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二 最上霞は沈んでいる
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「逃げて!」
二人はわたしが叫ぶより前に、下の階へ視線を送って――その瞬間に、ガタンと大きな音がした。わたしからは見えない、一階の階段入口で金属の扉が、動かされた音。
「閉まっ、えっなんで?」
「締め出された」
佐東さんが真っ暗な目でわたしを見上げて呟いた。
「隊長さん! 民間人が!」
『慌てるな。侵食体の位置情報に基づいてシェルターへの通路が順次封鎖されているだけだ。防衛施設は正常に動作している』
低い声。わたしはうっと、喉に引っかかる何かを飲み込んだ。
わたしの背後で、廊下に仕掛けた罠が作動する。侵食体の身体に触れて、網が悲鳴を上げながら引き絞られる。そうだ、大丈夫だ、時間は稼げる。
「なんの音だ?」
三海さんは体育の時間のときまでとは全然違う様子で、一瞬取り乱したもののすぐに落ち着きを取り戻して、わたしに尋ねた。階段の最後の一段を、彼女たちは登る。
「み、見ない方が。見ないで!」
キリキリ、わたしから離れたわたしの血液が軋んでる。網の中に小さな侵食体が囚われ暴れている。わたしの血と侵食体を構成する成分が奇妙な反応を起こし、互いに摩耗しボロボロに朽ちるのだ。いつもはただ不快なだけのその感触が、今はどうしてか強烈に痛かった。だからたまらず叫んだ。叫ばなくたって二人は聞いてくれる、とわかっているのに。
「何だって――」
佐東さんが訝しくわたしを見る。わたしのせいだ。視線を動かした二人が、わたしの逃げてきた廊下を視界に入れた。
見ても見なくても結果は変わらなかっただろう。ただわたしが一人で焦って、もたもたと作業をしていたせいだ。あと一秒でも二秒でも早くここから離脱していれば、二人がそこから締め出されることもなかった、わたしもシェルターに避難できた。
全部わたしの失敗だ。
「ふ、たりとも、わたしの後ろに」
それが正しいのかどうかわからない、思いついたのがそれだった、混乱しながらわたしは叫んだ。叫びながらわたしは背後の罠が軋んでいる音を聞いた。出力が上がっている。侵食体の、崩壊寸前のスライムのような形のそれが出力を上げている、すぐそこに人間を見つけたからだ、自分自身を崩壊させてでも人間を捕食しようと摩耗しながら出力を上げて、わたしの血液から抜け出そうと。
佐東さんと三海さんが階段口からわたしの背後へ走って、彼女たちとすれ違いざまに、わたしは手に握っている爆弾のことを思い出し、迷う間もなくそれを侵食体に向かって投げつけた。
――わたしは、こんなふうに攻撃を行うことは、下手だった。運動も苦手だし、どんなに訓練を受けても上達しないものは上達しないし、誰に言われたわけでもないけどすぐに諦めた。隊の中でも違う役割を準備されたし、できないと諦めたって構わないんだと。
でも今、わたしは、わたしの手元が狂ったんじゃないかと、そもそもわたしはどこに狙って投げたのかさえ、わからないまますぐ目の前で起きた爆風を全身に浴びていることにただただ恐怖している。
熱いけど平気だ。わたしの皮膚は血の気を失って固く青白く変質している。でもわたしの背後へ、わたしがかばっているつもりの二人は? 無事でいられる?
「三海さん、佐東さん!」
煙たい爆風の名残の中で二人を振り返る。その途中で横目に赤黒い小さな飛沫の影を見た。
血だ。人間の血。
「だい、じょうぶ」
どっちかのかすれた声、咳き込む声、血の色。
しまった。しまった、しまった、どうして? 何かを? ――失敗した!
わたしの顔のすぐ近くを、何かが掠めるように通過した。わたしの左右の頬は小さく切り裂かれ亀裂が走った。血は流れない。
ダメージを受け摩耗した何かは、針を刺された水風船が破裂するその瞬間をスローモーションで再生するかのように、わたしの眼前で破けて二つに避けた。それがわたしの左右の頬をそれぞれ切り裂くほどのスピードで通過して、そしてそうなった。
「痛っ……」
「ミミミ! いっ、……ったくねぇ、こんなの!」
わたしが振り返ったときにはもう、二人はそうなっていた。
三海さんが廊下の突き当りにうずくまって床をじっと見ている。その隣でしゃがんでいた佐東さんが、右側の額から血が流れるのを片手で押さえながら、立ち上がろうとしていた。
「痛くもねえよ、こんなの。邪魔して、悪いな……」
割れた眼鏡のレンズが額を切ったらしかった。佐東さんの指の隙間から、ガラス片と血が流れ落ちていく。
「おいミミミ、なんか……爆発も止まったし、静かになったぞ。今なら逃げられるんじゃねえか」
「マジで? フジフジ、血、出てない?」
「大したことねーって。お前はどうした? どっか痛むのか?」
「い、痛くは、ないんだけど。なんか身体が動かな……っ動かし方、わかんない」
「は?」
三海さんは、うずくまったままだ。
「いや、いける? 動かせそ?」
裏側の異世界人に対する『侵食体』という名称は、その名の通りで、わたしたち人間の身体を、侵食するから、そう呼ばれているのだ。
基本は、侵食体の吐いた気体が肺から全身へ。ときにはこうして、傷口から直接、侵食体の肉体がそのまま。
二つに別れた小型のそれは、佐東さんの額の傷から、そして三海さんの頭部から侵食を始めていた。
骨と皮膚を柔らかく溶かして、組織の内側にもぞもぞと潜り込む。彼らの体積の分だけ、傷口は膨れ上がって蠢いている。
「いける、立てる! フジフジ、カスミん、逃げよ――、あれ?」
それでも三海さんは元気に立ち上がった。そして片足を踏み出そうとしてそのまま真後ろに、バタンと倒れた。
「ミミミ!」
どうしよう。どうしようもない。侵食している。二人の身体の中に、よくわからないものが入って、三海さんは床の上で歩こうとして、両手両足を互い違いにバタバタと動かした。
「あれ? なんで? なんで?」
痛くも苦しくもなさそうだけど、彼女の頭部は大きく腫れて蠢いている。
わたしはその場に立ち尽くして、いままでの人生で一番長いその瞬間を過ごした。目に埋め込まれた通信端末に緊急呼び出しの赤いランプがきっちり三回点滅する二秒間。
二人はわたしが叫ぶより前に、下の階へ視線を送って――その瞬間に、ガタンと大きな音がした。わたしからは見えない、一階の階段入口で金属の扉が、動かされた音。
「閉まっ、えっなんで?」
「締め出された」
佐東さんが真っ暗な目でわたしを見上げて呟いた。
「隊長さん! 民間人が!」
『慌てるな。侵食体の位置情報に基づいてシェルターへの通路が順次封鎖されているだけだ。防衛施設は正常に動作している』
低い声。わたしはうっと、喉に引っかかる何かを飲み込んだ。
わたしの背後で、廊下に仕掛けた罠が作動する。侵食体の身体に触れて、網が悲鳴を上げながら引き絞られる。そうだ、大丈夫だ、時間は稼げる。
「なんの音だ?」
三海さんは体育の時間のときまでとは全然違う様子で、一瞬取り乱したもののすぐに落ち着きを取り戻して、わたしに尋ねた。階段の最後の一段を、彼女たちは登る。
「み、見ない方が。見ないで!」
キリキリ、わたしから離れたわたしの血液が軋んでる。網の中に小さな侵食体が囚われ暴れている。わたしの血と侵食体を構成する成分が奇妙な反応を起こし、互いに摩耗しボロボロに朽ちるのだ。いつもはただ不快なだけのその感触が、今はどうしてか強烈に痛かった。だからたまらず叫んだ。叫ばなくたって二人は聞いてくれる、とわかっているのに。
「何だって――」
佐東さんが訝しくわたしを見る。わたしのせいだ。視線を動かした二人が、わたしの逃げてきた廊下を視界に入れた。
見ても見なくても結果は変わらなかっただろう。ただわたしが一人で焦って、もたもたと作業をしていたせいだ。あと一秒でも二秒でも早くここから離脱していれば、二人がそこから締め出されることもなかった、わたしもシェルターに避難できた。
全部わたしの失敗だ。
「ふ、たりとも、わたしの後ろに」
それが正しいのかどうかわからない、思いついたのがそれだった、混乱しながらわたしは叫んだ。叫びながらわたしは背後の罠が軋んでいる音を聞いた。出力が上がっている。侵食体の、崩壊寸前のスライムのような形のそれが出力を上げている、すぐそこに人間を見つけたからだ、自分自身を崩壊させてでも人間を捕食しようと摩耗しながら出力を上げて、わたしの血液から抜け出そうと。
佐東さんと三海さんが階段口からわたしの背後へ走って、彼女たちとすれ違いざまに、わたしは手に握っている爆弾のことを思い出し、迷う間もなくそれを侵食体に向かって投げつけた。
――わたしは、こんなふうに攻撃を行うことは、下手だった。運動も苦手だし、どんなに訓練を受けても上達しないものは上達しないし、誰に言われたわけでもないけどすぐに諦めた。隊の中でも違う役割を準備されたし、できないと諦めたって構わないんだと。
でも今、わたしは、わたしの手元が狂ったんじゃないかと、そもそもわたしはどこに狙って投げたのかさえ、わからないまますぐ目の前で起きた爆風を全身に浴びていることにただただ恐怖している。
熱いけど平気だ。わたしの皮膚は血の気を失って固く青白く変質している。でもわたしの背後へ、わたしがかばっているつもりの二人は? 無事でいられる?
「三海さん、佐東さん!」
煙たい爆風の名残の中で二人を振り返る。その途中で横目に赤黒い小さな飛沫の影を見た。
血だ。人間の血。
「だい、じょうぶ」
どっちかのかすれた声、咳き込む声、血の色。
しまった。しまった、しまった、どうして? 何かを? ――失敗した!
わたしの顔のすぐ近くを、何かが掠めるように通過した。わたしの左右の頬は小さく切り裂かれ亀裂が走った。血は流れない。
ダメージを受け摩耗した何かは、針を刺された水風船が破裂するその瞬間をスローモーションで再生するかのように、わたしの眼前で破けて二つに避けた。それがわたしの左右の頬をそれぞれ切り裂くほどのスピードで通過して、そしてそうなった。
「痛っ……」
「ミミミ! いっ、……ったくねぇ、こんなの!」
わたしが振り返ったときにはもう、二人はそうなっていた。
三海さんが廊下の突き当りにうずくまって床をじっと見ている。その隣でしゃがんでいた佐東さんが、右側の額から血が流れるのを片手で押さえながら、立ち上がろうとしていた。
「痛くもねえよ、こんなの。邪魔して、悪いな……」
割れた眼鏡のレンズが額を切ったらしかった。佐東さんの指の隙間から、ガラス片と血が流れ落ちていく。
「おいミミミ、なんか……爆発も止まったし、静かになったぞ。今なら逃げられるんじゃねえか」
「マジで? フジフジ、血、出てない?」
「大したことねーって。お前はどうした? どっか痛むのか?」
「い、痛くは、ないんだけど。なんか身体が動かな……っ動かし方、わかんない」
「は?」
三海さんは、うずくまったままだ。
「いや、いける? 動かせそ?」
裏側の異世界人に対する『侵食体』という名称は、その名の通りで、わたしたち人間の身体を、侵食するから、そう呼ばれているのだ。
基本は、侵食体の吐いた気体が肺から全身へ。ときにはこうして、傷口から直接、侵食体の肉体がそのまま。
二つに別れた小型のそれは、佐東さんの額の傷から、そして三海さんの頭部から侵食を始めていた。
骨と皮膚を柔らかく溶かして、組織の内側にもぞもぞと潜り込む。彼らの体積の分だけ、傷口は膨れ上がって蠢いている。
「いける、立てる! フジフジ、カスミん、逃げよ――、あれ?」
それでも三海さんは元気に立ち上がった。そして片足を踏み出そうとしてそのまま真後ろに、バタンと倒れた。
「ミミミ!」
どうしよう。どうしようもない。侵食している。二人の身体の中に、よくわからないものが入って、三海さんは床の上で歩こうとして、両手両足を互い違いにバタバタと動かした。
「あれ? なんで? なんで?」
痛くも苦しくもなさそうだけど、彼女の頭部は大きく腫れて蠢いている。
わたしはその場に立ち尽くして、いままでの人生で一番長いその瞬間を過ごした。目に埋め込まれた通信端末に緊急呼び出しの赤いランプがきっちり三回点滅する二秒間。
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