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167『西郷さんの真名』
しおりを挟む魔法少女マヂカ
167『西郷さんの真名』語り手:マヂカ
貴族や武士の名前は家名(苗字)と仮名(けみょう=通名)と諱(いみな=真名)の三つで構成される。
日ごろは仮名を名乗るし、人も仮名でしか呼ばない。
織田信長の仮名は三郎なので、日ごろは「三郎」と自称し人もそう呼んだ。長じて身分が高くなると官職名である「上総介」で呼ばれ、家臣たちからは「御屋形様」と呼ばれ、けして諱である「信長」や「信長様」では呼ばれない。
諱は忌み名であり、使われるのは、ごく正式な場に限られる。
西郷さんは、日ごろは「吉之介」を使っていた。自分でも「吉之介」を称し、人も「吉之介」とか「吉之介さあ」と親しく呼びならわしていた。
その西郷さんの諱である「隆盛」が間違っていた。
「ご主人様の正しい真名が分かるんですね!」
ツンは感激のあまり頬を染めて涙ぐんでさえいる。
「ツンでも西郷さんの真名を知らなかったのね」
「もちろんです。諱で呼んでいいのは島津の殿様ぐらいのもので、殿様も、日ごろは『吉之介』とか『西郷』と呼んでおられましたから、飼い犬であるわたしが諱を存じているわけがありません」
「そうか」
「はい、そうなんです。武士の諱とはそういうものなのです!」
「ツン、あなた、人の言葉が板に付いてきたわね」
友里が感心しながらツンを見る。確かに、四つん這いにもならないし、舌を出して喋ることもしない。十四五歳のショートヘアが良く似合う活発な女子になっている。
「え、あ、そうですか、わん」
「あ、もう『わん』と付け加えるのがわざとらしく聞こえる」
「え、あ、じゃ、ありのままでいいですか!?」
「ああ、それが自然なら、そうしなさい」
「はい!」
西郷さんの真名を取り戻した我々は根岸まで戻って西郷さんが現れるのを待っているのだ。
「いやあ、おはんたち久しぶりじゃっで!」
「「わ!」」
予想に反して西郷さんは後ろの川から上がってきた。ただでさえツンツルテンの着物を尻っぱしょりにして、釣り竿と大きな魚籠(びく)を抱えている。
「わはは、ウナギがよかひこ取れたんで、これからかば焼きとうな丼にしよっち、思うてなあ」
ウナギと言われて、調理研の我々の頭には三十以上のうな丼が浮かんだ。
「これだけのウナギが獲れるとは、おはんら、解決したな?」
「はい、なんとか」
「苦労はしたが、その甲斐はあったよ」
「ツンの姿が見えんが?」
「え?」
「今の今まで居たんだが……」
どうやら、恥ずかしくなったか。
「なら、呼ぶまでじゃ」
ピーーー!
西郷さんは、人差し指と親指を輪っかにして指笛を吹いた。
わ! あわわわ……
条件反射で草叢からツンが現れるが、猟犬とし呼ばれたのに犬っぽさは無く、体育で集合を掛けられた生徒のように気を付けをしている。
「おほ、ツンは人になってしもうたか!?」
「はい、大活躍をしてくれました!」
「こんたこんた、活発そうな、よか娘になったもんじゃ!」
「は、はい! ツンは、ご主人様の真名を取り戻してまいりました!」
ツンは真名が入っている封書を最敬礼で差し出した。
「ああ、おいの諱か?」
「はい!」
「うんうん、では、ツン、わいが封を開けて読んでおっれ」
「わ、わたしが!?」
「いかにも、ツンが取り戻してきたもんじゃから」
「は、はい!」
ツンは震える手で封を開けると、厳かに西郷さんの真名を詠みあげた。
西郷吉之介隆永(さいごうきちのすけたかなが)
「隆永……よいお名です! 隆盛も素敵でしたが、その素敵なご主人様のお名が永遠の光に輝いているようです! とっても素敵です!」
ツンは、感激のあまりポロポロと涙と涎をこぼし、グチャグチャになってしまう。
それを、ご主人様の西郷さんは大きな胸いっぱいに抱きしめ、ツンの髪をワシャワシャと撫でて「よくやったよくやった……」を繰り返し、わたしも友里ももらい泣きしてしまった。
「人になったツンを猟犬にしておくわけにもいかんなあ」
「いえ、ツンは、いつまでもご主人様の猟犬です!」
「おめは、しばらくマヂカどんたちと一緒に暮らしやんせ。そう……マヂカ、おはんのいもっじょちゅうこっで面倒をみてはもれんか」
「うん、承知した」
「では、三人揃って神田明神さんに報告に行くといい。そうじゃ、このウナギを土産にするとよか!」
「ご主人様!」
「元気で暮らせよ、おはんたち魔法少女もなあ」
「「はい」」
西郷さんに手を振られ、わたしたちは振り返り振り返りしながら日暮里の坂道を登って神田明神を目指すのだった。
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