上 下
61 / 66

第61話・人を誰かと間違えるのは基本的に失礼なことですよ?

しおりを挟む
 
茶臼岳ちゃうすだけ 倍音はいね? そりゃまあウチは茶臼岳って名字だけどさ」

 祢宜さんから話を聞いた後、大田原市内のスーパーに寄って。
 祢宜さんお勧めの、お中元用ジュースセットを買ってショートコースへ行った。

「倍の音と書いて倍音なんて娘は知らないねえ」

 例の丸木小屋。
 応対してくれたのは、いつものおばさんだった。

「あの、この子なんですが」

 そう言って、カウンターの上側の壁にかかっている大きな写真を指さす。
 すると。

「あ、ああ舞音まいねかい。それならウチの娘だよ」

 聞き間違いかねえ? と言っておばさんは快活に笑った。
 あ、そうなのか? と一瞬ホッとしたのだが。

「でもこりゃ7年前の写真さね」

 ――7年前……ちょっとゾクッとする。
 だが、実はここまでは祢宜さんの話と同じ内容だ。
 かつて茶臼岳という苗字の女子中学生が那須に居て。
 彼女はすごくゴルフが上手で、県北のゴルフ大会で優勝したこともあるのだとか。

 美少女なルックスと相まって、一時はアイドル状態だったらしい。
 だが1年たった頃には、祢宜さんは彼女の話を聞かなくなったそうなのだが。

 まさか……

「すっかりゴルフに飽きちまって、今じゃ東京で普通の大学生だよ」

 ……よ、よかった。
 もし、既に亡くなっている、なんて言われてたら……

「そうですか、いやすみません俺の勘違いだったみたいで」

 決して勘違いとかそういうレベルのことじゃなかったんだが。
 たしかに後で見たケータイの写真は、練習場の単なる無人の打席だったし。
 まあ、いわゆる幽霊の類いでなければそれでいいや。
 (祢宜さんもそれを危惧していたのだ。その類いのものとえにしを深めてはいけないと)

 ひと夏の不思議な経験でした、ってことで。

「え? いやいいよお、こんな高そうなもの」

 またいつかプレイしに来てくれればそれで良いから、と言うおばさんに、少し強引にジュースセットを押し付けた。

「今度は一人じゃなく、仲間か身内と一緒に来ますよ」
「ああそれが良いねえ。一人じゃ寂しかったろうからねえ。またおいでな」

 丸木小屋を出る。
 何気なく練習場の方を見ると、客の居ないそこの端で黙々と球拾いをしている麦わら帽子の男性がいた。
 片手を上げてきたので、頭を下げて挨拶した。
 お邪魔しました、と。

 あれが、おばさんの言ってた旦那さんだろう。
 おばさんが一人でなくて良かったよ。
 ま、俺が気にする事じゃないのだが。

 と苦笑いしながらスタリオンに乗り込む。

 発進させ、細い道を通ってT字の交差点、国道に出る。
 クルマの合間を狙って、スタリオンを下り方向に乗せた。
 行き先は大田原だ。

 これで無事に神社に戻れば祢宜さんを安心させることが出来る。
 ああ、適当な駐車場が有れば、そこからケータイで電話してもいいかもしれない。
 いい知らせは早い方が良いからな。

 と、思ったんだが……

「あ、祢宜さんですか? 加治屋です」

 途中に適当な駐車場なんて都合の良いものは無く、結局山岳道路(屋敷へ行く道だ)との交差点まで降りてきてしまった。
 その交差点の外側にコンビニの大きな駐車場があるのは知っていたので、そこに乗り入れてやっと祢宜さんに電話をかけられたのだが。

「ええはい、無事にお礼を渡し終えまして。それで……って……ええ?」

 電話に出た祢宜さんは、俺を労いながらもその後に意外なことをお願いして来た。

「わ、分かりました……では出来るだけ早くに……はい、それでは失礼します」

 金曜日の夕刻、観光地に至る四つ角の交差点はそれなりの混雑を見せていた。
 その中、信号に従って山岳道路へとスタリオンを進ませる。

 祢宜さんのリクエストは、館から忘れ物を持って来て欲しいというものだったのだ。

「しかし、正確に言うと物じゃなくて」

 と思ったところで、さっきから感じていた後ろからのプレッシャーが一段と強くなったのに気づいた。
 それでルームミラーをチラッと見たのだが……

「ああ、やっぱり」

 ミラーには、紅白フルカウルの大型バイクとライダーがはみ出さんばかりに映っていた。
 コイツはさっきのコンビニの駐車場にいた奴だ。

 バイクの後ろには大きな荷物が括りつけられていて。
 ライダー(少し小柄だ)は、フルフェイスのヘルメットにラフなブルゾンと暗い色のカーゴパンツ、ハイカットのスニーカー。
 ツーリングの真っ最中でございますと言わんばかりの格好だった。

 そいつは何故か、スタリオンにジロジロと遠慮の無い視線をぶつけて来ていた。
 バイクのナンバーは東京のそれだったが、ひょっとしてこのスタリオンは東京でも有名なのか?
 いや、まさかな……

「いくらなんでもそれは……って」

 山岳道路、最初の内は直線の上り坂だ。
 那須湯本に至る道ではないので対向車もほとんどなくて、常識的な速度で走ってるこのスタリオンを抜こうと思えばいつでも抜ける筈なのに。

 だが、その如何にも速そうな大型バイクは、何故かスラロームを始め、ヘッドライトによるパッシングもしてきた。

「こ、こいつ……」

 煽ってやがるのか?


しおりを挟む

処理中です...