滅鬼の刃

武者走走九郎or大橋むつお

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23・『元日の新聞』

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滅鬼の刃 エッセーノベル    

23・『元日の新聞』   




 明日は読もう……と思って二週間が過ぎました。


 気が付くと孫が、ヨイショっと掛け声をかけています。

 なんの掛け声かというと、明日の朝に出す一か月分の古新聞を玄関先に出す掛け声です。

 年末年始を挟んだので、いつもよりも重たいので、つい掛け声が出てしまうのでしょう。

 いまさら「読んでないから」とは言えません、元日の新聞。


 元日の新聞というのは、清々しいのですが、その分厚さに「まあ、昼から読むか」になって、「明日読もう」「明日は読もう」「明日こそ読もう」と思い続けて二週間が経ってしまったわけです。


 新聞は、物心ついたころから見ていました。

 親父が読んでいる横から眺めて、字は読めませんでしたが、なんとなく見ては、親父の「へー」とか「ホー」とか感心するのを真似していました。

 真似をすると、お親父もお袋もニコニコと喜んでくれて、それが嬉しくて新聞を見ていたように思います。

 幼稚園に行く頃には平仮名が読めるようになって、広告や見出しの平仮名を拾い読み。むろん意味など分かりません。でも、新聞を広げているだけで面白かったように思います。

 三面の四コマ漫画、これは読まなくても分かります。

 それから、二面に載っている時事風刺マンガ(政治家の顔は、これで憶えました)、広告の絵とか写真とか。そして、夕刊に載っていた連載小説……の挿絵を見て喜んでいました。

 あのころは、しょっちゅう大事件が起こっていました。また、新聞のコードも緩かったので、今では載せられないような写真が平気で掲載されていました。

 事故現場の写真とか平気で載っていましたね。さすがに遺体をもろに写していたのは記憶にありませんが、遠くに写っているものなどはあったと思います。三島由紀夫の事件の時は、首が写っていたように思うのですが、週刊誌に掲載されたものと混同しているかもしれません。

 犯人が逮捕され、手錠をはめられている写真などはザラでした。いつの時代からだったでしょうか、手錠をはめた手をレッグウォーマーのような筒状のもので隠すようになった方が違和感でした。

 今で言うと、面白い動画をYouTubeでぼんやり見ているのと同じ感覚でした。

 まあ、そういうところから新聞を読むようになって六十年あまり。


 その新聞の中でも、元日の新聞は特別でした。


 とにかく、めっぽう分厚いもので、たしか三部ぐらいに分かれていました。

 通常の朝刊と、正月の特集、それに新聞社の特別企画といったものが、それぞれ月刊誌ぐらいありました。

 それに、いつもは白黒の新聞がカラーだったのも正月だけだったと思います。

 郵便受けから出しただけで、新聞の紙とインクのにおいが香しかったですね。

 新聞を取り込んで玄関の戸を開けようとすると、もみ殻が落ちています。しめ縄の稲穂をスズメがついばんだ痕です。

 箒と塵取りで、それを掃除して、ゴミ箱(たいていの家がタールを塗った木製)に捨てると、通りの家々には日の丸が掲げられていました。

 その元日の新聞を、開くこともなく古紙に出してしまいました。

「出すのは、お爺ちゃんやってよね」

 年末最後の古紙回収に出し忘れたのをしっかり憶えている孫は、しっかりと念をおすのでありました。

 
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