25 / 58
二 最上霞は沈んでいる
12
しおりを挟む
『その建造物の地下に避難所があるな。人間たちがそこへ集まっている』
「はい」
『奴らはそれを狙って最短距離で向かおうとする。迂回するような知能はない。故に最初の到達地点は屋上だと予測している』
「はい」
『あと六分。奴らより先に屋上に到着するのが理想だ』
「はい」
指示の内容はちゃんと理解できる。ちゃんと返事もできている。階段を駆け上っても、息も上がっていない。むしろ息が詰まるほどの緊張も、少しマシになっている。
私は他の誰も通っていない非常階段を駆け上っていた。三海さんや佐東さんだけじゃなく、他の人の目も避けるように。避難中の人たちを横目に見る。警報は鳴ったばかりだ。悲鳴とか、嘆くような声とか、誘導の声とか。こうして避難指示が出るのは時々あることだけど、こんなに近くに裏側の侵食体が発生するというのは、もちろん誰だって、とても嫌だ。
近くに? ――みんなは、どこに侵食体が発生したのか知らされているのだろうか?
わたしは警報音しか聞いていない。
「あの、避難の誘導とかって」
『一般市民の誘導は専門の人員が行っているはずだ。我々が考える必要はない』
「……はい」
怒られた。今のはきっと、怒っている。だけどみんなが危険なときに、わたしだけにはそれに対抗する能力が与えられているってことが、卑怯なことであるようにも、不公平なことにあるようにも思えた。
どうしてわたしだけ、なのにわたしは大したこともできないなんて。
『バイクの鍵貸して』
「えっ?」
急に、あの人の声が。腕につけた端末の表示を確認する。もちろん見なくても、回線に一人増えたことはわかる。声も覚えている。今のわたしの立場なら、わからなくたって別に困らない。意味のないことでタイムロス。焦る。だけど……。
『まだ居たのか。走って行け』
『嫌だよ疲れるじゃん』
『お前の足なら走ったほうが早い可能性がある』
『そういう冗談言えるんだね? でも言ってる場合なの?』
『……相手は小型だ。それほど大きな被害は出ないと予測している』
『ふーん』
ドアを開けたり閉めたり、階段を駆け下りたり、あの狭いビルの階段室に反響する音。聞き慣れた空気の音。
それにわたしに対してとは随分違う。少し笑ってしまった。多分きっと、さっきのわたしは怒られてたわけじゃなさそうだった。
『カスミちゃん? デカいの出たらおれが何とかするから大丈夫だよ。そういうのこっちの仕事だから』
『デカいのは出ない』
『今の真似した?』
小さな笑い声が回線越しに聞こえる。
『あと五分だ。貴様の足では間に合わない』
『走らないって。どうにかするよ』
エンジンのかかる音。風の音。こんな場合なのに、カイさんの方が笑っている。
『なあ、なんで隊長が指示出ししてんの?』
『喋るな』
低い声で隊長さんが言ってから、突然回線が一つ遮断された。ぷつっと短いノイズが鳴る。
『最上霞』わたしを呼んで、小さく咳払い。『本来作戦指揮を執るべき仲島信之は現在移動中だ。私は彼から送られた資料を元に代理で指示を出している。我々は人類の自主性を重んじている』
「はい、大丈夫です。わかっています」
それはわたしが軍に入る前から言われていたことだ。表側の異世界の人たちは、わたしたちに何かを無理強いしたり、命令したりすることはない。対等なお友達だから。だから隊長さんも、役職こそ日本語で言うところの『隊長』だけど、本当の役割はわたしたちが戦うためのサポートをする係なんだって。よっぽど大事な、わたしたちの命に関わるようなことじゃない限りは命令なんてほとんどしないし、まして個人的なことなんかじゃ。
軍に入ったあとも何度もそう聞かされていた。だから今更言われなくったってわかっている。
だけど、さっきの会話をわたしに聞かれて気まずかったんだろうか。走れ。喋るな。楽しそうだった。軽口、言ったりするんだ。
隊長も、言わなくていいことを言ったりしてた。
『最上霞、現在地点は』
「もう屋上です。外に出てもいいですか?」
『よし、到達まであと二分。奴らに悟られないよう出力を調整しながらシールドを広げる。形状は端末に送る』
「わかりました。やります」
屋上のドアの前で一旦立ち止まり、腕の端末に送られたデータを目の前に広げる。
これならわたしにもできる。……自分のやるべきことを、やる。
なぜだかわたしの心は少し軽くなっていた。
『シールドの展開が終了したらすぐに退避するように。戦う必要はない。で、なくとも、撤退命令には必ず従うように』
最後は、苦笑いでもしてるみたいな言い方だった。隊長の苦笑いは見たことがないけれど。でもきっとそんな顔をしてたのは間違いない。
「はい」
「はい」
『奴らはそれを狙って最短距離で向かおうとする。迂回するような知能はない。故に最初の到達地点は屋上だと予測している』
「はい」
『あと六分。奴らより先に屋上に到着するのが理想だ』
「はい」
指示の内容はちゃんと理解できる。ちゃんと返事もできている。階段を駆け上っても、息も上がっていない。むしろ息が詰まるほどの緊張も、少しマシになっている。
私は他の誰も通っていない非常階段を駆け上っていた。三海さんや佐東さんだけじゃなく、他の人の目も避けるように。避難中の人たちを横目に見る。警報は鳴ったばかりだ。悲鳴とか、嘆くような声とか、誘導の声とか。こうして避難指示が出るのは時々あることだけど、こんなに近くに裏側の侵食体が発生するというのは、もちろん誰だって、とても嫌だ。
近くに? ――みんなは、どこに侵食体が発生したのか知らされているのだろうか?
わたしは警報音しか聞いていない。
「あの、避難の誘導とかって」
『一般市民の誘導は専門の人員が行っているはずだ。我々が考える必要はない』
「……はい」
怒られた。今のはきっと、怒っている。だけどみんなが危険なときに、わたしだけにはそれに対抗する能力が与えられているってことが、卑怯なことであるようにも、不公平なことにあるようにも思えた。
どうしてわたしだけ、なのにわたしは大したこともできないなんて。
『バイクの鍵貸して』
「えっ?」
急に、あの人の声が。腕につけた端末の表示を確認する。もちろん見なくても、回線に一人増えたことはわかる。声も覚えている。今のわたしの立場なら、わからなくたって別に困らない。意味のないことでタイムロス。焦る。だけど……。
『まだ居たのか。走って行け』
『嫌だよ疲れるじゃん』
『お前の足なら走ったほうが早い可能性がある』
『そういう冗談言えるんだね? でも言ってる場合なの?』
『……相手は小型だ。それほど大きな被害は出ないと予測している』
『ふーん』
ドアを開けたり閉めたり、階段を駆け下りたり、あの狭いビルの階段室に反響する音。聞き慣れた空気の音。
それにわたしに対してとは随分違う。少し笑ってしまった。多分きっと、さっきのわたしは怒られてたわけじゃなさそうだった。
『カスミちゃん? デカいの出たらおれが何とかするから大丈夫だよ。そういうのこっちの仕事だから』
『デカいのは出ない』
『今の真似した?』
小さな笑い声が回線越しに聞こえる。
『あと五分だ。貴様の足では間に合わない』
『走らないって。どうにかするよ』
エンジンのかかる音。風の音。こんな場合なのに、カイさんの方が笑っている。
『なあ、なんで隊長が指示出ししてんの?』
『喋るな』
低い声で隊長さんが言ってから、突然回線が一つ遮断された。ぷつっと短いノイズが鳴る。
『最上霞』わたしを呼んで、小さく咳払い。『本来作戦指揮を執るべき仲島信之は現在移動中だ。私は彼から送られた資料を元に代理で指示を出している。我々は人類の自主性を重んじている』
「はい、大丈夫です。わかっています」
それはわたしが軍に入る前から言われていたことだ。表側の異世界の人たちは、わたしたちに何かを無理強いしたり、命令したりすることはない。対等なお友達だから。だから隊長さんも、役職こそ日本語で言うところの『隊長』だけど、本当の役割はわたしたちが戦うためのサポートをする係なんだって。よっぽど大事な、わたしたちの命に関わるようなことじゃない限りは命令なんてほとんどしないし、まして個人的なことなんかじゃ。
軍に入ったあとも何度もそう聞かされていた。だから今更言われなくったってわかっている。
だけど、さっきの会話をわたしに聞かれて気まずかったんだろうか。走れ。喋るな。楽しそうだった。軽口、言ったりするんだ。
隊長も、言わなくていいことを言ったりしてた。
『最上霞、現在地点は』
「もう屋上です。外に出てもいいですか?」
『よし、到達まであと二分。奴らに悟られないよう出力を調整しながらシールドを広げる。形状は端末に送る』
「わかりました。やります」
屋上のドアの前で一旦立ち止まり、腕の端末に送られたデータを目の前に広げる。
これならわたしにもできる。……自分のやるべきことを、やる。
なぜだかわたしの心は少し軽くなっていた。
『シールドの展開が終了したらすぐに退避するように。戦う必要はない。で、なくとも、撤退命令には必ず従うように』
最後は、苦笑いでもしてるみたいな言い方だった。隊長の苦笑いは見たことがないけれど。でもきっとそんな顔をしてたのは間違いない。
「はい」
10
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
穏やかに生きたい(隠れ)夢魔の俺が、癖強イケメンたちに執着されてます。〜平穏な学園生活はどこにありますか?〜
春凪アラシ
BL
「平穏に生きたい」だけなのに、
癖強イケメンたちが俺を狙ってくるのは、なぜ!?
トラブルを避ける為、夢魔の血を隠して学園生活を送るフレン(2年)。
彼は見た目は天使、でも本人はごく平凡に過ごしたい穏健派。
なのに、登校初日から出会ったのは最凶の邪竜後輩(1年)!?
他にも幼馴染で完璧すぎる優等生騎士(3年)に、不良だけど面倒見のいい悪友ワーウルフ(同級生)まで……なぜか異種族イケメンたちが次々と接近してきて――
運命の2人を繋ぐ「刻印制度」なんて知らない!
恋愛感情もまだわからない!
それでも、騒がしい日々の中で、少しずつ何かが変わっていく。
個性バラバラな異種族イケメンたちに囲まれて、フレンの学園生活は今日も波乱の予感!?
甘くて可笑しい、そして時々執着も見え隠れする
愛され体質な主人公の青春ファンタジー学園BLラブコメディ!
月、水、金、日曜日更新予定!(番外編は更新とは別枠で不定期更新)
基本的にフレン視点、他キャラ視点の話はside〇〇って表記にしてます!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
腐男子♥異世界転生
よしの こひな
BL
ある日、腐男子で新卒サラリーマン・伊丹トキヤの自室にトラックが突っ込む。
目覚めたトキヤがそこで目にしたのは、彼が長年追い続けていたBL小説の世界――。しかも、なんとトキヤは彼が最推しするスパダリ攻め『黒の騎士』ことアルチュール・ド・シルエットの文武のライバルであり、恋のライバルでもあるサブキャラの「当て馬」セレスタン・ギレヌ・コルベールに転生してしまっていた。
トキヤは、「すぐそばで推しの2人を愛でられる!」と思っていたのに、次々と原作とは異なる展開が……。 ※なろうさん、Caitaさん、PIXIVさんでも掲載しています。
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる