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御崎(みさき) 朧(おぼろ)

新たな扉

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「どうしたの? 白羽さん、ぼーっとして」

「え……?」

「もう皆行動開始しちゃったよー?」

 数人の女子に囲まれてあたりを見回すと、教室内に残っているのはすでに三割程度だった。

「皆どこに行っちゃったの?」

(やだ、私そんなに長い時間考えごとしてた?)

「遊びにはならない程度に自由にしていいってー。うちら図書館に行くんだけど白羽さんもどう?」

 親切心から誘ってくれているのはその裏表のない笑顔を見ればわかる。しかし、かつてのクラスメイトたちからそのような優しさを与えられたことのないまりあは目を丸くして聞き返す。

「図書館……誘ってくれるの?」

「そうだよ! 嫌じゃなかったらだけどねっ」

 ウィンクしながら親指を突き立て、背後にある教室の扉を示す雰囲気の明るい女子生徒。

「ねっ! 一緒に行こうよぉっ!」

「う、うん……」

「白羽さん初めてでしょ? 図書館」

「は、はじめ……て」

 と、翼のことを思い出しパッと頬を赤らめると、気づいたツインテールの少女から鋭い突っ込みが入る。

「えっ!? なにいまの反応! 図書館でなんかあったの白羽さん!?」

 前のめりになってズイズイと顔を近づけてくる彼女に圧倒され、苦し紛れで棒読みなセリフが飛び出したが、これはこれで嘘からでた誠だった。

「う、ううんっ!? そういえば読みたい本があったんだよね~って思い出して……ハハッ」

(絵のこと、花のこと、色のこととか……)

 この際だから徹底的に調べるのも楽しいかもしれない。
 趣味で終わっていた、いままで踏み込むことのなかった新しい発見がすぐそこで待っている。

「……あ、ごめんね? もしかして黒宮くんと一緒に行動する予定だった?」

「え?」

 頬を染めて答えたまりあに別の意図を感じた他の女子が、すまなそうに声をひそめる。

「確かに予定は聞かれたけど……優しさなのか、からかってるだけなのかわからなくて断っちゃった」

「んー、からかってるわけじゃないと思うけどなー。
黒宮くんってあんなにカッコイイのに浮いた話ないし? うちらの誘いにも全然興味示さないんだよねー。だからてっきりソッチ系の人かと思って諦めてたけど、白羽さんが来てから随分楽しそうにしてるし、悪意どころか好意だと思うよ?」

「でもまぁ……白羽さんには”翼くん”がいるもんねぇ……と、言いたいところだけどっ! なんたって黒宮くんはクラスメイトで隣りの席なんだから!! ここからロマンスが生まれるかもしれないよねっっ!!」

「あぁっ! 羨ましいぃぃ!!」

「え、えっと……」

 勝手に三角関係を描いて黄色い声を上げる彼女らに戸惑いながら先を促すまりあ。

「……っも、もうそんな話やめて図書館行こう?」

「あーっ! そういえば黒宮くんは!?」

 しかしすでに彼の姿はなく、あれだけ情熱的に口説いていたわりに素っ気ないと口を尖らせる女子たち。
 まりあはなかなかその勢いについて行けないが、この年頃の女子はそういうものなのかもしれない。
 恋愛話に敏感で、異性間の話題とあらばすぐにでも飛びつきたい衝動とパワー。初めて女子の威力を目の当たりにしたまりあにとって彼女らの口撃は脅威だが、それもまた当たり前の交流を味わうにはちょうどいい機会だと前向きに捉える。

(これがきっと普通の女子高校生なんだ――)

 外履きに履き替え図書館へと向かったまりあたち。
 見慣れない他の学年の生徒たちも移動していることから、この学園は比較的自由な時間が与えられているのかもしれない。

「じゃあここからは好きな本探して各自練り歩きますかっ!」

 防音のガラス扉を一枚隔てた向こう側では自主学習に励む学生の姿や、山積みになった本を両手に抱え、調べものに没頭しているインテリ風の生徒の姿もあった。

「賛成―っ!」

「さ、さんせい……」

 イマイチ乗り切れていないまりあは控えめに賛同し、辺りを見回しながら目的地を目指す。

「えっと、芸術のコーナーかな……?」

 窓は比較的小さめで、外からの光で本たちが傷まないように工夫されているのかどうかはわからないが、適度に暗いのがまた活字と向き合う姿勢を助けてくれる気がする。
 そして床に貼られた綺麗なカーペットが生徒たちの足音を吸収し、心地良い静寂が保たれている。

「あ……このあたりかも」

 絵画関係の本棚を見つけ、手前から奥へ向かって目で追っていくと何かにぶつかってしまった。

「……ご、ごめんなさいっ」

「すみません、こちらこそ。よそ見を――」

 慌てて通路に目を向けたまりあが見たのは――……

「……麗先生?」

「まりあさん……」

 心なしか顔色の優れない麗が驚いたように立っている。

(麗先生、顔色悪い……?)

 まりあがそんなことを考えていると、苦しそうに顔を歪め上体を揺らした麗。
 彼の持つ本がバサバサと床に散らばって、懸命に拾おうとする麗の手が弱々しく伸びる。

「……っ」

「……先生っ!」

(……ひどい汗……っ具合悪いんだ!)

 まりあはあたりを見回し、手身近な長椅子へと麗を誘導する。

「私、お水買ってきます。先生はここで休んでいてください」

 慌てて走り出そうとするその腕を麗が掴んだ。

「……必要ありません」

「じゃ、じゃあ誰か……人をっ……」

「…………」

 それすらも首を横にして拒絶する麗。

「少しだけ……傍に居て、下さいませんか……」

「は、はいっ!」

 促されるように椅子に座ると麗が体を預けてくる。
 それは甘えとは違い、体を起こしていることが辛いのだと彼の顔と息遣いが物語っていた。

 どれくらいこうしていただろう。
 広い図書館の……あまり学生が興味を示さない場所にいたからかもしれない。

 誰も通らず、誰の声も聞こえない。

 時折聞こえてくるのは麗の呼吸と自分の心音だけだった。

(不思議な感覚……)

 眠っているのか起きているのかわからない。

 一呼吸するごとに深くなる無意識の中の……眠る記憶――。


 天から降りてきた聖なる光。
 私は眩しくて……
 でも、その中に立つ美しい人から目が離せなくて……


 微笑んだその人は慈しみを込めてこう言った。


『――おめでとう恵まれた方――……』


 そうして差し出されたのは真っ白な一輪の百合の花だった――。
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