青いチェリーは熟れることを知らない①

逢生ありす

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ふたりで辿る足跡

頑張るのは誰のため?

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(私いつもあんなにチェック漏らしてたんだ……瑞貴センパイが指摘してくれてたのなんてほんの一部。あれこれ言って私が混乱しないように気を使ってくれてたんだ……)


 ――高校受験を控えたちえりが涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら桜田家に身を寄せている。

”瑞希センパイィ……今から基本やってたんじゃ応用は解けないですよぉ……っグス……”

”おいおい、その発想はどこから来るんだ? 物事に近道なんて例外以外ありえない! 基本を知ってるやつのミスは最小限に留まるんだぞ?"

 彼のやり方がもっともなのはわかっていたが時間がない挙句に覚える量が多すぎる。ただなんとなく授業を受け、宿題をこなせば自然に身についていると思い込んでいたちえりは大幅に遅れをとってしまったのだ。
 そして、テストがあるたびに己の理解度の低さを身を以て感じていたにも関わらず、それを補おうとしなかった責任は自分にある。


(あのときも瑞貴センパイに寝る間も惜しんで教えてもらって……どうにか第二志望の高校行けたんだった……)

 高層ビルの合間から伸びる緋色のひかりが満ちて、あでやかな太陽が今日いちにち最後の輝きを存分に放っていた。
 金曜日の瑞貴もここからこの景色を見送っていたに違いない。

(私はもう仕事してお金貰ってるんだもん……毎日が受験くらいの覚悟でやらなきゃダメだよね)

 見習いなのだから瑞貴の力を借りるのはしょうがないかもしれない。だが、わからないからと任せきりにするようでは瑞貴の負担がいつまでも減ることはない。
 そう考えると自分はなんて酷いやつなんだろうと、申し訳なさから涙が溢れそうになる。
 そしてそのことに気づかせてくれたのは紛れもなく鳥居隼人だった。

 そもそも新入社員で、しかも”基礎知識を持たないちえりでも出来ること”を、瑞貴が選んで回してくれていた仕事なのだ。

「……最初から私に無理な仕事は回ってこない。だったら貰ったものは完璧にしなきゃっ……!」

 並みならぬ決意で記憶とノートを頼りに気合を入れなおすちえり。
 ハチマキこそないが、そこには日の丸を掲げた気分で、それこそ無我夢中になって取り組んだ。

 ちえりは、作成中のとある企業のホームページ動作テストをしているわけだが、もちろんそこに潜む誤字・脱字のチェックも含まれている。
  彼女は額にアンテナを突き出しながら前のめりの姿勢でディスプレイを睨んでいる。

(……うん、言葉におかしいところはないみたい)

 仕様書へ何度も目を通し、それでも言わんとしてることがわからないなら、とりあえず先に進む。
 そしていくつかのチェックが終了してからもう一度立ち止まった場所まで戻る。そうすると意外と混乱した頭はスッキリしていて、日本語を素直に受け止められる頭になっているのだ。

(うーん……
”メールによる回答か、電話による回答か”のいずれかを選択。っていう言葉なんだから両方選べるのは、やっぱりよくないんだよね……)

「ここは修正してもらわなきゃ」

 ちえりは取り出した付箋へ詳細を書き込み、目立つように仕様書から顔を出させる。
 勘違いや思い込みというのはとても恐ろしい。
 いまやっていることはとても地味な作業に見えるが、作成する人とチェックする人の目がバラバラなのはとても重要なことだからだ。

 最初はあまり多くの文句をつけてしまうのは申し訳ないと思っていたものだが、それではチェックの意味がなくなってしまう。むしろ漏れたら大変なのだと瑞貴にもそう教えられていた。

「……私なんか初めから戦力外的要員で、瑞貴センパイが最後の砦って感じだったんだな……」

 瑞貴の並みならぬ責任からくる緊張と重圧。
 ちえりのこんにゃくのようなメンタルでは一瞬にして跡形もなく千切れてしまっているに違いない。

(それなのに皆に優しくて、私にも優しくて……)

「上に立つ人って本当に大変なんだな……」

「あ? なに他人事みたいに言ってんだ?」

 無料のロビー珈琲ではなく、有料の自販機から購入してきた”挽きたて豆のカプチーノ”を差し入れてくれたのは鳥居隼人だった。

「……あ、ありがと」

 有難く両手で受け取り、温かくほのかに香るミルクの優しさに癒されていたちえりだったが、口を付けようとしてデスクへ置いた。

「……あとでいだたくね」

 失礼のないようにと一応の断りを入れてモニターへと視線を移す。

「それ砂糖はいってねぇぜ」

「……ホント? あ、これ……カプチーノ?」

 その返事から安心していただくことにしたちえりにはマイルールが存在していることを薄々感じ始めていた鳥居の気遣いが炸裂する。

「あぁ、お前仕事中ブラックばっかだったろ」

 鳥居はそう言いながら、佐藤七海不在の椅子へもたれながら長い足を組んだ。

「……砂糖だけ入ってたかもしれないよ? そういうのも見た目でわかるの?」

 ミルクなら色でわかる。しかし色がなく、混ぜてしまったら匂いさえしない砂糖をどうやって見分けるのだろうと考えた。

「俺、言葉使い以外わるいとこねぇから」

 相変わらず自信に満ち溢れた言動に開いた口が塞がらないが、そのふとした座談に興味をひかれる。

「……良いところって具体的に言うとどこ?」

「顔と性格、味覚に嗅覚だろ? あと……」

「…………」

 キョトンとして聞いていたちえりだが、質問したことをすぐ後悔してしまった。

(瑞貴センパイは無自覚なイケメン王子だけど、こいつはっ……
ま、まぁ実際イケメンだし……イケメンにも色々あるよね……)と、脳内で皮肉を繰り返しながら手渡されたカップを覗き込む。

(お砂糖なしでミルク入りって、あんまり飲んだことなかったかも……)

 紙コップ越しにあたたかさを感じながら、香りとともにカプチーノを堪能させていただくことにする。さきにミルクフォームが唇をかすめ、それから熱い液体とともに口内へゆっくり流れ落ちてきた。

(……苦味もちゃんと残ってるのにまろやかで……適度に肩の力がぬけていくみたい……)

「うまいだろ?」

「う、うんっ……うまく言えないけど、短い時間でオンオフの切り替えがスムーズにいくように手伝ってくれてる感じがする……」

「…………」

 紙コップを傾けていた彼の動きが止まり、言葉なく見つめられる。

「……え? えーっと……」

”おかしなこと言っちゃったかな……”と、発言を後悔するちえりだが、口から飛び出した言葉は彼の耳に入ってしまったため仕方ない。

「……っそろそろ終わらせないと、怒られちゃうね」

 休憩ばかりしていたら残業の意味がなくなってしまう。
 遊んでいるわけではないにしても、他人の目とはわからないものだ。自分のせいで瑞貴が咎められることは絶対に避けたいちえりはカプチーノとマウスを持ち替え、再び姿勢を正す。

「…………」

「……っ……」

 しかし、ひしひしと伝わってくる鳥居の鋭利な視線。そんなものを向けられて集中できるはずもなく……

(わ、わたしの横顔……啄木鳥キツツキに突かれたみたいに穴だらけになってない……よね?)

 ”穴のあくほど”とは、このことかもしれない。
 ちえりは鳥居が凝視しているであろう左側の頬を恐る恐る押さえ、彼の尖った視線をガードする。

「なにやってんの……? お前」

 彼の目にはさぞ不思議にうつっているに違いない。
 肘はついていないので頬杖ではないことは伝わっているようだが、歯が痛むにしては予兆がなさすぎる。

「……ぅっ、……っ見つめられすぎて穴があいてしまわないかと……」

 広げた指の隙間から鳥居の顔をちらりと見やる。
 冷たく尖りまくった嘴……ではなく、視線であろうと予想していたが、彼は意外にも”鳩が豆鉄砲を食らったような顔”をしていたから驚きだ。

「……はっ! なんだそれ!! お前ってホント、中身があんのかねぇのか……結構よかったぜ? さっきの」

「? さっきのってなに?」

「”短い時間でオンオフの切り替えが……”ってやつ。お前からそんな言葉が聞けるとは思ってなかったから結構意外」

「それをいうなら私も。……あんたからそんな褒め言葉聞けるとは思ってなかった」

 ガードを解いたちえりは左手をおろし、再び紙コップに口を付ける。

「あぁ、まずお前は褒めるとこ探すほうが難しいからな」

「……ぶっ……そ、そういうことは思っても言わないでよ! け、結構傷つくんだからっ……」

「勘違いすんな。お前はあの人にばっかイイとこ見せようとするから……俺にはなんも伝わってこねぇの」

 ため息交じりにそう答えた鳥居。彼はへそを曲げた子供のように目を逸らしながら頬杖をついている。

「ちょっと……、変なこと言わないでよ……」

 これではまるで”イイところを見せて欲しい”と言っているようなものだ。

「……そうかよ。ならさっさと終わらせるんだな」

 ちえりの言葉に立ち上がり、ただ一瞥しただけで去っていく鳥居。

「……う、うん……」

(……なんなの? 一体……と、とにかくっ! 私のせいで帰れないこいつの為にも早く終わらせなきゃ!
)

 柄にもなく動揺してしまったちえりがカップのなかを覗き込むと、ふんわり覆われたミルクフォームはほぼなくなっており、色味の濃いミルクコーヒーが顔をみせていた――。


 ――そして時計の針が午後二十時にもなろう頃……


「確認お願いいたしますっ!!」

 バグチェック担当者の欄に”若葉”という印を押した仕様書を鳥居へ手渡す。
 それまで肩肘をついていた彼は仕様書を受け取ると椅子に座り直し、猛スピードでマウスを動かし始めた。
 そして、ちえりが息を飲んで見守る中……

「……及第点だな」

「や、やった――――っっ!!」

 ハンバーグを評価された際にも同じことを言われた気がする。
 きっと彼のいう”及第点”は合格点という意味なのだろうと勝手に妄想している。

「あ、あと……一緒に残ってくれてありが……」

 月曜日にも関わらず遅くまで付き合ってくれた鳥居には感謝しかない。素直に言葉で伝えようと言いかけて。

「…………」

(……瑞貴センパイまだ戻ってこない……)

 鳥居が座るこの場所は瑞貴のデスクだ。
 彼を見かけたのは本当に朝だけで、その後は声さえ聞いていない。

(大丈夫かな、連絡してみようかな……)



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