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妖怪退治人
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美鳥ちゃんには、『警備会社のアルバイト』と言っている僕の仕事は、実のところ、妖怪退治業なわけで。そんなわけで、婚約騒ぎがあった今日も、夜は仕事の時間だ。
通行止めにされた高速道路。どっぷりと暗い夜闇を、照明車の明かりが照らす。僕とチームの仲間たちは、陣形を取って、獲物を待ち構える。ちなみに、いつでも呪術が使えるよう、仕事中はずっとオールバックの髪型にしている。
そして、果たして──来た!!
照明車の明かりに照らされたそれは、一匹の巨猿だった。小型トラックくらいの大きさはある。それが、鋭い牙を剥き出しに、猛烈な勢いでこちらに突進してくる。奴が走るたびに、高速道路のアスファルトが削れ、土埃が上がる。あれが直撃したらひとたまりもない。
「幸太郎!」
「はい! ──目標補足、捕縛開始、急急如律令」
社長の合図に、僕は呪術を展開した。あらかじめ呪力を込めた網を、自作のネットランチャーで射出する。網は見る間に広がって、猿の巨体を絡め取った。猿は網に身体をもつれさせ、地面に倒れる。網に仕込んだ呪術は僕にできる限り強力にしたが、逃れようと暴れる猿の呪力と反発してジリリ、と悲痛な音を立てているところからすると、長くは保つまい。
「光香ちゃん! 早めに行って!」
僕が前方にいる後輩に声をかけると、後輩はウェーブのかかった栗色のボブカットを揺らし、僕を振り返る。涙目で眉を下げている。
「せ、せんぱぁい、これほんとに大丈夫なんですか!? めっちゃ怖いんですけど! あの猿、どう見てもどっかの山の主レベルじゃないですかぁ!」
「そんなこと言ってる間に、どんどん危険になっちゃうから! 早く!」
僕が声を張り上げれば、光香ちゃんはひえぇ、と声を上げながら、手にした剣を構え直す。不思議なことに、一旦剣を手にすれば、光香ちゃんの眼光には鋭さが宿る。その足は地面を蹴り、瞬く間に猿の元までたどり着いた。
「漣流──光迅一閃!」
なぜ技の名前を叫ぶのかは僕には分からないけど、とにかく、剣は目にも留まらぬ疾さで横薙ぎに払われ、同時に、猿の首が飛んだ。青い血しぶきを浴びた光香ちゃんは、しばらくはそのままトランス状態でいたが、やがて我に返る。
「せんぱぁあああい、血、血ぃ浴びちゃいました、気持ち悪ぅぅぅぅい!!」
泣き喚く光香ちゃんに、僕はため息をついた。
「落ち着いて。呪術で穢れを洗浄するよ」
本当は、この子の面倒は社長に見てしてほしい。だって、明らかに陽キャで怖いし、年下の女の子とか、どうしたらいいか分からないし。でも、この後輩の指導は、僕に一任されているのだった。
「東海の神、名は阿明、西海の神、名は祝良、南海の神、名は巨乗、北海の神、名は禺強、四海の大神、百鬼を退け、凶災を祓う。急急如律令」
呪言を唱え、猿の血とともに光香ちゃんに染み付いた穢れを祓うと、僕の胸元でピシッと音がした。確認すれば、翡翠でできた人形が、真っ二つに割れていた。呪術を使うと、必ず反動がある。強力な呪術ほど反動は強い。それを自分の代わりに人形に負わせるんだけど、簡単な呪術なら紙製の人形でいいところ、強力な呪術なら素材にもこだわりが必要だ。生きた人間を使う流派すらある。僕はさすがにそこまでいかないが、性能のいい宝石製の人形は、お値段も相応だ。
「ああ……これももうだめかぁ。新しいの買わないと」
また出費になる。これではいつ目標額が貯まるやら。僕はため息をついて肩を落とした。熊澤社長が、その名の通り熊のような髭面で笑う。
「うちの正社員になれば、経費で出してやるぞぉ」
それには大いに魅力を感じるけれど、僕は首を横に振る。まだ、妖怪退治業に一生を捧げる覚悟はできていなかった。ちなみに、後輩の光香ちゃんは正社員だ。アルバイトの先輩と正社員の後輩という、ともすれば気まずいはずの関係だけど、光香ちゃんがまったく気にせず、先輩、先輩と言って僕の後を着いてくるので、僕もいつしか気にしなくなった。
そんな光香ちゃんは、この話題になるといつも騒ぐ。
「えぇぇ、先輩、なりましょうよ、正社員! 私と一緒にいつまでも働きましょうよぉ!」
「ますます、なる気がなくなったよ……」
「なんで!?」
騒ぐ光香ちゃんは放っておくとして、そういえば、あの件を社長に報告すべきだと気がついた。
「そういえば、社長。ご報告なんですが」
「なんだ?」
「僕、結婚することになりました。相手は一般人です」
ゴト、と音がした。振り返れば、光香ちゃんがぽかんと口を開けて目を見開き、剣を取り落していた。
「え……ええええええええええっ!?」
仕事を終えて、我が家──古くて広いだけが取り柄の日本家屋に帰った僕は、目を見開いた。
「あ、幸ちゃん、おかえりぃ」
そう言って急須を手に廊下を歩いているのは、美鳥ちゃんだった。ご丁寧にエプロンまでつけている。フリルのついたひらひらのやつだ。正直可愛い。
「……美鳥ちゃん、どしたの?」
「うん。正太郎おじいちゃんに誘ってもらってね。うちのおじいちゃんが入院して、家に一人もなんだし、幸ちゃんとは結婚するんだから、これからこの家で暮らしたら良いよって」
──じいちゃん、勝手に決めないでよ!
そう怒鳴り散らしたかった僕だが、美鳥ちゃんのニコニコした笑顔を見ていると、そんなこともできなかった。
僕と美鳥ちゃんの婚約を正太郎じいちゃんと源之助じいちゃんの二人に伝えたのは、あのカフェから出てすぐのことだ。美鳥ちゃんは僕を引きずって源之助じいちゃんの病室に行き、
「私達、結婚することになりました!」
と宣言したのだ。そこにはうちの正太郎じいちゃんも見舞いに来ていたというわけだ。
じいちゃん二人の喜びようはすごかった。うちのじいちゃんは見舞客用のパイプ椅子から飛び上がり、小躍りせんばかりだったし、源之助じいちゃんはベッドの上で勢いよく上体を起こそうとして、力尽きて倒れ、美鳥ちゃんをものすごく心配させた。
ようやく落ち着いた時、源之助じいちゃんは目に涙を浮かべ、僕の手を握って何度も頷いた。
「良かった、良かった。一人遺していく美鳥のことだけが心配だったんだ。幸太郎くんがいてくれるなら安心だ」
源之助じいちゃんが、こんな陰キャの僕の、どこをそんなに見込んでくれたのかは分からない。でも、そんなに喜んでくれたなら、僕も美鳥ちゃんの話に乗った甲斐があったと、じんと目頭が熱くなった。
そして、僕は仕事があるからと一足先に病室を出たのだけど、まさかうちのじいちゃんが美鳥ちゃんに、そんな話を持ちかけていたとは想像もしていなかった。
「えへへ、ちょっと照れるね」
美鳥ちゃんはそう言って頬を染め、エプロンの端を摘んでみせた。めちゃくちゃ可愛い仕草だ。ちょっとクラっとした。
でも、クラっとしてる場合じゃない。
「美鳥ちゃん。無理しなくていいんだからね」
「うん? あ、お料理ならしてないよ。今日はね、お寿司取ったの。エプロンしてるのは、お掃除してたからで──」
「そうじゃなくて、同居のこと。うちのじいちゃんに乗せられたんじゃない? どうせ源之助じいちゃんに花嫁姿を見せるための、期間限定の偽装なんだから、無理して同居までしなくていいんだよ」
「……」
その時、美鳥ちゃんの顔によぎった表情は、実に複雑なものだだった。怒り、悲しみ、諦め、奮起──それらが次々と顔に顕れたようだった。
「……分かってた。うん。分かってたよ。幸ちゃんはそういうやつ。でも、これから振り向かせればいいだけだし」
「え?」
僕が首を傾げる内に、美鳥ちゃんはすっかり立ち直った様子で、胸を張って腕を組み、満面の笑顔を浮かべた。
「無理なんてしてないよ。私だって、あの広い家に一人っきりもなんだし。その方が安心するって、うちのおじいちゃんも言うしさ」
それで源之助じいちゃんが安心するなら、僕としても引くしか無い。
「そっか……。でも、分かってると思うけど、気をつけてね」
「うん。『インターフォンが鳴っても、門を叩く音がしても、誰も入れてはいけない』。宅配便は門の前に置いて帰ってもらう。でしょ? 何年、この家に出入りしてると思ってるの? 変なしきたりも、変な儀式に付き合わされるのにも慣れっこだよ」
たしかにそうだ。正月に、誕生日に、子どもの日に、盆に。様々な節目に、僕は妖怪退治人として力をつけるための儀式を受け、時に、美鳥ちゃんがそれにつきあわされることもあった。
「うん。でも、気をつけて」
僕は真剣にそう言った。──妖怪退治人は、妖怪に恨まれるのだ。そして、その他のものにも。
通行止めにされた高速道路。どっぷりと暗い夜闇を、照明車の明かりが照らす。僕とチームの仲間たちは、陣形を取って、獲物を待ち構える。ちなみに、いつでも呪術が使えるよう、仕事中はずっとオールバックの髪型にしている。
そして、果たして──来た!!
照明車の明かりに照らされたそれは、一匹の巨猿だった。小型トラックくらいの大きさはある。それが、鋭い牙を剥き出しに、猛烈な勢いでこちらに突進してくる。奴が走るたびに、高速道路のアスファルトが削れ、土埃が上がる。あれが直撃したらひとたまりもない。
「幸太郎!」
「はい! ──目標補足、捕縛開始、急急如律令」
社長の合図に、僕は呪術を展開した。あらかじめ呪力を込めた網を、自作のネットランチャーで射出する。網は見る間に広がって、猿の巨体を絡め取った。猿は網に身体をもつれさせ、地面に倒れる。網に仕込んだ呪術は僕にできる限り強力にしたが、逃れようと暴れる猿の呪力と反発してジリリ、と悲痛な音を立てているところからすると、長くは保つまい。
「光香ちゃん! 早めに行って!」
僕が前方にいる後輩に声をかけると、後輩はウェーブのかかった栗色のボブカットを揺らし、僕を振り返る。涙目で眉を下げている。
「せ、せんぱぁい、これほんとに大丈夫なんですか!? めっちゃ怖いんですけど! あの猿、どう見てもどっかの山の主レベルじゃないですかぁ!」
「そんなこと言ってる間に、どんどん危険になっちゃうから! 早く!」
僕が声を張り上げれば、光香ちゃんはひえぇ、と声を上げながら、手にした剣を構え直す。不思議なことに、一旦剣を手にすれば、光香ちゃんの眼光には鋭さが宿る。その足は地面を蹴り、瞬く間に猿の元までたどり着いた。
「漣流──光迅一閃!」
なぜ技の名前を叫ぶのかは僕には分からないけど、とにかく、剣は目にも留まらぬ疾さで横薙ぎに払われ、同時に、猿の首が飛んだ。青い血しぶきを浴びた光香ちゃんは、しばらくはそのままトランス状態でいたが、やがて我に返る。
「せんぱぁあああい、血、血ぃ浴びちゃいました、気持ち悪ぅぅぅぅい!!」
泣き喚く光香ちゃんに、僕はため息をついた。
「落ち着いて。呪術で穢れを洗浄するよ」
本当は、この子の面倒は社長に見てしてほしい。だって、明らかに陽キャで怖いし、年下の女の子とか、どうしたらいいか分からないし。でも、この後輩の指導は、僕に一任されているのだった。
「東海の神、名は阿明、西海の神、名は祝良、南海の神、名は巨乗、北海の神、名は禺強、四海の大神、百鬼を退け、凶災を祓う。急急如律令」
呪言を唱え、猿の血とともに光香ちゃんに染み付いた穢れを祓うと、僕の胸元でピシッと音がした。確認すれば、翡翠でできた人形が、真っ二つに割れていた。呪術を使うと、必ず反動がある。強力な呪術ほど反動は強い。それを自分の代わりに人形に負わせるんだけど、簡単な呪術なら紙製の人形でいいところ、強力な呪術なら素材にもこだわりが必要だ。生きた人間を使う流派すらある。僕はさすがにそこまでいかないが、性能のいい宝石製の人形は、お値段も相応だ。
「ああ……これももうだめかぁ。新しいの買わないと」
また出費になる。これではいつ目標額が貯まるやら。僕はため息をついて肩を落とした。熊澤社長が、その名の通り熊のような髭面で笑う。
「うちの正社員になれば、経費で出してやるぞぉ」
それには大いに魅力を感じるけれど、僕は首を横に振る。まだ、妖怪退治業に一生を捧げる覚悟はできていなかった。ちなみに、後輩の光香ちゃんは正社員だ。アルバイトの先輩と正社員の後輩という、ともすれば気まずいはずの関係だけど、光香ちゃんがまったく気にせず、先輩、先輩と言って僕の後を着いてくるので、僕もいつしか気にしなくなった。
そんな光香ちゃんは、この話題になるといつも騒ぐ。
「えぇぇ、先輩、なりましょうよ、正社員! 私と一緒にいつまでも働きましょうよぉ!」
「ますます、なる気がなくなったよ……」
「なんで!?」
騒ぐ光香ちゃんは放っておくとして、そういえば、あの件を社長に報告すべきだと気がついた。
「そういえば、社長。ご報告なんですが」
「なんだ?」
「僕、結婚することになりました。相手は一般人です」
ゴト、と音がした。振り返れば、光香ちゃんがぽかんと口を開けて目を見開き、剣を取り落していた。
「え……ええええええええええっ!?」
仕事を終えて、我が家──古くて広いだけが取り柄の日本家屋に帰った僕は、目を見開いた。
「あ、幸ちゃん、おかえりぃ」
そう言って急須を手に廊下を歩いているのは、美鳥ちゃんだった。ご丁寧にエプロンまでつけている。フリルのついたひらひらのやつだ。正直可愛い。
「……美鳥ちゃん、どしたの?」
「うん。正太郎おじいちゃんに誘ってもらってね。うちのおじいちゃんが入院して、家に一人もなんだし、幸ちゃんとは結婚するんだから、これからこの家で暮らしたら良いよって」
──じいちゃん、勝手に決めないでよ!
そう怒鳴り散らしたかった僕だが、美鳥ちゃんのニコニコした笑顔を見ていると、そんなこともできなかった。
僕と美鳥ちゃんの婚約を正太郎じいちゃんと源之助じいちゃんの二人に伝えたのは、あのカフェから出てすぐのことだ。美鳥ちゃんは僕を引きずって源之助じいちゃんの病室に行き、
「私達、結婚することになりました!」
と宣言したのだ。そこにはうちの正太郎じいちゃんも見舞いに来ていたというわけだ。
じいちゃん二人の喜びようはすごかった。うちのじいちゃんは見舞客用のパイプ椅子から飛び上がり、小躍りせんばかりだったし、源之助じいちゃんはベッドの上で勢いよく上体を起こそうとして、力尽きて倒れ、美鳥ちゃんをものすごく心配させた。
ようやく落ち着いた時、源之助じいちゃんは目に涙を浮かべ、僕の手を握って何度も頷いた。
「良かった、良かった。一人遺していく美鳥のことだけが心配だったんだ。幸太郎くんがいてくれるなら安心だ」
源之助じいちゃんが、こんな陰キャの僕の、どこをそんなに見込んでくれたのかは分からない。でも、そんなに喜んでくれたなら、僕も美鳥ちゃんの話に乗った甲斐があったと、じんと目頭が熱くなった。
そして、僕は仕事があるからと一足先に病室を出たのだけど、まさかうちのじいちゃんが美鳥ちゃんに、そんな話を持ちかけていたとは想像もしていなかった。
「えへへ、ちょっと照れるね」
美鳥ちゃんはそう言って頬を染め、エプロンの端を摘んでみせた。めちゃくちゃ可愛い仕草だ。ちょっとクラっとした。
でも、クラっとしてる場合じゃない。
「美鳥ちゃん。無理しなくていいんだからね」
「うん? あ、お料理ならしてないよ。今日はね、お寿司取ったの。エプロンしてるのは、お掃除してたからで──」
「そうじゃなくて、同居のこと。うちのじいちゃんに乗せられたんじゃない? どうせ源之助じいちゃんに花嫁姿を見せるための、期間限定の偽装なんだから、無理して同居までしなくていいんだよ」
「……」
その時、美鳥ちゃんの顔によぎった表情は、実に複雑なものだだった。怒り、悲しみ、諦め、奮起──それらが次々と顔に顕れたようだった。
「……分かってた。うん。分かってたよ。幸ちゃんはそういうやつ。でも、これから振り向かせればいいだけだし」
「え?」
僕が首を傾げる内に、美鳥ちゃんはすっかり立ち直った様子で、胸を張って腕を組み、満面の笑顔を浮かべた。
「無理なんてしてないよ。私だって、あの広い家に一人っきりもなんだし。その方が安心するって、うちのおじいちゃんも言うしさ」
それで源之助じいちゃんが安心するなら、僕としても引くしか無い。
「そっか……。でも、分かってると思うけど、気をつけてね」
「うん。『インターフォンが鳴っても、門を叩く音がしても、誰も入れてはいけない』。宅配便は門の前に置いて帰ってもらう。でしょ? 何年、この家に出入りしてると思ってるの? 変なしきたりも、変な儀式に付き合わされるのにも慣れっこだよ」
たしかにそうだ。正月に、誕生日に、子どもの日に、盆に。様々な節目に、僕は妖怪退治人として力をつけるための儀式を受け、時に、美鳥ちゃんがそれにつきあわされることもあった。
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