人魚奇譚CLARISSA

大秦頼太

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SIRENA

第一場

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●第一場●
   海の底。クラリッサが眠っている。
   側にはかがやく小さな卵(球体)が転がっている。

イザベラ  ヨハン……。

   イザベラが離れたところで見ている。

イザベラ  お前が死んでこの子は人魚になった。それなのにこの子はお前を忘れてしまった。あたしだけがお前を覚えている。なぜかって? あたしがお前の母親だからさ。いくら海の神が偉大でも、元々人魚だったあたしの記憶は奪えなかったんだよ。いや、奪わなかっただけかもしれないけどね。

イザベラ  人間になりたがったあたしはここを抜け出し、魔女の力を借りて人の姿になりお前の父ハンクと出会った。

イザベラ  クラリッサ、お前の両親もいたよ。

イザベラ  あんなに優しくて善良な人間がいるなんてここにいる時は思わなかった。人間なんて奪うだけの厄介な生き物だって教えられていたからね。

イザベラ  あたしは、あたしたちは幸せだった。でもねヨハン。他人の幸せを妬むやつはここにも陸にも五万といるのさ。ハンクは腕のいい漁師だったけど心臓の病だった。

イザベラ  あたしが捕まってここに連れ戻された後、ハンクも病気で死んだらお前は一人ぼっちになってしまう。生まれたばかりのお前が女の子だったらここへ連れてくることも出来たけど男の子だったからここにつれてきたら人魚の餌にされちまう。だから薬を取りに戻ったのさ。

イザベラ  人魚の持つ永遠の若さと引き換えに、あたしは薬を手に入れた。でも陸には戻れなかった。仲間に見つかり牢へ閉じ込められていたからね。十五年もの間ね。長かったよ……。外に出られた後すぐにハンクの死を知った。薬は間に合わなかったのさ。せめて大きくなったお前をひと目見たいとあたしはまたここを抜け出した。苦しんでいるお前を見てなんとか力になりたいと思った。でも、母親だとは名乗れなかった。こんな婆さんが母親なんて嫌だろ?

イザベラ  いいや、本当はなんで捨てたんだとお前に責められたくなかったんだ。あたしはクラリッサさえ側にいなければお前はあの家を離れていくだろうと思った。でも、そうじゃなかった。

イザベラ  お前とクラリッサはもう家族同然だった。幼い頃にいなくなった母親なんて必要なかったのさ。

イザベラ  そうさ。やるべきことはわかっている。あたしが憎むべき相手はアルモンドの男どもだ。アルモンド家の連中、使用人に至るまで一人残らず海に引きずり込んでやるよ。

   クラリッサが目を覚ます。泣きつかれて眠っていたようである。

クラリッサ 悲しい。とても悲しい。どうしてこんなに悲しいんだろう。理由もわからないのに、なんでこんなに悲しいんだろう? 楽しく生きていたいのに。

   クラリッサ、かがやく小さな卵(球体)に気がつく。

クラリッサ なにかしら? キレイな球。

   クラリッサ、卵に手を伸ばす。イザベラが制止する。

イザベラ  それに触るんじゃないよ!

クラリッサ 誰?
イザベラ  あたしはイザベラ、それはあたしの子供のヨハンよ。
クラリッサ ヨハン……。男の子ね? まだ卵なのね。私はクラリッサよ。よろしくね。
イザベラ  やっぱりヨハンのことも忘れてしまったのね。そうだよ、男の子さ。
クラリッサ ヨハン……。いい名前ね。優しい感じがするわ。
イザベラ  そりゃあどうも。
クラリッサ イザベラはどうして怒っているの?
イザベラ  怒ってなんか無いわよ。こういう喋り方なのよ。
クラリッサ そう。
イザベラ  起きたならさっさとここを出ていくんだね。
クラリッサ どこに行けばいいの?
イザベラ  好きなところに行けばいいさ。お前は自由なんだから。
クラリッサ イザベラ、やっぱり怒ってない?
イザベラ  しつこいね! 怒ってないって言ってるだろ!

   イザベラの剣幕に驚き恐れをなして逃げるクラリッサ。
   それには構わずヨハンを愛おしそうに見守るイザベラ。

 
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