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第9話・雑観
しおりを挟む意外だった。
まさか法帖老が、こんな脅しめいた物言いをするとは思ってなかったから。
だが、内容には反駁すべきものが有る。
「誰が、と言いますか、自分自身の判断です。それに」
ここは大事なところだ。
仕事は結果勝負。いくら経過が良くても結果がダメでは話にならない。
ましてやこれは株のトレード。入出のタイミングは、そのトレーダーに任せるべきだ。
「好きにやってみよ、とのご指示でしたので」
恐らくは俺にプレッシャーをかけるつもりだったのだろう。
ズラリと並んだディスプレイとPC群。
巨額の資金に目まぐるしく動くボード。
それらを操作して相場に乗ってみよ、と。
だが、俺は基板設計の仕事で、普段からそういうプレッシャーの中で働いているのだ。
(もちろん、トレードとは全然別の世界だが、それが必ず出来るという保証はない状況なのは同じだ)
PCやディスプレイの数などは、仕事場の方が遥かに多い。
そういうものにプレッシャーは感じない。
そんな気分も乗せて、チクリと言った。
「好きにやらせて頂いたのです」
それを聞いた法帖老。
試すような目を更に鋭いものに変えて。
「ふむ、それは分かった。では、建てた枚数がたった一枚ずつだった理由は?」
テーブルの上の、左側のディスプレイを指さして。
「それだけの資金がありながら、何故だ」
今しがた手仕舞いした銘柄は、一枚=100株だ。
つまり、一枚あたり133万円弱で売り買いできるのだ。
1千億円からしたら耳クソほどの額でしかない。いや、誤差と言ってもいいかも。
「それはもちろん、ご指示が無かったからです」
確かに、一枚でのトレードだったので、儲けは220円×100株で、2.2万円でしかない。
税金を引いたら、1.98万円でしかないのだ。
1千億円の資金がありながら。
「指示?」
「はい。トレードは必ず資金のすべてを使うものではありませんし、指示が無い内容に関しては、最も軽く小さく、お金を使わない方向に設定するのが設計の基本ですから」
途中から設計の話になったが、まあいいや。特に間違ったことは言ってないし。
聞いてる法帖老も納得してくれるだろう、と思った。
思ったんだが。
「指示か……それが無ければ大きな事はしないというのか」
「え、ええはい」
法帖老は、諦めたように視線を緩めてしまった。
それには納得の光など微塵もなく。
「……まあ、私の指示不足だったのかもしれんな。だが、先に、儲けの半分は君への報酬になると言っていたら、君は建てる枚数を増やしたかね?」
「え、それは……」
魅力的な設定だ。
1千億円の1%の利益。その半分。
サラリーマンの、生涯収入くらいは楽にある。
しかし。
「それでも、1枚で張っていたと思います」
そんな巨額を投入したら、板が壊れてしまう。
それに、そもそもこれはトレードのシミュレータだろう。
それならゲームみたいなものだから、他の売買に影響を与えない最小枚数でトレードするのが最適解だ。
「そうだろう……そういう理解だろうな」
下がっていた視線を再び上げる。
そこには諦めっぽい色が滲んでいて。
「君のその思考や売買の仕方は、採点するなら100点だ。無論100点満点でな」
ありがとうございます、と合いの手を入れそうになるのをグッと堪える。
止めとこう、きっとこれは反対の主張をする場合の前置きだ。
「……だが、発注者には80点や50点の結果が欲しい場合もあるのだよ」
思った通りに反対の論を述べる法帖老。
だがしかし、50点……?
なんで???
「納得できません」
「つまり、見る角度を変えれば、それは50点どころか120点だったり、或いは200点だったりするという事だよ」
!! そんなこと!
言いたいことはなんとなく分かる。納得するべきなんだろうけど。
仕事を受ける際には、広い視野とあらゆる角度からの視界を持ち合わせないとダメだってことになる。
いや、それが理想だってのも分かる。
分かるけど……
「そもそも100点満点で、120点や200点というのは有り得ない……」
と、学生じみた文句を言ってしまう。
そして言いながら思い出す。
俺は梶谷さんへ引き継ぎができる程度の情報集めが目的で、決してこの老人から説教を受けるためにトレードをしたんじゃないと。
と、そこへ。
「え、エネルギー充填120パーセントぉー!?」
それまで空気だったサラが。
ヘナヘナと右手の握りこぶしをあげながら。
「それはアニメでしょ」
即座に美原さんのツッコミ。
それで、重くなっていた場の空気が緩んだ。
正直助かった。サンキュー、サラ、美原さん。
「ふむ、そうか、そうだったな」
俺と同じく、当初の目的から逸脱していることに気づいた風で、法帖老。
「あ、えっと、すみませんでした」
とりあえず謝っとく。
これで話が元に戻せるなら安いもんだ。
「いや、謝るには及ばんよ。それより」
少しとホッした感じの法帖老、続けて。
「君の趣味を聞かせてもらえるかな」
と言った。
「え、趣味ですか、えっと……」
お見合いかよ、とか思ったけど、これはきっと法帖老の気づかいに違いない。
先ほどの、説教になってしまったことへのフォローだろう、と。
そう思って、遠慮なく自分の趣味を披露しようとした。
が、次の瞬間、愕然としてしまった。
俺には、他人に趣味だと言えるものがないのだ。
株のトレードは唯一趣味みたいなものだったが、それも2年余り前に手を引いて、仕事に専念したくらいだから。
ガッカリだ、ここまで朴念仁だったのか俺は。
せっかく法帖老が助け舟を出してくれたというのに。
って、あ、そういえば。
「カメラ、いや、写真撮影を少し」
学生時代に、友人から譲り受けたフィルムカメラで、方々に行って風景写真なんかを撮って楽しんでた頃があった。
就職して、デジカメが出てきて、行きつけのカメラ屋さんが店を畳んでからは撮影することも無くなって、いつの間にか忘れていたんだった。
「ほう、それは難しいのではないかね」
「は、はい、写真にはいわゆる正解というものが有りませんから」
「正解が無いか、いい言葉だな」
「……いえ……」
ご機嫌取りなのは分かってる。
でも趣味の事で褒められると、やっぱ嬉しくなるものだ。
だからつい口が滑る。
「それに較べると、正解が厳然としてあるものは簡単と言えますよね。特にさっきのようなトレードなんかは」
言ってから、しまったと思った。
その世界での有名人に向かって、なんてことを。
「ほう、簡単だったかね」
「は、はい、でもあくまでもさっきのトレードに限りますが」
だから逃げをうった。
まったく、俺って奴は……
「さっきの限定かね。で、それはどういうわけでかね?」
「あ、その、大口の符丁が見えてたからです」
仕方ないので正直に言った。
「いやしかし、あんなモノまで再現するなんて、すごくよく出来たシミュレータですね。途中からは本物と思っちゃいましたよ」
持ち上げるのも忘れずに。
間違いなくこの老人が組んだものではないだろうが、それでも自分の持ち物が褒められるのは(それが遥かに年下の者からでも)嬉しい筈だから。
しかし、法帖老の顔色はみるみるシリアスなものに変わっていった。
サラと美原さんも当惑した表情に。
「大口、の、符丁? それは具体的には?」
「あの、板の上端と下端のことですが……その、注文数が増減してピコピコと……」
しどろもどろになってしまう。
それを聞いた法帖老、俺の傍らの宇藤に問いかけるような視線を向けるが。
「そんなものはありませんでした」
呆気にとられたような声で。
おい、見えてたはずだろオマエには!
「課長」
シリアスなサラが宇藤を呼ぶ。
宇藤は、サラたちの傍に行って、車いすの上のノートPCの画面を見始めた。
そして、何事かをうんうんと頷きあっている。
「えっと、あの……?」
しばらくして、サラたちが一斉にこちらを向いた。
上半身も動かしたので、法帖老の前のドアが開いたような格好だ。
そして、開いたドアの向こうから、法帖老がこう言った。
「今回の仕事、ぜひ君にお願いしたい」
応援ありがとうございます!
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