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22. 残された日記
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ホテルに戻るとすぐに、教えてもらったアドレスにアクセスした。
エッセイというよりは、日記に近い内容の短い文章が、毎日更新されている。
『今日は新しい離乳食を試してみた。気に入ったらしく、歌みたいな調子の音をたててる。まるで柔らかい楽器みたいだ』
『洗濯物をたたんでいたら、急に膝に乗ってきて、タオルを払い落とした。こっちに構えってことらしい。やきもちなんだ。面白い』
『散歩の途中、道端に咲いていた菜の花の前にしゃがんで動かなかった。ただ見てるだけだし、帰ろう、と言っても動かない。じゃあ摘んで持って帰ろうかとしたら、首を振った。この子なりの理屈がなにかあるのだろうか。こんな小さい身体に、それなりの人生経験を積んだはずの自分にもわからない理屈が息づいているのかと思うと、不思議な気分だ』
あたしがなにを食べたとか、できるようになったとか、話をできるようになったとか……。そんなささいなことが、柔らかい筆致で、毎日綴られている。
正直、あたしにこの頃の記憶はない。
でも今までずっと、親からの愛を知らないと思って過ごしてきた身には、ひとつひとつの書き込みを、心の真ん中にあるスポンジが、どんどん吸い取っていくようだ。
そう、まるで欠落していた記憶が、ものすごい勢いで補完され、埋められていくようで、頭がクラクラしてくる。
しかも、いいことばかり書いてあるんじゃない。
『せっかく作ったオーガニックの手づくり離乳食。なんとか食べさせたのに、後から吐いた。ちょっと、どうすんのよ、材料まだいっぱい残ってるんだけど』
『窓を開けることを覚えたら、なんだかやたら執着してる。危ないからストッパーを買ってきてはめたら、開けられなくなって大泣き。そんなに死にたいか』
ま、書いてあることは不平不満の類だ。
だから、本当はここで嫌な気持ちにならなきゃいけないのかもしれない。
でも。
でも、そういう感情を持ったことが書いてあるからこそ。
書いてあることが、お母さんの感情の足跡が、すごく生々しく感じられる。
(本当に存在していた人の、言葉)
噛みしめたい感情が、頭のてっぺんからどんどん身体へと回ってくる。
まるで、お酒に酔ってるみたい。
(お母さんの、気持ち)
やがて、だんだんと書いている内容を、頭が解釈できなくなってきた。
なのに、読むのを止められない。
ただただ目の前に広げられた愛情の名残を、あたかも餓鬼のように、ひたすら貪り喰らうしかない。
『本当に小さな子供って、めんどくさい』
『でもだからこそ、気持ちが通じ合ったり、まっすぐな感情を向けられると、そのぶんだけもっともっと愛したくなる』
『私がこんな気持ちになるなんて、棗がこの世に現れてくれるまで、想像もしてなかった。まるで、私まで新しく生まれてきたみたいだ』
『ありがとう、棗。あたしの元に生まれてきてくれて』
……あたしには、愛情が与えられなかったと、ずっと思ってた。
だからひとりで生きていくしかないんだと、誰もがいつしか離れていってしまうものなのだと、そう、思ってきた。
でも……。
(お母さん、お母さん、お母さん……)
あたしの頭のなかは、まるで呪文のように、その言葉が反響し続けていた。
エッセイというよりは、日記に近い内容の短い文章が、毎日更新されている。
『今日は新しい離乳食を試してみた。気に入ったらしく、歌みたいな調子の音をたててる。まるで柔らかい楽器みたいだ』
『洗濯物をたたんでいたら、急に膝に乗ってきて、タオルを払い落とした。こっちに構えってことらしい。やきもちなんだ。面白い』
『散歩の途中、道端に咲いていた菜の花の前にしゃがんで動かなかった。ただ見てるだけだし、帰ろう、と言っても動かない。じゃあ摘んで持って帰ろうかとしたら、首を振った。この子なりの理屈がなにかあるのだろうか。こんな小さい身体に、それなりの人生経験を積んだはずの自分にもわからない理屈が息づいているのかと思うと、不思議な気分だ』
あたしがなにを食べたとか、できるようになったとか、話をできるようになったとか……。そんなささいなことが、柔らかい筆致で、毎日綴られている。
正直、あたしにこの頃の記憶はない。
でも今までずっと、親からの愛を知らないと思って過ごしてきた身には、ひとつひとつの書き込みを、心の真ん中にあるスポンジが、どんどん吸い取っていくようだ。
そう、まるで欠落していた記憶が、ものすごい勢いで補完され、埋められていくようで、頭がクラクラしてくる。
しかも、いいことばかり書いてあるんじゃない。
『せっかく作ったオーガニックの手づくり離乳食。なんとか食べさせたのに、後から吐いた。ちょっと、どうすんのよ、材料まだいっぱい残ってるんだけど』
『窓を開けることを覚えたら、なんだかやたら執着してる。危ないからストッパーを買ってきてはめたら、開けられなくなって大泣き。そんなに死にたいか』
ま、書いてあることは不平不満の類だ。
だから、本当はここで嫌な気持ちにならなきゃいけないのかもしれない。
でも。
でも、そういう感情を持ったことが書いてあるからこそ。
書いてあることが、お母さんの感情の足跡が、すごく生々しく感じられる。
(本当に存在していた人の、言葉)
噛みしめたい感情が、頭のてっぺんからどんどん身体へと回ってくる。
まるで、お酒に酔ってるみたい。
(お母さんの、気持ち)
やがて、だんだんと書いている内容を、頭が解釈できなくなってきた。
なのに、読むのを止められない。
ただただ目の前に広げられた愛情の名残を、あたかも餓鬼のように、ひたすら貪り喰らうしかない。
『本当に小さな子供って、めんどくさい』
『でもだからこそ、気持ちが通じ合ったり、まっすぐな感情を向けられると、そのぶんだけもっともっと愛したくなる』
『私がこんな気持ちになるなんて、棗がこの世に現れてくれるまで、想像もしてなかった。まるで、私まで新しく生まれてきたみたいだ』
『ありがとう、棗。あたしの元に生まれてきてくれて』
……あたしには、愛情が与えられなかったと、ずっと思ってた。
だからひとりで生きていくしかないんだと、誰もがいつしか離れていってしまうものなのだと、そう、思ってきた。
でも……。
(お母さん、お母さん、お母さん……)
あたしの頭のなかは、まるで呪文のように、その言葉が反響し続けていた。
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