その香り。その瞳。

京 みやこ

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(48)SIDE:奏太

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――買った? まだ、僕と出逢ってもいない頃に?

 ポカンと口を開けて斗輝を見上げていると、彼がスッと顔を近付けてきた。
 そして肉厚な舌をスルリと侵入させ、クチュリと僕の口内を掻き混ぜる。
 発情期が終わったはずなのに、まだその余韻を引きずっているのか、お腹の奥がジワリと熱を持った。
 彼が纏うTシャツの胸元にしがみつき、手の中に生地を握り込みながら小さく喘ぐ。
「ん……」
 すると、斗輝の舌がゆっくりと後退した。
「すまない。話をしないといけないと分かっているんだが、奏太があまりに可愛いから我慢できなかった」
 苦笑いを浮かべた彼が、大きな手で僕の髪を優しく撫でる。
 大きな口を開けてボンヤリしている僕を間抜けというなら分かるけれど、キスをしたくなるほど可愛いというのはさっぱり理解できない。 
 首を傾げると、彼の指先が僕の耳裏を擽ってくる。その動きは、とても優しくて気持ちがいい。
 猫になったように彼にすり寄って、ぺったりと身を寄せた。
 そんな僕をさらに抱き寄せ、斗輝が話し始める。
「番であるオメガと出逢ったら、アルファがみすみす手放す訳がない。それは学生だとか結婚前だとか、そういった理由は関係ないんだ。俺は奏太の写真を見た瞬間、この腕に閉じ込めて甘やかして可愛がってやりたいという思いがこみ上げた。これがアルファの本能だと、しみじみ実感したぞ。もちろん、その思いは今も変わっていない」
 斗輝の両腕がしっかりと僕を包み込み、髪に鼻を埋(うず)めた。
「自分にも番がいることを知ったものの、いつどこで出逢えるのかまでは分からなかった。だが、いつ出逢ってもいいように、万全の準備をしておくべきだと考えて、両親に相談したんだ。その時にこのマンションのことを教えてもらい、買うことに決めた」
 話の感じから、彼の両親がお金を出したのではなく、斗輝自身が支払ったように聞こえた。
 見るからに立派な部屋を、学生の彼に買えるのだろうか。僕が育った地域で一軒家を買うより、絶対に高いと思う。
 そんな疑問を目で訴えると、斗輝がクスッと笑った。
「安くなかったが、奏太の安全を考えたら、けして損のない物件だ。それと、すでに澤泉の関係会社をいくつか任されていて、その報酬もある。仕事を始めたのは高校に入った頃だったから、貯蓄もそれなりにあった。あと、奏太に相応しい男になりたくて努力をしていたら、会社の業績が一気に上がってな。当然、報酬も一気に増えたから、買うことができたという訳だ」
 そこで、彼は僕の髪に何度もキスを落とす。
「部屋を用意しておいて、本当によかった。おかげで、安心して発情期の奏太と過ごすことができたしな」
 嬉しそうな声を聞き、反対に僕は申し訳なく思ってしまう。
 彼が努力をしてきた間、僕はのほほんと過ごしていた。
 大学に入るために一生懸命勉強したけれど、それは自分のためだ。斗輝のように、まだ出逢ってもいない番のためになにかをしようなんて、考えもしなかった。
 しょんぼりと肩を落としたら、「どうした?」と優しい声で訊かれる。
「僕、なにもしてこなかったから……。斗輝は僕のことを知って、色々努力してきて、それに、こんなにも立派で素敵な部屋を用意してくれました。でも、僕は番のこともよく分かってなくて、田舎で好き勝手にしてきて……」
 大学に入って知ったことだが、オメガはアルファの目に留まるために、自分を磨き続けるのだ。
 肌や髪に気を配り、健康に留意し、華やかなアルファに相応しい存在になるよう、努力をする。
 すべてのオメガがそうだとは思はないものの、それにしたって僕はあまりに努力が足りない。
 髪を洗ったら乱暴にタオルで拭いて、ドライヤーは面倒なので、使うのはほんの少しの時間だけ。
 おかげで艶がなく、パサパサだ。でも、特に気にしたことはなく、家を出る時に寝ぐせが付いていないかチェックするくらいだ。髪型や髪色をどうにかしようなんて、考えもしなかった。
 顔の造作については自分で深く考えたことはないけれど、美形の部類には入らないことは分かっている。
 オメガはアルファの子供を産むということは知っていたのだから、将来を見据えて、なおのこと努力するべきだったかもしれない。
 斗輝は誰もが認める美形で、かっこよくて、髪も顔もスタイルも完璧だ。僕みたいなちんちくりんが、彼の隣にいても許されるのだろうか。
 ボソボソと心の内を告げると、痛いくらいに抱き締められた。
「奏太が可愛すぎて、胸が苦しい……」
 その発言が意味不明すぎて、さらに首を傾げる。
「斗輝?」
 名前を呼んだら、グリグリと結構強めに彼が僕の頭に頬ずりをしてきた。
「この感覚は、オメガの奏太に説明しても理解してもらえないだろうな」
「どういうことですか?」
 問いかけると、クスッという小さな笑い声が降ってくる。
「簡単に言ってしまうと、そういう奏太は俺にとって愛しくてたまらない存在だということだ」
「髪の毛がパサパサでも?」
「これからは、俺がしっかりと手入れをしてやる」
 彼の大きな手が、やんわりと髪を掻き混ぜる。
「肌とかも、ぜんぜん気を遣ってないのに?」
「あれこれ塗りたくる必要がないほど、奏太の肌は滑らかだぞ」
 そう言って、斗輝は僕の頬に唇を押し当てた。
「顔は平凡だし、スタイルもよくないですよ?」
「俺には、奏太の顔が最高に可愛く見える。華奢で小柄な体は、すっぽりと俺の腕に収まるちょうどいいサイズだ」
 穏やかに微笑む彼の表情はとても満足そうで、僕が反論を挟む余地がない。
 気恥ずかしさが爆発し、彼の肩口に顔を埋めてウーウーと唸る。
 すると、うなじにポタリと冷たいものが落ちてきた。
「ひゃぁっ!」
 ビクッと肩を跳ね上げ、片手をうなじに当てる。
「滴が落ちたな。驚かせてすまなかった」
 彼は急いで近くにあるタオルに手を伸ばし、髪を拭い始める。僕の髪を拭いていた時とは打って変わり、かなり乱暴な手付きだ。
 自分のことは乱雑に扱うのに、僕に対しては驚くほど優しい。
 こういう些細なところでも、自分がどれほど大事にされているのかと知ることができる。
 
――僕も、斗輝を大事にしてあげたい。

 そう思った僕は、ドライヤーへと手を伸ばした。
「斗輝も髪を乾かさないと」
 とはいえ、いまだに僕の腕力と握力は復活していない。髪を乾かしてくれたお返しをしたいけれど、ドライヤーが持てるだろうか。
 このドライヤーは風と共にマイナスイオンが出るらしく、その装置のために全体の作りがやや大きい。その分、重さもある。
 両手で持ち上げてみたものの、すぐにフラフラしてしまって方向が定まらない。
 おかげで彼の髪ではなく、肩や胸ばかりに温風が当たってしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。よいしょっ」
 風が噴き出る部分をグッと上向きにしたものの、それは一瞬だけのこと。すぐにふらつき、下を向いてしまった。
「奏太、ドライヤーを貸してくれ」
 見かねた斗輝が、僕に手を差し出してくる。
「……はい」
 なんの役にも立たないことが悲しくて、しょんぼりと肩を下げてドライヤーを手放す。
 すると、右手でドライヤーを構えた彼は、形のいい目を緩やかに細めた。
「俺がドライヤーを持つから、奏太は俺の髪を手で動かしてくれないか? ただ風を当てるより、そのほうが早く乾く。左手は奏太の腰を支えているから、どうしても離せないんだよ」
「斗輝……」
 ポツリと彼の名前を口にしたら、チュッと小さなキスが鼻先に与えられる。
「奏太の世話を焼くのは楽しいが、世話を焼いてもらうのも楽しいからな。やってくれるか?」
 やっぱり斗輝は優しい。後ろ向きになりがちな僕をすかさずフォローしてくれる。
「はい!」
 そのくらいなら、僕にもできる。
 僕は両手を彼の髪に差し入れ、自分にしてくれたように地肌をマッサージしつつ髪をかき上げてみた。
 僕の手の動きに合わせ、斗輝がドライヤーを動かす。
「斗輝、どうですか?」
 力の加減や動かす速さのことで尋ねたのだが、予想外の答えが返ってきた。
「一生懸命な奏太は可愛いよ」
「……僕が訊いたのは、そういうことじゃないんですけど」
 照れ隠しに唇を尖らせて不貞腐れた表情を浮かべると、斗輝はすかさず僕の唇を啄む。
「な、なんですか?」
「目の前に奏太がいたら、キスしたくなって当然だ」
 笑顔で告げられた内容に、いっそう顔が火照る。
「……馬鹿なこと、言わないでください。それより、どうなんですか?」
 恥ずかしさで視線を逸らすけれど、手は動かしながら改めて尋ねた。
「すごく気持ちいい。それと、奏太に世話をしてもらえて、幸せだよ」
「……それならよかったです」
 この後も、斗輝は何度もキスをしてくるので、僕の顔は温風を浴びたかのように火照りまくっていた。
 
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