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第二章

南楓と天野

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 いくつかのアトラクションを夕方まで楽しみ、夕食もパーク内で済ませた。
 八時前から始まるパレードを観るため、俺たちは移動し始めた。

 そろそろ緊張してきた。
 俺は今日一日を楽しんだ。一日を振り返っても、楽しい思い出ばかりが蘇ってくる。おそらく、早朝を除き、おかしな点はなかったので、楓も楽しめていたはずだ。
 
 楓に何と言うべきかを考え始めなければならない。俺も昨日のことは頭の隅っこに追いやり、可能な限り思い出さないように努めていたので、何も考えていない。
 昨日はちゃんとした告白をされたわけではないし、俺からしっかりと口に出して、告白すべきだろう。こういうのは男が言うものではないか、と漫画から得た知識で判断する。まあ、逆のパターンでも良いけど、これ以上ヘタレ記録を更新するわけにはいかないし。

 あまり重い雰囲気にはしたくないな。俺と付き合っちゃう~? これだと軽すぎるか。それに、そんなキャラではない。じゃあ、俺と契りを結ぼう、とか。いやいや、それは気が早すぎる。引かれそうだ。セリフも謎。
 
 今まで告白経験ゼロの俺には正解が出せそうにない。こういうのはセリフより気持ちが大事なのかもしれない。けれど、先ほど頭に浮かんだ告白の仕方を試せば、きっと好印象を抱かれることはないだろう。
 今更、そんな印象を気にするほどのことでもないのかもしれないけれど、やっぱりこういうのはちゃんとしたい。

 神崎に相談したいけど、二人だけになる機会はもう訪れそうにない。俺と楓が並んで歩く前に、神崎と須藤が歩いている。どうすれば......。
 理想の告白、でググっとくべきだった。後悔。

「この辺どう?」
 
 須藤が良さそうな場所を見つけたらしく、言った。

「なあ。あっちで観ないか? 二人で」
「どうしたの? 急に。あ、修学旅行中、二人きりにあんまりなれなかったから、寂しかったのかぁ」
「ん、あ、ああ」

 須藤が神崎の背中パンパン叩いてる。この騒がしい中でも叩かれてる音が聞こえるくらいなので、そこそこの威力だろう。
 神崎は柄にもないことを言い、微笑しながらこちらを向き、親指を立てるジェスチャーをしている。感謝。

「じゃあ、また後でな」
「うん。あ......また後で」

 ありがとう、と言いかけたが、何に対しての感謝なのか訊かれたらまずいと思い、口には出さなかった。

「楓ちゃん、ファイト!」

 去り際、須藤はそう言って、神崎と手を繋ぎ、人混みの中に消えていった。思いの外、須藤もすぐに納得してくれたな。

 楓も小さく頷き、両腕を胸のあたりに持ってきて、頑張るポーズをしている。須藤は何に対しての応援だ? 俺と二人きりの空間に頑張って耐えろよ! みたいな意味が込められていたら、泣いちゃうよ。
 正直、逃げ出したいくらいだ。逃げ道が用意されているのなら、俺はこの状況を回避したい。事前にいくら覚悟を決めたとしても、いざ本番となれば勇気みたいなものが一気に消え去る。

 そういや、神崎たちはどういう形で付き合うことになったんだろうなあ。参考程度に訊いておけば良かった。
 
 俺だけでなく楓も緊張していることが隣にいると、ひしひしと感じる。パレードに沸く弾んだ声があまり耳に入ってこない。周りに大勢の人がいて、神崎たちはもう見えない。そんな状況なのに、この場には俺たち二人しかいないような、そんな感じがした。多分、俺が楓以外の人間を気にする余裕なんてなかったから。

「綺麗だね」

 お互い黙ったままだったので、とりあえず思ったことを口に出してみた。

「えっ、え? いきなりすぎるよ......悟はそういうこという人じゃない」
「俺を何だと思ってるの? ロボット? 俺にだって感性はあるんだから、パレードを見たら綺麗だって感じるよ」

 目を見開いた彼女は、顔を背け、両手で顔を隠した。
 恥ずかしがってることはわかる。何に対してかはわからないけど。

「どうしたの?」
「ややこしいっ! こんな状況で言われたら、誰だって勘違いするから!」

 怒り成分は少なめの軽い怒り方。左胸あたりに楓の拳が、優しく触れた。殴ったというよりは、ボディタッチレベル。

 俺は彼女を一応、怒らせてしまったわけだが、何が原因だったか。どう勘違いさせてしまったのか。それを考える。

 綺麗だね、これから起こる勘違い。
 すぐに気づいた。俺のミスかもしれない。主語を言わなかった俺が悪いかもしれない。なんか、こっちも恥ずかしくなってきた。

「悪かった」
「そんなに気にしてないからいいですけどねー」

 そう言うと、楓は笑った。俺も釣られて、笑った。
 色々考えていたが、どうでもよくなった。

「一年間、色々あったよな」
「本当色々あったよねえ。全部私が悟にお願いしたから、始まったことなんだけどね。ありがと」
「感謝されるほどのことはしてないよ。俺も楽しかったし」
「ほんとぉ?」
「正直、最初の方は戸惑うことの方が多かったね。前にも言ったと思うけど、最近は純粋に楽しんでるし、もっと話したいって思う」

 俺の命が尽きるわけではないけれど、走馬灯のようにこの一年ほどの楓との思い出が蘇ってくる。どれも楽しい思い出。どれも忘れたくない思い出。

「そっかそっか。私も同じだよ。最初は脅して演技してもらってたわけだもんね。いやー、申し訳なかったよ」
「そういやそうだったね。あの手紙はまだあるの?」

 俺の黒歴史とも呼べる手紙だ。それを人質にとられ、演技を始めることになった。当時は遊び感覚で書いたんだろうな。小学生の頃なんて、楓を異性として見たことは一度もなかった。

「ちゃんと残ってるよ。悟との思い出の一つだしね」
「捨てて欲しいけど、捨ててくれないよね」
「当たり前じゃん!」

 今更、あの手紙が楓の元にあってもどうってことはない。あんなもので脅されなくとも、今はもっと楓と話したい、一緒にいたい、そう思っている。

 深く息を吸い、吐き出した。

「俺さ、ずっと楓には不釣り合いだって思ってたんだよ。容姿もそうだけど、勉強なんかも教えてもらってばっかでさ。楓にはもっと相応しい人がいる。だから本当に、好きになっちゃいけないんだって思ってた」

 彼女は小さく頷いた。パレードなんてそっちのけだった。彼女以外に何も見えていないような感じだ。

「好きだって気持ちが芽生えたら、この関係を続けていける自信がなかった。きっと、変わってしまう。崩れてしまうって思ってた。だから自分の本当の気持ちに気づかないフリをしてた」
「私も似たような感じだよ。距離感が好きだって言ったけど、きっと悟じゃなきゃ、この好きな距離感は生まれなかった。他の人じゃ、絶対にそう思わなかった。でも怖かったんだよ、私。怖かったから、私は逃げてた」
「......怖い?」
「恋人のフリをして欲しいって自分から言っといてさ、やっぱり好きになっちゃったなんて言えないよ......嘘が嘘じゃなくなったんだから」

 俺は自分に自信がなくて、彼女のことを好きになることから目をそらそうとしてきた。彼女は俺とは別の理由で悩んでいたことがわかった。
 ここまでくるのに、かなり時間がかかったな。

「......そうなんだ。でも、昨日言ってくれたよね」
「あれは......つい言いたくなっちゃったの。私が好きなのは、悟なんだって自覚したから。自覚してからは、抑えが効かなかったんだもん」

 面と向かって言われると、とても恥ずかしい。顔を覆いたくなる。頰が熱い。きっと俺の頰が紅潮してきているのだろうけど、暗いおかげでバレていないだろう。
 この声が通りにくい環境でも、彼女の声はハッキリと聴こえている。どんな小さな声でも聴き逃すまい、と集中しているからだろうか。

「俺も、楓が好きだよ」

 一呼吸置き、俺は続ける。

「俺の本当の彼女になって欲しいです」

 偽のものじゃない。本当の。

 楓はどういう表情をしているのだろう。まだ怖くてちょっと見れない。

「......うんっ」

 震えていても、力強さを感じられる声だった。
 こっちも笑みをこぼしてしまうような、満面の笑み。見慣れた笑顔だ。でも、いつもと少し違うのは、彼女の頰を伝う涙が一瞬見えた。
 
 俺たちの嘘は、一年とちょっとで終末を迎えた。
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