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145≪国変え物語・5・美奈と秀吉≫

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てんせい少女

145≪国変え物語・5・美奈と秀吉≫



 天正13年(1585年)も天下が躍進した年である。

 大坂城がおおよその完成を見た。

 五層の大天守が、はるか摂津や和泉からも見え、空気の澄んだ日には淡路からも望むことができた。秀吉の面目躍如の秋(とき)である。春には秀吉に関白宣下が行われ、秀吉の氏は羽柴から豊臣に変わった。

 豊臣というのは、大そうな氏で、源・平・藤・橘しかなかった朝廷公認の氏に豊臣の姓が生まれたことであって、源氏にも平氏にもなれなかった秀吉のアイデア賞であった。

 なんせ、朝廷が臣に氏を与えるのは、平安時代の清和源氏、桓武平氏以来数百年ぶりのことである。
 そこへもってきて、秋には四国の長曾我部元親が降伏し、四国全域が秀吉になびいた。

 その、四国征伐の軍勢が凱旋してきたのを秀吉は四天王寺まで行列を並べ、自らは臨時の高倉を作らせ、出迎えた。

 大坂の民衆は、秀吉と、その軍勢の見事さに驚嘆し、長曾我部軍の田舎くささを笑った。

 確かに、四国の馬は本州の馬に比べ一回り小さく、具足も粗末でエルフ(長人族)の都にやってきたドアーフ(七人の小人の種族)の軍隊のように見えた。

 ただ、道頓と美奈の見方は違った。

「飾った田舎もんと、むき出しの田舎もんの違いやな」
「道頓さまは、どちらがお好きですか?」
「どっちも、好きや。わしも、河内の田舎もんやさかいな……せやけど、長曾我部はんは負けたのに凄味があるなあ」

 道頓の見立ては正しかった。

 長曾我部は、後に関が原で西軍について敗れ、安堵された土佐一国を山之内一豊にとられ、家臣のことごとくが、武士としては一段低い郷士に落とされた。しかし二百数十年後に、この中から坂本龍馬をはじめとする維新の草莽たちが群がり出てくる。

「関白殿下のお背中が……」

 美奈は、道頓が思いもしないことを口走った。


 美奈の一言で、道頓は美奈をつれて、秀吉の前にいる。


 大坂城の外堀の作事に功があったので、城の完成を祝って呼ばれたのである。
 美奈は付き人として同席を許された。作事に付いている医師が妙齢の女であることを知った上でのことであった。

「道頓、苦労であった。これで城の護りも堅固になった。ついては礼じゃ。あれを持っていけ」

 秀吉は、庭に荷車を引き出させた。荷車一杯に天正小判の箱が山積みになっていた。

「これはご過分な……道頓、関白殿下の豪儀さに言葉もござりませぬ」

 道頓は、平伏すると同時に秀吉の視線が自分の後ろに回ったことを感じた。

「その方が、若い女子でありながら、作事場の医師を務めた美奈か?」
「はい、道頓さまのお引き立てで、なんとか無事に務めさせていただいております」

 顔を上げると、好色そうな秀吉の顔があったが、美奈は一瞬で、その好色さをアンインスト-ルした。

「……不思議な女子よのう。それだけの器量でありながら、女を感じさせん」
「恐れ入ります」
「ハハ、わしも、色を超えて人を見る目ができたということかのう……美奈、そちから見て、わしは壮健に見えるか?」
「恐れながら……お背中に、少し進んだ痛みをお抱えと拝察いたします」
「分かるか!? 長い時間偉そうに立ったり座ったりしていると、背中の真ん中あたりが怠くなり、ひどいときには痛みになる!」
「背骨の骨の間が弱っておられます」
「そうか、直ぐに診てくれ!」

 秀吉はクルリと装束を脱ぎ捨てると下帯ひとつの裸で仰向けになった。美奈は秀吉の隔たりのなさと身軽さを好ましく思った。

――今なら、まだ間に合う――

 そう思った美奈は、この時代にはない医療器具を取り出し、脊髄のヘルニアを一発で治した。

「なんと、あれほどの疼痛が、きれいさっぱり無くなった! すごいぞ美奈! そなたにも褒美をとらそう。そうじゃ、とりあえず、そこの金の高炉を……ん、どこに行った?」

 秀吉が身軽になった身体で、違い棚まで行くと、昨日まで金の高炉が置いてあったところに、千社札のような紙きれが載っていた。

―― 石川五右衛門参上 ――

 秀吉の近習たちが騒ぎ始めた。

「アハハ、構わぬ、捨て置け。天下の秀吉のもとに天下一の作事上手と、医師と盗人が揃ったんじゃ。面白い、面白い!」

――これなら間に合う――

 美奈はそう思うと嬉しくなり笑い出した。道頓も鳴り響くような笑い声で、近習や侍女たちも笑い出した。美奈の役割がいよいよ本格的に始まった。

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