その香り。その瞳。

京 みやこ

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(107)SIDE:奏太

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 ボディガードさんたちが姿勢を戻したところで、公園の入り口に車が停まった。
「到着しましたね。では、参りましょうか」
 深沢さんが僕たちの少し前を歩き、他の人たちは適度な距離を空けてついてくる。
 後部座席の扉を開けてくれた深沢さんに会釈をして、僕がまず車に乗り込んだ。
 その左隣に、斗輝がスルリと滑りこんでくる。
 窓ガラスを下ろした彼は、フッと目を細めた。
「今日はありがとう。おかげで、奏太とデートをすることができた」
 斗輝の言葉に、みんなが微笑む。
「お役に立てて、嬉しく思います」
 そう返した深沢さんが軽く腰をかがめ、僕を窺う。
「奏太様、どうぞこれからも遠慮なくお出かけください。そして、奏太様の可愛らしいご様子を、斗輝様に披露なさってくださいませ」
「あ、あの、えっと……、はい」
 照れくさくなった僕は、コクンと頷き返した。
「本当にありがとうございました。また、お願いします」
 ペコリと頭を下げると、深沢さんが「こちらこそ、お願いいたします」と返してくる。
「では、お気を付けて」
 深沢さんたちがもう一度頭を下げたところで窓ガラスが上がり、車が静かに走り出した。

 シートに深く腰掛け、僕はソッとため息を零した。
 そんな僕の左手を、斗輝が優しく握り締める。
「疲れたか?」
「いえ、今のため息はそういうことじゃないです。楽しかったなっていう、満足の意味ですよ」
 安心したように、斗輝は切れ長の目を細める。
「そうか。なら、よかった」
「斗輝こそ、疲れませんでしたか? 周りにけっこう人がいましたし」
 買い物はネットで済ませたり、人に頼んで買ってきてもらうような生活を送ってきた彼に、庶民的なショッピングモールでの買い物は慣れないものではなかっただだろうか。
 心配する僕をよそに、彼はにっこりと笑う。
「この程度で疲れるような、ヤワな体じゃないぞ。持久力という点では、おそらく奏太より上だ」
 確かに、散歩をしているうちに僕はちょっとへばってしまったけれど、彼は最後までケロッとした表情で、足取りも軽やかだった。
「僕は体が丈夫なことが取り柄なのに、なんか悔しいです」
 田舎育ちの僕が、財閥の御曹司で都会暮らしの彼に体力面で負けるなんて。
 苦笑いを浮かべると、彼が繋いでいた手を解いてポンと僕の頭を撫でる。
「それは、第二次特性によるものだから、仕方がないだろう。あと、俺は日頃から鍛えているんだぞ。少しの時間でも、できるかぎり毎日欠かさずな」
 その言葉の通り、彼の胸は適度な筋肉がついていて、腹筋は綺麗に割れている。
 また、僕を軽々と抱き上げてしまう腕力もある。
 しかも、彼にたっぷり抱かれて動けなくなっている僕を、事後、平然と世話してくれていた。
 筋肉の付き方とスタミナを見たら、きちんと体を鍛えているのは分かる。
 だけど、毎日欠かさずというのは、本当だろうか。
「どこで、トレーニングしているんですか?」
 僕があの部屋に連れてこられてから、彼が外に出たことはないはずだ。
 首を傾げる僕の頭を、彼がまたポンと叩いた。
「トレーニング用の機材を置いた部屋があるんだ。そこは完全防音だから、奏太が寝ている間にトレーニングしている」
 なるほど、そういうことだったのか。
 僕は部屋を見て回っていないので、それは知らなかった。
 そこで、別の疑問が湧き上がる。
「でも、トレーニングはいつでもしたらいいんじゃないですか? 別に、僕が寝ている間じゃなくても」
 あの部屋はすべて斗輝のものだから、自由に使ったらいいと思う。
 それに、いちいち僕に気を使わなくても構わない。一言「トレーニングしてくる」と伝えてもらえたら、僕はリビングで大人しく待っている。
 ところが、彼は首を横に振った。
「起きている奏太と一緒にいたいからな。いや、寝ている奏太のそばから離れるのも嫌なんだが。他に、タイミングがない」
 彼の言葉を聞いて、僕の頬がフワッと熱くなる。

――そんなにも、僕と一緒にいたいんだ。

 その気持ちが、すごく嬉しい。
 でも、それは僕も同じ。僕だって、斗輝のそばにいたいのだ。
 また、どんなトレーニングをしたら、こんなに綺麗な筋肉の付き方になるのか、ちょっと興味がある。
「でしたら、斗輝がトレーニングしている間、僕もその部屋にいますよ。それなら、斗輝が好きな時にトレーニングできますし。斗輝の邪魔にならないように、大人しくしていますから」
 そう告げると、彼は困ったような笑みを浮かべた。
「それだと、奏太を退屈させてしまう。集中すると、まともに会話ができなくなるだろうしな。それが原因で、奏太に嫌われたら困る」
 斗輝のこういう発言は、本当に照れくさくなってしまう。
 大勢の人の上に立つべき存在である彼が、僕一人の機嫌を窺うなんて。
 それだけ、僕のことを大切に想ってくれていることが、嬉しくもあり、恥ずかしくもある。

――こういうことって、何度言われても慣れないんだよね。

 顔が赤くなっていることを自覚しながら、僕はボソボソと言い返した。
「べ、別に、ちょっと話ができなかったくらいで、斗輝を嫌いになったりはしませんよ。僕、斗輝のことが大好きですから」
 運転席と後部座席の間はアクリル板で仕切られていて、防音になっている。
 よほど大声を出さない限り、運転手さんには聞こえないとのこと。
 だから、僕はこんな恥かしいことが言えるのだ。
 とはいえ、彼を見つめるほどの余裕はない。
 僕は俯いて、顔の火照りが収まるのを待っていた。
 すると、頭に乗っていた彼の手がスルリと移動して、僕の右肩を優しく抱き寄せる。
「分かった。今後、トレーニングルームに行く時は、奏太に声をかける」
「……はい、そうしてください」
 俯いたまま答えたら、斗輝が僕の髪に唇を押し当てる。
「奏太がそばにいてくれるとなったら、トレーニングにも熱が入るな」
 嬉しそうに囁く彼を、僕はやんわりと手で押しのけた。
「あ、あの……、声は運転手さんに聞こえなくても、なにをしているのかは見えちゃいますよ……」
 ハンドルを握っている間は運転に集中しているだろうけど、それでも、僕たちの様子はバックミラーでなんとなく把握できるはず。
 もちろん運転手さんはそんな僕たちの様子を見て見ぬ振りをしてくれるし、誰かに吹聴したりしないとも分かっている。
 だけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 さらに俯いてモジモジしていたら、斗輝がクスッと笑った。
「悪い。嬉しくなって、つい」
「い、いえ、その……。嫌だというのではなくて、恥ずかしいだけですから……」
 ボソボソと小さな声で言い返したら、彼の手が静かに離れる。
 そして、運転手さんの死角で、シートに置いている僕の左手をキュッと握った。
「これなら、大丈夫か?」
 問われて、僕はコクンと頷いた。
 人に見られていないなら、彼の温もりを味わえるのは幸せだし、安心するから。
「じゃあ、家に着くまで、このままにしていよう」
 斗輝はクスッと小さく笑うと、しっかり僕の手を握った。
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