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決意の先に
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ジークハルトの意向をフェリックスが汲んでくれた結果、共和国軍の面々は外出がほぼ制限されてしまったらしい。
帝都ヴェルダンディに来ているならともかく、元は中立を保つ側であったヴィーザルでそれは可哀想なのでは、と進言したものの、フェリックスは首を横に振るばかりだ。
「気軽に出歩けなくなるだろう、お前が」
「そうは仰いますが……」
どうせ増え続ける仕事でここに詰めているのだ。外で飲もうという気も起きず、ほとんど家と仕事場の往復のみなのだから。だが、フェリックスは念には念を入れてと言う。
「そんなことを申し上げて、よく皆さんから反発を受けませんでしたね」
「受けたぞ」
「え?」
「その結果、数名が会議に出禁になった」
「出禁」
血の気が多いメンバーだと聞いていたが、まさかそんな事態になるとは。当のフェリックスがクツクツと笑っているので、彼もまた血の気の多い面々を煽ったのだろうとは容易に想像がつく。
「お前が早々にやつらの前に現れないせいだ」
とフェリックスは言うが、ジークハルトが彼らの前に姿を表しても、理由はどうあれ結果は変わらなかっただろう。
そうして、会議が出禁になった様子の幕僚は、ジークハルトの執務室の窓からよく見える中庭で時間を潰す姿が見られた。
石造りのベンチの上で、一人はコーヒーを片手に、一人は何やらノートにペンを走らせながら、そしてもう一人はヴェルダンディではポピュラーなタバコを吸いながらあれやこれやと話している姿が見られるようになった。
出禁になったと聞かされた日、レオンがやたらと肩を怒らせて歩いていたのを見るに、ツェツィーリアあたりが帝国語でもって煽りに煽ったのだろう。出禁を言い渡したのは自治軍の参謀長だったと言うが、ツェツィーリアやその他の二人はあまり反省している様子はなかった。
「(……やはり、痩せたな)」
タバコを持つ手首に、かつてジークハルトが贈った腕時計が巻かれているが、ヴィーザルの空港で再会した時はしっかりと巻かれていたはずのベルトに余裕が生まれている。
食べていないのか、食べられないのかは分からない。直接話したい衝動を抑え込むのが、一番大変だった。
窓の外を見る時間が増えてしまったのは言うまでもなく、やはり会わずにいたのは悪手だっただろうかとも考える。
たまに一人でぼんやりとタバコを吸っているツェツィーリアは、こちらの視線には気付いているようで、何度か危ない場面があった。
その時々で、ちょうどミーミルが窓際にいたり、レオンがツェツィーリアを指さしていたりと、運良くバレずにはいるようだった。レオンなんかは「あの男、今こちらに向かって中指を立てやがったぞ!」とかなんとか言っていたが、真偽は不明だ。
「ジークハルト」
「なんでしょう、フェリックス様」
「そろそろ、いいんじゃないか?」
彼らがヴィーザルに降り立ってから、一ヶ月。フェリックスがこちらの背中を押す時間が増えてきた。たしかにそろそろ頃合いか、とも思う。
心臓の音がやたらとうるさい。こんな時になってようやく緊張してきたようだった。
*****
レイリーの秘蔵っ子ノア少年は、悩んでいた。
事件が起きたのは今日の会議の場であった。
「会わせたい者がいる」と言ったフェリックスが連れてきたのが、なんと死んだと思われていたジークハルト・ワーグナー中将だったのである。
レイリーもノアも、思わずぽかんと呆けてしまった。
フェリックス曰く、死んだと思われていたジークハルトは、首の皮一枚のところでどうにか命が繋がったそうで、目覚めたのは戦争が終わってからだったらしい。
だが、と重くフェリックスは口を開き、レイリーたちを見た。
「この会議室にいない者への口外は禁止とする」
それはつまり、今現在彼らの自業自得とはいえ会議が出禁になっているベジット、セシルに、ジークハルトが生きていたことは伝えられないのだ。
ノアの肺が、きゅうと縮まったかのようだ。
ちゃんとハッキリとした言葉を聞いたことはないが、セシルとジークハルトの間には、決して浅くはない関係があったはずだ。
セシルが大事に身につけている品々、ジークハルトが亡くなったという報告を受けた時のセシルの反応。
どれを見ても、セシルにこの事は伝えるべきだとノアは思う。
セシルからおおよその概要は聞いているはずのレイリーも同意見だと思っていたのに、だがノアが期待を込めてレイリーを見るが、ノアの目に飛び込んできたのはレイリーが「わかりました」と頷く瞬間だった。
「レイリー元帥」
「なんだい、ノア」
その日の夜。レイリーが宿泊している部屋に赴くと、ちょうどレイリーが一人で酒を飲んでいて、これ幸いとノアは聞いた。
「アイゼンハワー少将に、今日あった事はお伝えしないおつもりですか?」
「……そう、だねぇ……元帥閣下もああ言っておられることだし、彼らには彼らなりの事情があるんじゃないかな」
「ですが、……でも……」
セシルがいまだにジークハルトの死を乗り越えられていないのは、目に見えて明らかだった。
酒とタバコの量は倍以上に増えているし、食事の回数も激減した。事情を知らないベジットにせっつかれても、セシルは曖昧に笑うだけだった。
時折、首に下げたネックレスの感触を確かめている場面を、レイリーも見ているはずだ。
故障して時が止まってしまった腕時計を捨てられずにいるのも、レイリーは知っているはずだ。
だが、レイリーはゆるりと首を振る。
「セシルには教えられない」
「………」
「それに、この二ヶ月の間、彼は姿を見せずに終われたのに、こうして私たちの前にわざわざ現れた。セシルにもそのうち自分から会いにいくんじゃないかな」
「そうでしょうか」
「うん。私は、そう思うよ」
「………」
本当に、そうだろうか。
セシルが会議に出られなくなったと聞いたから、会議室に現れたのではないか。ノアがそう言ってみるものの、レイリーはやっぱり朗らかに笑って否定する。
なんとも、もどかしい。
こうなったら、とノアは翌日の昼間になって、ジークハルトの執務室を訪ねた。
突然ひとりで来たノアに、デスクで仕事をしていたジークハルトは少し驚いた様子だったが、穏やかな空気をまとって招き入れてくれた。彼のデスクの前でノアは共和国軍式に敬礼をして、呼吸を整えた。
「ワーグナー中将。お忙しい中、申し訳ありません」
「ちょうど休憩しようと思っていたところですから、気にしないでください。何か飲まれますか?」
「いえ、このままで。お気遣い、ありがとうございます」
本人を目の前にすると、なんだか妙に緊張する。何度か深呼吸をして、ノアはまっすぐジークハルトを見た。
「ワーグナー中将閣下。……アイゼンハワー少将に、お会いしないおつもりですか」
「………」
ノアの声に、ジークハルトが目を丸くする。そばに控えていたミーミルも驚いた様子で、突然流れた妙な空気にさしものノアも口籠ってしまう。
「えっ、と……」
「……君は、どこまで知っている?」
「え?」
「そこまで口が軽い人じゃないと思っていたけど……」
セシルのことを言われているのだと理解して、ノアはもう一度息を吐いたあと口を開いた。
「アイゼンハワー少将から直接お話を聞いた事はありません」
「では、なぜ?」
「……ずっと前に、アイゼンハワー少将が見せてくれたんです。ネックレスを」
「………」
「見たことのない金貨でした。アイゼンハワー少将は、ずっと肌身離さず大事に持っていました。大切な人から貰ったんだと、すぐに分かりました。それまで誰に貰ったのかは分からなかったんですが……」
確かな証拠があったわけではない。
セシル本人から聞いたわけではない。
ただ、あの腕時計と、ネックレス、それから、ジークハルトの訃報を聞いた時のセシルの反応を統合すると誰しもが行きつく答えだった。
「……アイゼンハワー少将は、あの日からあまり食事を摂らなくなりました」
「あの日?」
「あなたが亡くなったと聞いた日からです」
「………」
ノアの言葉に、ジークハルトが少し目を細める。
「最近は特に、お酒とタバコの量も増えてお医者様にも怒られる始末だったんです。眠れてもいないんです。きっと、あなたが生きていたと知れば、元気になってくれるはずなんです。お願いです。アイゼンハワー少将に、会ってください」
ジークハルトが死んだと聞いた日、セシルは泣きながら「死にたい」と呟いた。
死ぬことを恐れなかった人が、上官命令だからと生還する道を選び続けていた人が、死にたいと乞い願う。
あの日の涙はジークハルトにも知られてはいけない、とそれだけはどうにか口から出さずに終わった。
ノアの告白に、ジークハルトは少し考えるそぶりを見せた。
断られるだろうか、と心臓が早鐘を打つ。
「……会いたくないわけでは、ないんですよ」
「え?」
「会いたくないわけが、ないじゃないですか」
ややあって呟かれた言葉に、ノアの方が言葉に詰まる。そんなノアの様子に、ジークハルトは苦笑した。
「でも、今ではないと考えています」
「………」
「君は、明日から暇な時間はありますか?」
「え? あ、はい、会議以外の時間は比較的空いています」
何を要求されるのだろう、と身構えていると、ジークハルトはにこりと微笑んで「そうですか」と言った。
「なら、君が暇な時で構いません。彼の、その……そちらにいる時の彼の話を聞かせてください」
「え?」
「私が知る彼は、ほんの一部だけですから」
「……お話ししたら、会ってくださいますか」
ノアの念押しに、ジークハルトは苦く笑っただけだった。
*****
翌日からジークハルトの執務室には、若き噺家がやってくるようになった。
体格が仕上がりつつある少年は、柔らかな声と甘い顔立ちには似つかわしくない熱意を持っていて、半分愚痴も混ざったエピソードも聞いていて面白い。
「アイゼンハワー少将はすぐ仕事をサボるから、いつも探すのが大変なんです。だいたい喫煙所にいますけど、たまに見つからないこともあって……レイリー元帥が、お土産もないのに消えるのはやめてくれと言ってからは、見つかりやすくなりました」
「新年パーティで毎年誰かしらが女装させられるんですけど、アイゼンハワー少将の年は盛り上がりがイマイチでした。たぶん、普通に綺麗すぎて面白くなかったんだと思います。あ、写真ありますが、見ますか?」
「レイリー元帥とアイゼンハワー少将はいつもは仲が良いのですが、戦術の話になると途端にソリが合わなくなるというか……レイリー元帥は歴史を根拠とした戦法が得意でしたが、アイゼンハワー少将はご本人の経験則が活きているタイプだったので、よく執務室で大喧嘩していました。殴り合いに発展しなかっただけ有難いと思えって、アイゼンハワー少将はいつも仰っていました」
「アイゼンハワー少将は本当に口が悪くて……レイリー元帥にも怒られるんですが、改めているところは見たことがないですね。一度本気で怒ったレイリー元帥が、セシルは手癖が悪い、口が悪い、性根も悪いのトリプル役満だと言ったら、アイゼンハワー少将のものすごく綺麗な右ストレートがレイリー元帥に入っちゃって……それに怒った防衛指揮官とアイゼンハワー少将の喧嘩を止めるのが本当に本当に大変でした」
ノアの話に出てくるツェツィーリアは、一度だけ『セシル』と本名を名乗って目の前に現れた時と言動が変わらない。やはりあちらが素のツェツィーリアだったのか、と理解する。
ジークハルトの前では、ジークハルトや他の貴族に気に入られるよう作り上げた偽の人格だったのだろう。それはなんだか少し寂しいと感じてしまうが、致し方ない。
金貨のことも腕時計のことも、バレてしまったのは彼がベロベロに酔っ払っていた時だと判明した。
「アイゼンハワー少将が酔われるのは結構珍しいほうなのですが、酔うといつも見せてくれました。休みの日も首から下げていたので、アイゼンハワー少将があの金貨を持っているのはたぶん皆知っていると思います」
「アイゼンハワー少将は酔うといつもヴェルダンディのことを話してくれました。ヴェルダンディにある大きな水族館のことも、海に行った話もしてくれるんですが、いつもいつも嬉しそうに話してくれるんです。最近はめっきり話してくれなくなりましたが……ああでも、ヴェルダンディにはアイゼンハワー少将がお好きな白ワインがあるそうで、それが飲めなくなって残念という話はいつもされています」
その言葉に、ジークハルトの脳裏にワインを飲むツェツィーリアの姿が映し出される。ヴェルダンディで売られているワインの中でも、比較的安価なその白ワイン。レストランに並べてはあるものの、その銘柄だけ飛び抜けて安いのであまり帝国人に頼まれることはないものだった。
白ワイン独特の甘さが少なく、すっきりとした口当たりのそれをツェツィーリアはよく好んで飲んでいた。本当に好きだったのだな、とどこかホッとしてしまう。
水族館も、海も、どれもジークハルトと共に出掛けた場所だ。タカアシガニの水槽の前から動かなかったツェツィーリアに、カニが好きなのかと聞いたら大嫌いと言われて困惑したなぁなんて思い出が蘇る。
「ワーグナー中将?」
「え? あ、はい、なんでしょうか」
「どうかされましたか?」
ジークハルトの執務室の、ソファで対面するノアが、キョトンと首を傾げている。何かあっただろうかとこちらも首を傾げると、ノアは慌てて手を振った。
「あ、いえ、どこか寂しそうに見えたので、何かあったのかと……」
「ああ、そういうわけでは……すみません」
「いえ! 僕は大丈夫です!」
ノアは、照れたように笑う。
本当に優しい子だ、と微笑む傍らで、ぼんやりと「そろそろ頃合いだろうか」という考えが持ち上がった。
ノアにツェツィーリアの話をさせ始めてから一週間。彼らが帰るまであと三週間。そろそろ気合を入れておかないと、結局ダラダラと日々を流してしまいそうである。
「ノアさん」
「はい!」
「少し、お願いがあるのですが」
ジークハルトがそう言うと、ノアはキョトンと瞬きをしたあと、力強く頷いてくれた。
帝都ヴェルダンディに来ているならともかく、元は中立を保つ側であったヴィーザルでそれは可哀想なのでは、と進言したものの、フェリックスは首を横に振るばかりだ。
「気軽に出歩けなくなるだろう、お前が」
「そうは仰いますが……」
どうせ増え続ける仕事でここに詰めているのだ。外で飲もうという気も起きず、ほとんど家と仕事場の往復のみなのだから。だが、フェリックスは念には念を入れてと言う。
「そんなことを申し上げて、よく皆さんから反発を受けませんでしたね」
「受けたぞ」
「え?」
「その結果、数名が会議に出禁になった」
「出禁」
血の気が多いメンバーだと聞いていたが、まさかそんな事態になるとは。当のフェリックスがクツクツと笑っているので、彼もまた血の気の多い面々を煽ったのだろうとは容易に想像がつく。
「お前が早々にやつらの前に現れないせいだ」
とフェリックスは言うが、ジークハルトが彼らの前に姿を表しても、理由はどうあれ結果は変わらなかっただろう。
そうして、会議が出禁になった様子の幕僚は、ジークハルトの執務室の窓からよく見える中庭で時間を潰す姿が見られた。
石造りのベンチの上で、一人はコーヒーを片手に、一人は何やらノートにペンを走らせながら、そしてもう一人はヴェルダンディではポピュラーなタバコを吸いながらあれやこれやと話している姿が見られるようになった。
出禁になったと聞かされた日、レオンがやたらと肩を怒らせて歩いていたのを見るに、ツェツィーリアあたりが帝国語でもって煽りに煽ったのだろう。出禁を言い渡したのは自治軍の参謀長だったと言うが、ツェツィーリアやその他の二人はあまり反省している様子はなかった。
「(……やはり、痩せたな)」
タバコを持つ手首に、かつてジークハルトが贈った腕時計が巻かれているが、ヴィーザルの空港で再会した時はしっかりと巻かれていたはずのベルトに余裕が生まれている。
食べていないのか、食べられないのかは分からない。直接話したい衝動を抑え込むのが、一番大変だった。
窓の外を見る時間が増えてしまったのは言うまでもなく、やはり会わずにいたのは悪手だっただろうかとも考える。
たまに一人でぼんやりとタバコを吸っているツェツィーリアは、こちらの視線には気付いているようで、何度か危ない場面があった。
その時々で、ちょうどミーミルが窓際にいたり、レオンがツェツィーリアを指さしていたりと、運良くバレずにはいるようだった。レオンなんかは「あの男、今こちらに向かって中指を立てやがったぞ!」とかなんとか言っていたが、真偽は不明だ。
「ジークハルト」
「なんでしょう、フェリックス様」
「そろそろ、いいんじゃないか?」
彼らがヴィーザルに降り立ってから、一ヶ月。フェリックスがこちらの背中を押す時間が増えてきた。たしかにそろそろ頃合いか、とも思う。
心臓の音がやたらとうるさい。こんな時になってようやく緊張してきたようだった。
*****
レイリーの秘蔵っ子ノア少年は、悩んでいた。
事件が起きたのは今日の会議の場であった。
「会わせたい者がいる」と言ったフェリックスが連れてきたのが、なんと死んだと思われていたジークハルト・ワーグナー中将だったのである。
レイリーもノアも、思わずぽかんと呆けてしまった。
フェリックス曰く、死んだと思われていたジークハルトは、首の皮一枚のところでどうにか命が繋がったそうで、目覚めたのは戦争が終わってからだったらしい。
だが、と重くフェリックスは口を開き、レイリーたちを見た。
「この会議室にいない者への口外は禁止とする」
それはつまり、今現在彼らの自業自得とはいえ会議が出禁になっているベジット、セシルに、ジークハルトが生きていたことは伝えられないのだ。
ノアの肺が、きゅうと縮まったかのようだ。
ちゃんとハッキリとした言葉を聞いたことはないが、セシルとジークハルトの間には、決して浅くはない関係があったはずだ。
セシルが大事に身につけている品々、ジークハルトが亡くなったという報告を受けた時のセシルの反応。
どれを見ても、セシルにこの事は伝えるべきだとノアは思う。
セシルからおおよその概要は聞いているはずのレイリーも同意見だと思っていたのに、だがノアが期待を込めてレイリーを見るが、ノアの目に飛び込んできたのはレイリーが「わかりました」と頷く瞬間だった。
「レイリー元帥」
「なんだい、ノア」
その日の夜。レイリーが宿泊している部屋に赴くと、ちょうどレイリーが一人で酒を飲んでいて、これ幸いとノアは聞いた。
「アイゼンハワー少将に、今日あった事はお伝えしないおつもりですか?」
「……そう、だねぇ……元帥閣下もああ言っておられることだし、彼らには彼らなりの事情があるんじゃないかな」
「ですが、……でも……」
セシルがいまだにジークハルトの死を乗り越えられていないのは、目に見えて明らかだった。
酒とタバコの量は倍以上に増えているし、食事の回数も激減した。事情を知らないベジットにせっつかれても、セシルは曖昧に笑うだけだった。
時折、首に下げたネックレスの感触を確かめている場面を、レイリーも見ているはずだ。
故障して時が止まってしまった腕時計を捨てられずにいるのも、レイリーは知っているはずだ。
だが、レイリーはゆるりと首を振る。
「セシルには教えられない」
「………」
「それに、この二ヶ月の間、彼は姿を見せずに終われたのに、こうして私たちの前にわざわざ現れた。セシルにもそのうち自分から会いにいくんじゃないかな」
「そうでしょうか」
「うん。私は、そう思うよ」
「………」
本当に、そうだろうか。
セシルが会議に出られなくなったと聞いたから、会議室に現れたのではないか。ノアがそう言ってみるものの、レイリーはやっぱり朗らかに笑って否定する。
なんとも、もどかしい。
こうなったら、とノアは翌日の昼間になって、ジークハルトの執務室を訪ねた。
突然ひとりで来たノアに、デスクで仕事をしていたジークハルトは少し驚いた様子だったが、穏やかな空気をまとって招き入れてくれた。彼のデスクの前でノアは共和国軍式に敬礼をして、呼吸を整えた。
「ワーグナー中将。お忙しい中、申し訳ありません」
「ちょうど休憩しようと思っていたところですから、気にしないでください。何か飲まれますか?」
「いえ、このままで。お気遣い、ありがとうございます」
本人を目の前にすると、なんだか妙に緊張する。何度か深呼吸をして、ノアはまっすぐジークハルトを見た。
「ワーグナー中将閣下。……アイゼンハワー少将に、お会いしないおつもりですか」
「………」
ノアの声に、ジークハルトが目を丸くする。そばに控えていたミーミルも驚いた様子で、突然流れた妙な空気にさしものノアも口籠ってしまう。
「えっ、と……」
「……君は、どこまで知っている?」
「え?」
「そこまで口が軽い人じゃないと思っていたけど……」
セシルのことを言われているのだと理解して、ノアはもう一度息を吐いたあと口を開いた。
「アイゼンハワー少将から直接お話を聞いた事はありません」
「では、なぜ?」
「……ずっと前に、アイゼンハワー少将が見せてくれたんです。ネックレスを」
「………」
「見たことのない金貨でした。アイゼンハワー少将は、ずっと肌身離さず大事に持っていました。大切な人から貰ったんだと、すぐに分かりました。それまで誰に貰ったのかは分からなかったんですが……」
確かな証拠があったわけではない。
セシル本人から聞いたわけではない。
ただ、あの腕時計と、ネックレス、それから、ジークハルトの訃報を聞いた時のセシルの反応を統合すると誰しもが行きつく答えだった。
「……アイゼンハワー少将は、あの日からあまり食事を摂らなくなりました」
「あの日?」
「あなたが亡くなったと聞いた日からです」
「………」
ノアの言葉に、ジークハルトが少し目を細める。
「最近は特に、お酒とタバコの量も増えてお医者様にも怒られる始末だったんです。眠れてもいないんです。きっと、あなたが生きていたと知れば、元気になってくれるはずなんです。お願いです。アイゼンハワー少将に、会ってください」
ジークハルトが死んだと聞いた日、セシルは泣きながら「死にたい」と呟いた。
死ぬことを恐れなかった人が、上官命令だからと生還する道を選び続けていた人が、死にたいと乞い願う。
あの日の涙はジークハルトにも知られてはいけない、とそれだけはどうにか口から出さずに終わった。
ノアの告白に、ジークハルトは少し考えるそぶりを見せた。
断られるだろうか、と心臓が早鐘を打つ。
「……会いたくないわけでは、ないんですよ」
「え?」
「会いたくないわけが、ないじゃないですか」
ややあって呟かれた言葉に、ノアの方が言葉に詰まる。そんなノアの様子に、ジークハルトは苦笑した。
「でも、今ではないと考えています」
「………」
「君は、明日から暇な時間はありますか?」
「え? あ、はい、会議以外の時間は比較的空いています」
何を要求されるのだろう、と身構えていると、ジークハルトはにこりと微笑んで「そうですか」と言った。
「なら、君が暇な時で構いません。彼の、その……そちらにいる時の彼の話を聞かせてください」
「え?」
「私が知る彼は、ほんの一部だけですから」
「……お話ししたら、会ってくださいますか」
ノアの念押しに、ジークハルトは苦く笑っただけだった。
*****
翌日からジークハルトの執務室には、若き噺家がやってくるようになった。
体格が仕上がりつつある少年は、柔らかな声と甘い顔立ちには似つかわしくない熱意を持っていて、半分愚痴も混ざったエピソードも聞いていて面白い。
「アイゼンハワー少将はすぐ仕事をサボるから、いつも探すのが大変なんです。だいたい喫煙所にいますけど、たまに見つからないこともあって……レイリー元帥が、お土産もないのに消えるのはやめてくれと言ってからは、見つかりやすくなりました」
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「アイゼンハワー少将は本当に口が悪くて……レイリー元帥にも怒られるんですが、改めているところは見たことがないですね。一度本気で怒ったレイリー元帥が、セシルは手癖が悪い、口が悪い、性根も悪いのトリプル役満だと言ったら、アイゼンハワー少将のものすごく綺麗な右ストレートがレイリー元帥に入っちゃって……それに怒った防衛指揮官とアイゼンハワー少将の喧嘩を止めるのが本当に本当に大変でした」
ノアの話に出てくるツェツィーリアは、一度だけ『セシル』と本名を名乗って目の前に現れた時と言動が変わらない。やはりあちらが素のツェツィーリアだったのか、と理解する。
ジークハルトの前では、ジークハルトや他の貴族に気に入られるよう作り上げた偽の人格だったのだろう。それはなんだか少し寂しいと感じてしまうが、致し方ない。
金貨のことも腕時計のことも、バレてしまったのは彼がベロベロに酔っ払っていた時だと判明した。
「アイゼンハワー少将が酔われるのは結構珍しいほうなのですが、酔うといつも見せてくれました。休みの日も首から下げていたので、アイゼンハワー少将があの金貨を持っているのはたぶん皆知っていると思います」
「アイゼンハワー少将は酔うといつもヴェルダンディのことを話してくれました。ヴェルダンディにある大きな水族館のことも、海に行った話もしてくれるんですが、いつもいつも嬉しそうに話してくれるんです。最近はめっきり話してくれなくなりましたが……ああでも、ヴェルダンディにはアイゼンハワー少将がお好きな白ワインがあるそうで、それが飲めなくなって残念という話はいつもされています」
その言葉に、ジークハルトの脳裏にワインを飲むツェツィーリアの姿が映し出される。ヴェルダンディで売られているワインの中でも、比較的安価なその白ワイン。レストランに並べてはあるものの、その銘柄だけ飛び抜けて安いのであまり帝国人に頼まれることはないものだった。
白ワイン独特の甘さが少なく、すっきりとした口当たりのそれをツェツィーリアはよく好んで飲んでいた。本当に好きだったのだな、とどこかホッとしてしまう。
水族館も、海も、どれもジークハルトと共に出掛けた場所だ。タカアシガニの水槽の前から動かなかったツェツィーリアに、カニが好きなのかと聞いたら大嫌いと言われて困惑したなぁなんて思い出が蘇る。
「ワーグナー中将?」
「え? あ、はい、なんでしょうか」
「どうかされましたか?」
ジークハルトの執務室の、ソファで対面するノアが、キョトンと首を傾げている。何かあっただろうかとこちらも首を傾げると、ノアは慌てて手を振った。
「あ、いえ、どこか寂しそうに見えたので、何かあったのかと……」
「ああ、そういうわけでは……すみません」
「いえ! 僕は大丈夫です!」
ノアは、照れたように笑う。
本当に優しい子だ、と微笑む傍らで、ぼんやりと「そろそろ頃合いだろうか」という考えが持ち上がった。
ノアにツェツィーリアの話をさせ始めてから一週間。彼らが帰るまであと三週間。そろそろ気合を入れておかないと、結局ダラダラと日々を流してしまいそうである。
「ノアさん」
「はい!」
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愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
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