『悪役令嬢に仕立て上げられたけど、猫カフェを開いたら辺境伯が通ってきます』

夢窓(ゆめまど)

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服と紅茶と、彼のまなざしと

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バルツアー様に連れられて、街へと出たのは、数日ぶりのことだった。

まだ寒さが残る春先の風の中を、馬車で揺られて向かったその街には、
雑貨屋、布屋、茶葉の店……さまざまな店が立ち並び、にぎやかだった。



「服を買いましょう」

「え?」

彼のそのひと言に、私は目を瞬かせた。

「この間見たとき、あなたの手持ちは、二着だけだった。
 どちらも公爵家の格式に合った礼装……それでは、動きにくいだろう」

「……ですが、それを言えば、私はもう公爵家の人間では……」

「それでも、あなたがあなたであることは変わらない」

さらりと言われて、私は何も言えなくなった。



選ばれたのは、落ち着いた色のワンピース。
少し動きやすい丈で、でも、女性らしいラインのあるシルエット。
淡い藍色が、私の髪や瞳に似合うと、彼は言った。

「鏡をご覧になりますか?」

「……見るのが、少し、怖いですね」

「なら、私が保証します。似合ってますよ」

その言葉に、胸の奥が、ふっと温かくなった。



服の仕立てを頼んだあとは、茶葉の店へ。

私は、村ではなかなか手に入らない数種の紅茶と、香りの良いコーヒー豆を選んだ。
それを見たバルツアー様が、小さく呟いた。

「……あなたがこの街に住んでくれて、よかった」

「……はい?」

「いえ、独り言です」



帰り道、村に戻る前に、小さなカフェに立ち寄った。

日差しの差し込むテラス席で、ふたりでお茶を飲む。
シャルルは、私の足元で丸くなっていた。

店のおすすめのハーブティーは、花の香りが優しくて、
バルツアー様は「これなら猫のそばでも安心だ」と言って微笑んだ。

それだけの、
ただ静かで、あたたかな午後。

でも、私は思った。

こんな風に――ただ座って、言葉もなく、
同じ時間を過ごしていられる相手って、
この先も、そうたくさんは出会えないのかもしれない。


村に戻ったあと、バルツアーが――
「パン屋のシナモンロールは、焼き立てが格別です」と言ってパンを買って再訪。
ソフィアの家に寄って、お茶を淹れてもらい、一緒にパンを味わう。

猫のシャルルがまた膝に乗る →
ソフィア「また……あなたの膝が好きなのかしら」
バルツアー「……それは、安心する場所なのでしょう」

ふたりはまた、あたたかな静寂を共有する。


その日、村の空気がざわついていた。
珍しい馬車が、ほこりを巻き上げながらこちらに向かってくる。

まさか、と思ったら――本当にその“まさか”だった。

王太子ハロルド殿下。
かつての婚約者。
私を断罪し、辺境へ追放した張本人が、馬車を飛ばして現れた。



扉を開けるなり、彼は土を蹴って飛び込み、
信じがたいことに、そのままスライディング土下座をかました。

「ソフィア! お願いだ、戻ってくれ!」

私は、あまりに突然のことに言葉を失う。

「……なにをしていらっしゃるのですか、殿下」

「すべて誤解だった!
 セレナの言うことを鵜呑みにしてしまった!
 あれは……君を陥れるための嘘だったと知ったんだ!」

彼は必死に顔を上げ、土まみれの手を震わせながら続けた。

「グレイウッド公爵が、もうじき帰ってくる……
 君が追放されて都にいないと知ったら、
 あの“居候”が君を追い出したと知ったら、
 公爵がどう動くか、考えるだけで……っ!」

額を床にこすりつけ、声が裏返る。

「君との婚約は――そのままだ!
 妹とは別れる!
 全部、元に戻すから! だから戻ってきてくれ!」



私は、しばらく黙って彼を見下ろしていた。

傍らでは、白猫シャルルが静かに尻尾を揺らしている。
バルツアー様が奥から姿を現し、その光景を無言で見つめた。

ソフィアの内面:

あの日、私を一方的に断罪した人が、
今こうして土に額をつけている。

でも、あの時に失ったもの、
猫と私がこの辺境で得たもの、
そして、バルツアー様のくれた静かな時間を思うと――

もう、何も“元”には戻らないのだと、心の奥でわかっていた。

バルツアー視点



彼女の家の玄関先。
砂埃の中、王太子ハロルドが土下座をしているという信じがたい光景が目に飛び込んだ。

「お願いだ、ソフィア……戻ってきてくれ!」

ひれ伏したまま、彼は叫んでいた。

私が扉を開けたとき、彼女は微動だにせず立っていた。
まるでその光景を“他人事”のように見つめる静けさで。

そして、王太子が口走った。

「君との婚約は元のままだ! 妹とは別れる! だから……!」

私は一歩、彼女の隣へと進み出る。



「申し訳ありませんが」
「こちらの方は、現在この村で自立した暮らしをされており――」

私の言葉に、ハロルドが顔を上げた。

「……あんた、誰だ」

「ライゼン辺境伯、バルツアーです」

「……!?」

「この地を預かる者として、そして、彼女の友人として申し上げます。
 彼女を一方的に断罪し、追放し、今さら“元に戻す”というのは――」

私は少し言葉を切ったあと、冷ややかに言った。

「……あまりにも都合がよすぎませんか?」



彼女はその横で、ようやく口を開いた。

声は静かで、表情には皮肉すら浮かべていなかった。

「ハロルド様。
 私の父にどつかれても、私は痛くありません。
 どうぞ、お好きなだけ怒られてください」

彼女の笑顔は、あまりに穏やかだった。

「私は、あなたの“被害者”ではありません。
 あなたの失敗は、私を失ったこと。それだけです」



王太子の顔が強張り、言葉を失っていた。

その足元で、白猫のシャルルがしゃなりと歩き出す。

そして、
迷いなく、私の足元に来て――にゃあと鳴いた。


王太子ハロルドが土を蹴って去ったあとの、玄関前。

私はしばらく、その場から動けずにいた。

泥だらけの跡と、彼が残した言葉だけが、妙に現実味を帯びて胸に残っていたけれど――
私はもう、何も感じていなかった。

“ざまぁ”なんて、怒りの火花を散らすほどの感情も、
もう、とうの昔に消えていたらしい。



ふわり、と白い毛の感触が足元に戻ってくる。

「シャルル……ありがとう。」

猫はにゃあと鳴いて、いつものように、当たり前の顔で中へ入っていった。

彼にとっても――ここが“帰る場所”なのだ。

私も、きっと。



キッチンのやかんが小さく音を立てる。

「紅茶を淹れましょう」

私の言葉に、バルツアー様は静かに頷いた。

やがて、あたたかい香りが部屋に広がり、
二人分のカップを小さなテーブルに並べる。

シャルルはその間、ちゃっかりバルツアー様の膝に乗っている。

ああ、もう、すっかり定位置ね。



「……驚かれましたか?」

「いいえ」

カップを手に取った彼は、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「想像通りの、王子でしたから」

「ふふ……ですね。
 でも、ご安心ください。
 父上にどつかれるくらいでは、私はもう、痛くもかゆくもありません」

「……それは、それで強すぎる」

「そうでしょうか?」

私は、くすりと笑ってしまった。



「……ソフィア様」

彼が、少し真面目な声で私の名前を呼ぶ。

「今のあの男が、どんなに謝ろうと、
 あなたの今を壊させる気はありません」

「ええ。私も戻るつもりはありません。
 だって、私は――ここで、ちゃんと生きていますから」



「そうですか」

そう言った彼の横顔が、なぜか、少しだけほっとしたように見えた。

私はカップを両手で包みながら、
ほんの少しだけ、胸の奥にたまっていたものが抜けていくのを感じていた。

ああ、これが――

“過去から自由になる”って、ことかもしれない。



いつの間にか、シャルルの喉がごろごろと鳴っている。

それに合わせるように、
私の心の中でも、静かに何かが――とても優しく鳴っていた。
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