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31『あの鏑矢を拾ってこい』

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誤訳怪訳日本の神話

31『あの鏑矢を拾ってこい』    

 

 
 スサノオの意地悪も三回目になります。

 最初の二回はオオナムチを岩屋に閉じ込め、蛇やらムカデの大群に襲わせようしますが、スセリヒメが身にまとっていた領巾(ひれ)を貸してくれて蛇もムカデも追い払うことができて難を逃れることができました。

 身にまとっているものが妖を追い払う力があるというのは、イザナギが黄泉の国でイザナミの手下である黄泉醜女(よもつしこめ)の追撃をかわす時にも使っています。機会があれば、どこかで触れ直してみようと思いますが、取りあえずは先に進みます。

「おい、オオナムチ、今度はこれだぞ」

 スサノオは自慢の弓を取り出し、弓弦に鏑矢(かぶらや)をつがえて、ヒョーーーっと放ちます。

 鏑矢とは、矢じりの根元にイチジクの実ほどの木のパーツが付いているものです。

 このパーツには二カ所ほど穴が開いていて、弓が飛翔している間、空気が吹き込んで笛のような音がします。その音が、ヒョーーーって感じになります。見かけは、お正月の破魔矢に似ています。

 昔の戦には作法がありました。

 敵味方、数千、数万の軍勢が対峙すると、いつ戦闘が始まるか分かりません。

 それで、大将の命令で代表が敵の前面に出て、互いに戦闘開始の宣言をします。

 この宣言が終わると、次に双方の陣から撃ち込まれるのが鏑矢という訳です。

 まあ、試合開始のホイッスルですなあ。

 鏑矢が鳴り響きますと、我も我もと郎党を引き連れた騎馬武者が走り出し、戦場のあちこちで個人戦が始まります。

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは……」

 堂々名乗りを上げてから戦います。

 まあ、鎌倉時代いっぱいまでくらいの美しい習慣でした。

 ちゃんと名乗って手柄を認めてもらわないと、あとの論功行賞で手柄の証明ができないという理由もありますが、なんともフェアプレイの精神ではあります。

 1274年の元寇で裏目に出てしまいます。

 名乗りを上げると、元の方から数十人が飛び出してきて、いっぺんに絡めて討ち取ってしまいます。

 鏑矢が、ヒョーーーーっと音を立てて飛んでくると、アハハハと笑われてしまいます。

 元軍の戦いに作法などはありません、勝てばいいので、一騎打ちもしませんし、鉄砲(のちの鉄砲ではありません)の音で脅かすし、毒矢だって撃ってきます。

 日本の武士も学習します。

 こいつらにルールは通用しないと思うと、もっぱら夜襲をかけるようになります。

 元軍は夜襲が苦手です。元軍は部隊単位の集団戦闘です。暗闇でやると収拾がつかないので、一般に夜戦はやりません。

 その常識外れの夜戦に元軍は恐慌をきたし、たいていメチャクチャに負けてしまいます。

 そこで、元軍は、陽が落ちると沖の軍船に戻って兵力の損耗を回避します。

 大ざっぱに言いますと、そうして船に戻ったところに神風(台風)がやってきて二度の日本遠征に失敗したということでしょう。

 夜襲は、日本のお家芸になり、旧日本軍も夜襲を得意としました。

 余談の余談になりますが、戦後三千人近い日本兵が復員せず、東南アジアの各地に残りました。

 ベトナムやインドネシアが宗主国に抵抗し、この旧日本兵たちは教官として招かれ、現地の軍隊を鍛え、しばしば夜襲を仕掛けて、宗主国軍を壊滅させました。

 実に、日本武士の夜襲はアジア諸国の独立にまで貢献したわけです。

 あ、脱線しすぎました(;^_^A

 スサノオが射ったのは、そういう夜戦が主力になる以前の麗しき鏑矢なのですが、射ったあとにオオナムチに命じます。

「おい、オオナムチ、あの鏑矢を拾ってこい」

 簡単な命令ですが、そこにはスサノオの腹黒い仕打ちが秘められていたのでありました……。
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