エリートアルファのできちゃった結婚

椎名サクラ

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 休みという休みは玄を誘うがすげなくあしらわれ、一度も叶わなかった高校生活。だがそれをじっと待っているほど桐生の玄に向ける気持ちは甘くはなかった。時間があればこっそりと玄の自宅周囲を散策し、どこかで会えはしないかと最寄り駅をうろつくなど、軽くストーカーのようなことを繰り返したが、それでも玄に会えたことは一度もなかった。

 やきもきしながら生徒会という接点を切らさず、彼に見直してもらおうと躍起になり様々なイベントを成功させていき、中学の頃のように玄にフォローされることなく卒業の日を迎えた。

 あっという間の時間だ。

 最後に自分の思いを伝えようと式が終わった後に、きっと仕事で残っているだろう彼のもとに訪れた。

 予想通り卒業式の在校生代表として送辞を読んだ玄はそのまま帰宅せず、生徒会室で来年度の入学式に向けての準備を一人で黙々と進めていた。

「やぁ玄、ここにいたんだね」

 気が付けば自分よりも細く小さかった想い人の身体はもう立派な青年へと成長し、桐生に比べれば低いが、日本人の平均身長を上回った背に見合う肩幅の、すらりとした体躯になっていた。眼鏡越しの目つきも怜悧さを前面に押し出した切れ長なものになっていた。その目が快楽ともどかしさでどんなふうに濡れるのかを想像しながら夜毎おかずにされているなど、本人は全く知らないだろう。今も邪魔が入ったとばかりに全生徒会長である桐生に冷たい視線を向けてくる。

「もう皆さんおかえりになっている時間ですよ、先輩」

 親しく呼びかけても、桐生に向ける態度は初めて会った日からちっとも変わらない。どんなに親しくしようとも。だがそれで諦めるような桐生ではなかった。どんなに冷たい態度を取られても、へこたれず突き進んできたが、さすがに今日だけはもっと優しくして欲しいと願う。

 他の生徒たちと違い、桐生はもう容易に玄に会うことが叶わなくなるのだから。

 祖父の一声で、桐生は内部進学をせず留学することになったのだ。これから世界で戦うための経営ノウハウ獲得と人脈づくりのための留学だ。もう簡単には帰っては来られない。

 だから何としても尻切れトンボのような別れ方はしたくなかった。

 なんとか希望を持って留学したい、それが桐生の願いだ。

「君ともう少し一緒にいたくてね……しばらく会えなくなるから」

「そういえば、先輩は留学されるんでしたね。うっかり生水を飲まないよう気を付けてください」

 取り付く島もない。

「……五年もの時間、君と一緒に過ごしたんだ。最後に思い出をくれないか?」

「先輩、正確には三年半です。勝手に鯖を読まないでください」

 何もそこまで厳密にいうことはないだろう……桐生は思わず肩を落とした。だが一向にこちらを見ようとしない玄に苛立ちすら込みあがってくる。

 どうしてここまで他者に興味を抱かないのだ。自分は玄を通して世界を見始めたのに、当人は世界を見ているようで何も見ないでいる。彼のために変わった桐生の姿すらも。

「すみません、新入生歓迎の原稿を完成させなければならないので、邪魔をしないでくれますか?」

 桐生の対応をしながらもずっと視線をパソコンに向けているのは在校生祝辞の原稿作成らしい。リズミカルにキーボードを叩きながら読み返すことも手が止まることもない。迷いのないタッチでどんどんと文章が書きあがっていく。

 嘆息し、桐生は玄の隣に腰を下ろし、作業が終わるのを待った。

 真剣にパソコンを見つめる横顔を眺めた。

 そういえばこんな風にゆっくりと玄の顔を見ることはなかった気がした。いつも忙しなく動き回る彼に声をかける隙すらなく、これほどまでに落ち着いて二人でいることなどなかった。

 いつも誰かしら……生徒会のメンバーが一緒にいて、玄と二人きりになるのは滅多にないことだ。

(ここで押し倒してしまいたいくらいに美しいな)

 男臭さがない綺麗な顔だ。

 清潔感第一にと流行などまったく取り入れないいかにも優等生然とした髪型なのに、細い黒縁の眼鏡と切れ長な目が色っぽさを感じさせる。こちらを全く見ようとしないなら、逆に桐生はじっくりと脳裏に焼き付くほど眺めてやろうと、静かに頬杖をついてただ眺めた。

 すっと通った鼻筋。薄からず厚がらずのバランスのいい唇。少しだけ横に広がった耳と小さく膨れた耳たぶ。このすべてを舐め上げたらどんな声を出すのだろう。甘く啼くのだろうか、それとも驚きの悲鳴だろうか。

 試してみたい欲求を抑えつけながら彼の仕事が終わるのを待ち続けた。

(こうやって静かに玄を観察するのは初めてだ)

 同時に、これほど自分も落ち着いた気持で彼の側にいるのも。

 いつもやかましいほどに押し寄せてくる仕事をこなして忙しなかったからだ。だがそれがなければ玄は自分の隣に座ってはくれない。だから桐生も必死になって最高の結果を導き出し、彼の関心を引くのに躍起になった。

 すべてが終わり彼との接点をなくしてしまった今、どうしてか焦る気持ちよりも穏やかな感情になる。

 なぜだろう。

 こんなに穏やかになったのは初めてだ。

 ただ玄の顔を見ているだけなのに、ただ隣に座っているだけなのに、心の中が温かくなる。

 見つめているものはまるで怜悧な刃物のようなのに。ちらりともこちらを見ようともしない眼鏡越しの瞳をずっと見つめるだけで、どうしようもなく穏やかで温かな気持ちになる。自分の中にそんな感情があることすら驚きだ。相手が玄だからかそれとも、自分が大人になったからか……。

(大人という年でもまだないか)

 やはり玄だから、なのだろう。彼を見ているだけでとても幸せな気持ちになり胸の奥が温かくなっていく。こんな気持ちにさせてくれる人間を彼以外知らない。

(やはり、綺麗だ……)

 性別やバースを抜きにしても、これほどまでに澄んだ氷のように美しい人間が存在するのだと想像もしなかった。触れたら凍り付いてしまいそうで近づけない。だが触れてみたい、この手で溶かしてみたい、そんな衝動に駆られる。

 細く綺麗な指が休むことなくキーボードをタイプしていく。この指を握ったならどんな反応をするだろうか。紅くなるだろうか、それともいつものような冷徹な視線が注がれるだけなのだろうか。それとも、自分のまったく知らない顔を見せてくれるのか……。

 試してみたい衝動を頭から押さえつけていく。

 まだ時期尚早だ。

 やっと彼の視界に入っても、それ以上の感情が感じられない。好意も敬意も親愛の情すらも感じ取れない。

(玄ともっと親しくなるしかないか……)

 そのために頑張ってきたのに、玄との距離がやっと一ミリ縮まったくらいだろうか。もっと彼の中で大きな存在になりたいのに、それが叶わないもどかしさを抱きつつ、これで終わりにはさせないと心に誓う。

 たかだか卒業したくらいで彼の存在に諦めをつけることができない。

(そういえば初めて会った時に言っていたな……20年か……)

 20年、彼に固執しつづけたなら自分をその心のうちに受け入れてくれるだろうか。

(それもありだな)

「で、なんの用ですか?」

 打ち終わった内容を再確認しながらちらりとこちらを見る玄の視線が妙に色っぽい。

 こんなにも流し目が美しい人間がいるだろうか。

「いや……連絡先を交換しようと思って」

「なぜです?」

 想像通りの回答だ。玄なら無用なことはしないと分かっていて、でもどうしても彼の連絡先を得たくて必死に理由を考えたのだ。

「同窓会などがあった時用だ」

「それは同級生の誰かとしてください。私は学年が違うでしょう」

「信用のおけない相手に渡すことはできない。それに、一番長くいたのはこの生徒会だから」

「……それもそうですね。分かりました」

 弦は近くにあった紙を手にするとすらすらとペンを走らせた。

 性格と相まって几帳面で美しい字だ。

「携帯のアドレスです。いつ変更するかわかりませんが」

「変更したらすぐに知らせてくれ。私のアドレスを知るのは君だけになるのだから」

「そうなんですか? 面倒ですね」

 玄のアドレスを記載した紙を本人が引き寄せる前にしっかりと握りしめ、大事に折りたたみ制服のポケットにしまい込む。

(やった、これでなんとか繋がりは持てたぞ)

 むしろ彼の直筆のものなどなかなか入手できない。

(これは家宝だ。一生大事に額に飾ろう)

「あとでメールを送るよ。それでは玄、元気で」

「先輩も。留学先で羽目を外し過ぎて変な病気をもらわないようにしてください」

「……最後の挨拶はそれとはひどくないか?」

「なぜですか? 先輩なら可能性高いでしょう。まぁ私には関係ありませんが」

 どこまでも冷徹な返しに、だが桐生ももう慣れた。そして知っている、彼が優しくするのがこの世界でただ一人であることを。

 家の中で大事に大事に育てられた弟の存在をひた隠しにしているようだが、調査会社に容易に頼めるこの社会で隠し事など難しい。まだ小学生になったばかりの弟をこよなく愛し、この学校の誰にも見せたことのないような蕩ける笑顔を向けているのを知っている。

(いつかそれが私に向けてくれることを願っているよ)

 願いというよりも祈りだろう。

(よーし、毎日メールをするぞ……いや、玄の性格だ毎日だと面倒になって迷惑メールに振り分けかねない。月一か……それとも季節の変わり目くらいにしよう……)

 生存連絡ぐらいなら許されるだろうかと、頻度の調整をしながら、今にもスキップしそうな気持のまま生徒会室を後にした。

 これを何年も何年もかけ、本当に少しずつ距離を縮める桐生の気持ちを、当然玄はなにも知らないでただただ愛する末弟の事だけに10代から20代を捧げるのだった。
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