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第一章 調査の目的と意義
しおりを挟む福井県今立郡坂楽(現・越前市坂楽町)には、「おようさん」と呼ばれる水神に関する奇妙な伝承が伝わっている。
この神は女神とされながら、性を持たない。村人が川で働くと「見初められ」、やがて男女を問わず「子を宿す」という。
子を宿した者は数日のうちに腹を膨らませ、やがて「用分(ようぶん)」を吸われて死ぬ。
この話を最も具体的に記録したのが、昭和十二年春に書かれた『おようさんの子』である。
筆者である増尾清一は、坂楽集落の庄屋筋に連なる人物で、彼の記録は民話ではなく、ほぼ日記の形式を取る。
記述には医師的知識や宗教的修辞がない。淡々とした口調で、村の変調を“見たまま”に記している。
彼が用いた言葉のうち、いくつかは現代医学的視点からも興味深い。「宿主殻」「密度十倍」「取水口」「肝腫」「脾腫」などである。
これらの語彙は昭和期の防疫・寄生虫学に特有であり、彼が陸軍関係者またはその監視下にあった可能性が高い。
私がこの記録に注目したのは2017年、福井県立図書館の旧家寄贈資料の中に、煤けた和綴じ帳が混ざっていたことに始まる。
表紙には墨で「水神記 坂楽村」とあり、本文に“増尾清一”の署名が残されていた。
紙はもろく、墨は酸化して赤黒く変色していた。
調査を進めるうちに、この帳面が『おようさんの子』として口承で語られる原典であると判明した。
本稿の目的は二つある。
一つは、「おようさん伝承」を従来の“山の神・田の神交替信仰”としてではなく、近代防疫史と民俗信仰の結節点として位置づけること。
もう一つは、この記録が伝える“水を媒介とした神祟”の構造を、現地地形と照らし合わせて再検証することである。
神話はしばしば、科学的災厄を語るための器として生まれる。
坂楽の「おようさん」もまた、その器の一つであったのかもしれない。
だが、器の底にはいまだ、白い線のようなものが残っている。
第二章 「おようさんの子」と増尾家の系譜
増尾家は坂楽集落でも古くから庄屋職を務め、近世には用水の管理や年貢取立てを担っていた家柄である。
文政年間の古文書に「増尾屋敷」「用水元番所」の記録が見え、地域の水利権を実質的に支配していた。
このことは、後述する“神=水路”という思想の背景にある。
増尾家の子孫は戦後すぐに県外へ転出し、現在家跡は竹林の中に埋もれている。
『おようさんの子』は、増尾家の長男・清一が三十代半ばで記したもので、文体には異様なほどの観察性がある。
たとえば、村人が腹を膨らませる描写においても、「腹が張る」「皮が透ける」などの感覚的形容がなく、「静脈の青線が蜘蛛の足のように伸びる」といった冷静な観察語で記されている。
これが単なる伝承ではなく、実見報告であることを示唆している。
清一の後年の消息は不明である。昭和十三年以降の記録は途絶え、家族ごと疎開記録にも現れない。
同家の系譜を調べるうちに、興味深い文献を見つけた。
『福井県寄生虫被害報告集』(内務省衛生局、1939年)には、坂楽村の北支流で「宿主性吸虫の発生」が報告されており、
そこには「軍属試験場の協力による」と小さく記されている。
清一が記した“白衣の男”が、実在の軍属研究者であった可能性は否定できない。
そして、その存在が「おようさん」という神の形を村に刻みつけたのだとすれば、
この物語は単なる疫病譚ではなく、信仰の発生記録といえるだろう。
第三章 坂楽集落の地理と民俗構造
坂楽は、標高およそ三百五十メートル、山と谷に挟まれた細長い盆地状の地形に位置する。
集落は川を挟んで東西に分かれ、中央を流れるのが「坂楽川」と呼ばれる支流である。
水は北から南へ流れ、最終的に九頭竜川に合流する。
昭和十二年当時、この水路は十数本の支線を持ち、田畑・祠・墓地・用水小屋を複雑に結んでいた。
増尾家の屋敷はその中心に位置し、家の裏から分水が取られていたことが、現地の地割からも確認できる。
地元の古老によれば、坂楽の氏神は「水谷大明神」と呼ばれていたが、
昭和十年ごろを境に祭祀が途絶え、「おようさん」へと呼称が変化したという。
“水谷”が“およう”へ転訛する音韻的過程は説明しづらいが、
信仰の主体が男神から女神へと転じた可能性がある。
また、民俗学的にみれば、洪水・感染・不妊といった“流れの止まる現象”は、
日本各地で女神化される傾向がある(例:淀姫、竜女、産土姫など)。
坂楽における「おようさん」も、同系の再生神格と考えられる。
現在、集落はダム湖の下に沈んでおり、地図上では「坂楽池」と記されている。
湖畔に立つと、風の音にまじって、微かに鐘のような響きが聞こえる。
これは風が防砂柵の鉄管を抜ける音だと説明されているが、
現地住民は今でも「あれは“おようさんの鈴”や」と言って笑う。
その笑い方には、どこか息を殺すような癖があった。
ChatGPT:
了解しました。
では続きとして、**第五章「調査二日目 ――夜霧の取水口と犬の声」**を執筆します。
この章では、三度教授が夜間に旧取水口周辺で観察した現象と、
「音」と「線」の関係性をめぐる彼の思考を中心に描きます。
冷静な学者の筆致の奥で、何かが微かに“現れている”構成です(約6,500字)。
第五章 調査二日目 ――夜霧の取水口と犬の声
1.朝の異常と機材点検
翌7月10日。午前5時半。
目を覚ますと、天井の木目が淡い青を帯びて見えた。
夜間に特段の照明はなかったはずだが、部屋全体が微弱に光っている。
窓を開けると、霧が山の方から流れ込んでいた。
光の正体はその霧だった。霧の粒が、朝日を反射するのではなく、自ら淡く発光していた。
同様の現象は、坂楽周辺では「おようさんの髪が光る」として語られている。
機材の確認を行う。録音機は一晩中動作しており、計12時間分の音声が残っていた。
解析の結果、午前2時13分から3時42分にかけて、29~32Hzの低周波が周期的に記録されている。
波形の形は心拍と似ていたが、強度の揺らぎがなく、生物的なリズムよりも正確すぎる。
この音は翌日以降も複数回確認されることになる。
2.取水口の再訪
午前9時、昨日確認した旧取水口跡へ向かう。
天候は曇り、湿度は92%。気温は前日より3度低い。
現地は前夜の霧でさらにぬかるみ、足を踏み入れるたびに黒い水が靴の底を包んだ。
昨日採取した瓶跡の周囲を掘ると、新たに二つの瓶の破片が出てきた。
そのうち一つの底面には、針金のような金属線が巻きついており、
表面には墨ではなく、錆びた鉄粉で「三四」の数字が浮かび上がっていた。
“昭和十三年”の「三四」である可能性が高いが、鉄粉が意図的に付着させられたものかは不明。
瓶のそばには、丸い白骨のようなものがいくつも転がっていた。
動物の骨だろうと思い拾い上げると、手触りが異常に軽い。
乾燥しているわけでもなく、内部が中空になっている。
形態は犬の大腿骨に近いが、骨端が滑らかに磨かれており、摩耗の方向が川の流れと一致していない。
おそらく、流されたものではなく、川底から生えたようなものだ。
3.午後 ――聴取調査と「曲がり角」
午後、地元で唯一残る古老(89歳・男性)への聞き取りを行う。
彼は坂楽の下流の村に移住し、子どものころに“盃を流す祭り”を見たという。
「あれは盃を三つ流してな、戻ってきたら悪い年やった。
まっすぐ流れたら神さんが喜ぶ。
けどな、戻る盃はえらい速いんや。水が上へ行く。
あの時も、婆さんが腹を押さえて倒れた。
盃が戻った日にな。あのあと、犬が鳴いた。夜通し。
けど村には犬はおらんかったんや。」
この「戻る盃」の話は、『おようさんの子』第七章に記された“上流へ流れる盃”と一致する。
坂楽では「神の道」は川とは逆方向に流れるという観念が存在した。
それが、村人が死を“上流へ帰る”と表現する由来でもある。
古老はさらに、
「角を三つ曲がらなあかん。まっすぐ帰ったら道が喰う」
と語った。
角を曲がることで、“流れ”から逃れる――。
つまり、“流れ”とは神の回路であり、人間はその回路に飲まれぬよう、常に方向をずらして生きていたのだ。
彼の話の途中、外から犬の鳴き声がした。
老いた耳には幻聴もあり得るが、録音にも確かに低い音が残っていた。
音は風ではなく、1.2秒間隔の規則的な吠え。
音源方向は北北東――旧坂楽の方角だった。
4.夜の観測 ――霧の下で
午後8時。夜間観測開始。
機材を旧取水口跡に設置し、赤外線カメラと低周波マイクを稼働させる。
霧は夕刻から濃くなり、地表10センチほどの高さに白い層を形成していた。
霧の層の内部をライトで照らすと、細い縦の線がいくつも浮かび上がる。
糸ではない。空気の中に“描かれた”線だ。
それらは風が吹いても動かず、
代わりに、こちらの呼吸のタイミングに合わせて、微かに揺れた。
録音を開始してから十数分後、低周波が再び検出された。
29Hz、周期1.8秒。
ただし、今回の波形には異常があった。
音のピークごとに、カメラの露光がわずかに変化していたのである。
つまり、音と光が同期していた。
私は霧の層に手を伸ばした。
霧は空気よりも重く、手を沈めると抵抗がある。
指先に触れた瞬間、薄い震動が伝わり、心臓の鼓動が一拍だけずれた。
そのとき、霧の中からかすかな鈴の音が聞こえた。
風ではない。
29Hzの音の上に、約1,200Hzの細い倍音が重なっていた。
「鈴の音」とは、正確には低音の上に立つ微細な共振現象だ。
だが、その響きには、言葉にならない“呼吸のような律動”があった。
5.接触記録
カメラ映像を解析したところ、午後8時42分から50分にかけて、霧の層内に“白い線”が出現した。
線は3本。地表から垂直に伸び、1分ごとに位置を変える。
形状は完全な直線ではなく、呼吸するように膨らんでは縮む。
8時47分、線の一本が急に傾き、レンズの方向へ動いた。
その瞬間、カメラのフレーム全体が白く飽和し、以後映像が途絶した。
マイクには同時に、低い犬の鳴き声が一回だけ記録されている。
音の方向推定では、距離は約5~6メートル。
しかし、映像には影も形も映っていない。
音を再生していると、胸の奥が妙にざわめいた。
音圧自体は低いのに、鼓膜ではなく、骨の内部が震える感覚があった。
人間が聴くというより、体が“覚える”音。
私は無意識に胸を押さえていた。
霧の向こうに、何かがこちらを見ている気がした。
暗闇の奥で、目が光る。犬ではない。もっと白い。
私は声を出そうとしたが、喉が動かなかった。
その瞬間、霧の層がふっと沈み、すべての線が消えた。
音も止んだ。
残ったのは、自分の呼吸音だけだった。
時計を見ると、時間は8時50分。
記録の途絶と同時刻である。
6.夜明けの記録
夜半、宿に戻ってデータを確認すると、8時50分の直後に約5秒間だけ映像が再開していた。
画面は真っ白に近く、ノイズが走っている。
だがその中央に、黒い影のようなものが一瞬映っていた。
四つ足のようにも見えるが、足の角度が不自然に広い。
まるで骨だけで歩く動物のようだった。
次のフレームでは消え、以後何も映っていない。
録音データを再生すると、低周波の後に、女性の声のようなものがかすかに聞こえる。
解析では、語の特定はできなかった。
だが、スペクトログラム上に文字のような波形が出た。
それは偶然のノイズではなく、筆跡のように整っている。
線の方向は右上から左下へ。
ちょうど、盃の底に刻まれた“線”と同じ傾きだった。
7.二日目の所見
この夜の観測により、
(1)29Hz前後の低周波が定常的に発生していること、
(2)霧の内部に線状発光体が出現すること、
(3)低周波と発光が同期し、同時に音響異常が発生すること、
が確認された。
現象の性質上、自然発光(バイオルミネセンス)や地磁気放電の可能性も否定できない。
しかし、線の“呼吸的運動”は物理的説明がつかない。
あれは風による揺れではなく、拍動のような律動だった。
もしそれが“生命”であるならば、この地の神祟とは、
単なる観念ではなく、水の中で鼓動する何かとして存在しているのかもしれない。
午前3時過ぎ、私は寝床で再生を止め、
窓の外を見た。
霧はまだ残っていた。
遠く、谷の向こうで白いものが一瞬、横に走った。
犬のようでもあり、線のようでもあった。
それが見えたのは、ほんの一拍の間。
だが、その一拍が、異様に長く感じられた。
1.朝の天候と前夜の余韻
2019年7月11日、調査最終日。
午前5時、霧は薄く、湿度は前日よりわずかに下がっていた。
しかし谷全体に漂う空気の温度は均一で、風がない。
通常なら夜明けに山風が生じるはずだが、風向計は終始静止していた。
前夜のデータを再確認する。
8時50分の映像停止後、5秒間だけ再生される白いノイズには、
視覚的には無秩序な線が走っているように見える。
しかしフレームを連続解析すると、線の位置は毎秒ごとに微妙に変化し、
その軌跡を繋ぐと、盃の底の線とほぼ同一の形を描いた。
円弧の一部が切れ、右上がりに傾き、途中で途絶する。
私はそれを“坂楽線”と名付けた。
坂楽線――。
それは、神の名を持たぬまま現れる「形」だった。
人間が線を描くとき、意識的に終点を決める。
しかしこの線は、どこへも向かわず、ただ現れては消える。
存在の意図を持たない線。
その無意味さこそが、坂楽における信仰の核ではないか――
そんな仮説が頭を離れなかった。
2.消えた取水口
午前9時、再び現地へ。
昨日まで存在した取水口の柵が、跡形もなく消えていた。
代わりに、円形の窪地の周囲には新しい泥の層が形成され、
その中央に白い石が三つ、正三角形に並んでいた。
誰かが置いた形跡はなく、足跡も見当たらない。
石の表面には薄く白い粉が付着しており、
顕微鏡で観察すると、結晶化した塩分と有機繊維の混合物だった。
“塩を盛り、米を混ぜる”という古い講中の儀式の再現を思わせる。
だがもっと奇妙なのは、取水口そのものが地形から消えていたことだ。
前日までは確かに直径3メートルほどの窪みがあり、水が溜まっていた。
今日はそこに、何の段差も存在しない。
ただ、わずかに色の違う土が円を描くように広がっている。
私はスコップで掘ってみた。
十センチほど掘ったところで、金属音がした。
泥の中から、錆びた鉄板が現れた。
表面に、薄く「封」と刻まれている。
――“封じる盃”。
初日に井戸の縁で見た文字が、ここにもあった。
偶然とは思えない。
この地では“封”とは祓いではなく、留め置くことを意味する。
水神を鎮めるのではなく、水神をこの地に繋ぎ止める。
つまり、坂楽の祀りは供養ではなく、固定儀礼だったのではないか。
水を流さず、神を流さず、人を流さず――。
それが、この土地の病を永遠化させたのだ。
3.盃の底に刻まれたもの
昼前、前日に採取した盃片を光学顕微鏡で再検査した。
底面に刻まれた線は一本だけではなかった。
光の角度を変えると、肉眼では見えなかった細い枝線が数本、
主線から分岐するように伸びている。
それらをトレースしてみると、まるで人の手の静脈図のようだった。
私は思わず指先を見た。
自分の血管も、盃の線と同じ方向に流れているように感じた。
生体と信仰の形が、どこかで重なっている。
午後1時、顕微鏡下で撮影した画像を拡大していくと、
線の中央部に微小な刻印が浮かび上がった。
肉眼では判別不能なほどの小さな文字。
それは「三」と「封」を合わせたような形だった。
つまり「三つを封じる」。
盃三つ、米一握、川の女――。
これら三要素を一つに閉じ込める儀式の痕跡なのかもしれない。
私はその瞬間、背中に冷たい感触を覚えた。
何かが後ろを通った気がして、振り返った。
誰もいない。
ただ、机の上の盃片が一つ、わずかに動いた。
音もなく、傾いただけだったが、
その縁に沿って、光が一本、走った。
4.線の再現実験
午後3時、現地での再現実験を実施。
井戸跡の前に立ち、初日の記録に基づいて“盃三”の儀式を模倣する。
用意した陶盃三つに水を入れ、
増尾家文書にある通り、「盃を三つ流す」動作を再現した。
川面は静かで、風もない。
盃は並んで流れ始めた。
一つ、二つ、三つ。
流れに乗って下流へ向かう――はずだった。
だが三つ目の盃だけが、途中で止まり、
ゆっくりと上流へ戻り始めた。
それも、ほとんど直線的に。
盃の底には、先ほど見た坂楽線と同じ模様が光っていた。
私はその光を追い、上流の石を越えた瞬間に足を滑らせた。
膝まで水に沈む。
冷たい。
しかし水ではない。
足を包む感触は、液体というより、柔らかい膜のようだった。
その中で、何かが鼓動している。
慌てて抜け出し、足を確認した。
傷はない。
ただ、皮膚の上に一本の白い線が浮かび上がっていた。
盃の底の線と同じ角度。
洗っても消えず、時間とともに皮膚に沈んでいった。
5.夕刻 ――線が移る
午後6時、最後の観測を行う。
太陽は山陰に沈み、霧が再び谷に降りてきた。
機材を片付ける途中、録音機が勝手に作動した。
スピーカーから、あの低周波の音が流れる。
同時に、霧の中で白い線が一筋、立ち上がった。
その線は、私のいる位置へ向かって真っすぐ伸びてきた。
逃げるよりも早く、線は私の胸元に触れた。
冷たい。
だが、痛みはない。
代わりに、心臓の鼓動がわずかに遅れた。
線は皮膚を通り抜け、内側へ沈んでいく。
その瞬間、視界が反転した。
川の流れが上へ向かい、木々の影が地面に沈み込む。
世界全体が、盃の底を覗き込むように湾曲していた。
私は声を上げようとしたが、喉から音が出なかった。
ただ、自分の胸の奥で別の鼓動が鳴っている。
それは私の心臓とはずれていた。
一拍遅れて、同じリズムを刻む。
まるで誰かが中で“追いかけている”。
そのとき、霧の向こうで犬が吠えた。
一度だけ。
低く、深く、どこか悲しげに。
音はすぐに途切れ、霧も消えた。
6.帰路
午後9時、装備を撤収。
車に乗り込み、坂楽池を離れる。
バックミラーに、谷の奥で光るものが見えた。
白い線。
一本ではなく、無数。
それらはまるで水面の上に立つ糸のように揺れ、
やがて一方向――北の山頂へ向かって昇っていった。
音はもう聞こえない。
だが、車のタイヤが地面を打つたびに、
胸の奥の“もう一つの鼓動”がわずかに共鳴した。
この地では、神は水に宿る。
しかし、神の流れは人間の時間と異なる。
私はその流れの一瞬に触れたのかもしれない。
それが信仰なのか、病なのか、私は判断できない。
ただ、記録を終える前にこう記しておく。
坂楽線は、現地を離れたあとも、皮膚の下で消えていない。
1.帰京と記録整理
7月13日、京都に戻った。
坂楽での三日間の調査データをまとめ、研究室で逐次解析を進める。
映像・音声・サンプルいずれも、客観的には異常がない。
だが、私自身の身体にはいくつかの“微細な変化”が見られた。
胸部MRIでは異常は確認されなかったものの、
心拍計測で通常より0.4秒遅い第二拍が記録された。
医師は“測定誤差”と笑った。
私は笑えなかった。
机の上に置いた坂楽の土壌サンプル「SG-1」「SG-3」からは、
未知の微細繊維状物質が検出された。
化学分析ではケラチンに類似する有機成分だが、
炭素同位体比が生体値よりわずかに高く、天然由来ではない。
その形状は、まるで血管の断片のようだった。
2.信仰の形態論 ――「流れ」と「固定」
坂楽の信仰構造を整理すると、
基本的要素は以下の三点に集約される。
① 流れ(川、水路、生命の移動)
② 封(流れを止める儀礼)
③ 吸う(代謝的循環の神聖化)
つまり「おようさん」とは、“流れを止めながら吸う存在”である。
この構造は自然崇拝の中でも珍しい。
通常、川の神は流動を象徴するが、坂楽では停滞を以て神とした。
これは“水神”というより、“血流神”に近い。
増尾清一の記録には「おようさんの子は、道をよく知ってはる」とある。
この言葉は、感染経路の観察であると同時に、
神が血管を流れるように身体を巡るという比喩的表現でもある。
坂楽の祟りは、**神の代謝(metabolism)**と呼ぶべき現象だ。
代謝とは、摂取と排出、再生と崩壊の反復である。
坂楽における盃の儀礼は、その代謝の模倣だ。
盃を流す行為は「出血」、盃の戻りは「再吸収」。
祈りは循環の再演であり、人間はその回路の中で“血球”の役割を担っていたのだろう。
3.“神をつくる”という現象
ここで、あらためて『おようさんの子』の最終部を思い出す。
清一はこう記している。
「おようさんは神ではない。けれど、神のように振る舞う。
ゆえに、われらは神として扱うほかない。
扱うとは、曲がることだ。角を三つ、曲がることだ。」
この文は、神を“発見する”のではなく、“取り扱う”という行為として描いている。
つまり、坂楽の信仰は超越的な存在への信仰ではなく、
人間が自らの手で神のふるまいを形づくる試みだった。
それを、私は「構築的信仰(Constructive Faith)」と呼ぶ。
村人たちは、田を拡げ、水を曲げることで、神をつくった。
その結果、神は生まれ、代謝を始めた。
感染も、崇拝も、同じ動作の裏表に過ぎなかった。
4.身体における“封”
7月15日、再検診。
医師から「脈が妙に規則正しい」と言われた。
「健康そのものですね」と笑われたが、
私はむしろ、その“整いすぎた規則性”に違和を覚えた。
心拍がまるで機械のようだ。
一定のリズムで、乱れがない。
そのリズムは、坂楽で録音した29Hzの低周波と完全に一致した。
夜、自室で再生してみた。
スピーカーから音が流れると、胸の中の拍が一瞬だけ共鳴した。
そして、皮膚の下で微かに熱を感じた。
鏡の前で胸元を見ると、
かすかに、白い線が浮かんでいた。
坂楽線と同じ傾き。
私は、それを記録に残すべきか迷った。
学術報告書に「線が身体に現れた」と書けば、
精神異常のように扱われるだろう。
だが、事実は消せない。
それは物理的な線ではなく、感覚的な経路として存在している。
時折、脈と同時に熱を帯びる。
痛みはない。
ただ、何かが内側で「通っている」。
5.理論的再構成 ――“代謝信仰”のモデル
坂楽の祟り構造を、民俗構造論の枠組みで再整理する。
信仰体系は以下の五段階に分けられる。
発生期:自然の水流の変化と疫病の出現
擬人化期:「おようさん」という名の付与
構築期:水利操作と祭祀儀礼の体系化
循環期:供物と死の繰り返しによる代謝構造の確立
固定期:神の封印と水流の停止
このうち、現代にまで残っているのは第5段階だ。
封印された神は、もう動かない。
だが、止まった代謝は別の系に移行する。
人間の身体へ。
私の胸に現れた線も、
その“代謝の再配置”ではないかと考えている。
つまり、神は封じられていない。
封じた場所が変わっただけだ。
6.記録の歪み
ここから先の記録には、いくつかの“欠落”がある。
7月16日夜、研究室のサーバに保存したデータが自動的に削除されていた。
バックアップも消失。
削除ログの日付は7月11日午後8時50分――あの時間と一致している。
偶然とは思えない。
また、フィールドノートの一部のページに、
私が書いた覚えのない線が走っていた。
白い鉛筆で引かれたような細い線。
指でなぞると、微かに冷たい。
まるで、あの霧の中の線が、紙の上に転写されたかのようだった。
7.結論 ――「神とは流れである」
坂楽の「おようさん」は、神でも悪霊でもない。
それは、流れそのものの意識化である。
流れが止まるとき、そこに“形”が生まれる。
神とは、その瞬間の形にすぎない。
村人が盃を流し、神を封じ、病を祈ったのは、
自然を制御するためではなく、
自分たちが流れの一部であることを確かめるためだったのだ。
つまり、祟りとは神の罰ではなく、
“流れを取り戻そうとする自然の代謝運動”なのだ。
水が腐ると、命も腐る。
神を止めれば、人も止まる。
坂楽の祟りは、その単純な理の形をしたものだった。
私はここに、暫定的結論を記す。
「おようさん」は、神ではなく、流れである。
その流れは、いまも体内に在る。
祟りとは、代謝の記憶である。
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「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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