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森影の復讐者
ツァンデルの殺人鬼 21~了
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21
大家に頼み込んでみたがマーロンの部屋に入ることは出来なかった。部屋の中になにか証拠でもあれば確実だったが、人間の社会もルールを重んじることがあるようだった。
マーロンを取り逃がしてしまったことが痛かった。奴を捕まえることが出来ていればこの事件は解決したことだろう。ただ、一つわかったことがある。それはここ数日の尾行は木人狩りの残党によるものだったわけだ。あの連中の中でも特に上手い奴がいることを考えると油断は出来ないかもしれない。
病院へ戻る道を歩きながら後方に意識を配り尾行を探ってみる。今は気配がしないが恐らく今日も付けてきているはずだ。人通りが多い道を歩けば無闇矢鱈に襲ってくることは出来ないだろう。
アルバンの言うようにマーロンは誰かに売るために内蔵を切り取ったのだろうか。なにか変な気がする。マーロンは下宿先に戻ってきた。自分に疑いが向いていないと考えていたのだろうか。一瞬しか見えなかったが、特に何かを持っている様子もなかった。取引が成立した後だったのだろうか。いや、大金を持っている風でもなかった。彼は無関係か? 違う。それなら逃げたりはしないはず。事件には関わっているはずだ。しまった。下宿先で張っていれば戻ってきたかもしれない。
足を止めて振り返る。もう遅いか。ため息を付く。私はどうしてこうなんだろう。もっと考えて行動をしなければならない。再び歩き出し病院を目指す。
病院に戻るとアルバンが待っていた。
「待っていたぞ、ヤーナくん」
アルバンが言うには商人たちが自警団の結成を決定したという。これからは自警団が捜査をすることになり、マーロンの行方を探すそうだ。トリスへの疑いもアルバンが話して誤解を解いたそうである。それから、
「五人目の被害者なのだが、両親が遠方から遺体を引き取りに来るそうでな。しかし、季節が季節なだけに腐敗が進みそうなんだ。地下の安置所に置いてはいるがあそこでもそうは保つまい。こういう時は乾燥遺体の方が良いな。いや、不謹慎だった。それでな、森人は水を出す魔法が使えるそうだが、氷を出すことは出来ないものか?」
などと言う。
確かに森人の戦士は水を生む魔法を覚えている。しかし、氷となると話が変わってくる。森人は寒さに強い方ではない。それだけに氷を作るという発想はなかった。
「難しいと思う」
そう断るとアルバンはとても残念がる。
「ワシも少し魔法を勉強してみるかな。いや、今からではとても間に合わんが、そのうち役に立つ日が来るかもしれん」
「医者が魔法を使うのか?」
「なんの。人の役に立つなら何でも使うのが医者というものだ」
「先生は立派な人だな」
「なんのなんの」
アルバンが笑った。それで、少し思うことがあった。
「建物に水を流せば熱が奪えるかもしれないな」
「確かに。だが、結構な量が必要になるな。それに湿気が増えそうだ」
「実効性は低い、か」
「そうなるのぉ」
「先生、俺もうここを出てもいいんだろ?」
奥からトリスがやってきた。ネ・ヤーナを見て少し身構える。
「二人で何してるんだ?」
「犠牲者の親が来るまで遺体を冷やしておきたいって話をしていたんだ」
「冷やすか。残念、乾かすならやり方を知ってるけど」
「ほう」アルバンが興味を持った。「どうやるんだ?」
「砂を使うんだよ。特殊なね」
トリスは得意げに話し始めるが、途中でネ・ヤーナの視線に気がついて黙り込んだ。
「砂か。いや、砂まみれというわけにもいかんしな。もう少し考えてみるか」
そう言いながらネ・ヤーナたちの前から去っていった。
「おい、先生」トリスがアルバンに呼びかけるも振り返りもせずに行ってしまう。
「まったく……」
「行くのか?」
「まあね。ここにいるとあんたのこと憎めなくなっちまいそうだしな。あんたは一応、親父の仇だし」
「そうだな」
「バリーをやっつけたらあんたの番ってことで」
「わかった」
「まぁ、まだいるからよ」
そう言ってトリスは病院の奥へ向かっていった。
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「大体のことはわかった。あとは我々に任せておけ」
ネ・ヤーナは病院にやってきた自警団の男と話をした。自警団の男は二人組で一人は一切話さずもう一人の世話をしている。話をする男は上着が赤服で世話をする男の上着は青服だった。赤服の男は椅子に座りネ・ヤーナに様々な質問をする一方、青服の男は赤服の男の後ろに直立で立っていた。
髪を染めている理由にも一応の理解を示してくれたようだった。
しばらくすると別の自警団の二人組がやってきて、ネ・ヤーナに似たようなことを聞いて去っていく。そうしてしばらくすると別の二人組がまたやってくるというそんな奇妙な何度も訪問を受け続けた。どうやら情報を共有するというものがない組織らしい。
「これでは今日は何もできないな」
病院に足止めされたネ・ヤーナは不機嫌そうな声を出した。
彼らが帰るとアルバンが自警団の成り立ちも話してくれた。
自警団は西居住区の商人たちが資金を出して結成したもので、前回は木人狩りの残党の追い出しを目的に集められたそうだ。残党の完全な排除には成功しなかったものの一応の効果が見られたため自警団は解散された。商人たちは自警団が軍事組織化することを恐れているようで、その構成員も各商人たちの個人的な護衛だという。西地区の商人たちがそれぞれ二名ずつ送り出し、赤服と青服の二人で行動する。自警団の構成員同士のつながりは薄く成果主義のようでどのチームがマーロンを捕らえることが出来るか競っているようである。
「ここには護衛の兵はいないのか?」
ネ・ヤーナの問にアルバンは別の角度で説明してくれた。
「商人がそれぞれ抱えている護衛はいるが、町を守る軍隊のようなものはおらんな」
「なぜ?」
「軍隊というのは生産性のない組織だ。これを養うのに非常に経費がかかる。商人たちは利に聡いから、金がかかることも軍隊を置かない理由の一つだろう。しかし、連続殺人の件もあり、この町の治安が良くないということになれば旅の商人に敬遠される。そうなると商品の売買にも支障が出る。そこで、事件が解決しそうな頃合いを見計らって自警団を組織したというわけだな」
「それはあまりにもずるくないか?」
「商人連中の頭の中は金稼ぎしか無いからな。一番安く済む方法を考えるのだろう」
「そもそも常駐の軍を持たないで安全なのか」
「それは大丈夫だ。この町に攻め込んでくる者がおらんからな。北にはお前さんたち森人がおるだろ。東や南東方面は荒れ地で化け物が出る上に土地が貧しすぎて誰も得ようとはせん。東の先に赤の国などという国があるそうだが、小国でわざわざ荒れ地を通って来られるほどの国力もないと聞く。ザボーズやカタリナが海から侵略でもされればここでもようやく軍隊が編成されるかもしれんが、そんなこともないだろう。まぁ、一番の理由は町を軍隊に奪われる危険があると考えとることだろうな」
「軍隊が町を奪う?」
「軍隊には暴力的な側面もある。商人たちはその暴力で自分たちの富を奪われることを恐れているわけだ。自警団が横のつながりを強め、その中から優秀な指導者が出てくれば商人たちの脅威になる。だが、今のようにそれぞれが護衛を持っているだけなら町を奪われることもない。もし、誰かが護衛を増やせば他の商人連中がまとまってそれに対抗をするわけだ」
「人間というのは良くわからないものだな」
「なに単純な生き物だよ」
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トリスが病院を去って数日が過ぎた。八月はボーリアの月。一年で一番暑さを感じる季節だ。
広間の病室を掃除してベッドを整える。マーロンはまだ捕まっていない。自警団にマーロンが捕まるのを見届けてから森へ帰ろうと思ったが、そんな気配がなく日にちだけが過ぎていった。弓の入った袋だけを背中に担いで出かける毎日だ。町の中をぶらつき、下手な尾行を捕まえたり、残党を路地に転がしたりもしたが、得体のしれない尾行はまだ続いていた。この尾行はかなり手強く、こちらが正体を突き止めようと逃げ場のない路地に誘い込もうとするとそこで尾行をやめてしまう。
五人目の被害者は家族に引き渡された。簡素な棺は荷馬車に乗せられて町を去っていく。
地下の安置所から遺体を運び出すためにモラリスが呼ばれていた。病院の中に戻りかけると、モラリスが話しかけてきた。
「やぁ、元気だったかい」
実に久しぶりだった。正直、忘れかけていた。
「特にやることがなくて体が鈍ってしまった」
「それならうちに遊びに来るといい」
「あまり強そうには見えないが?」
「俺は話す専門。戦うのは得意じゃない」
モラリスは両手を見せて降参というようなポーズを取る。
「そろそろ森に帰ろうと思う」
「そう。それはちょっと残念だな」
「そうだな」
モラリスは不思議な人間だ。話をしているともう少し話をしたくなる。声の響きが心地よいのだろうか。
「君に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの? なんだ?」
「今言ったら、来ないだろ」
「確かにそうだな」
妙に興味が湧いた。何を見せる気なのか。
「武器は持ってこなくていいよ」
「そういうわけにも行かないだろう」
「君は強いから大丈夫さ。いいね?」
「……わかった」
「なにか食べたいものがあったら言ってくれ」
「水だけでいい」
「わかった。じゃあ、後で迎えに来るよ」
「ああ」
モラリスが病院を去っていくのを見送った。その姿が見えなくなるとネ・ヤーナは病院の中に戻る。扉を閉じて首を傾げる。
「私は何をやっているんだ?」
マーロンのことを自警団任せにしたせいでやるべきことを見失い、浮ついた気持ちになっている自分を恥ずかしく思った。
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ほとんどの荷物は置いたが、やはり弓の入った袋だけは背負う。服は町で買ったものしか無い。新しいものを買おうかとも思ったが、手持ちがあるわけでもなくやめることにした。無骨な髪飾りも置いていく。武器を一切持たずに外に出るというのは新鮮な感じがした。背中の弓は弦がないので一本の棒でしか無い。これを武器にする気はない。だから武器ではない。あまり気乗りはしないが、行くと言ってしまった以上は行くしか無いだろう。
病院を出た所で待っているとモラリスが来て背中の弓の入った袋を見る。
「えっと……」
「これは武器じゃない。大事なものだ」
「いいよ。大丈夫」
モラリスと並んで話しながら北の居住区に向かう。話しているうちに気分が軽くなった。彼の声は本当に心地よく響いてくる。
元オラックの家は十年前に来た時ほどの暗さがなかった。それは窓が修復されただけではない。新しい住人が住み部屋の中の空気を入れ替えることで館自体が呼吸をして住まいも蘇ったのだ。
扉が開き玄関から中が見えるとそこもまた以前のような暗さはなく、華やかさこそなかったが湿ったかび臭さはもう一切感じなかった。あの死臭も。ここはもう別の家になったのだ。背中の長い堤の上から弓の端を左手が握り込む。
「こっちへ」
玄関ホールから右手に向かう。そこには長いテーブルが置かれていた。椅子も左右七脚ずつあった。
部屋に入った瞬間、寒気が走った。眼の前に暗闇が通り過ぎ明るい部屋を塗り替えてくる。天井から吊るされた鎖とフックに自分に似た森人が吊るされている。その目がこちらを恨めしそうに見下ろしている。小さく開いた唇は何かを言っているが何も聞こえない。
「ラーナ」
両手をネ・ラーナに伸ばした瞬間、幻は消えて部屋は明るく戻りシャンデリアがそこにあるだけだった。テーブルに体がぶつかる。その音に気がついてモラリスがネ・ヤーナを見る。
「どうかした?」
ネ・ヤーナは振り返り館を出ていく。モラリスが追いかけて来てネ・ヤーナの手を掴んだ。
「すまない無理だ」
ネ・ヤーナはモラリスの手をゆっくりとほどいていく。
「どうして?」
「妹がこの家の中で殺されたんだ」
ネ・ヤーナはモラリスに背中を向けて歩き出した。
帰り道、人気のない路地で木人狩りの残党たちに囲まれた。数は五人だった。
「今日はやめておけ、手加減が出来そうにない」
そう言って横を通り抜けようとしたが、残党たちは何度も路地の上を転がっているせいで今日も転がる選択をした。じりりとネ・ヤーナを取り囲む。その手にはナタや斧、棍棒が握られている。いつもであれば軽く退して終わるのだが、しかし、今日のネ・ヤーナは制動が効かなかった。
振り下ろされる斧を後ろに避け同時に左手で掴むと右掌を打ち込んで関節を逆に折った。そのまま残党の一人を路地に投げ捨てる。一瞬怯んだ相手の中から棍棒を持った男を選んで膝、肩、頭と駆け上がり宙で回転して、男たちの後ろに回り込んだ。振り返った残党たちは眼の前から木人が消えたことで、逃げたのだろうと安堵した。が、それは違った。
足元から黒い影が滑り込んできて残党の一人の喉を拳が突く。背中を蹴って、次の残党の側頭部を蹴り壁に頭を激突させる。ナタをふるった残党の膝を横から蹴って体勢が崩れた男の脇腹に左の拳をめり込ませる。
壁を背に迫りくるネ・ヤーナに怯える木人狩りの残党。ジリジリと寄ってくるネ・ヤーナに恐ろしくなり悲鳴を上げる。するとそこに自警団の二人組がやってくる。
「貴様! 何をやっているか!」
残党たちが捕まるのかと思いきや、自警団の二人はネ・ヤーナに武器と敵意を向けるのだった。
「先に手を出してきたのはコイツラの方だ」
「黙れ! 本部に連れていけ」
赤服が青服に命令をすると、青服がネ・ヤーナの後ろに回り込む。
「私の話を聞け!」
「黙れと言ったぞ」
自警団はネ・ヤーナを商館に連れて行った。そこは今、自警団の詰め所として使われている。忙しそうに使用人たちが歩き回っている。玄関ホールから階段を登り、二階の一室に閉じ込められる。
「襲われたのは私なんだが?」
返事はなかった。背中の弓の入った袋も奪われてしまった。抗議はしたが返事はなかった。もし、私から弓を奪うつもりなら、こちらにも考えがあるが、今は様子を見ることにした。しかし、木人狩りの残党は五人だったのだから被害者はこちらであるとすぐわかるはずなのに自警団の連中は木人狩りの残党の味方をする。そこが納得できないところだった。ふとアルバンの言葉を思い出す。自警団はマーロンを捕まえることで競争をしている。そこに自分が入り込んでいると思ったのだろう。私の行動のいちいちが彼らにとっては邪魔なのだ。
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しばらくすると別の自警団の二人組が入ってきた。青服が弓の入った袋を持っている。
「我々に任せるようにと言ったはずだが?」
赤服が言った。
「友人にあった帰りに襲われただけだ」
「それにしてはやりすぎたな。三人が死んだそうだ」
「そうか。殺すつもりはなかったが」
「流れ者の処分は我々も手を焼いていたところだ。連中の件は特に罪に問われることはないだろうが、あなたには数日中に町からの退去命令が出るだろう」
「……わかった」
殺人者がわかった以上はもうここにいる理由はないだろう。森へ帰ろう。
「病院で待機しているんだな。外出はしないように」
赤服が青服を促すと青服がネ・ヤーナに弓の入った袋を渡す。袋を解いて中を確認する。そして安堵のため息を付く。
二人組に連れられて商館をあとにすると、すっかり外は暗くなっていた。町の灯りは落ち、市場も店じまいをして広場にももう人影もない。このまま病院に帰ってもすでに戸締まりをした後で迷惑になるだけだろう。しばらく広場で待っていれば朝がやってくる。今は夜風に辺り気を静めることも必要だ。
広場を歩き、空を見上げる。空には星が輝いている。十曜は大きな星だ。夜空に輝く小さな星は十曜に仕えた英雄たちだ。この世界は大きな箱の中にある。私たちの足元、地の奥底には無限の闇が広がっていると言われている。人が人生をかけて地に穴を掘っても底に辿り着くことは出来ない。この世界が本当に箱の中にあるのか、地の底に闇が広がっているのか。それは誰も知ることがない話だ。
広場を横切る人影が見えた。人影は立ち止まり、こちらを見つけたようだった。ゆっくりと近づいてくる。緊張が走り身構える。
人影は手になにか握っていた。それは、酒瓶のようだった。
「ヤーナ」
近づいてきたのはモラリスだった。
「西の居住区に用事があってね。これから帰るところだったんだ。君はどうしてこんな所に?」
「流れ者に絡まれて、反撃したらやりすぎた」
「そうか」
モラリスは笑った。
「笑い事ではない。町を追い出されることになったんだ」
「大丈夫さ。すぐに入ってこられるようになるよ」
「それはいい加減すぎるだろう」
「人間はいい加減なんだよ」
「そうか」
いつの間にか広場の真ん中に立っていた。どちらからともなく座り込み、やがて二人でそこに寝転がり星空を見上げた。背中の弓の入った袋もいつの間にか広場に寝そべっていた。
「夜の神ベルベリアは眠れぬ者の神。光の中で生きられぬ者の神。この世で一番優しい神だ。月を持たず、戦いで倒れた英雄たちに今もなお輝く場所を与えている」
モラリスのつぶやきが心地よかった。彼を見ると傍らに置かれた酒瓶に目が行った。モラリスもそれに気が付いたようだ。
「君も飲むかい」
「いや、私は……」
モラリスは体を起こした。つられてネ・ヤーナも体を起こす。
「待ってて」
モラリスは素早く立ち上がると広場の隅にかけていった。しばらくするとマグを二つ持って帰って来る。
「知り合いの酒場から持ってきたんだ。朝までに戻しておけばいいさ」
そう言うと酒瓶の封を開いてマグに注ぐ。そしてその一つをネ・ヤーナに差し出した。
「本当は家で一人で飲むつもりだったんだけどね」
マグの中に星が浮かぶ。赤ワインだろうか。
「やっぱり君がいてくれて嬉しい」
モラリスが言った言葉が耳に響くと、その瞳に帰す言葉がなくなってマグをあおるしかなかった。香りは悪くなかった。微かな渋みを感じた。体中に広がる微かなしびれが間隔を鈍くさせる。体内を駆け巡る熱さが、頭をくらくらさせる。ふわりと世界が浮かび上がるような間隔がして、眼の前が白くなっていく。どうやら思っていた以上に強い酒だったようだ。
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「だから、そのおかげで君は新しい趣味を手に入れたじゃないか。俺の作品制作に手を貸してくれたって良いはずだろ?」
「お前があの女に入れ込んでるせいで俺が一人でやるしかなかっただけだ」
男が二人話しをしているのが聞こえた。ネ・ヤーナは目を開こうとしたが体は上手く動かせない。
「俺にはお前の魔法は効かない。言うことを聞かせようたって無理だぜ」
「知っているよ。そういう話じゃない。君が焦って仕事をしたから俺等に疑いがかかったんだぞ? それに俺がいなかったら君はもう捕まっていたんだ」
一人はモラリスか。
「そいつはどうもありがとよ。お前の魔法があってよかったよ。だが、金が必要だった。すぐにでもな。先生が買ってくれなかったら俺はお終いだったんだ。お前みたいに金持ちの相手をしてればいいわけじゃないからな」
もう一人は、マーロンだった。
「俺だって、好きで金持ちの相手をしてるわけじゃない。誰があんなことを……」
ようやく目を開くと、どうやらモラリスの館の中のようだった。手と足を拘束されて椅子に座らされていた。体が上手く動かなかったのはこのせいだった。
「驚いた。まだ起きるまで時間がかかると思っていたよ」
モラリスがゆっくりと近づいてくる。モラリスがネ・ヤーナの髪を撫でる。深い緑の髪に戻っていた。
「俺がいてよかっただろ」とマーロン。
「確かに。この髪は本当に美しいよ」
「どういうことだ」
ネ・ヤーナは声を絞り出す。
「どういうことって、なぁ?」
マーロンがモラリスを見る。モラリスは嬉しそうに微笑んだ。
「ヤーナ、君は俺のものになるんだ」
ネ・ヤーナは暴れてみるが椅子から落ちただけで終わった。床の上でもがくとマーロンがネ・ヤーナを引き上げて椅子に座らせる。
「想像以上にきれいな髪でびっくりしたぜ。お前たちって皆こうなのか? ただもっと手入れをしたほうが良い。でもまぁ、もう無理か」
マーロンがネ・ヤーナの髪に触れる。
「ヤーナ、なかなか俺の手の中に入らないから苦労したんだよ」
モラリスがマーロンと入れ替わるように近づいてきて後ろに回り込みネ・ヤーナの首に紐をかける。そしてそれに力を込めてネ・ヤーナの首を絞める。しかし、ネ・ヤーナが苦しまないのを見て思い出したように顔を上げる。
「そうか、君は森人だったね。あの人から聞いていたのに忘れていたよ」
「モラリス、やめるんだ。お前はマーロンに騙されているんだ」
ネ・ヤーナの言葉をマーロンが笑い飛ばす。
「すげえすげえ、お前の魔法は本物だな」
「魔法? 何を言っている」
ネ・ヤーナはマーロンとモラリスを見る。
「ヤーナ、俺には不思議な力があるんだ。他人を魅了する力があるんだよ。男も女も抵抗力がなければ、皆が俺に好意的になる」
モラリスの説明にマーロンが合いの手を入れる。
「で、俺には抵抗力があるってわけだ」
「君が、俺に好意を持つその気持ちは嘘っぱちだってことさ。全部が嘘なんだよ。お前たちは俺に興味がないくせに調子の良いことばかり言って、俺を消費するんだ。俺はな、マーロンみたいにこの力に抵抗することが出来る奴しか信用しない。何故か分かるか? 彼には嘘がないからだ。俺が何を言っても俺の思い通りにならない。ヤーナ、君も惜しかったんだ。君なら俺の力に対抗できるかもって思った。でも、違った。君も他の連中と変わらなかった。そうだろ? 俺を忘れたろ?」
ネ・ヤーナは考える。モラリスに対する好意は本当の気持ちだと思っている。だが、言われてみれば彼のことをずっと想うことはなかった。会いに来るまで思い出すこともなかったように思う。
「それは本当のことか?」
「あぁ、この力は直接会っている時に積み重ねることで効果を増すんだ。だから、日を空けたりすると一からやり直しになるんだよ。不自然に会いに行けば警戒心を生む。警戒心はこの魔法の効果を鈍らせる。それがなかなか面倒で、使いこなすまでに大分時間がかかった。この性質がわかれば、それほど難しくはなかったけどね」
「お前たちは何なんだ」
ネ・ヤーナの問いにマーロンが即答する。
「もう知ってんだろ? 俺達が女たちを殺してる殺人者だ。こいつと俺の共同作業さ」
「なんでそんなことをする」
モラリスとマーロンが顔を見合わせて笑い、徐々にその声を大きくする。
「知らないよ、そんなこと」
「理由なんかあるかよ。楽しいからやってるんだよ」
「俺はあの人みたいになりたい」
モラリスが虚ろな目で呟く。
「あの人?」
「この館の前の持ち主さ、いずれは彼がこの町の支配者になる。彼はすごいんだ。ライバルを中毒にさせて、全てが大きな計画の中にあるみたいで……」
「おい、戻ってこい」
「あ、ああ……」
マーロンが制止するとモラリスは黙った。
「こんな腐った町なんてどうなったっていいだろ」
「殺された娘たちにはなんの罪もなかったはずだ」
ネ・ヤーナの言葉にマーロンが大爆笑する。
「冗談だろ? こっちが親切で髪を切ってやれば、気に入らないからもっと可愛くしろとか元に戻せとか、こんなんじゃダメだとか腕が悪いとか散々俺を罵倒するような奴らに罪が無いだって? 笑わせんな。どいつもこいつも中身は町中をうろついてるドブネズミと一緒だぜ。あいつらは死んで乾燥して初めて美しくなった。余計なことを言わなくなったからっていうのもあるけどな」
「なんて理由で仲間を殺すんだ」
「仲間じゃないさ。同じ人間なだけで彼女たちと僕らはまるで違うんだ。それに今は彼女たちは感謝しているよ。永遠にきれいな姿で墓に入るのだからね。それが彼女たちの唯一の望みだったんだから」
モラリスが言うとマーロンが横から顔を出す。
「まぁ、俺のは違うけどな。あの女どもの中身がどこかの金持ちの中で今も生きてるならそれはそれで人助けになるわけだし、良いことをしてるんだよ」
「お前たちが何を考えているのかわからない」
「そりゃそうだ」
「君は僕らと違うからね」
「そう。こいつは森人なんだろ」
マーロンが机の上からナイフを手に取る。
「で、どうする? 切るか? こいつは人間じゃないんだろ? 中身も一緒なのか?」
「人間のような臓器はないみたいだ」
「じゃあ、首か?」
「傷は残したくない。作品に傷があるのは美しくない。彼女を最高傑作にしたいんだ。あの人が言うには木人狩りはこのまま乾燥させるって話だから、そのままでも良いはずだ」
「わかった。じゃあ、早速始めるか」
「そうしよう」
二人はネ・ヤーナの手足を持つ。暴れてマーロンを蹴り飛ばすと、起き上がったマーロンが近くの机から小さな瓶を取り、蓋を開けてネ・ヤーナの口に入れる。苦い液体が口の中に入り込み、痺れがくるとネ・ヤーナは意識を失った。
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激しい喉の渇きで目が覚める。体中に鈍い重みを感じる。手足は今も縛られたままだった。息苦しく体にもまだ痺れを感じる。圧迫される体を縮こめると周囲の土か小石が動くのを感じた。体に触れる粒は小さくない。小石かそれより少し小さいくらいだ。粒や顔や肌にくっついてくる。ゆっくりと動けば粒をかき分けられそうだったが、手足が不自由なので想うようには行かなかった。何よりも渇きのせいで集中力が保てない。恐怖に叫びだしそうだった。それでもようやく両手を口の前に持ってくることができた。
祈れ。水を呼び込め。
魔法によって集められた水が口の中に広がる。そのおかげで余裕が生まれる。口の中に入った小石は軽く舌にへばりついてくる。どうやらこの小石のようなものが水気を奪うようだった。吐き出して顔の周りにスペースを作る。小石が流れ込んでくるが水分を吸ったところは固まった。もう一度魔法を使って水を生み出す。手の中に集まった水は口の中に流れ込んでくる。顔の前に少しだけ空間ができた。拳一つにも満たない小さな隙間だ。
目を開いても何も見えない。
光を。
魔法で生み出された光が目の前に生まれる。活力を取り戻していく。周りには小石が積み重なっている。恐らくこの小石が乾きを生むのだろう。少しだけ手を引き上げると手首を縛っている革紐が見えた。何度もそれに噛みついてようやく噛みちぎる。
足も同じなのだろうがこの状態ではどうにもならない。しかし、水と光を補充したことで余裕は生まれた。周囲の音に耳をすます。小石が動く以外に何も聞こえない。
魔法も無限ではない。喉の乾く間隔からすると先に魔力が尽きるだろう。そうなると絶望的だった。まず渇きで何も出来なくなるだろう。今は体の痺れは和らいでいた。まずはこれを消す。そして、小石を押しのけながら徐々に浮上し、外の状況を確認する。無人の状況を確認できたら外に這い出て足の拘束を解く。小石の中から出た時にあの二人が一緒にいるとしたらまだ不利だ。一人ならギリギリ制圧できるかもしれないが、モラリスの魔法というのが本当なら厄介だ。彼を攻撃できるかわからない。今は厄介な敵だと感じている。どう倒すかを考える事ができる。それにしても静かだ。
二度光を浴び、四度水を補充してようやく小石の中から這い出る。暗くひんやりとした部屋の中にいた。手で土をかき分けて足を掘り出すと足を縛っていた革紐を解きにかかる。結び目が硬く切る以外に方法がないようだった。手近に刃物があればいいがそうそう都合良く見つかるはずもない。ましてやこの暗がりである。自分の位置すら把握できていない。
光を呼びたいが、もう使えるかも怪しい。限界が近い。気持ちが焦る。落ち着け。とりあえず土の中から体を全て出すことには成功した。周囲を手探りで調べる。右手を伸ばす。小石の上。小石の上。小石の上。指先が囲いに当たる。それを乗り越えると、なにもない。両手を伸ばすと反対側と頭の上にも囲いがあるのがわかった。何か箱のようなものに小石が入れられていてそれに埋められていたようだった。
小石を拾って囲いの外に落としてみる。三度ほど位置を変えて同じことをする。跳ね返ってきた音で判断すると箱はそう高くない位置で床の上にあるようだった。
思い切って足を振り出し床の上に乗せてみる。足がつかないのではないかという恐怖はあったが、すぐに杞憂だとわかった。つま先から床につき囲いを掴んで膝を地面につける。
床の上に転がると呼吸を整える。
足の拘束を解こうとどうにかして噛みつこうとするがそれは無理だった。やはり、刃物を見つけるしか無い。
モラリスが来たら彼の魔法にかかってしまうかもしれない。どうしたらそれを防げるのだろうか。奴はなんと言っていたか。何度も会う必要がある。何度も会うということは何度も見ることか。会って何かをしたことがあるか。会話をするくらいだったはず。
「声か」
服の端を噛んで切り裂く。丸めて二つの玉にする。これを耳に詰めればモラリスの魔法に対抗できるかもしれない。だが、その間、耳が聞こえにくくなる。とりあえず左手に握り込む。
部屋の中を手探りでイモムシのように移動していく。それほど広くはない。窓のようなものはない。机も椅子もない。棚のようなものはあったがそこにはなにもないようだった。ここがなんのための部屋なのかまったくわからなかった。
出口らしきものにも触れたが、鍵がかかっているようだった。出口から見えない位置に隠れるしか無い。モラリスたちが来るまで意識を保ち、戦って勝つ以外に方法がなさそうだ。小石を拾って足の革紐が切れないか試してみたが、小石は砕けるばかりで役に立たなかった。扉の影に隠れるよりは、箱の影に寝そべっているのが良さそうだった。幸いなことに小石が入った箱は重い。上手く使えば、これが足の代わりになる。
水が飲みたい。
魔法はもう期待できない。せめて陽の光を浴びることが出来れば魔力が回復するかもしれない。扉はもう開かないかもしれない。私が乾燥して命を落とすまであの二人は待っていればいいだけだ。ここは暗い。温度も低い。冷たいのは嫌いだ。動きが鈍くなる。だが、湿っぽくないのはこの小石のせいだろう。
乾燥遺体の殺人者はモラリスとマーロンだった。それを伝える方法はなにか無いのだろうか。マーロンはすでに自警団に手配されている。でも、モラリスは逃げ切れるだろう。奴を捕まえなければ。
あぁ、ラーナを失ってしまった。ずっと守るつもりだったのに。
すまない。本当にすまない。
その時、扉が開いた。魔法の光に似た白い光。それは私の願望だったのだろうか。
立ち上がろうとして、腕の力が抜けた。
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誰かが耳元で喚いている。口元に水が流れ込んでくる。
「隊長! しっかりしてください!」
ネ・ライカとネ・ヤールの姿が見えた。二人で私を抱きかかえている。
「すみません。隊長を見張っていたのに、広場で、その、人間と楽しそうに話しているのを見てその場を離れたのが間違いでした」
ネ・ライカは泣いていた。
「……大げさだ。あの二人はどうなった?」
かすれた声で返事をするとネ・ヤールが顔を覗き込んできた。
「確保しました。それにしても流石です。隊長は不死身ですね」
「……私をなんだと思っている」
笑って見せると二人は安心したようだった。
「陽の光を浴びたい」
ネ・ヤールがネ・ヤーナを抱きかかえ立ち上がる。横についたネ・ライカが弓の入った袋を見せる。
「隊長の弓は回収済みです。ご安心を」
「ありがとう。お前たちはすごいな。なんでここがわかったんだ?」
箱のあった部屋の外へ運ばれながらネ・ヤーナはネ・ライカたちに尋ねる。
「帰って来なかったら捜しに来いって言ったじゃないですか」
真面目な顔でネ・ライカが答える。短い階段を登りながらネ・ヤールも続ける。
「農場に色々届きましたから、森に帰還したあとで旅費が足りないだろうからと森から使いが出ることになり、私が代表として隊長を捜していたのですが、えーと、その、私は隊長を見つけられず、すみませんでした。人間の町が珍しく……」
徐々に明るくなってくる。階段は調理場に続いていたようだ。
「俺は隊長を見つけて尾行していたのですが、昨日町の中で会うまでここにネ・ヤールが来ているのは知りませんでした」
「……そうか、あの尾行はお前か」
ネ・ヤーナは微笑んだ。森人に尾行されているとわかっていれば捜し方も違ったのに。
「はい」
「てっきり敵だと思っていた。話しかけてくれたら良かったのに」
「せっかくなので隊長に挑戦してみたかったんですよ。俺もなかなかやるでしょ?」
廊下と食堂、玄関を通りモラリスの館を出ると、陽の光に向かえられる。強い日差しが体の力を急激に回復していくのを感じた。
「もう降ろしてくれていい」
足の拘束はすでに解かれていた。フラつく体で歩き出そうとする。
「隊長、まだ無理ですよ」
「病院に行く」
ネ・ヤールとネ・ライカが顔を見合わせる。
「それと自警団にモラリスと長く話すなと教えてやれ。あいつは魔法を使って人を誘惑するらしい。油断していると逃げられるぞ」
ネ・ライカがそれを聞いて弓の入った袋をネ・ヤールに渡して路地を走っていく。ネ・ヤールはネ・ヤーナに肩を貸す。やや釣り上げられた形になる。
「人間に我々の怪我が治せるんでしょうか?」
「怪我はしていない」
ネ・ヤーナたちは路地を進んでいく。
「もう一人いるんだ」
殺人者はもう一人いる。モラリスが言っていたあの人に心当たりがあった。
29
病院は静まり返っていた。ネ・ヤーナたちは中に入っていくとまっすぐにアルバンの元へ向かう。ドアを開き中に入るとアルバンは普段通りに迎え入れた。
「さて、どこか悪いのかね?」
「あなたですね?」
「どれのことかわからないが、そうだと言っておこう。君の顔に答えがかいてあるのがわかるからね」
「モラリスではエイミーの乾燥遺体を作るのは無理です」
「マーロンかもしれないぞ?」
「マーロンは切る専門です。首を絞めるのは趣味が合いません。だから彼の仕業ではない」
「なるほど。では、オラックがやったんだな。砂も彼の家に元々あったのだろう」
「オラックには無理です」
「なぜ?」
「私が、彼の手と膝を破壊したから、人を攫って乾燥遺体を作るような重労働は出来ない。砂?」
ネ・ヤーナが言葉を止めるとアルバンがニヤリと笑った。
「失言をした。ふむ。調べがまだ甘いが良しとするか」
「砂で乾燥させると知っていた。そうか、オラックから家を買ったのはあなただったんですね」
「そうだ。オラックは心を病んでいて、祖母を乾燥遺体にしようとして失敗した。金もない彼に再出発の資金を渡してやった。彼の持っている資産を買い取ってやったんだ。オラックが町を去ったある日、エイミーが病院を訪ねてきてね。オラックに会いたいと言ったんだ。流れ者はもう懲り懲りだと。だが、私にはわかった。エイミーはオラックの金が目当てだった。せっかく再出発をしたオラックのもとにエイミーが行けば彼はまた心が乱されてダメになってしまう。それでワシがエイミーを殺した。乾燥遺体の製作にも興味があったからね。あれはきちんと内蔵を処理すれば案外簡単なんだ。それで、オラックの父の所有していた家にエイミーの乾燥遺体を放置した。それからも度々乾燥遺体を作っては金持ちに売ってやった。もちろん、取り出した内臓も有意義に使わせてもらった。この町には行方不明になる娘が多かったからね」
アルバンの騙る内容のおぞましさに頭がクラクラするのは体調が悪いからではない。
「あなたは人間ですか?」
「いやいやいや、ワシは極めて普通の人間だ。好奇心が人より強いだけなんだよ。さて、ワシが行ったという証拠はなにもないわけだが、乾燥遺体の事件はモラリスがマローンと行ったものだというのはキミは知っているな。彼はワシの作ったエイミーの感想遺体を見てひどく感動してね。私も彼女の美しさが好きだった。だから、売ることもなくあの家に置いておいたのだからね。あの頃のモラリスは大学を追い出され、この町に流れてきた。空き家に隠れ住むことも多かったそうだ。彼はなかなか見どころがあってね。オラックとエイミーのつながりから館を調べ上げてワシを訪ねてきた。実に見事な洞察力だった。何より彼は人を操るのが上手い。彼はワシを問い詰めるどころか、乾燥遺体の作り方を教えてくれと言った。ワシは快く彼に教えてやった。模倣犯が増えれば、ワシの趣味はやりやすくなるからね。だが、残念なことに彼はあまり刃物の使い方が上手くなかったんだ。リリーを失敗したのはそのせいだ。そこで、マーロンを紹介してやった」
淡々と騙るアルバンには一切の悪意がないという感じだった。
「マーロンと組むことによって二人の作品作りは加速していった。モラリスは不思議な男で声に魅力がある。彼が獲物を誘引し絞殺をする。そして、内臓の処理をマーロンが行い、乾燥遺体を作る。君も埋められたんじゃないか? 細かい砂が付いているじゃないか。それはね、島の火山で手に入れることができるのだよ。知っていたかな? トリスがもったいぶって語っていたが、ワシはすでに知っていたのだよ。沸石という水を吸う石だ」
「あなたを自警団に引き渡します」
「それは結構。ジタバタはせんよ。大人しくしていよう。さっきも言ったようにワシが人を殺したという証拠はどこにもない。罪があるとすればマーロンを使ってラポンに少々鉛を飲ませたくらいだ。それだってちょっとした勘違いで薬を間違えただけだ。それで許されるだろうな」
「ネ・ヤール、アルバン先生を連れて行け」
ネ・ヤールが近づいていくとアルバンが椅子から立ち上がり一緒に部屋を出ていく。
ツァンデルの殺人鬼はこうして捕まった。自警団の調べによると医者のアルバンはマーロンを使いラポンの食事に鉛を混入していたという。鉛を摂取したことによりラポンは軽度の鉛中毒になり周りからは老化が進んだように見えた。そうしてラポンの評判は落ち、乾燥遺体などの検死は全てアルバンに回ってくることになった。自己利益のために商売敵を貶めたことは非難されたが、これまでのアルバンの行いから、やはり彼の言うように誤った薬を処方したという理由が付けられた。
年齢のこともありラポンの回復は望めず近々引退となるという。アルバンもラポンもいなくなるとなればこの町には医者がいなくなるが、商人たちのことだ、きっとカタリナから呼び寄せることだろう。
アルバン、マーロン、モラリスの三名は、護送馬車で都市に運ばれそこで刑罰を受けることになるそうだ。
30
護送馬車は西に向かう。揺れる馬車の中、マーロンが毒づく。
「まさか先生まで捕まるとはね。俺達だけを捨てて逃げると思ってましたよ」
「よせ」
モラリスが止めるが、マーロンは止まらない。
「冗談だろ。この先生様と比べたら、俺達なんか子どもみたいなもんだ。こいつは大悪党じゃねえか。一体何人殺したんですか? ねぇ、先生。あんた殺人鬼だよ。ツァンデルの殺人鬼だ」
「そろそろか」
アルバンは呟く。遠くから地が揺れる音が聞こえ徐々に近づいてくる。馬のいななきが聞こえ馬車が止まる。外が騒がしくなり、武器が合わさる金属の音が続き、すぐに静かになった。
「モラリス、もう安心して良いぞ。迎えが来た」
護送馬車の扉が開かれると、アルバンが外へ降りていく。呆気にとられるマーロンと、下唇を噛みしめるモラリス。
「なんだよ。先生も人が悪いな。もうダメかと思って酷いことを言っちまったな。先生、嘘だよ。俺、先生を尊敬してるんだ、ぜ……」
マーロンが馬車の外に出ると、護送馬車の周りを騎馬兵が取り囲んでいた。近くに黒く光る豪華な馬車が止まっていた。騎馬兵の足元には自警団の亡骸がいくつも転がっていた。
アルバンが黒い馬車に乗るところだった。騎馬隊は黒い布で顔を隠しており、いくつもの鋭い眼差しがマーロンを見下ろしていた。
「残念だが、マーロン。君とはここでお別れだ」
アルバンがそう言うと、マーロンはゆっくりと後退りして石ころだらけの道を走り始める。その背中に向かって馬蹄の音が近づいていく。
「ツァンデルの殺人鬼 了」
大家に頼み込んでみたがマーロンの部屋に入ることは出来なかった。部屋の中になにか証拠でもあれば確実だったが、人間の社会もルールを重んじることがあるようだった。
マーロンを取り逃がしてしまったことが痛かった。奴を捕まえることが出来ていればこの事件は解決したことだろう。ただ、一つわかったことがある。それはここ数日の尾行は木人狩りの残党によるものだったわけだ。あの連中の中でも特に上手い奴がいることを考えると油断は出来ないかもしれない。
病院へ戻る道を歩きながら後方に意識を配り尾行を探ってみる。今は気配がしないが恐らく今日も付けてきているはずだ。人通りが多い道を歩けば無闇矢鱈に襲ってくることは出来ないだろう。
アルバンの言うようにマーロンは誰かに売るために内蔵を切り取ったのだろうか。なにか変な気がする。マーロンは下宿先に戻ってきた。自分に疑いが向いていないと考えていたのだろうか。一瞬しか見えなかったが、特に何かを持っている様子もなかった。取引が成立した後だったのだろうか。いや、大金を持っている風でもなかった。彼は無関係か? 違う。それなら逃げたりはしないはず。事件には関わっているはずだ。しまった。下宿先で張っていれば戻ってきたかもしれない。
足を止めて振り返る。もう遅いか。ため息を付く。私はどうしてこうなんだろう。もっと考えて行動をしなければならない。再び歩き出し病院を目指す。
病院に戻るとアルバンが待っていた。
「待っていたぞ、ヤーナくん」
アルバンが言うには商人たちが自警団の結成を決定したという。これからは自警団が捜査をすることになり、マーロンの行方を探すそうだ。トリスへの疑いもアルバンが話して誤解を解いたそうである。それから、
「五人目の被害者なのだが、両親が遠方から遺体を引き取りに来るそうでな。しかし、季節が季節なだけに腐敗が進みそうなんだ。地下の安置所に置いてはいるがあそこでもそうは保つまい。こういう時は乾燥遺体の方が良いな。いや、不謹慎だった。それでな、森人は水を出す魔法が使えるそうだが、氷を出すことは出来ないものか?」
などと言う。
確かに森人の戦士は水を生む魔法を覚えている。しかし、氷となると話が変わってくる。森人は寒さに強い方ではない。それだけに氷を作るという発想はなかった。
「難しいと思う」
そう断るとアルバンはとても残念がる。
「ワシも少し魔法を勉強してみるかな。いや、今からではとても間に合わんが、そのうち役に立つ日が来るかもしれん」
「医者が魔法を使うのか?」
「なんの。人の役に立つなら何でも使うのが医者というものだ」
「先生は立派な人だな」
「なんのなんの」
アルバンが笑った。それで、少し思うことがあった。
「建物に水を流せば熱が奪えるかもしれないな」
「確かに。だが、結構な量が必要になるな。それに湿気が増えそうだ」
「実効性は低い、か」
「そうなるのぉ」
「先生、俺もうここを出てもいいんだろ?」
奥からトリスがやってきた。ネ・ヤーナを見て少し身構える。
「二人で何してるんだ?」
「犠牲者の親が来るまで遺体を冷やしておきたいって話をしていたんだ」
「冷やすか。残念、乾かすならやり方を知ってるけど」
「ほう」アルバンが興味を持った。「どうやるんだ?」
「砂を使うんだよ。特殊なね」
トリスは得意げに話し始めるが、途中でネ・ヤーナの視線に気がついて黙り込んだ。
「砂か。いや、砂まみれというわけにもいかんしな。もう少し考えてみるか」
そう言いながらネ・ヤーナたちの前から去っていった。
「おい、先生」トリスがアルバンに呼びかけるも振り返りもせずに行ってしまう。
「まったく……」
「行くのか?」
「まあね。ここにいるとあんたのこと憎めなくなっちまいそうだしな。あんたは一応、親父の仇だし」
「そうだな」
「バリーをやっつけたらあんたの番ってことで」
「わかった」
「まぁ、まだいるからよ」
そう言ってトリスは病院の奥へ向かっていった。
22
「大体のことはわかった。あとは我々に任せておけ」
ネ・ヤーナは病院にやってきた自警団の男と話をした。自警団の男は二人組で一人は一切話さずもう一人の世話をしている。話をする男は上着が赤服で世話をする男の上着は青服だった。赤服の男は椅子に座りネ・ヤーナに様々な質問をする一方、青服の男は赤服の男の後ろに直立で立っていた。
髪を染めている理由にも一応の理解を示してくれたようだった。
しばらくすると別の自警団の二人組がやってきて、ネ・ヤーナに似たようなことを聞いて去っていく。そうしてしばらくすると別の二人組がまたやってくるというそんな奇妙な何度も訪問を受け続けた。どうやら情報を共有するというものがない組織らしい。
「これでは今日は何もできないな」
病院に足止めされたネ・ヤーナは不機嫌そうな声を出した。
彼らが帰るとアルバンが自警団の成り立ちも話してくれた。
自警団は西居住区の商人たちが資金を出して結成したもので、前回は木人狩りの残党の追い出しを目的に集められたそうだ。残党の完全な排除には成功しなかったものの一応の効果が見られたため自警団は解散された。商人たちは自警団が軍事組織化することを恐れているようで、その構成員も各商人たちの個人的な護衛だという。西地区の商人たちがそれぞれ二名ずつ送り出し、赤服と青服の二人で行動する。自警団の構成員同士のつながりは薄く成果主義のようでどのチームがマーロンを捕らえることが出来るか競っているようである。
「ここには護衛の兵はいないのか?」
ネ・ヤーナの問にアルバンは別の角度で説明してくれた。
「商人がそれぞれ抱えている護衛はいるが、町を守る軍隊のようなものはおらんな」
「なぜ?」
「軍隊というのは生産性のない組織だ。これを養うのに非常に経費がかかる。商人たちは利に聡いから、金がかかることも軍隊を置かない理由の一つだろう。しかし、連続殺人の件もあり、この町の治安が良くないということになれば旅の商人に敬遠される。そうなると商品の売買にも支障が出る。そこで、事件が解決しそうな頃合いを見計らって自警団を組織したというわけだな」
「それはあまりにもずるくないか?」
「商人連中の頭の中は金稼ぎしか無いからな。一番安く済む方法を考えるのだろう」
「そもそも常駐の軍を持たないで安全なのか」
「それは大丈夫だ。この町に攻め込んでくる者がおらんからな。北にはお前さんたち森人がおるだろ。東や南東方面は荒れ地で化け物が出る上に土地が貧しすぎて誰も得ようとはせん。東の先に赤の国などという国があるそうだが、小国でわざわざ荒れ地を通って来られるほどの国力もないと聞く。ザボーズやカタリナが海から侵略でもされればここでもようやく軍隊が編成されるかもしれんが、そんなこともないだろう。まぁ、一番の理由は町を軍隊に奪われる危険があると考えとることだろうな」
「軍隊が町を奪う?」
「軍隊には暴力的な側面もある。商人たちはその暴力で自分たちの富を奪われることを恐れているわけだ。自警団が横のつながりを強め、その中から優秀な指導者が出てくれば商人たちの脅威になる。だが、今のようにそれぞれが護衛を持っているだけなら町を奪われることもない。もし、誰かが護衛を増やせば他の商人連中がまとまってそれに対抗をするわけだ」
「人間というのは良くわからないものだな」
「なに単純な生き物だよ」
23
トリスが病院を去って数日が過ぎた。八月はボーリアの月。一年で一番暑さを感じる季節だ。
広間の病室を掃除してベッドを整える。マーロンはまだ捕まっていない。自警団にマーロンが捕まるのを見届けてから森へ帰ろうと思ったが、そんな気配がなく日にちだけが過ぎていった。弓の入った袋だけを背中に担いで出かける毎日だ。町の中をぶらつき、下手な尾行を捕まえたり、残党を路地に転がしたりもしたが、得体のしれない尾行はまだ続いていた。この尾行はかなり手強く、こちらが正体を突き止めようと逃げ場のない路地に誘い込もうとするとそこで尾行をやめてしまう。
五人目の被害者は家族に引き渡された。簡素な棺は荷馬車に乗せられて町を去っていく。
地下の安置所から遺体を運び出すためにモラリスが呼ばれていた。病院の中に戻りかけると、モラリスが話しかけてきた。
「やぁ、元気だったかい」
実に久しぶりだった。正直、忘れかけていた。
「特にやることがなくて体が鈍ってしまった」
「それならうちに遊びに来るといい」
「あまり強そうには見えないが?」
「俺は話す専門。戦うのは得意じゃない」
モラリスは両手を見せて降参というようなポーズを取る。
「そろそろ森に帰ろうと思う」
「そう。それはちょっと残念だな」
「そうだな」
モラリスは不思議な人間だ。話をしているともう少し話をしたくなる。声の響きが心地よいのだろうか。
「君に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの? なんだ?」
「今言ったら、来ないだろ」
「確かにそうだな」
妙に興味が湧いた。何を見せる気なのか。
「武器は持ってこなくていいよ」
「そういうわけにも行かないだろう」
「君は強いから大丈夫さ。いいね?」
「……わかった」
「なにか食べたいものがあったら言ってくれ」
「水だけでいい」
「わかった。じゃあ、後で迎えに来るよ」
「ああ」
モラリスが病院を去っていくのを見送った。その姿が見えなくなるとネ・ヤーナは病院の中に戻る。扉を閉じて首を傾げる。
「私は何をやっているんだ?」
マーロンのことを自警団任せにしたせいでやるべきことを見失い、浮ついた気持ちになっている自分を恥ずかしく思った。
24
ほとんどの荷物は置いたが、やはり弓の入った袋だけは背負う。服は町で買ったものしか無い。新しいものを買おうかとも思ったが、手持ちがあるわけでもなくやめることにした。無骨な髪飾りも置いていく。武器を一切持たずに外に出るというのは新鮮な感じがした。背中の弓は弦がないので一本の棒でしか無い。これを武器にする気はない。だから武器ではない。あまり気乗りはしないが、行くと言ってしまった以上は行くしか無いだろう。
病院を出た所で待っているとモラリスが来て背中の弓の入った袋を見る。
「えっと……」
「これは武器じゃない。大事なものだ」
「いいよ。大丈夫」
モラリスと並んで話しながら北の居住区に向かう。話しているうちに気分が軽くなった。彼の声は本当に心地よく響いてくる。
元オラックの家は十年前に来た時ほどの暗さがなかった。それは窓が修復されただけではない。新しい住人が住み部屋の中の空気を入れ替えることで館自体が呼吸をして住まいも蘇ったのだ。
扉が開き玄関から中が見えるとそこもまた以前のような暗さはなく、華やかさこそなかったが湿ったかび臭さはもう一切感じなかった。あの死臭も。ここはもう別の家になったのだ。背中の長い堤の上から弓の端を左手が握り込む。
「こっちへ」
玄関ホールから右手に向かう。そこには長いテーブルが置かれていた。椅子も左右七脚ずつあった。
部屋に入った瞬間、寒気が走った。眼の前に暗闇が通り過ぎ明るい部屋を塗り替えてくる。天井から吊るされた鎖とフックに自分に似た森人が吊るされている。その目がこちらを恨めしそうに見下ろしている。小さく開いた唇は何かを言っているが何も聞こえない。
「ラーナ」
両手をネ・ラーナに伸ばした瞬間、幻は消えて部屋は明るく戻りシャンデリアがそこにあるだけだった。テーブルに体がぶつかる。その音に気がついてモラリスがネ・ヤーナを見る。
「どうかした?」
ネ・ヤーナは振り返り館を出ていく。モラリスが追いかけて来てネ・ヤーナの手を掴んだ。
「すまない無理だ」
ネ・ヤーナはモラリスの手をゆっくりとほどいていく。
「どうして?」
「妹がこの家の中で殺されたんだ」
ネ・ヤーナはモラリスに背中を向けて歩き出した。
帰り道、人気のない路地で木人狩りの残党たちに囲まれた。数は五人だった。
「今日はやめておけ、手加減が出来そうにない」
そう言って横を通り抜けようとしたが、残党たちは何度も路地の上を転がっているせいで今日も転がる選択をした。じりりとネ・ヤーナを取り囲む。その手にはナタや斧、棍棒が握られている。いつもであれば軽く退して終わるのだが、しかし、今日のネ・ヤーナは制動が効かなかった。
振り下ろされる斧を後ろに避け同時に左手で掴むと右掌を打ち込んで関節を逆に折った。そのまま残党の一人を路地に投げ捨てる。一瞬怯んだ相手の中から棍棒を持った男を選んで膝、肩、頭と駆け上がり宙で回転して、男たちの後ろに回り込んだ。振り返った残党たちは眼の前から木人が消えたことで、逃げたのだろうと安堵した。が、それは違った。
足元から黒い影が滑り込んできて残党の一人の喉を拳が突く。背中を蹴って、次の残党の側頭部を蹴り壁に頭を激突させる。ナタをふるった残党の膝を横から蹴って体勢が崩れた男の脇腹に左の拳をめり込ませる。
壁を背に迫りくるネ・ヤーナに怯える木人狩りの残党。ジリジリと寄ってくるネ・ヤーナに恐ろしくなり悲鳴を上げる。するとそこに自警団の二人組がやってくる。
「貴様! 何をやっているか!」
残党たちが捕まるのかと思いきや、自警団の二人はネ・ヤーナに武器と敵意を向けるのだった。
「先に手を出してきたのはコイツラの方だ」
「黙れ! 本部に連れていけ」
赤服が青服に命令をすると、青服がネ・ヤーナの後ろに回り込む。
「私の話を聞け!」
「黙れと言ったぞ」
自警団はネ・ヤーナを商館に連れて行った。そこは今、自警団の詰め所として使われている。忙しそうに使用人たちが歩き回っている。玄関ホールから階段を登り、二階の一室に閉じ込められる。
「襲われたのは私なんだが?」
返事はなかった。背中の弓の入った袋も奪われてしまった。抗議はしたが返事はなかった。もし、私から弓を奪うつもりなら、こちらにも考えがあるが、今は様子を見ることにした。しかし、木人狩りの残党は五人だったのだから被害者はこちらであるとすぐわかるはずなのに自警団の連中は木人狩りの残党の味方をする。そこが納得できないところだった。ふとアルバンの言葉を思い出す。自警団はマーロンを捕まえることで競争をしている。そこに自分が入り込んでいると思ったのだろう。私の行動のいちいちが彼らにとっては邪魔なのだ。
25
しばらくすると別の自警団の二人組が入ってきた。青服が弓の入った袋を持っている。
「我々に任せるようにと言ったはずだが?」
赤服が言った。
「友人にあった帰りに襲われただけだ」
「それにしてはやりすぎたな。三人が死んだそうだ」
「そうか。殺すつもりはなかったが」
「流れ者の処分は我々も手を焼いていたところだ。連中の件は特に罪に問われることはないだろうが、あなたには数日中に町からの退去命令が出るだろう」
「……わかった」
殺人者がわかった以上はもうここにいる理由はないだろう。森へ帰ろう。
「病院で待機しているんだな。外出はしないように」
赤服が青服を促すと青服がネ・ヤーナに弓の入った袋を渡す。袋を解いて中を確認する。そして安堵のため息を付く。
二人組に連れられて商館をあとにすると、すっかり外は暗くなっていた。町の灯りは落ち、市場も店じまいをして広場にももう人影もない。このまま病院に帰ってもすでに戸締まりをした後で迷惑になるだけだろう。しばらく広場で待っていれば朝がやってくる。今は夜風に辺り気を静めることも必要だ。
広場を歩き、空を見上げる。空には星が輝いている。十曜は大きな星だ。夜空に輝く小さな星は十曜に仕えた英雄たちだ。この世界は大きな箱の中にある。私たちの足元、地の奥底には無限の闇が広がっていると言われている。人が人生をかけて地に穴を掘っても底に辿り着くことは出来ない。この世界が本当に箱の中にあるのか、地の底に闇が広がっているのか。それは誰も知ることがない話だ。
広場を横切る人影が見えた。人影は立ち止まり、こちらを見つけたようだった。ゆっくりと近づいてくる。緊張が走り身構える。
人影は手になにか握っていた。それは、酒瓶のようだった。
「ヤーナ」
近づいてきたのはモラリスだった。
「西の居住区に用事があってね。これから帰るところだったんだ。君はどうしてこんな所に?」
「流れ者に絡まれて、反撃したらやりすぎた」
「そうか」
モラリスは笑った。
「笑い事ではない。町を追い出されることになったんだ」
「大丈夫さ。すぐに入ってこられるようになるよ」
「それはいい加減すぎるだろう」
「人間はいい加減なんだよ」
「そうか」
いつの間にか広場の真ん中に立っていた。どちらからともなく座り込み、やがて二人でそこに寝転がり星空を見上げた。背中の弓の入った袋もいつの間にか広場に寝そべっていた。
「夜の神ベルベリアは眠れぬ者の神。光の中で生きられぬ者の神。この世で一番優しい神だ。月を持たず、戦いで倒れた英雄たちに今もなお輝く場所を与えている」
モラリスのつぶやきが心地よかった。彼を見ると傍らに置かれた酒瓶に目が行った。モラリスもそれに気が付いたようだ。
「君も飲むかい」
「いや、私は……」
モラリスは体を起こした。つられてネ・ヤーナも体を起こす。
「待ってて」
モラリスは素早く立ち上がると広場の隅にかけていった。しばらくするとマグを二つ持って帰って来る。
「知り合いの酒場から持ってきたんだ。朝までに戻しておけばいいさ」
そう言うと酒瓶の封を開いてマグに注ぐ。そしてその一つをネ・ヤーナに差し出した。
「本当は家で一人で飲むつもりだったんだけどね」
マグの中に星が浮かぶ。赤ワインだろうか。
「やっぱり君がいてくれて嬉しい」
モラリスが言った言葉が耳に響くと、その瞳に帰す言葉がなくなってマグをあおるしかなかった。香りは悪くなかった。微かな渋みを感じた。体中に広がる微かなしびれが間隔を鈍くさせる。体内を駆け巡る熱さが、頭をくらくらさせる。ふわりと世界が浮かび上がるような間隔がして、眼の前が白くなっていく。どうやら思っていた以上に強い酒だったようだ。
26
「だから、そのおかげで君は新しい趣味を手に入れたじゃないか。俺の作品制作に手を貸してくれたって良いはずだろ?」
「お前があの女に入れ込んでるせいで俺が一人でやるしかなかっただけだ」
男が二人話しをしているのが聞こえた。ネ・ヤーナは目を開こうとしたが体は上手く動かせない。
「俺にはお前の魔法は効かない。言うことを聞かせようたって無理だぜ」
「知っているよ。そういう話じゃない。君が焦って仕事をしたから俺等に疑いがかかったんだぞ? それに俺がいなかったら君はもう捕まっていたんだ」
一人はモラリスか。
「そいつはどうもありがとよ。お前の魔法があってよかったよ。だが、金が必要だった。すぐにでもな。先生が買ってくれなかったら俺はお終いだったんだ。お前みたいに金持ちの相手をしてればいいわけじゃないからな」
もう一人は、マーロンだった。
「俺だって、好きで金持ちの相手をしてるわけじゃない。誰があんなことを……」
ようやく目を開くと、どうやらモラリスの館の中のようだった。手と足を拘束されて椅子に座らされていた。体が上手く動かなかったのはこのせいだった。
「驚いた。まだ起きるまで時間がかかると思っていたよ」
モラリスがゆっくりと近づいてくる。モラリスがネ・ヤーナの髪を撫でる。深い緑の髪に戻っていた。
「俺がいてよかっただろ」とマーロン。
「確かに。この髪は本当に美しいよ」
「どういうことだ」
ネ・ヤーナは声を絞り出す。
「どういうことって、なぁ?」
マーロンがモラリスを見る。モラリスは嬉しそうに微笑んだ。
「ヤーナ、君は俺のものになるんだ」
ネ・ヤーナは暴れてみるが椅子から落ちただけで終わった。床の上でもがくとマーロンがネ・ヤーナを引き上げて椅子に座らせる。
「想像以上にきれいな髪でびっくりしたぜ。お前たちって皆こうなのか? ただもっと手入れをしたほうが良い。でもまぁ、もう無理か」
マーロンがネ・ヤーナの髪に触れる。
「ヤーナ、なかなか俺の手の中に入らないから苦労したんだよ」
モラリスがマーロンと入れ替わるように近づいてきて後ろに回り込みネ・ヤーナの首に紐をかける。そしてそれに力を込めてネ・ヤーナの首を絞める。しかし、ネ・ヤーナが苦しまないのを見て思い出したように顔を上げる。
「そうか、君は森人だったね。あの人から聞いていたのに忘れていたよ」
「モラリス、やめるんだ。お前はマーロンに騙されているんだ」
ネ・ヤーナの言葉をマーロンが笑い飛ばす。
「すげえすげえ、お前の魔法は本物だな」
「魔法? 何を言っている」
ネ・ヤーナはマーロンとモラリスを見る。
「ヤーナ、俺には不思議な力があるんだ。他人を魅了する力があるんだよ。男も女も抵抗力がなければ、皆が俺に好意的になる」
モラリスの説明にマーロンが合いの手を入れる。
「で、俺には抵抗力があるってわけだ」
「君が、俺に好意を持つその気持ちは嘘っぱちだってことさ。全部が嘘なんだよ。お前たちは俺に興味がないくせに調子の良いことばかり言って、俺を消費するんだ。俺はな、マーロンみたいにこの力に抵抗することが出来る奴しか信用しない。何故か分かるか? 彼には嘘がないからだ。俺が何を言っても俺の思い通りにならない。ヤーナ、君も惜しかったんだ。君なら俺の力に対抗できるかもって思った。でも、違った。君も他の連中と変わらなかった。そうだろ? 俺を忘れたろ?」
ネ・ヤーナは考える。モラリスに対する好意は本当の気持ちだと思っている。だが、言われてみれば彼のことをずっと想うことはなかった。会いに来るまで思い出すこともなかったように思う。
「それは本当のことか?」
「あぁ、この力は直接会っている時に積み重ねることで効果を増すんだ。だから、日を空けたりすると一からやり直しになるんだよ。不自然に会いに行けば警戒心を生む。警戒心はこの魔法の効果を鈍らせる。それがなかなか面倒で、使いこなすまでに大分時間がかかった。この性質がわかれば、それほど難しくはなかったけどね」
「お前たちは何なんだ」
ネ・ヤーナの問いにマーロンが即答する。
「もう知ってんだろ? 俺達が女たちを殺してる殺人者だ。こいつと俺の共同作業さ」
「なんでそんなことをする」
モラリスとマーロンが顔を見合わせて笑い、徐々にその声を大きくする。
「知らないよ、そんなこと」
「理由なんかあるかよ。楽しいからやってるんだよ」
「俺はあの人みたいになりたい」
モラリスが虚ろな目で呟く。
「あの人?」
「この館の前の持ち主さ、いずれは彼がこの町の支配者になる。彼はすごいんだ。ライバルを中毒にさせて、全てが大きな計画の中にあるみたいで……」
「おい、戻ってこい」
「あ、ああ……」
マーロンが制止するとモラリスは黙った。
「こんな腐った町なんてどうなったっていいだろ」
「殺された娘たちにはなんの罪もなかったはずだ」
ネ・ヤーナの言葉にマーロンが大爆笑する。
「冗談だろ? こっちが親切で髪を切ってやれば、気に入らないからもっと可愛くしろとか元に戻せとか、こんなんじゃダメだとか腕が悪いとか散々俺を罵倒するような奴らに罪が無いだって? 笑わせんな。どいつもこいつも中身は町中をうろついてるドブネズミと一緒だぜ。あいつらは死んで乾燥して初めて美しくなった。余計なことを言わなくなったからっていうのもあるけどな」
「なんて理由で仲間を殺すんだ」
「仲間じゃないさ。同じ人間なだけで彼女たちと僕らはまるで違うんだ。それに今は彼女たちは感謝しているよ。永遠にきれいな姿で墓に入るのだからね。それが彼女たちの唯一の望みだったんだから」
モラリスが言うとマーロンが横から顔を出す。
「まぁ、俺のは違うけどな。あの女どもの中身がどこかの金持ちの中で今も生きてるならそれはそれで人助けになるわけだし、良いことをしてるんだよ」
「お前たちが何を考えているのかわからない」
「そりゃそうだ」
「君は僕らと違うからね」
「そう。こいつは森人なんだろ」
マーロンが机の上からナイフを手に取る。
「で、どうする? 切るか? こいつは人間じゃないんだろ? 中身も一緒なのか?」
「人間のような臓器はないみたいだ」
「じゃあ、首か?」
「傷は残したくない。作品に傷があるのは美しくない。彼女を最高傑作にしたいんだ。あの人が言うには木人狩りはこのまま乾燥させるって話だから、そのままでも良いはずだ」
「わかった。じゃあ、早速始めるか」
「そうしよう」
二人はネ・ヤーナの手足を持つ。暴れてマーロンを蹴り飛ばすと、起き上がったマーロンが近くの机から小さな瓶を取り、蓋を開けてネ・ヤーナの口に入れる。苦い液体が口の中に入り込み、痺れがくるとネ・ヤーナは意識を失った。
27
激しい喉の渇きで目が覚める。体中に鈍い重みを感じる。手足は今も縛られたままだった。息苦しく体にもまだ痺れを感じる。圧迫される体を縮こめると周囲の土か小石が動くのを感じた。体に触れる粒は小さくない。小石かそれより少し小さいくらいだ。粒や顔や肌にくっついてくる。ゆっくりと動けば粒をかき分けられそうだったが、手足が不自由なので想うようには行かなかった。何よりも渇きのせいで集中力が保てない。恐怖に叫びだしそうだった。それでもようやく両手を口の前に持ってくることができた。
祈れ。水を呼び込め。
魔法によって集められた水が口の中に広がる。そのおかげで余裕が生まれる。口の中に入った小石は軽く舌にへばりついてくる。どうやらこの小石のようなものが水気を奪うようだった。吐き出して顔の周りにスペースを作る。小石が流れ込んでくるが水分を吸ったところは固まった。もう一度魔法を使って水を生み出す。手の中に集まった水は口の中に流れ込んでくる。顔の前に少しだけ空間ができた。拳一つにも満たない小さな隙間だ。
目を開いても何も見えない。
光を。
魔法で生み出された光が目の前に生まれる。活力を取り戻していく。周りには小石が積み重なっている。恐らくこの小石が乾きを生むのだろう。少しだけ手を引き上げると手首を縛っている革紐が見えた。何度もそれに噛みついてようやく噛みちぎる。
足も同じなのだろうがこの状態ではどうにもならない。しかし、水と光を補充したことで余裕は生まれた。周囲の音に耳をすます。小石が動く以外に何も聞こえない。
魔法も無限ではない。喉の乾く間隔からすると先に魔力が尽きるだろう。そうなると絶望的だった。まず渇きで何も出来なくなるだろう。今は体の痺れは和らいでいた。まずはこれを消す。そして、小石を押しのけながら徐々に浮上し、外の状況を確認する。無人の状況を確認できたら外に這い出て足の拘束を解く。小石の中から出た時にあの二人が一緒にいるとしたらまだ不利だ。一人ならギリギリ制圧できるかもしれないが、モラリスの魔法というのが本当なら厄介だ。彼を攻撃できるかわからない。今は厄介な敵だと感じている。どう倒すかを考える事ができる。それにしても静かだ。
二度光を浴び、四度水を補充してようやく小石の中から這い出る。暗くひんやりとした部屋の中にいた。手で土をかき分けて足を掘り出すと足を縛っていた革紐を解きにかかる。結び目が硬く切る以外に方法がないようだった。手近に刃物があればいいがそうそう都合良く見つかるはずもない。ましてやこの暗がりである。自分の位置すら把握できていない。
光を呼びたいが、もう使えるかも怪しい。限界が近い。気持ちが焦る。落ち着け。とりあえず土の中から体を全て出すことには成功した。周囲を手探りで調べる。右手を伸ばす。小石の上。小石の上。小石の上。指先が囲いに当たる。それを乗り越えると、なにもない。両手を伸ばすと反対側と頭の上にも囲いがあるのがわかった。何か箱のようなものに小石が入れられていてそれに埋められていたようだった。
小石を拾って囲いの外に落としてみる。三度ほど位置を変えて同じことをする。跳ね返ってきた音で判断すると箱はそう高くない位置で床の上にあるようだった。
思い切って足を振り出し床の上に乗せてみる。足がつかないのではないかという恐怖はあったが、すぐに杞憂だとわかった。つま先から床につき囲いを掴んで膝を地面につける。
床の上に転がると呼吸を整える。
足の拘束を解こうとどうにかして噛みつこうとするがそれは無理だった。やはり、刃物を見つけるしか無い。
モラリスが来たら彼の魔法にかかってしまうかもしれない。どうしたらそれを防げるのだろうか。奴はなんと言っていたか。何度も会う必要がある。何度も会うということは何度も見ることか。会って何かをしたことがあるか。会話をするくらいだったはず。
「声か」
服の端を噛んで切り裂く。丸めて二つの玉にする。これを耳に詰めればモラリスの魔法に対抗できるかもしれない。だが、その間、耳が聞こえにくくなる。とりあえず左手に握り込む。
部屋の中を手探りでイモムシのように移動していく。それほど広くはない。窓のようなものはない。机も椅子もない。棚のようなものはあったがそこにはなにもないようだった。ここがなんのための部屋なのかまったくわからなかった。
出口らしきものにも触れたが、鍵がかかっているようだった。出口から見えない位置に隠れるしか無い。モラリスたちが来るまで意識を保ち、戦って勝つ以外に方法がなさそうだ。小石を拾って足の革紐が切れないか試してみたが、小石は砕けるばかりで役に立たなかった。扉の影に隠れるよりは、箱の影に寝そべっているのが良さそうだった。幸いなことに小石が入った箱は重い。上手く使えば、これが足の代わりになる。
水が飲みたい。
魔法はもう期待できない。せめて陽の光を浴びることが出来れば魔力が回復するかもしれない。扉はもう開かないかもしれない。私が乾燥して命を落とすまであの二人は待っていればいいだけだ。ここは暗い。温度も低い。冷たいのは嫌いだ。動きが鈍くなる。だが、湿っぽくないのはこの小石のせいだろう。
乾燥遺体の殺人者はモラリスとマーロンだった。それを伝える方法はなにか無いのだろうか。マーロンはすでに自警団に手配されている。でも、モラリスは逃げ切れるだろう。奴を捕まえなければ。
あぁ、ラーナを失ってしまった。ずっと守るつもりだったのに。
すまない。本当にすまない。
その時、扉が開いた。魔法の光に似た白い光。それは私の願望だったのだろうか。
立ち上がろうとして、腕の力が抜けた。
28
誰かが耳元で喚いている。口元に水が流れ込んでくる。
「隊長! しっかりしてください!」
ネ・ライカとネ・ヤールの姿が見えた。二人で私を抱きかかえている。
「すみません。隊長を見張っていたのに、広場で、その、人間と楽しそうに話しているのを見てその場を離れたのが間違いでした」
ネ・ライカは泣いていた。
「……大げさだ。あの二人はどうなった?」
かすれた声で返事をするとネ・ヤールが顔を覗き込んできた。
「確保しました。それにしても流石です。隊長は不死身ですね」
「……私をなんだと思っている」
笑って見せると二人は安心したようだった。
「陽の光を浴びたい」
ネ・ヤールがネ・ヤーナを抱きかかえ立ち上がる。横についたネ・ライカが弓の入った袋を見せる。
「隊長の弓は回収済みです。ご安心を」
「ありがとう。お前たちはすごいな。なんでここがわかったんだ?」
箱のあった部屋の外へ運ばれながらネ・ヤーナはネ・ライカたちに尋ねる。
「帰って来なかったら捜しに来いって言ったじゃないですか」
真面目な顔でネ・ライカが答える。短い階段を登りながらネ・ヤールも続ける。
「農場に色々届きましたから、森に帰還したあとで旅費が足りないだろうからと森から使いが出ることになり、私が代表として隊長を捜していたのですが、えーと、その、私は隊長を見つけられず、すみませんでした。人間の町が珍しく……」
徐々に明るくなってくる。階段は調理場に続いていたようだ。
「俺は隊長を見つけて尾行していたのですが、昨日町の中で会うまでここにネ・ヤールが来ているのは知りませんでした」
「……そうか、あの尾行はお前か」
ネ・ヤーナは微笑んだ。森人に尾行されているとわかっていれば捜し方も違ったのに。
「はい」
「てっきり敵だと思っていた。話しかけてくれたら良かったのに」
「せっかくなので隊長に挑戦してみたかったんですよ。俺もなかなかやるでしょ?」
廊下と食堂、玄関を通りモラリスの館を出ると、陽の光に向かえられる。強い日差しが体の力を急激に回復していくのを感じた。
「もう降ろしてくれていい」
足の拘束はすでに解かれていた。フラつく体で歩き出そうとする。
「隊長、まだ無理ですよ」
「病院に行く」
ネ・ヤールとネ・ライカが顔を見合わせる。
「それと自警団にモラリスと長く話すなと教えてやれ。あいつは魔法を使って人を誘惑するらしい。油断していると逃げられるぞ」
ネ・ライカがそれを聞いて弓の入った袋をネ・ヤールに渡して路地を走っていく。ネ・ヤールはネ・ヤーナに肩を貸す。やや釣り上げられた形になる。
「人間に我々の怪我が治せるんでしょうか?」
「怪我はしていない」
ネ・ヤーナたちは路地を進んでいく。
「もう一人いるんだ」
殺人者はもう一人いる。モラリスが言っていたあの人に心当たりがあった。
29
病院は静まり返っていた。ネ・ヤーナたちは中に入っていくとまっすぐにアルバンの元へ向かう。ドアを開き中に入るとアルバンは普段通りに迎え入れた。
「さて、どこか悪いのかね?」
「あなたですね?」
「どれのことかわからないが、そうだと言っておこう。君の顔に答えがかいてあるのがわかるからね」
「モラリスではエイミーの乾燥遺体を作るのは無理です」
「マーロンかもしれないぞ?」
「マーロンは切る専門です。首を絞めるのは趣味が合いません。だから彼の仕業ではない」
「なるほど。では、オラックがやったんだな。砂も彼の家に元々あったのだろう」
「オラックには無理です」
「なぜ?」
「私が、彼の手と膝を破壊したから、人を攫って乾燥遺体を作るような重労働は出来ない。砂?」
ネ・ヤーナが言葉を止めるとアルバンがニヤリと笑った。
「失言をした。ふむ。調べがまだ甘いが良しとするか」
「砂で乾燥させると知っていた。そうか、オラックから家を買ったのはあなただったんですね」
「そうだ。オラックは心を病んでいて、祖母を乾燥遺体にしようとして失敗した。金もない彼に再出発の資金を渡してやった。彼の持っている資産を買い取ってやったんだ。オラックが町を去ったある日、エイミーが病院を訪ねてきてね。オラックに会いたいと言ったんだ。流れ者はもう懲り懲りだと。だが、私にはわかった。エイミーはオラックの金が目当てだった。せっかく再出発をしたオラックのもとにエイミーが行けば彼はまた心が乱されてダメになってしまう。それでワシがエイミーを殺した。乾燥遺体の製作にも興味があったからね。あれはきちんと内蔵を処理すれば案外簡単なんだ。それで、オラックの父の所有していた家にエイミーの乾燥遺体を放置した。それからも度々乾燥遺体を作っては金持ちに売ってやった。もちろん、取り出した内臓も有意義に使わせてもらった。この町には行方不明になる娘が多かったからね」
アルバンの騙る内容のおぞましさに頭がクラクラするのは体調が悪いからではない。
「あなたは人間ですか?」
「いやいやいや、ワシは極めて普通の人間だ。好奇心が人より強いだけなんだよ。さて、ワシが行ったという証拠はなにもないわけだが、乾燥遺体の事件はモラリスがマローンと行ったものだというのはキミは知っているな。彼はワシの作ったエイミーの感想遺体を見てひどく感動してね。私も彼女の美しさが好きだった。だから、売ることもなくあの家に置いておいたのだからね。あの頃のモラリスは大学を追い出され、この町に流れてきた。空き家に隠れ住むことも多かったそうだ。彼はなかなか見どころがあってね。オラックとエイミーのつながりから館を調べ上げてワシを訪ねてきた。実に見事な洞察力だった。何より彼は人を操るのが上手い。彼はワシを問い詰めるどころか、乾燥遺体の作り方を教えてくれと言った。ワシは快く彼に教えてやった。模倣犯が増えれば、ワシの趣味はやりやすくなるからね。だが、残念なことに彼はあまり刃物の使い方が上手くなかったんだ。リリーを失敗したのはそのせいだ。そこで、マーロンを紹介してやった」
淡々と騙るアルバンには一切の悪意がないという感じだった。
「マーロンと組むことによって二人の作品作りは加速していった。モラリスは不思議な男で声に魅力がある。彼が獲物を誘引し絞殺をする。そして、内臓の処理をマーロンが行い、乾燥遺体を作る。君も埋められたんじゃないか? 細かい砂が付いているじゃないか。それはね、島の火山で手に入れることができるのだよ。知っていたかな? トリスがもったいぶって語っていたが、ワシはすでに知っていたのだよ。沸石という水を吸う石だ」
「あなたを自警団に引き渡します」
「それは結構。ジタバタはせんよ。大人しくしていよう。さっきも言ったようにワシが人を殺したという証拠はどこにもない。罪があるとすればマーロンを使ってラポンに少々鉛を飲ませたくらいだ。それだってちょっとした勘違いで薬を間違えただけだ。それで許されるだろうな」
「ネ・ヤール、アルバン先生を連れて行け」
ネ・ヤールが近づいていくとアルバンが椅子から立ち上がり一緒に部屋を出ていく。
ツァンデルの殺人鬼はこうして捕まった。自警団の調べによると医者のアルバンはマーロンを使いラポンの食事に鉛を混入していたという。鉛を摂取したことによりラポンは軽度の鉛中毒になり周りからは老化が進んだように見えた。そうしてラポンの評判は落ち、乾燥遺体などの検死は全てアルバンに回ってくることになった。自己利益のために商売敵を貶めたことは非難されたが、これまでのアルバンの行いから、やはり彼の言うように誤った薬を処方したという理由が付けられた。
年齢のこともありラポンの回復は望めず近々引退となるという。アルバンもラポンもいなくなるとなればこの町には医者がいなくなるが、商人たちのことだ、きっとカタリナから呼び寄せることだろう。
アルバン、マーロン、モラリスの三名は、護送馬車で都市に運ばれそこで刑罰を受けることになるそうだ。
30
護送馬車は西に向かう。揺れる馬車の中、マーロンが毒づく。
「まさか先生まで捕まるとはね。俺達だけを捨てて逃げると思ってましたよ」
「よせ」
モラリスが止めるが、マーロンは止まらない。
「冗談だろ。この先生様と比べたら、俺達なんか子どもみたいなもんだ。こいつは大悪党じゃねえか。一体何人殺したんですか? ねぇ、先生。あんた殺人鬼だよ。ツァンデルの殺人鬼だ」
「そろそろか」
アルバンは呟く。遠くから地が揺れる音が聞こえ徐々に近づいてくる。馬のいななきが聞こえ馬車が止まる。外が騒がしくなり、武器が合わさる金属の音が続き、すぐに静かになった。
「モラリス、もう安心して良いぞ。迎えが来た」
護送馬車の扉が開かれると、アルバンが外へ降りていく。呆気にとられるマーロンと、下唇を噛みしめるモラリス。
「なんだよ。先生も人が悪いな。もうダメかと思って酷いことを言っちまったな。先生、嘘だよ。俺、先生を尊敬してるんだ、ぜ……」
マーロンが馬車の外に出ると、護送馬車の周りを騎馬兵が取り囲んでいた。近くに黒く光る豪華な馬車が止まっていた。騎馬兵の足元には自警団の亡骸がいくつも転がっていた。
アルバンが黒い馬車に乗るところだった。騎馬隊は黒い布で顔を隠しており、いくつもの鋭い眼差しがマーロンを見下ろしていた。
「残念だが、マーロン。君とはここでお別れだ」
アルバンがそう言うと、マーロンはゆっくりと後退りして石ころだらけの道を走り始める。その背中に向かって馬蹄の音が近づいていく。
「ツァンデルの殺人鬼 了」
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