、間違っていたら?」
的打の全身に嫌な汗が滴る。ミサオの言葉で、世界が停まる。
「お前の命をもって償え」
こうして、的打は自分の命をかけて自らの掲げる正義を主張する事になった。恐ろしい化け物達の中で、自分の命を狙う物に背を預けながら彼は戦う事になった。
ミサオと上司が口にした「サイコキラーは治らない」という言葉が的打の中でいつまでも反芻し続けた。
的打は、また今夜もきっと眠れない。
完
ミサオは手を緩めはしたが今だ拘束は解いていない。的打は、辛うじて呼吸ができる状態である。
「ねえりょーちゃん。アタシがなんで我慢できなかったか、教えたげよーか?」
返り血を拭いながらミサオが微笑む。的打は表情をしかめるだけで質問には答えない。だがミサオは続ける。
「アタシだって最初は従順にやってたよ。命令通り被疑者を誘い出して、アタシの色香で虜にした。正直さ、吐きそうなくらいあのクソヤローにムカついてたけどね。でも約束だからさ。仕方なくまんざらじゃないフリをしてた」
「はぁっ‥はぁっ‥」
「なんで囮捜査なんて周りくどいコトをするのか。アタシは尋ねたよね?そしたらりょーちゃん何て言った?『今のところ証拠が何もない。被害者との接点も、遺体も一部しか見つかっていない。だから奴が尻尾を出すように仕向けてください』そう言ったよね?」
ミサオは少しづつ緩めていた的打の首まわりにまた力を込めだした。
「アタシはりょーちゃんの言う通りにやったよ。あのゴミヤローの頭を何度、すり下ろしてやろうと思ったか。回数を数えてたけど知りたい?知りたくないよね!とにかくさ。あのキザで紳士ぶってるエセインテリヤローと恋人ごっこしてたわけ。そんで見事ヤローの懐に入りこんだ」
「ぐぎぎっ」
「そこまでお膳立てして、後は応援待って踏み込むだけって時にさ。面が割れてる筈の?どっかのバカ刑事さんが?ヤローにうっかりみつかっちまったんだよねえ!?あろうことかさあ!!最後の最後って時にさあ!あぁりぃえないよねえ!そんあことさあ!」
的打の額に当てられたナイフにも力が込められてゆき、一筋の血が肌を伝って落ちてゆく。
「散々りょーちゃんにも言ったよねえ!殺人鬼ってのはさ!サイコ野郎ってのはさ!どいつもこいつも野生動物みたいに勘が鋭いんだよねえ!少しでも違和感があると、危険を察知して逃げちまうんだよ!!あんまり迂闊な行動されたらアタシも我慢できねえんだよ!!」
ぎりぎりと、ミサオの身体中から音がしている。
「ヘマをしない様にと給仕係のガキを外したとこまでは良かったよ。だけどそのあと街中で、そのガキにうっかり遭遇しちゃったのはいただけなかったなあ。警察がどこまで話したんだか知らないけど、あのガキの怯えようったらなかった。このヤローが三流殺人鬼じゃなかったら、もう少しで感づかれてたかもしれない」
ミサオは鼻息を荒くして喋り続ける。
「給仕役のあのクソ警官もダメだよねえ。アイツは本当にダメ。相手がどれだけ動物じみた感覚を持ってると思っているの?緊張感まるで無いよ。後でアイツ殺すから。絶対。ねえりょーちゃん。アタシが我慢出来なかったのは殺人衝動じゃない。無能な警察の不手際に我慢出来かねるっつてんだよ!」
よく喋るのは興奮が極度に高まっている証拠だ。
相当な力が的打にかけられている。
「お陰でアタシはあの口臭さヤローに舌を入れなきゃいけないハメになった。最悪だったよ。自分から便器を舐めてる気分だった。でもそうでもしなきゃアイツはパーティをお開きにしようとしていた。冗談じゃない。ここまで来てダンスもしないで帰れるかっつーの。でしょ?ねえりょーちゃん。聞いてるの?」
ここでミサオの表情に柔らかさが戻り、また手が緩められた。
情けないことに的打は成人男性にも関わらず、失禁してしまっていた。死と、ミサオへのあまりの恐怖に耐えかねて。
「あの羽虫ヤローの息がアタシの顔に吹きかかる度に、アタシは気が狂いそうだった。あっ、元々狂ってるじゃねえかって言う野暮なことは言いっこなしね♡ま、とにかくさ、アタシは限界まで我慢してた。全部、りょーちゃんの為にね。だけど遂にそれも終わる時がきた。アタシがブチ切れたきっかけ、何だか知りたい?」
「え……いえ……」
「あのヤローはさ。事もあろうに嘘を付いたんだ。このアタシに。そりゃあキレちゃうよね?」
ミサオは何処か遠く一点を見つめ孤独なケダモノの様に咆哮し続ける。
ミサオの口の端には、興奮し過ぎた為か泡が着いている。
「もうダメだって思ったよねえ!つかれたのはごくごく小さな嘘だよ、だけどね!アタシは殺したいくらい嘘が嫌いなの。アタシが嘘をつくのは良いけど、アタシが嘘をつかれるのは嫌いなの。りょーちゃんわかるよね?」
ミサオは手を離して大げさな身振り手振りを始めた。完全に自分の世界に入っている。
「気が付いたらナイフを投げてた。そっからは早かったぁ。でもね。それまでずっと抱えてたストレスに羽が生えて飛んでった。だからもう自分の欲望に忠実になる事にした。で、イマココ、なわけ」
的打は薄れゆく意識の中で在りし日の、上司との会話を思い出していた。
もしかすると、一種の走馬燈のようなものかもしれない。
「いいかね的打亮平警部補。キミがあの、殺人鬼、檜山操に好かれている事は、神が与えた才能だと思った方が良い。惚れた弱みというヤツだ。あの殺人鬼はキミの言う事に辛うじて従っている。現状、彼女はわざと勾留されているだけだ。キミに会いたいというだけの理由からな」
「はい」
「我々警察の手に余る犯罪を、ああいった手合いに処理させ、なるべくこちらの犠牲を減らす事が最優先なのだ。キミはそれを促してくれるだけでいい。これはキミにしか出来ない特別な仕事なのだよ。くれぐれもあの女の機嫌を損ねない様に注意したまえ」
「もしも彼女に嫌われたら、私はどうなりますか?」
着任早々の的打はそう上司に問いかけた。彼はしばらく思案して、とても言い辛いという顔をした。
「特例捜査官として、キミの相棒として今は従順に命令に従っている。だが一度でもあの女の心がキミから離れたら。言い訳の時間すら与えられずに、キミは瞬時に肉塊にされるだろう。あの笑顔に騙されるな。軽快な会話に惑わされるな。殺人鬼は更生などしない。サイコキラーは決して治らないのだ」
「そんな‥」
それでは自分は、まるで人柱ではないか。
的打はそう言いかけたが、その言葉が出てしまう前に上司に肩を掴まれた。
「すまない。キミにしかできないのだ」
上司はそう言って、涙を浮かべていた。
彼が言う、自分にしか出来ない特別な仕事だという事をその時初めて重く受け止めた。
ミサオは突然憑き物が落ちたかの様な表情になり、その場に座り込んでいる。
「ミサオさん。ひとつ、聞いてもいいぜすか」
搾り出す様な声で的打はミサオに問いかける。
「なあに、りょーちゃん♡」
「ミサオさんはあそこに転がっている殺人鬼と自分が、同類だと思いますか」
ミサオの表情が止まる。
「いい質問ね。だから好きよりょーちゃん。あのヤローとアタシは同じ快楽殺人者ではあるけれど決定的に違う事がひとつある。それは動機やポリシーとかっていう物ではないの。もっと根本にあるもの」
「それはなんですか。」
「ヒトの部分が残っているか否か」
その時のミサオは本当に無表情で、まるで人形の様だった。
「この男はアタシと恋人ごっこをするウチに、もしかすると自分がヒトに戻れるかもしれない、むしろ戻りたいと思う様になった。殺人鬼なんて無様なもの。そんな考えが過ぎった瞬間、下手をうって死ぬ奴が多いの」
ミサオは立ち上がり歩き始める。そしてゆっくりと、自らが手にかけた男の側で立ち止まる。
「あれだけの人間を手にかけ、欲望の赴くままに弄んだ。それなのにヒトに戻って生きようとした。自分だけ平穏な側に逃げようとした。そういう奴はダメなの。何ていうか、それは許されない。だからコイツは死んでしまった。馬鹿だよね。一度自分の快楽の為に殺人を犯した奴は、更生なんて絶対できないんだよ。サイコキラーは治らない」
サイコキラーは治らない。
この言葉を口にする人間で、檜山ミサオ以上に説得力を持つ者がほかにいるだろうか。
「質問は以上かな?りょーちゃん♡」
ふっと我にかえる。ミサオが目の前で微笑んでいる。美しい、綺麗な顔立ちだと思う。雪川百合と偽って純情無垢な娘を演じていたわけだが、この容姿なら誰であっても心動かされてしまうに違いない。
あの男に、殺人鬼を辞めてヒトに戻ろうと思わせたきっかけは雪川百合という名の檜山操なのではないだろうか。そう考えると、ミサオという存在がつくづく残酷に思えてきた。
「ミサオさん。被疑者は雪川百合の為にヒトに戻ろうとしたのではないですか。百合という女性の為だから、もう一度人生をやり直したいと思ったんではないですか?百合を心底愛していたから。愛が彼を変えた。そうは思えませんか?」
的打は先ほどの事で更にミサオに対して恐怖を抱いてしまっている。しかしそれでも、彼の中の正義が口をついて出てしまう。今度こそミサオの機嫌を損なうかもしれない。今度こそ、殺されてしまうかもしれない。
だがしかし、彼の心配とは裏腹にミサオは上機嫌に笑い出した。
「あはははははは。りょーちゃん最高だよ。さっき余計なこと言ってアタシに殺されかけたのに、またそんな挑戦的なこと言ってアタシを煽る。だけど良いよ。そういうトコも魅力あるなあ。そうだね。確かにそうかもね。だけどそれがなに?相手は快楽殺人犯だよ。一時的に真人間になっても、またすぐに欲望がうずき始める」
そうしてミサオはふわりと身体を浮かせる様に移動して、今度は恋人がそうする様に的打の身体を優しく抱き寄せた。彼女は光のない目で、的打の怯えた瞳を見据えて言った。
「それに、まだ間違えてることがあるよ。コイツはね、愛がきっかけで変わろうとしたんじゃない」
ミサオは唇をぐっと近づけて、彼の耳元で囁く様に言った。
「このヤローはね、ずっとどっかでヒトに戻る機会を伺っていたんだ。愛を、雪川百合を言い訳にして、ヒトに戻ろうとしただけ」
的打は少しだけ驚いた顔をして尋ねた。
「どうして、そう思うんですか?」
ミサオは的打と優しく唇を重ね、またふわりと離れていった。
「コイツはさ、食人行為を『愛』の表現とかぬかしてた。相手を愛する行為だって。自分なりの愛情表現だって。命を奪い、愛を与えてるって」
「被疑者が書いていたと思しき個人サイトのブログには、確かそんなことが書かれていました」
「コイツが『イートマン』ならアタシは『マンイーター』、つまり人喰い。とうの昔にヒトを捨ててる。アタシにとって、ヒトは下位の存在。アタシがヒトから一方的に奪うだけ。何も与えない。もちろん愛も。だから人並みの人生なんて望まない。そもそもヒトじゃないから」
窓から差し込む月明かりを背にして、ミサオは笑ってみせる。
「ヒトに戻りたいと思ってしまうような奴は最初から半端者でしかない。本当のサイコキラーはね、一度こっち側に来たらもう何があっても元には戻らないのよ」
的打は眉をしかめて立ち上がる。
「僕は違うと思います」
「んん?」
ミサオがまた、可笑しそうに微笑む。
「たとえサイコキラーであっても、何かのきっかけで正常な心を取り戻す事だってあると思います」
的打がそう言うと今度はミサオは笑わなかった。
「だったら証明してみせろ。ひとでなしが人に戻れると証明しろ。アタシとコンビを組んでいる間に、一体どの位のサイコキラーを救えるかな。アタシが奴らを殺す前に、奴らを救ってみせろ。もしもお前が正しければ、アタシの命をもって祝福してやる」
「もし僕が、間違っていたら?」
的打の全身に嫌な汗が滴る。ミサオの言葉で、世界が停まる。
「お前の命をもって償え」
こうして、的打は自分の命をかけて自らの掲げる正義を主張する事になった。恐ろしい化け物達の中で、自分の命を狙う物に背を預けながら彼は戦う事になった。
ミサオと上司が口にした「サイコキラーは治らない」という言葉が的打の中でいつまでも反芻し続けた。
的打は、また今夜もきっと眠れない。
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