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第三章

四人でプール

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「着いたー! 入ろ入ろ!」

 はしゃぐ楓は俺たち三人の少し先を歩く。

「楓ちゃん子どもみたいだね」
「千草も本当はあんな感じにはしゃぎたいんじゃねえの?」
「そんなことないし」

 そう言った須藤だったが、プールが待ちきれないのかかなり早足になっていた。一応、俺と神崎もペースを合わせているが、一瞬でも立ち止まれば、かなり差をつけられてしまいそうだ。

 夏休み初日。俺たちは約束していた通り、プールへ行くことになった。一時間ほど電車に揺られて、はるばるやってきた。一時間以上かかったと思うけれど、四人でいればあっという間に時間は過ぎた。最寄駅で降り忘れそうになるくらい夢中になっていた。

 楓や須藤には負けるが、俺もかなり楽しみにしている方だ。最後にプールに入ったのは中学の体育の授業だけど、こういうアミューズメントプールに来るのは久しぶりだ。小学生の頃が最後だろうな。

 わくわくしている気持ちを悟られまいと、表情を隠している。バレるとちょっと恥ずかしい。昨夜はあまり眠れなかった。
 遠足前日の小学生か、と思うけれど、それほど楽しみにしていたということだろう。

 入場料を払い、更衣室前まで来た。

「そんじゃ、また後で」

 俺と神崎は更衣室に入った。まだ十時半だというのに、そこにはかなりの人がいた。ロッカーを探すだけで、一苦労だな。

「マジで人多いな」
「本当だよね。今日から夏休みって人も多いだろうしね」

 今日から夏休みなのは、俺たちの学校だけではないだろう。小さい子から大人まで幅広い年齢層の人たちが、着替えていた。

 何とかロッカーを二人分見つけることができた。

「南とプール行ったことあるのか?」
「ないね。去年の夏は数回会ったくらいだし」
「それもそうか。学校以外で会う理由ってあの時はなかったんだもんな」
「うん」

 昨年の夏は確実にお互い異性として見ていなかった時期だ。お世話になっているという理由から、誕生日プレゼントを渡したけど、好きだからプレゼントをあげたいとかそういう風には考えていなかっただろうな。

「じゃあ、しっかり目に焼き付けないとな」
「いや、そこまでしっかりは見ないよ......」
「天野は気にならないのか? 南の水着姿」

 気になる。すっごく気になる。今からワクワクしてる自分に羞恥を覚える。

 気にならない、と言おうとしたが、神崎の前で取り繕う意味もあまりわからないので、本心を言おう。

「気になる......よ」
「マジ気にならないって言ったらどうしようかと思ったわ。お前も男だったんだな」

 無性別だと思われていたのかな? そりゃまあ、俺だって人並みには。

「須藤とは来たことあるの?」
「あるぞ。去年行った。先に言っとくが、あいつはやばいぞ」
「何がやばいの?」
「まあ、見たらわかる」

 俺はどういう意味かわからないまま、着替え終えた。神崎も着替え終えたようなので、更衣室を出ることにした。

 どこで待ち合わせをするか言っていなかったけれど、更衣室付近で待っていれば、大丈夫だろう。更衣室に背を向け、神崎と適当に話していると、肩をぽんと叩かれた。

「いってぇ!」

 隣の神崎も叩かれたようだけど、威力が段違いだったようだ。

「あ、ごめんごめん。ちょっと驚かせようかと思ったんだけど、強すぎた?」
「強すぎだ! ゴリラにぶっ叩かれたのかと思ったわ」
「彼女をゴリラ扱いしないで欲しいんだけど。もっと可愛いらしい動物にたとえて欲しいなぁ」
「んじゃあ、もっと可愛らしい行動をとって欲しいもんだな」

 なぜか早々に喧嘩を始めてしまった、目の前のお二人さん。
 あまりジロジロ見るわけにもいかないので、目線だけで須藤の全身を見た。

 なるほど。神崎が「やばいぞ」と言った意味がわかった。服を着ている時はそう感じたこともなかったが、かなり着痩せするタイプらしい。確実に平均以上の胸をお持ちになっているようだ。その割にウエストは細いし、ボンキュッボンとはこのことか。

 確かにこれは、やばいな。

 俺が納得していると、背後から「うぅ」というか細い声が聞こえてきた。声を聞いた瞬間誰の声かは当然わかる。楓の声だ。

 須藤を見る前に自分の彼女を見ていなかった罪悪感からサッと振り向くことができなかった。楓の呻き声みたいなやつは、早くこっちを見ろ、という意味が込められているに違いない。肩を叩かれたのに、振り向かずに、神崎たちのやりとりを見ていたのだから。楓からしたら、無視されたと感じても仕方がない。

 俺は謝罪から入るべきかもしれない。

「......ご、ごめん」

 ゆっくりと振り向くと、綺麗な白い肌によく似合う桃色のビキニを着た彼女がいた。正直、一度楓のその姿を見てしまえば、他の女性たちに目移りすることは絶対ないと確信できた。

 可愛いな......。
 
 楓は感想を欲しそうにこちらを見ている。俺が思ったことを素直に言えば、きっと引かれる。けれど、ちゃんと褒めないと、楓の機嫌を損ねかねない。加減が難しい。

「よく似合ってるね。楓らしいな、って思う」

 もう少し付け加えても良かったかもしれないが、面と向かって言うのは恥ずかしい。最後はちょっと視線をそらしちゃったし。

 もう一度視線を戻した時には、何か言ってくれると思っていたのだけど、何も言われない。あれ? やっぱりさっきの言葉だけじゃ、不満だったかな。もう少し語るべきだったか......?

「......胸、小さいって思ったでしょ」
「いや、全く、全然、一ミリも思ってないけど」

 一応、楓の全身を見させていただいたわけだが、小ぶりではあるな、とほんの少し思った。ほんの少しだけ。良いように言えば、華奢だ。

「だってちーちゃんの胸見てたじゃん!」

 隣から「私?」という須藤の声が聞こえてきた。

 最後に視線を外した先に、須藤がいただけなのに......。本当に須藤を見ようとして、見たわけではなくて、視界に入ってしまったんだ。しかも、決して胸を見ていたわけじゃない。これをわかって欲しいのだけど、説明が難しい。

 それに視線をそらした理由を訊かれても、返答に困る。可愛すぎたから目を見て話せなかった、とか言えるわけないだろ。

「あれはそういう意味じゃなくてだな......」
「どういう意味?」
「......」
「やっぱり。悟も男の子だから、おっきい方がいいよねぇ」

 昨日まで、俺はそういうのに全く興味のない男として見てくれていた楓はどこに行った。一日でこうも変わってしまうのか。

「天野くん、楓ちゃんを怒らせたの?」
「ちーちゃんは敵!」
「えっ、どうして?」
「自分の胸に訊いて!」

 須藤はポカンとしているが、神崎は意味がわかったのか、クスクス笑っている。俺はアイコンタクトで『助けろ』と伝えた。伝わったかな?

「まあまあ、こいつが南のことしか見てないのは確実だから、許してやんなよ。更衣室で、『楓の水着姿ワクワクしすぎて、やばい』とか言ってたしな」
「お......」

 俺が否定しようとすると、口を塞がれた。思っては言ったが、ワクワクしたことを口には出していない!

「......そうなの?」
「う、うん」

 誤解されたままなのは釈然としないが、このまま言い合ったりしても仕方がない。ここはそういうことにしておこう。ワクワクしていたのは事実だし。

「そ、そうなんだ......」

 あれ、変な空気にしちゃった? 楓は俺の思い違いでなければ、ちょっと嬉しそうな顔をした。少し頬を赤らめ、怒ってないのは確実だ。

「よしっ。この話は終わり。遊ぼうぜ」
「遊ぼ遊ぼ! 楓ちゃん、行こ!」

 いつの間にか神崎と須藤の間の喧嘩が終結しているようだった。少し変な空気になっていたが、それをぶち壊してくれた二人には感謝。

 プールに向かっている最中に、「私以外の女の子に見惚れるの禁止ね」そう言われた。俺は、はっきりと「当たり前だろ」と言っておいた。
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