弐式のホラー小説 一話完結の短い話集

弐式

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十三話.カメの王様

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 それはとある山奥での話。 

 一匹の若いウサギが暮らしておりました。 

 そのウサギは灰色の毛並みをした何の変哲もないウサギでしたが、足がとても速く、この山の中で誰よりも……いえ、世の中で自分よりも速い者はいないと思っておりました。 

 ウサギは、自分の足ならば、あの恐ろしいオオカミが相手でも、あっという間に逃げ切れるだろうと自慢の種にしていました。 

 そのウサギが暮らす山の中ほどに広くて深い池がありまして、そこではカメが暮らしておりました。 

 ウサギは、重そうな甲羅を背負って、のそのそと進む鈍重なカメを見ては嘲ってこう言いました。 

「君たちは何て可哀そうなんだろう。そんなノロくては、オオカミに襲われてはとても逃げられないだろう。まぁ、君たちには、その甲羅に包まってぶるぶる震えているのがお似合いだろうね」 

 そう言ってはカメに自慢の足を見せつけてあっという間に遠くへと駆けて行くのでした。

     *   *   * 

 ある日、いつものようにウサギがカメたちの足の遅さを馬鹿にしていると、カメが言い返してきました。 

「君は足が速いのが自慢のようだけれど、君はカメの王様を見たことがあるのかい? カメの王様は、君など足下にも及ばないほど速いのだよ」 

 ウサギはカメの王様というのを知りませんでしたが、自分より速いというのを聞いて興味がわきました。 

 カメは続けて「カメの王様は、夜になると夜空に金色に光る姿を見せる」と語りましたので、ウサギはそれから毎晩空を見上げるようになりました。 

 それから3日ほどして、雲ひとつない満天の星が瞬く夜の星の中を、悠然と漂う丸く金色のそれを見つけました。 

 それはお月さまでしたが、普段地面ばかり見ているウサギはお月さまを見たことが無く、カメはお月さまをカメの王様と呼んでおりました。 

 なるほど、金色に光る丸いその姿は、ヒビが入っていないカメの甲羅にも似ていました。ウサギは夜空に向かって叫びました。 

「あなたがカメの王様かい! なるほど、神々しい姿をしているけれど、足の速さでは到底僕には及ばないだろう」

 ウサギはそう言うなり走り出しました。

    *   *   *

 それからどのくらいの時間、けもの道を走り抜けたでしょうか? もう一里約4kmは駆けたはずだ。カメの王様は、その姿が見えないくらい後ろにいるに違いない、と考え、ウサギは顔を上げました。 

 しかし、ウサギは愕然とします。ウサギが顔を上げたすぐ目の前にカメの王様が佇んでいたのです。 

「こんなはずはない。今のは小手調べさ! 僕よりも速いなんてあるものか!」

 ウサギは先ほどよりもさらに速く走りました。息が切れて、胸が痛くなるまで走りました。駆け続けました。ところが、顔を上げるたびに、目の前にはカメの王様の姿があるのでした。 

 そんなことが何度か繰り返されました。だんだんと、ウサギには、走り回る姿を嘲笑われているように思えてきました。それを見てはさらに意地になって速く駆けますが、やはりカメの王様はいつ顔を上げても目の前に佇んでいるのです。

     *   *   * 

 やがて、すぐ目の前に浮かんでいるカメの王様の姿に、ウサギは背筋に冷たい者が走るのを感じはじめました。

 先ほどまでは神々しいと感じていたその姿は、禍々しい邪悪の化身にさえ思え、自分はとんでもない者を相手にしているのだとようやく悟りました。

 ウサギはカメの王様に背を向けて、今来た道を脱兎の如く逃げ出しました。先ほどまでよりもさらに速く走って逃げました。

 ところが、足を止めたウサギがふと振り返ると、すぐ真後ろでカメの王様が静かに浮かんでいるではありませんか!

 誰よりも足が早いと自慢する愚かなウサギを追いかけてきたのだ、とウサギは思い青ざめました。ウサギはただひたすら走りました。木の枝や石で体を切っても痛みも感じませんでした。恐怖のあまり気が狂いそうになりながら走りました。 

 もう逃げられないと思っていても走り続けました。泣きながら走りました。ただひたすらにめくらっぽうに駆けずり回りました。 

 しかし、ウサギがどんなに逃げ続けても、カメの王様はどこまでも、どこまでも後ろについて来ていたのでした。

 僕より速い者はいないなんて、何て愚かなことを言ったのだろう、とウサギは後悔しましたが、もはや後の祭りでした。

     *   *   *

 ウサギはやがて足を止めました。疲れ果てて、もう一歩も動けないと思ったのです。

 初めのカメの王様に会ってから、どれだけの時間が過ぎたのか……。

 再びウサギが顔を上げようとしたところ、ほんの15間約27.3mほど離れた地面の上に、カメの王様の姿があるのに気づきました。どうしてか分からないけれど、カメの王様が降りてきてウサギの前にその姿を見せていたのです。

 ウサギはごくりと唾を呑みました。恐怖はありましたが、なぜだか今なら追い抜けると思いました。

 今のウサギの気持ちを想像するのは難しいかもしれません。走りすぎて疲れ過ぎて、ものごとを上手く考えられなくなっていたのかもしれません。ウサギはとにかく疲れていました。頭の中が真っ白になっていました。

 そんな時に、カメの王様がすぐ目の前に降りてきていたのす。

 ウサギは、カメの王様をめがけて思いっきりジャンプしました。

 ところが、着地しようとしたウサギの足下には何もないような、何かあるような、得体のしれない嫌な感触がありました。そして次の瞬間、ウサギは派手な音を立てて水の中に落ちていました。そう、地面に浮かんで見えたカメの王様は真っ暗闇の中で池に写ったお月さまの姿だったのです。

 ウサギは泳げませんでした。

 無我夢中で助けを求め、手足をばたつかせましたが、すぐに力尽きました。ウサギの口の中に残っていた最後の空気が、こぽりと音を立てて浮かび泡を作ってはじけました。

 そしてウサギは静かに沈んでいきました。

     *   *   *

 命が尽きたウサギの魂は天に昇っていきました。

 ただそこにあるだけの自分の姿に挑戦したり、怯えて逃げ惑ったりするウサギの様子を最初から最後まで見守っていたお月さまは、ウサギを不憫に思い、ウサギに自分の背に乗るように促しました。

 そして、ウサギはお月さま――いえ、カメの王様の背に乗って、世界中を旅しました。それは白い光に包まれとても美しく、とても楽しく、とても幸福な“夢”でした。

     *   *   *

 ウサギは小鳥のさえずりと強い日の光で目を覚ましました。

 朝になっていることを知り、あの世でも朝が来るのかと首をかしげました。

 自分の体を見ますと、灰色の毛並みは泥だらけになっていましたし、身体の節々は痛く、所々に擦り傷を負っているようでしたが生きていました。

 辺りを見回しますと、そこはいつもウサギがカメ達を馬鹿にしている池で、ウサギが寝ていた周りには誰も居ませんでしたが、カメの足跡がたくさん残されていました。足跡を見たウサギは、自分がふだん馬鹿にしているカメ達に助けられたことを知りました。

 ウサギはぶるぶるっと身体を揺らして身体についた泥を払うと、池に向かって深くお辞儀をしてその場を後にしました。

 ウサギはもう2度と「僕は誰よりも速い」とは言いませんでした。
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