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3章 命の猶予

26 お姉ちゃん

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「咲ちゃん、駄目よ」

 自宅の玄関を飛び出ようとした咲の腕をつかんだのは、ちょうど帰宅した姉のりんだ。
 広井町ひろいちょうの職場から戻る電車の都合で、予定のない日はほぼ同じ時間に帰ってくる。

「いや、ちょっと田中の店に行って来るだけだから」
「ちょっと、って。外に出たら誰が見てるか分からないじゃない」
「外出てもこんなド田舎にいるのなんて近所の人くらいだろ? すぐそこだし」
「そういうのが大事なのよ」

 興奮気味の妹を見つめ、凜はそのボサボサ髪に向かって「駄目」と注意する。

「えぇぇ、お店閉まっちゃうってば」

 田中商店の閉店時間は夜の七時。もう既に外は薄暗く、走ってギリギリの時間だ。

「何か欲しいものがあるなら、私が行くわよ?」
「いや、そうじゃなくて、あやさんに用が……」
「だったら閉店してからでも構わないじゃない。あそこは彼女の家なんだから」

 凜は「急いでるなら早く」と強引に咲のサンダルを脱がせ、自室へと連行した。

 咲の衝動をあおったのは、父親とのちょっとした会話だった。
 昨日、智たちの修行を見に山へ入ったことを何気なく言ったところで、地元不動産を扱う会社に勤める父親が、気になる情報をくれたのだ。

 風呂上がりのれた髪をタオルでぐしゃぐしゃっといて、適当なワンピースを着て駆け出した所を、この世界で唯一の姉妹である姉に捕まった次第だ。

 町で衣料系のメーカーに勤める五歳年上の凜は、昔から咲のお洒落にはうるさかった。

 『女の子は女の子らしく。女の武器は最大限に活用する! 女の子を楽しまなきゃ』が彼女のモットーだ。
 中身が異世界男子の咲を外見だけでも女らしく仕上げていったのは、彼女の功績こうせきともいえる。

「絢さん居なくなってたら、アネキのせいだからな!」

 頭のてっぺんから爪先まで隙なく手入れされた凜に悪足搔わるあがきしつつも、咲はとりあえず従った。物心ついてから、この関係は変わりない。
 それまでずっと兄だった自分が、突然できた姉の存在に居心地の良さを感じている。

「もう、そのしゃべり方やめなさいよ。そんなに乱暴だから、可愛いのに恋人の一人もできないのよ?」
「できないんじゃなくて、作ってないだけですぅ! 勘違いしないで!」

 鏡の前でドライヤー片手に咲の髪を整えていく凛。

「ならいいけど。生意気なこと言って、ストーカーとかに狙われないようにね」
「そんなことする奴がいたら、股間こかん蹴りつけてやるから心配いらないよ。それより早く!」

 「もぅ」とねる凜は、いつも甘い匂いがした。

「よし、できた。どう? 大分良くなったと思わない?」
「ふわっふわだ。やっぱりアネキは凄いな」

 まだドライヤーの熱が残る髪を何度も触って、咲は「わぁ」と声を上げた。凜の手でとかれた髪は、魔法にかかったかのようにやわらかい。

 凜は鏡をのぞき込んで、咲の肩に手を乗せた。
 二つ並んだ顔は、姉妹なんだなぁと納得させるには十分な程良く似ている。

「好きな男の子に会いに行く時は言いなさい? もっと可愛くしてあげるから」
「う、うん。いないけど……」

 今のところそう言われても、頭に浮かんでくるような男子は一人もいなかった。

   ☆
 「ありがとう」と家を出て薄暗くなった夜道を走ると、頭がどんどん冷静になっていく。
 田中商店はすぐそこだ。絢に聞かなければならないことを頭の中で整理しようとするが、あっという間に店に着いた。

 予想していた通り、店はもう閉まっている。
 入り口をふさぐシャッターを、電柱から落ちるオレンジ色の灯りが物寂ものさびしく照らしていた。
 駅前だというのに人通りはなく、虫の声だけが響いている。
 奥の窓に灯りを確認して、咲は玄関へ回った。

 ピンポンとベルを鳴らすと、すぐに奥で物音がした。不在でなかったことに安堵あんどして、咲は相手を待つ。
 ドア越しに黒い影が現れて、横引きの扉がガラガラと開いた。

「どうしたの? お兄ちゃん」
「どうしたのって、オイ……」

 いつもの事だけれど、絢の格好は今日もおかしかった。
 目の前の状況に、言いたかったことが頭から飛んで行きそうになるのをこらえて、咲は力強く絢をにらみつける。

「似合うでしょ?」
「似合わないよ」

 さっきまで店に居た筈だが、まさかこの格好だったのだろうか。

「ハロウィンには早すぎると思うんだよね」

 今日の彼女は、ミニスカートに二―ソックスを合わせた、ピラピラのメイド服姿だった。

「お帰りなさい、ご主人様」

 絢は満面の笑みで咲を迎えた。
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