『豊穣の女神?いいえ、ただの土いじり令嬢です!――王子と歩む農地改革』

夢窓(ゆめまど)

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アンネット、畑に戻る

「はぁ……やっぱり畑が一番落ち着くわ」

私はしゃがみ込み、指先で土をつまんで軽くこすった。
ざらりとした感触、匂い、色――。

「ここの土は玉ねぎ用ね。リン酸多め、やや中性。
 ……うん、ちょっと調整しておきましょうか」

掌に魔力を込めると、地面がふるふると震えた。
やがて土は自らざくざくと掘れ始め、柔らかく耕されていく。

「はいはい、そこまで。……そうそう、バランスよくね」

まるで意思があるかのように、土が勝手に盛り上がり、
必要な成分を引き寄せ、余分なものを沈めていく。

「……うん、いい子いい子。これで玉ねぎも立派に育つわね」

私にとっては、いつもの作業。
けれど、これを遠目に見ていた人々は――

「……これが、本当に“豊穣の奇跡”では……?」
「聖女様の奇跡より、よほど実際的だ……!」

と、ひそひそ声をあげていた。


(見慣れた光景と、奇跡に見える人々)

私は畑にしゃがみ、土を撫でながら小さく鼻歌を歌っていた。
「はいはい、ここは玉ねぎ。……土はもうちょっと柔らかくしておきましょうね」

魔力を込めると、土がざくざくと勝手に掘れ、ふわりと盛り上がる。
必要な成分を引き寄せ、余分を沈め、畑が一面整っていく。

私にとっては、見慣れたいつもの光景。
領民たちも「ああ、お嬢さまはやっぱり畑がお好きで」と、微笑ましく見ている。

けれど。

「……これは」
ルナン殿下は、まるで息を呑むように立ち尽くしていた。
その隣で、側近もまた震える手でメモを取りながら呟く。

「殿下……これはもう、“奇跡”としか言えません。
 聖女様の御業より、よほど実際的で、人を救う力です……!」

殿下の金の瞳は揺るぎなく私を見つめ、強く確信していた。
(やはり……アンネットこそが“豊穣の女神”だ)

けれど当の私は、土まみれの手をぱんぱんと払い、にっこり笑った。
「ふぅ……これで玉ねぎも立派に育つわね」

――まるで自分が“奇跡”を起こしていることなど、露ほども思わずに。


(自虐ループ再び)

畑を見渡し、私は満足げに息を吐いた。
「ふぅ……これで玉ねぎも立派に育ちますわ」

両手は土にまみれ、爪の隙間まで黒ずんでいる。
ドレスの裾も泥跳ねで台無しだ。

「……ああ、またやってしまいましたわね」
小さく笑いながら、自分の手を見つめる。

(殿下の隣に立つのは、光の聖女様。
 私のように畑で泥にまみれる娘ではない。
 これではますます“婚約破棄”に拍車がかかってしまうわ……)

私は手を拭いながら、苦笑をこぼした。
「殿下はお優しいから、“よく働く”なんて言ってくださるでしょうけれど……
 本当は、土いじりの変わり者だと呆れていらっしゃるのよね」

そんなふうに自虐を続ける私を、
殿下と側近は、まるで信じられないものを見るように見つめていた。

「……アンネット」
殿下の胸中にはただひとつ。
(君が女神だという事実を、どうやって本人に信じ込ませればいいんだ……!?)


夜の回廊の一室に、講師たちと聖女、王宮の役人が集められた。
焚かれた松明が壁に影を落とし、古びた書物と聖書、薬草の標本が机の上に並んでいる。
「本日は聖女様の教育初日でございます。聖務の基礎、民への説法、そして奇跡の記録の扱いを——」
講師の口上が続く。だが、聖女は椅子にもたれて、半ば退屈そうにあくびを噛み殺して見せた。

「……そんなこと、必要なの?」
聖女の声はふわりと軽く、けれど確信に満ちていた。
「だって、私の存在が尊いのでしょう? 人々は私を見れば救われる。教本なんて紙切れを読むより、私が微笑めばいいのでは?」

会場が一瞬、間を失った。
熟練の講師が顔を曇らせ、侍女たちは低く息を呑む。
「聖女様、それは…」と誰かが言いかける。だが言葉は聖女の軽やかなばっさりで切られる。

「私は降臨したの。私の存在に意味があるの。それで十分よ」
聖女は手をひらりと振り、教本の一冊を指先で押しやった。

——その様子を、窓辺から見下ろしていた私(アンネット)は、思わず口元を引き結んだ。
(……はあ。存在だけで事足りるのなら、私も土の上で寝転がっていれば侯爵家の価値が保てるってことね)

心の中で皮肉をつぶやきつつも、私は黙って見守った。
私にとっては、土を触り、季節を読むことが“学び”そのものだ。
講師が正論を並べれば並べるほど、聖女はますます薄笑いを浮かべる。
「神は私を選んだのよ。あなたたちが教えることなど、後からついてくるもの」

その時、廊下の戸が静かに開き、殿下が入ってきた。泥や藁の匂いがまだ服に残っている。
彼は一瞥で場の空気を読み取り、静かに歩み寄ると聖女の前で立ち止まった。金の瞳が、まっすぐに彼女を捉える。

「聖女よ。君の存在は尊い――だが、尊さだけで人は救えない。行いが伴ってこそ、人は信頼する」
その声にはいつもの柔らかさの先に、強い輪郭があった。祝宴の光とは違う、決意の色。

聖女は眉をひそめ、憤りを燃やすように「神託が──!」と叫ぶ。だが殿下は、少しも動じずに続ける。
「学びを拒むのなら、君は国の重荷になるかもしれぬ。私はそれを許せない」

聖女の頬が一瞬紅潮した。講師たちは安堵の息を漏らす者もいれば、なお警戒を崩さぬ者もいる。
私はその様子を見て、胸の奥で奇妙な安心感が広がるのを感じた。殿下が、言葉ででも行動ででも、アンネットを守ってくれているのだと――だがそれでも、私は心の中でばつの悪い笑いを漏らした。

(……でも、殿下がどんなに言っても、みんな“神託”という空気に流されるのよね。
 私がここで土を耕している限り、何度でもこんな騒ぎは起きるのだわ)

聖女は悔しそうに唇を噛み、講義のテーブルに向き直された。だが目はどこか遠く、得意げに笑ったときの輝きが死んでいるようにも見えた。
廊下の空気は一時の静けさを取り戻す。だが——静けさの下で、水脈のように新しい波が動き始めているのを、私はまだ知らない。
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