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第二章

隣の席の三上さん

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「x=9です」

 授業中の楓は優等生という言葉がクラス一似合う模範生だった。先生から指名された時、間違えたところを見たことがない。先生も楓のことは信用しきっているようで、答えられない生徒の代わりに楓が当てられているところをよく見る。そして、悩むことなく、正しい答えを言う。

 俺や神崎が当てられた場合、誤った答えを言うことが多く、よく先生から注意される。俺は二年生が始まって、まだ数日しか経っていないというのに片手では数えられないくらいの注意を受けた。神崎にいたっては、授業中の居眠りのしすぎで、放課後職員室に呼び出されていた。
 俺は席が前の方であるので、寝たら目立ってしまい、すぐにバレるのであらゆる策を練っている。そんなことを授業中に考えているので、先生に当てられた時に答えられないのだろう。

「隣と相談してもいいから、五分考えてみろ」

 数学教師の犬塚が言った。

 犬塚は一年の頃からの引き継ぎなので、俺や神崎がバカなことはすでに知られている。
 教師陣をがらっと変えてくれても良かったのになあ。犬塚はかなり厳しい方なので、できれば担当から外れて欲しい。怒られ慣れているため、恐怖心などはないけれど、怒られて良い気分にはならない。

 全て俺に怒られる原因があることはわかっている。けれど、何かと理由をつけて、いかにも教師が悪いように考えてしまうのは、きっと学生という身分のうちは教師に反抗的な態度を取ってしまうものであるからだと思う。

 休憩時間になると、教師に対する文句を垂れるクラスメイトが数名いるけれど、どれも正当なものではなかった。とりあえず、反抗しておこう、みたいな感じだ。
 基本的に教師が正しい。本人も同調するクラスメイトもそのことはわかっていると思う。それでも、何か言わないと気が済まないのだ。

 教室を巡回する犬塚を遠くから眺める。常に無愛想であるため、あまり好かれようという気はないように見えた。

「天野くんはできましたか?」

 隣の席の三上さんに話しかけられた。小柄な体型から出た声は、イメージ通りのボリュームだった。

 問題に取り組まず、別のことを考えていた。当然、問題は解けていない。こういう部分を直す必要があるんだろうな。

「ごめん、まだ。三上さんはできたの?」
「一応。答えは出ました」
「一分だけ考えさせて」
「はい」

 彼女の答えをそのまま写すのは悪いし、考えてみよう。

 うーん。三十秒もいらないな。わからない。

「どうやったの?」
「えっと、こうやって考えてみたんですけど」

 ノートを俺の机の方に置いて、解説してくれた。俺の頭でも理解できた。

「なるほど。三上さん賢いんだね」

 会って数日だと言うのに、馴れ馴れしすぎたかと思い、もう少し考えて話せば良かったと後悔。

「そんなことない! たまたまです。たまたま......」

 三上さんの声は尻すぼみになっていった。

 何と返事しようか、迷っていると、「答えは出たかー」と犬塚が教室の隅まで届くように大きな声で言った。

 微妙な空気のまま三上さんとの会話を終えてしまい、気分が沈みそうになっていると、「図を書くと考えやすい、と思います」と最後にアドバイスをくれた。俺はお礼を言っておいた。

 三上さんとは英単語のテストなどでペアになり、丸つけを行うことが多く、日に日に言葉を交わす回数は増えていった。大人しい、という第一印象は変わらないけれど、話しにくい人だとは思わなかった。未だに会話中に敬語が入ることが多いけれど、いつか普通に話してくれる日が来れば良いな、と思った。それまでに席替えがありそうなのが、残念だ。
 
 
「三上さんだっけ? 仲いいんだ」

 その日の帰り道、楓は素っ気なく言った。

「仲いいかはわからないけど、悪くはないと思う。少なくとも俺はそう思ってる」

 プライベートを一切知らないし、仲が良いは言い過ぎだと思う。話すのは同じグループになった時くらい。

「ふーん。良かったね」
「まあ、良かったのかな。ていうか、俺、仲良さそうに喋ってた?」
「うん。悟のテリトリーに侵入して、教えてたじゃん」

 ノートを使って教えてもらってた時のことを言ってるのだろうか?

「見てたのかよ。あの時はそういう時間だったし。それだけで仲がいいとは言えないと思うんだけど」
「み、見てたというか、見えたというか。決して意図してではなく、たまたまだよ。たまたまだから!」

 同じようなセリフを今日、聞いた覚えがあるけれど、発言者によってこんなにも変わるんだな。

 いつも別れる公園に着くまでに、「あれは本当にたまたま、見えただけだからね」と三回言われた。着いたら、楓はすぐに別れを告げ、家路についた。

 喜怒哀楽の激しい彼女だけど、今日は特に怒の感情が強かった気がする。
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