鷹華は淵に恋を夢見る

凡骨蓮華

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鷹華は淵に恋を夢見る 前編

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 春の雨はまだ冷たい。
 神を祀った小さな祠で雨宿りしながら、鷹華ヨウカは途方に暮れていた。

「雨、止みませんねぇ。ここまで土砂降りになるなんて……今夜は、ここで野宿でしょうか」

 呟いた鷹華の耳に、ガタゴトいう物音が聞こえてきた。祠から顔を出して道を眺めると、歩いてきた方角から馬車がやってくるのが見えた。馬一頭で引く箱馬車で屋根も豪奢な造りである。
 乗せてもらおう! 瞳をパッと輝かせ、数少ない荷物を掴む。鷹華は道に飛び出した。

「すみませーん! 止まってくださーい!!」

 雨に負けじと声を張り上げる。御者が気付いたらしい。馬車は速度を緩め鷹華の前で停まった。手綱を捌いていたのは六十に届こうかという老人だ。頬に刀傷がある。

「どうなさいました?」
「この先の村に用があるのですが、雨で身動き取れなくなってしまって。行き先が同じなら、乗せてもらえないでしょうか」
「それは難儀なさいましたな。少々お待ちを。主に伺いを立ててみましょう」

 老人が思いのほか軽やかな身のこなしで御者台を降りた。しかし、見ると左手で杖を突いている。鷹華は慌てて駆け寄ると横から老人を支えた。

「あのっ、足元が悪いですから!」
「おお、すみません。優しいですな、貴女は」

 老人の瞳は、どこか虚ろだ。目が見えていないのかもしれない。
 鷹華の心配をよそに、ぬかるんだ道でも老人は器用に歩を進め、箱馬車の扉を叩くと中に向かって呼びかけた。

青蘭セイラン様、この雨で娘さんが立ち往生なさっています。村まで乗せてあげてもよろしいでしょうか?」
「…………いいわよ、別に」

 乗っているのは女性らしい。綺麗だが、どこか陰気な声だ。
 老人は鷹華の方を振り向くと、扉を開けて中を指し示した。どうやら箱馬車に乗っていいようだ。
 御者台に一緒に乗せてもらえたら助かる、程度に考えていた鷹華は過分な扱いに驚いた。とはいえ、乗せてもらえるのは素直にありがたい。荷物を担ぎ直し、老人にペコリと頭を下げた。

「ありがとうございます!」
「これはどうも、ご丁寧に。わたくしは、仁鉄ジンテツと申します。道中、よろしくお願いします」
「ああっ!? も、申し訳ございません! 私ったら名乗りもせずに……鷹華と申します! こちらこそよろしくお願いします!」

 シン、と雨の音が消えたような気がした。仁鉄と名乗った老人は見えぬまなこを鷹華に向け、呆然としている。
 一体どうしたんだろう。鷹華は何気なく馬車の中を眺め――そこに乗っている人物と目を合わて息を呑んだ。容貌まるで天女のごとし。見目麗しい貴婦人だった。
 青蘭と呼ばれた女性が、こちらをジッと見つめている。訳が分からず戸惑う鷹華だったが、次の瞬間、思いがけないことが起こった。

「鷹華! ああ、会いたかった!」
「わあっ!?」

 鷹華は抱きしめられていた。蹴飛ばすように席を立った青蘭の勢いは凄まじく二人して体勢を崩し、泥道に転がる羽目になった。青蘭は藍染めの着物が泥に塗れるのも一向に気にせず、鷹華を強く抱きしめている。

「え、えっと……?」

 何が何だか分からない。間違いなく初対面だ。しがない村娘だった自分に、こんな身分が高そうな知り合いなんて居るはずがない。人違いに決まっている。
 だが、泣きじゃくる青蘭の姿に鷹華は胸を打たれ、我知らず涙を流していた。そっと背中に手を伸ばし、柔らかく抱きしめ返す。しばしの時が流れた。



 動き出した馬車の中で、青蘭は恥ずかしそうに微笑んだ。

「ごめんなさいね、取り乱しちゃって。あんまり娘に似ていたものだから。見た目も名前も、そっくり同じ」
「娘さんも鷹華という名前だったんですか」
「ええ、そうよ。鷹に華と書いて鷹華。生きていたら、貴女くらいの年頃になってたかしら」

 懐かしむような瞳が鷹華に向けられる。

「仁鉄もビックリしてたみたいね。きっと貴女の名前に驚いたんでしょうけど。彼、目が見えないから」
「ああ、やっぱり……」
「でも優秀な護衛よ。夫が下した『青蘭を守れ』という命令を、今も忠実に守り通してくれてるの」
「旦那様は、いまどちらに?」
「……亡くなったわ。娘と同じ病でね」

 青蘭は己の人生を短く語った。王弟おうていと結婚した青蘭は一女を儲け、幸せに暮らしていたが、病で夫と娘を亡くし失意の内に王家から追放されたのだという。

「あんまりじゃないですか! 家族を亡くした人にする仕打ちとは思えません!」
「私のために怒ってくれるの? ありがとう。でも、いいのよ」

 憤る鷹華を青蘭がなだめる。

「今にして思うと追放で済んだ私は、命拾いをしたわ。義兄あには――王は権力に取り憑かれて、猜疑心の塊になっていたから。あのまま王家に留まっていたら、私も殺されていたでしょうね」
「弟の奥さんを殺すのですか!?」
「あの王ならやるわ。直属の親衛隊を差し向けてでもね」

 追放されてからは、亡夫が遺した屋敷で僅かな使用人と共に、ひっそりと暮らしているらしい。
 相槌を打っていた鷹華は「あれ?」と首を傾げた。向かう先が一緒で、屋敷に住んでいて、使用人もいて? 「もしや」と思い、尋ねてみるとアッサリ答えがあった。

「ええ、私が屋敷の主よ。なぁに、鷹華。私に用があったの?」
「実は――」

 鷹華はここに至る経緯を話し始めた。
 戦乱で家族と故郷を失ったこと、商人に拾われ旅をしたこと、豪商の屋敷に住み込みで働くようになったこと、主が破産して次の勤め先を探していること。

「青蘭様のお屋敷で働かせてもらえないでしょうか?」

 鷹華の申し出に、青蘭は思案顔になった。

「……雇ってあげてもいいわ」
「本当ですか!?」
「ええ、一つだけ条件を呑んでくれれば」

 青蘭は深く息を吸い込むと、はにかみながら鷹華に告げた。


「月に一度、たった一日だけ、私の娘になってほしいの」
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