義妹に婚約者を譲ったら、貧乏鉄面皮伯爵に溺愛されました。

夢窓(ゆめまど)

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掃除中の独り言ーー居酒屋準備

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昼下がり。
 私はまた雑巾を手に、廊下を磨いていた。
 窓枠の埃を払っていると、ふと昨日のことを思い出す。

「シレーヌは言ってたっけ……“鉄面皮”って」

 アドレ様の、あの無表情を思い浮かべて、小さく笑ってしまう。

「……でも、やらかした数なら、絶対わたしの方が上よね」

 枝豆ゆでながら演歌を歌ったり、台所で酒盛りしたり、
 市場では値切り合戦に夢中になったり。

「完璧な令嬢なんて、もう遠い昔……。
 どう見ても、変なのは私の方だわ」

 独り言をつぶやきながら雑巾を絞る。
 けれど、その口元はなぜか少し笑っていた。

アドレサイド

 執務室の窓から、廊下を行き来する姿が見える。
 雑巾を手に、しゃがみ込み、立ち上がり、またしゃがむ。
 公爵家の令嬢らしからぬ所作。
 だが不思議と、目を離す気になれなかった。

 かすかな声が聞こえてきた。

「シレーヌは言ってたっけ……“鉄面皮”って」

 ……鉄面皮。
 それは確かに、俺の名を言い表している。

「でも、やらかした数なら、絶対わたしの方が上よね」

 彼女は小さく笑った。
 昨日の演歌、酒、枝豆……思い出しているのだろう。

 ……奇妙だ。
 自分の失敗を笑える女など、今まで見たことがない。
 たいていは誤魔化すか、取り繕うか。
 それができずにただ泣く者ばかりだった。

 彼女は、違う。

 雑巾を絞る細い腕。
 笑みを浮かべながら、淡々と働き続ける姿。

「……変わった女だ」

 声に出すことはなく、ただ小さく息を吐いた。
 帳簿へ視線を戻すが、墨の文字はなかなか頭に入らない。

「……興味深い」

 それだけを心に刻みつけ、俺は再びペンを走らせた。



昼食の片付けが終わりかけた頃。
 コーンスープの鍋を洗いながら、メイベルはいつものように鼻歌を口ずさんでいた。

「――今夜は、居酒屋に行く」

「ぶふっ!?」
 思わず持っていたお玉を落としかける。
「い、今夜ですかっ!? あの、あの居酒屋に!?」

 アドレは無表情で頷いた。
「おまえがいつも抜け出していた場所だろう。……案内しろ」



「で、でも私、格好とか……!」
「そのままでいい。人混みに紛れれば気づかれない」

「そ、そんなぁぁ……!」
 メイベルはわたわたとタオルで手を拭きながら、顔を赤らめる。

(ど、どうしよう……!
 鉄面皮のアドレ様を、あの居酒屋に連れて行くなんて……!
 カラオケとか……! うわあぁぁ!)



 その日の午後、メイベルは台所でソワソワしっぱなしだった。
夕方が来るのが怖いような、楽しみなような……。


昼食後に「今夜は居酒屋に行く」と告げられてから、メイベルはずっと落ち着かなかった。

(ど、どうしよう……! 本当に行くんだ……!)

 夕方。
 クローゼットを開けて、しばし悩む。
 目立たない方がいいのに――それでも、つい手に取ったのはお気に入りのワンピースだった。

「やっぱり、これが一番落ち着くし……」
 小さな声で自分に言い訳しながら、丁寧に袖を通す。



夕方、台所に戻ると、すでにアドレが待っていた。
 いつもと変わらぬ鉄面皮で、彼女を一瞥する。

「……準備はできたか」

「は、はいっ!」
 メイベルは胸の鼓動を抑えながら答える。

(ああ、絶対気づいてない……でも……ドキドキする……!)

 けれど、その横顔の奥で――アドレの視線が、一瞬だけ長く彼女に留まったことに、彼女は気づかなかった。


夕暮れの街を走る辻馬車。
 窓から差し込む橙色の光に照らされながら、メイベルはこっそりアドレの横顔を盗み見た。

(……本当に始末してるんだわ。徹底して倹約、無駄のない暮らし……)

 馬車代も、最短距離を選んでいるのだろう。
 まるで一刻も無駄にしない人のようだった。



(……でも……アドレ様はご存知なのかしら。
 いずれ公爵家の跡継ぎになることを……)

 思わず視線を落とす。
(……そのうち、従兄のフリードリヒ様も来るはず。
 その時、アドレ様はどうするのかな……)



「なにを考えている」
 突然声をかけられて、メイベルはびくっと肩を揺らした。

「え、えっと……!」

 鉄面皮のままのアドレは、わずかに目を細めただけ。
「……居酒屋では余計なことを考えず、食べることに集中しろ」

「は、はいっ!」
 慌てて返事をしたメイベルの心臓は、鼓動が早すぎて落ち着きそうになかった。


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