『愛に狂う香り、愛を選ぶ香り ――離婚から始まる私の香り』

夢窓(ゆめまど)

文字の大きさ
22 / 24

香り防護マスクの兵士たちが迫る

しおりを挟む
そしてジェラルディンは“死の香り”を纏い、静かに絶命する



地下研究所にこだまする足音。
王家の兵士たちは、鼻から顎まで覆う黒い防護マスクをつけ、
淡々とジェラルディンを包囲していく。

「目標、前方三メートル。
香気の影響なし――進め」

「網を用意、捕獲準備」

訓練された声。
迷いは一つもない。

ジェラルディンは驚愕した顔で後ずさる。

「マスク……?
どうして……僕の香りが入らないの……?」

兵士の一人が短く答える。

「この日のために作った。“香阻膜(こうそまく)”。
お前の香りはもう通用しない」

ジェラルディンは、震える指先で空気をかくように動かす。

「やだ……やだ……
そんなの……そんなの……!」

ルシオンが前に出る。

「終わりだ。
お前の香りは、もう誰も支配しない」

ジェラルディンはルシオンを見て、
まるで母親に置いていかれた子供のような目をした。

「クリスティンは……?
どこにいるの……
返してよ……僕の……僕のクリスティンを……」

ルシオンの目がわずかに揺れる。

(こいつ……完全に壊されてる……
誰が壊した?
“愛”という名の執着が、ここまで?)

兵士がネットを広げ、
じわじわと距離を詰める。

「ジェラルディン・ロワ。
大人しく投降しろ」

その言葉で、ジェラルディンの瞳が完全に割れた。

「……投降?
牢に?
僕が?
あんな場所で……僕は……香りを作れない」

兵士たちの靴音が迫る。

ジェラルディンは静かに笑った。

「……クリスティンのいない世界で、生きる意味なんてないのに」

そして、ゆっくり自分の胸元に手を入れた。

そこには小さな、黒い瓶。

兵士が叫ぶ。

「それ以上近づくな!
瓶を放せ!」

ジェラルディンは瓶を握りしめ、
まるで恋人の頬を撫でるように微笑んだ。

「これは“死の香り”。
ほんの少し吸えば、心臓が止まる香りだよ」

兵士たちは一斉に構えた。

「やめろ!! 瓶を割るな!!」

ルシオンが一歩踏み出し、叫ぶ。

「ジェラルディン!
クリスティンは――」

ジェラルディンがゆっくり振り返り、
美しい笑顔を向けた。

「……もういいんだ。
僕だけの花園に、帰るから」

パキン、と瓶を握りつぶした。

黒い香りの霧が彼の周囲に広がる。

兵士たちは即座に後退し、
マスクで完全防御。

しかし――
ジェラルディン本人は防げない。

霧が触れた瞬間、
彼の身体がわずかに震え、
胸に手を当てる。

「……ああ……
やっと……静かになる……」

膝から崩れ落ち、床に横たわる。

ルシオンが駆け寄った。

「……なぜだ……どうして……お前……」

ジェラルディンはもう、息をしていない。

眉間の皺は消え、
苦しみも消え、
最期だけは穏やかな顔だった。

彼の最期の囁きが、まだ空気に残っている。

「クリスティン……僕の花園で……待ってるよ……」





クリスティン、黒い広間で目覚める

――儀式の痕跡に絶望しかける “目覚め編”

暗い。
まず、そう思った。

クリスティンはゆっくりまぶたを開けた。

天井も壁も、黒い石。
光はなく、ただわずかに濃厚な香りが沈殿している。

(ここ……どこ……?
ジェラルディンの部屋じゃ……ない)

手足は自由だった。
それが逆に恐怖をあおる。

立ち上がろうとすると、床の模様に気づいた。

魔法陣……?
いいえ、“香陣”。

香りの線で描かれた、儀式の陣が広がっている。
黒い花弁のような模様が円を囲み、
その中心――つまりクリスティンがいた場所には、
淡い紫の残り香が漂っていた。

(……これって……
私を固定するための……?)

胸がざわりと波立つ。

儀式の後。
ここは、“第二段階の花園”のための部屋。

ジェラルディンが最後に言っていた言葉が蘇る。

――君と僕だけの花園だよ。

――逃げられないようにする。

――永遠の香りに包まれる。

(……っ……!
いや……私は……閉じ込められたくない……!)

思わず壁に手をつき、
冷たい石の感触を確かめるように呼吸を整える。

しかし、部屋中に漂う香りがそれを邪魔した。

甘いのに苦い。
懐かしいのに恐ろしい。
安心するのに、逃げ出したくなる香り。

クリスティンは震える唇で言葉をこぼす。

「……ジェラルディン……
あなた……ここまで、私を……?」

香りを吸い込めば吸い込むほど、
彼の執着と迷いが肌に伝わってくる。

(こんな香り……
“普通の調香師”では絶対に作れない……
でも……彼は――)

クリスティンは膝をつき、
香陣の残り香を指ですくった。

ひどく冷たい。
そして微かに脈を打っているようにすら感じた。

(これは……
誰かを“閉じ込める”香りじゃない。
誰かを“奪い返す”香り……)

その意味に気づいた瞬間、
背筋に冷たいものが走った。

「……私を……まだ追っている……?」

彼女の視界が揺れた。

ジェラルディンはどこだ。
儀式はどうなった?
兵士は?
ルシオンは?

誰もいない。
助けもない。

そして――
部屋の空気に漂う、かすかな“死の香り”。

(これ……まさか……
ここで……誰かが……)

胸を押さえる。
香りが重すぎて、空気が息を拒む。

クリスティンは壁に背を預け、
小さく震えながらも必死に立った。

「……負けない……
私は絶対……ここを出る……!」

けれど、足元の香陣が淡く光った。

ふっと、灯りがつくように。
まるで、誰かが呼び覚ましたように。

黒い花弁がひとつ、動いた。

ひゅ、と空気が震える。

その瞬間――

部屋の奥で、誰かの気配がした。

人か、香りか、影か、
判別できない。

ただ――
クリスティンは理解した。

ここは、儀式の“後”ではない。

儀式の“続き”だった。

空気がゆっくり動く。

「……クリスティン……?」

かすれた男の声が、
部屋の奥で囁いた。

ジェラルディンか。
誰か別の者か。
幻覚なのか。

クリスティンは固く口を閉じて、
薄い光の中で、戦うように立ち尽くした。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

もう何も信じられない

ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。 ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。 その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。 「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」 あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。 婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」 静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。 夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。 「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」 彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。

それは確かに真実の愛

宝月 蓮
恋愛
レルヒェンフェルト伯爵令嬢ルーツィエには悩みがあった。それは幼馴染であるビューロウ侯爵令息ヤーコブが髪質のことを散々いじってくること。やめて欲しいと伝えても全くやめてくれないのである。いつも「冗談だから」で済まされてしまうのだ。おまけに嫌がったらこちらが悪者にされてしまう。 そんなある日、ルーツィエは君主の家系であるリヒネットシュタイン公家の第三公子クラウスと出会う。クラウスはルーツィエの髪型を素敵だと褒めてくれた。彼はヤーコブとは違い、ルーツィエの嫌がることは全くしない。そしてルーツィエとクラウスは交流をしていくうちにお互い惹かれ合っていた。 そんな中、ルーツィエとヤーコブの婚約が決まってしまう。ヤーコブなんかとは絶対に結婚したくないルーツィエはクラウスに助けを求めた。 そしてクラウスがある行動を起こすのであるが、果たしてその結果は……? 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

【完結】恋が終わる、その隙に

七瀬菜々
恋愛
 秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。  伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。  愛しい彼の、弟の妻としてーーー。  

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

陛下を捨てた理由

甘糖むい
恋愛
美しく才能あふれる侯爵令嬢ジェニエルは、幼い頃から王子セオドールの婚約者として約束され、完璧な王妃教育を受けてきた。20歳で結婚した二人だったが、3年経っても子供に恵まれず、彼女には「問題がある」という噂が広がりはじめる始末。 そんな中、セオドールが「オリヴィア」という女性を王宮に連れてきたことで、夫婦の関係は一変し始める。 ※改定、追加や修正を予告なくする場合がございます。ご了承ください。

処理中です...