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【1章】晶乃と彩智

22.信頼できる大人

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 送るって言ったのは、そういうことか……。先日も乗せてもらった車に揺られながら晶乃は思う。

 車の中での話の大半が彩智のことだった。共通の話題がそれしかない、というよりも、学校で彩智がどう過ごしているのか、気になるから送ることを口実に自分から色々聞き出そうとしているのだろう、と晶乃は遅ればせながら気づいた。

 どうせ隠すことはないとは思いつつも、当たり障りのない話に終始する。学校では授業態度は真面目なこと。放課後の部活巡りは中断していること。彩智に陸上部とか駅伝部から声がかかっていることも心配されない範囲で話した。

「彩智は、中学校の時は駅伝を走っていたそうですね。何で走らないんですか?」

「あいつの中学校は、全校のマラソンで上位だった生徒が学校代表になるシステムでね。彩智は運動部――部活動自体をやっていなかったんだが、全校マラソンでいい成績だったから参加することになったんだ」

「中学生なら、時々いますね。何の練習もしていないのに、結果を残してしまうような才能があるとしか言いようのない人が……」

 晶乃は小さく頷く。

「……だから、そんなに走ることに執着がないんですね」

「それもあるんだろうが……父親に“許可”されてやっていたことをやりたくはないんだろう」

「……彩智は、お父さんと相当仲が悪かったんですね。そういうことをちらりと聞いたことはありましたが、さすがに突っ込んで聞くのは心苦しくて……。徳人さんは、何か知っているんですか」

「他所の家庭のことだからはっきりとは分からないが、修務――彩智の父親には、義務教育が終わるまでは楽しいことを全て我慢させるという教育方針だったらしい。ゲームとか映画とかドラマとかアニメとか一切禁止。部活も勉強がおろそかになるからと禁止。厳しい門限。食事以外は勉強に費やして、テストでは上位を取れなければ罰もあったらしい。母親はとにかく従うだけの人だったから助けにはならず、彩智は家の中で孤独だった。そのくせ、自分は趣味のカメラに莫大な金を注ぎ込んでいたから、彩智は二重の意味で許せなかったんだろう。修務が死んだ後、コレクションのカメラを真っ先に売り払おうとしたくらいだしな」

 徳人もどうやら彩智の父親のことを嫌っていたらしい。饒舌になった徳人の横顔をちらりと見た晶乃は思う。

「ただ、駅伝に関しては学校のルールなら仕方ないと、チームに参加して練習することを許可したんだ」

「そうだったんですか」

 彩智の父親を放任主義の自分の父親と比べた。中学時代にバスケットボール部だった晶乃は、3年の時は主将で、8月の全国中学校バスケットボール大会にも出場した。全国でも屈指のショートガード。そう評してもらったし、県内の強豪校からも声がかかった。そんな晶乃が高校にバスケットでは名前もあがらない弱小校に進むと言ったとき、父は何も言わなかった。そのことが少しも寂しくなかったといえば嘘になる。

 嘘にはなるが、自分が何をやるべきなのかを、親とはいえ一方的に決められるのは不愉快だろうと思う。

「ところで、君は、もう部活は決まったのか?」

 晶乃が中学時代の彩智のことに思いを馳せていると、徳人が話題を晶乃のことに変えてきた。
  
「え……いえ。色々探しているんですが、何だかしっくりこなくて」

「彩智から、君は中学生時代はバスケットをしていたと聞いたけれど」

「今も、父の知り合いが主催している大人のバスケットサークルに参加させてもらっていますよ。週1回ほどですけれど。それから、スポーツクライミングって知っています? 岩をよじ登っていくやつ。去年、旧国道のほうにできた施設で、週3回ほど練習に行っていますから、それなりに運動はしているんですよ。でもどうも、一等賞目指して頑張るっていうのが性に合わなくて」

「スポーツクライミングってボルダリングのこと?」

「垂直の壁を上る競技をスポーツクライミングというんですが、高さ約5メートルの短い壁を命綱ロープなしで登る競技を『ボルダリング』というんです。複数の課題ボルダ―が設定されていて、選手はそれぞれの課題を順繰りにこなしながら、勝敗を競うんです。他にも『スピード』とか『リード』という競技もあるんですよ」

「へぇ……そういうのを頑張っているんだ。それなら別に学校で部活動をやらなくてもいいんじゃないか」

「原則、部活に入らないといけないので。名前だけおいてもらえるところがあればいいのですが」

「学校の部活はつまらないか?」

 あまりにストレートな問いに、晶乃は言葉に詰まった。

「私、この町の生まれじゃないんです。12歳の時にこっちに引っ越してきて。前にいたところも、この町に負けないくらいの田舎町でした」

「そうだったのか。昔、住んでいたところの方が居心地がよかった?」

「いえいえ。こっちは本当に楽しくて。皆さんにも良くしてもらっていますし……」

 俯いた晶乃は、ほんの2年前に届いた報せを思い出して唇を噛んだ。

「引っ越す前、仲のいい友達がいたんです。ヨーコちゃんっていう子でした。転校しても友達だよって言っていたんですが、こっちに来て本当に楽しくて、すぐに昔のことを思い出すことが少なくなりました。最初はマメに書いていた手紙も、1年も経つとほとんど書くことも無くなって……。中2の夏に、ヨーコちゃんは首を吊って死にました。私が知らないところで酷いイジメがあったそうです。何で、もっとちゃんと手紙を書かなかったんだろうって、すごく後悔しました」

「遠い町に住んでいたら自然に疎遠になる。君は何も悪くない」

「でも、遠くにいても、「私はあなたの味方だよ」って伝えられていたら、違った結果になったかもしれません」

「そうかもしれん。でも君は悪くない」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると救われます」

 晶乃は両手で顔を覆う。泣きたかったわけではないが、今の顔は誰にも見られたくなかった。

「その時、私は思ったんです。次は……次があったら、私は誰かを助けられる人間になりたいって。でも、学校の中の力関係って本当に複雑なんです。たかが女子生徒が一人声を上げたところで、きっと何も変わらない。だから、外に、助けてくれる――できれば大人の友人を作らなければいけないと思いました。高校生になったら、積極的に大人と関わって、頼れる大人の友人を作るために行動をしようと考えたんです」

 不意に饒舌になった自分に気付いて晶乃は口をつぐむ。少なくとも同じ生徒という立場の友人には打ち明けたことのない気持ちを、つい伝えてしまったのは、自分が徳人のことも頼れる大人の一人だと認識しているからだということに、晶乃は気づいていなかった。
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