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出戻り妃の告白
劉との付き合いは、岑貴妃の猫探しから始まった。
以来、猫がいなくなるたびに、宇春はこの隆文楼までやって来る。
最初は冷たい雰囲気の劉に怯えながら頭を下げるだけだったが、顔を会わせる機会も多くなると、少しずつ話をするようになった。
冷たい雰囲気の劉だが、猫の前では柔らかくほほ笑むのを知って、怖い人だとは思えなくなった。
その内にお互いの悩みを話すようになり、強く見える彼も色々なことに悩んでいるのを知った。
宇春は助けてあげたいと思って真剣に話を聞いたし、劉も宇春の悩みに誠実に助言をしてくれた。
そして、劉は、いつしか猫に向けるような笑みを宇春にも向けてくれるようになった。
その時から、宇春の彼に対しての気持ちは、特別なものになってしまった。
「劉さん。お、お久しぶりです」
宇春は、彼に気づかれる前に涙をぬぐった。
「久しぶりだな。実家にでも帰っていたのか」
「……はい。里帰りしていて、昨日、ここに戻ってきたんです」
「すぐにここに来てくれたということは、俺はうぬぼれてもいいのか?」
くったくなく笑うその様子に、宇春の心臓が大きな音を立てる。
(この人はこういう勘違いしそうになることをさらっと言うから)
体は正直だ。
頭の中では必死に勘違いするなと言い聞かせているのに、体と感情はついていかない。
理由もわかっている。
いつまでも、二人の関係がはっきりしていないからだ。
数か月前、実家に戻ると、宇春にはすぐに結婚の話があった。
出戻りの宇春をもらってくれるなんてありがたい話なのだが、宇春は、どうしてもうなずくことができなかった。
ずっと劉のことが気になっていたからだ。
(ちゃんとはっきりさせないと、私は一生この気持ちを引きずってしまいそう。それは、新しく旦那様になる方にも失礼だわ)
劉にそんなつもりがないことはわかっている。
劉は、後宮に勤務する近衛武官である。近衛武官は、宮廷で代々地位を得ている由緒ある旧家の者しかなれない。要するに、実家が商人である宇春とは、比べ物にならないぐらいいい家の出身なのだ。
多分、婚約者ぐらいいても不思議ではない。
「はい。ずっと──ずっと劉さんとお話ししたくて」
「俺も話したかった」
なけなしの勇気を振り絞って、劉の言う「うぬぼれ」に「はい」と返事をしたつもりだったが、伝わっていないらしい。さらりと返された一言には、きっとなんの含みもない。
宇春は、呼吸を整えた。
失敗しないように、伝えたいことが全部伝わるように、鏡の前でずっと練習してきたのだ。
でも、話を始める前にまず、宇春は自分が嘘をついていたことを謝らなければならない。
「あの、ただ、その前に私、劉さんに謝らなければならないことがあるんです」
首をかしげる劉を見て、宇春は大きく息を吸って、ばくばくいう心臓を押さえつける。
「私、実家に一時的に帰っていたんじゃなくて、お務めが終わって家に帰されたんです」
「お務め?」
「はい。劉さんも聞いたことがあると思うのですが、一年ほど前、何人か変わり種の妃が後宮に入りました。結局、皇帝陛下のお渡りもなかったので、彼女たちは一年で実家に戻されました」
「その件は知っている……」
宇春はひっそりと後宮を出たつもりだったが、近衛武官なら知っていてもおかしくない。
劉がどんな顔をしているか見るのが怖くて、宇春は、そのまま下を向いた。
「実は、私はその一人だったんです。あの、もちろん、私が陛下のお気に召すなんて大それたことを思っていたわけじゃないです。妃にもなりたくてなったわけじゃなくて、女官の試験を受けたはずなのに、気が付いたらお妃様になっていたとか、そういう感じだったんでっ」
焦って何を言っているのかよくわからない。
ただ、気の多い女だとか不誠実な女だとか、そんな風に思われたくなくて必死に過去の自分を否定していた。
宇春は勢いよく頭を下げる。
「宮女だと嘘をついていました。すみませんっ」
「……顔を上げてくれないか?」
おそるおそる顔を上げると、劉は、何だかとても悲しそうな顔をしていた。
「誰とも知れない男に名乗るわけにはいかないからな。そうするしかなかったことはわかる」
「……はい」
怒ってはいないけれど、悲しいということなのだろう。
(がっかりさせちゃったよね。私だって、劉さんに嘘つかれてたら悲しいから)
本当は、こんな状態でこの後の話を続けたくなかった。
でも、劉とはこの先いつ会えるかわからない。そして、宇春が、この宮にいる期間は決まっているのだ。
言わなかった後悔は、この数か月いやというほど味わってきた。
それよりも、言った後の後悔の方が、将来自分を褒めてあげられる。
「あの、もう一つ、お話ししたいことがあるんです」
宇春は、再び大きく息を吸った。
心臓はさらに痛いほどばくばくし始める。
(大丈夫、言える)
「──私、劉さんのこと、ずっと好きでした」
劉の瞳が、驚きに見開かれる。
何かを言いかけては閉じる唇から、けれど、声が発せられることはない。
宇春は見ていられなくて再び目を伏せる。
(困らせちゃったなあ。でも、予想してたから)
「あの、だから、何かしてほしいとかそんなんじゃ全然ないんです。私、今は、詩吟の会が終わるまでの手伝いのためにここに来てるんです。実家に帰ったら多分結婚するだろうし、劉さんとは、もう会うことも多分ないだろうから、ちゃんとお別れを言いたかったんです」
劉からの答えはなかった。
(答えがないこと、それが答え)
「私、劉さんに会えてよかったです。これからも劉さんの幸せを祈ってます」
宇春は、それだけ言うと彼に背を向けた。
一歩、二歩。
三歩目からは、もう涙を抑えることはできなかった。
普通に歩こうと思ったけれどそれも難しくて、気づいた時には、全速力でその場から逃げ出していた。
以来、猫がいなくなるたびに、宇春はこの隆文楼までやって来る。
最初は冷たい雰囲気の劉に怯えながら頭を下げるだけだったが、顔を会わせる機会も多くなると、少しずつ話をするようになった。
冷たい雰囲気の劉だが、猫の前では柔らかくほほ笑むのを知って、怖い人だとは思えなくなった。
その内にお互いの悩みを話すようになり、強く見える彼も色々なことに悩んでいるのを知った。
宇春は助けてあげたいと思って真剣に話を聞いたし、劉も宇春の悩みに誠実に助言をしてくれた。
そして、劉は、いつしか猫に向けるような笑みを宇春にも向けてくれるようになった。
その時から、宇春の彼に対しての気持ちは、特別なものになってしまった。
「劉さん。お、お久しぶりです」
宇春は、彼に気づかれる前に涙をぬぐった。
「久しぶりだな。実家にでも帰っていたのか」
「……はい。里帰りしていて、昨日、ここに戻ってきたんです」
「すぐにここに来てくれたということは、俺はうぬぼれてもいいのか?」
くったくなく笑うその様子に、宇春の心臓が大きな音を立てる。
(この人はこういう勘違いしそうになることをさらっと言うから)
体は正直だ。
頭の中では必死に勘違いするなと言い聞かせているのに、体と感情はついていかない。
理由もわかっている。
いつまでも、二人の関係がはっきりしていないからだ。
数か月前、実家に戻ると、宇春にはすぐに結婚の話があった。
出戻りの宇春をもらってくれるなんてありがたい話なのだが、宇春は、どうしてもうなずくことができなかった。
ずっと劉のことが気になっていたからだ。
(ちゃんとはっきりさせないと、私は一生この気持ちを引きずってしまいそう。それは、新しく旦那様になる方にも失礼だわ)
劉にそんなつもりがないことはわかっている。
劉は、後宮に勤務する近衛武官である。近衛武官は、宮廷で代々地位を得ている由緒ある旧家の者しかなれない。要するに、実家が商人である宇春とは、比べ物にならないぐらいいい家の出身なのだ。
多分、婚約者ぐらいいても不思議ではない。
「はい。ずっと──ずっと劉さんとお話ししたくて」
「俺も話したかった」
なけなしの勇気を振り絞って、劉の言う「うぬぼれ」に「はい」と返事をしたつもりだったが、伝わっていないらしい。さらりと返された一言には、きっとなんの含みもない。
宇春は、呼吸を整えた。
失敗しないように、伝えたいことが全部伝わるように、鏡の前でずっと練習してきたのだ。
でも、話を始める前にまず、宇春は自分が嘘をついていたことを謝らなければならない。
「あの、ただ、その前に私、劉さんに謝らなければならないことがあるんです」
首をかしげる劉を見て、宇春は大きく息を吸って、ばくばくいう心臓を押さえつける。
「私、実家に一時的に帰っていたんじゃなくて、お務めが終わって家に帰されたんです」
「お務め?」
「はい。劉さんも聞いたことがあると思うのですが、一年ほど前、何人か変わり種の妃が後宮に入りました。結局、皇帝陛下のお渡りもなかったので、彼女たちは一年で実家に戻されました」
「その件は知っている……」
宇春はひっそりと後宮を出たつもりだったが、近衛武官なら知っていてもおかしくない。
劉がどんな顔をしているか見るのが怖くて、宇春は、そのまま下を向いた。
「実は、私はその一人だったんです。あの、もちろん、私が陛下のお気に召すなんて大それたことを思っていたわけじゃないです。妃にもなりたくてなったわけじゃなくて、女官の試験を受けたはずなのに、気が付いたらお妃様になっていたとか、そういう感じだったんでっ」
焦って何を言っているのかよくわからない。
ただ、気の多い女だとか不誠実な女だとか、そんな風に思われたくなくて必死に過去の自分を否定していた。
宇春は勢いよく頭を下げる。
「宮女だと嘘をついていました。すみませんっ」
「……顔を上げてくれないか?」
おそるおそる顔を上げると、劉は、何だかとても悲しそうな顔をしていた。
「誰とも知れない男に名乗るわけにはいかないからな。そうするしかなかったことはわかる」
「……はい」
怒ってはいないけれど、悲しいということなのだろう。
(がっかりさせちゃったよね。私だって、劉さんに嘘つかれてたら悲しいから)
本当は、こんな状態でこの後の話を続けたくなかった。
でも、劉とはこの先いつ会えるかわからない。そして、宇春が、この宮にいる期間は決まっているのだ。
言わなかった後悔は、この数か月いやというほど味わってきた。
それよりも、言った後の後悔の方が、将来自分を褒めてあげられる。
「あの、もう一つ、お話ししたいことがあるんです」
宇春は、再び大きく息を吸った。
心臓はさらに痛いほどばくばくし始める。
(大丈夫、言える)
「──私、劉さんのこと、ずっと好きでした」
劉の瞳が、驚きに見開かれる。
何かを言いかけては閉じる唇から、けれど、声が発せられることはない。
宇春は見ていられなくて再び目を伏せる。
(困らせちゃったなあ。でも、予想してたから)
「あの、だから、何かしてほしいとかそんなんじゃ全然ないんです。私、今は、詩吟の会が終わるまでの手伝いのためにここに来てるんです。実家に帰ったら多分結婚するだろうし、劉さんとは、もう会うことも多分ないだろうから、ちゃんとお別れを言いたかったんです」
劉からの答えはなかった。
(答えがないこと、それが答え)
「私、劉さんに会えてよかったです。これからも劉さんの幸せを祈ってます」
宇春は、それだけ言うと彼に背を向けた。
一歩、二歩。
三歩目からは、もう涙を抑えることはできなかった。
普通に歩こうと思ったけれどそれも難しくて、気づいた時には、全速力でその場から逃げ出していた。
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