天使が恋を知ったとき

ハコニワ

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二章 白崎聖人の世界 

第23話 天使

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 もの心つくときに、天使たちは首輪で繋がっていた。自由に羽ばたく羽があるのに、鎖に繋がっていた。
 玩具のように過ごしていた。何もかも束縛され、感情なんて、芽生えるものではなく、〝喜び〟など知るわけもない。

 ただ繰り出す命令に従い、無機質に過ごしていた。羽ばたけば、あの空だって普通に飛べるのに、この羽は、一体なんのためにあるのだろう。
 檻から出た姉さんが、翼をもがれ地獄に落ちたことは、すぐに伝わった。でも、すぐに冷めて行った。お世話になった人が消えていったのに、干渉はしない。空気みたいに忘れていった。

 そんなとき、天音が姉の形見のバンダナを巻いていた。
「それ、どうしたの?」
 訊くと天音は、拾ったと答えた。 
 拾えるわけがない。だって、お姉さんは……。天音は、満足そうにバンダナを首に巻いていた。天音は幼いころから、表情筋が変わらない子であまり、他の兄妹には心を開かない。

 唯一心を開き、そして親しくしてるのは、姉妹の中で一番近いわたくしだった。あと、お姉さん。姉妹の順番が遠すぎて、わたくしたちはその人のことを母と呼んでいた。他の兄妹たちも、そう呼んでいたに違いない。

 なのに、今はいない。泣く者はいない。みな、優しくしれてくれた恩を忘れ、日々を生きている。神様に徐々に従うようになった。翼をもがれないように、みな、必死に生きているんだ。姉のようにならないようにと。

 お姉さんは、感情、主に〝恋〟を知った。それで檻を出て一時の自由をえた。ほんの死の間際の自由の瞬間。それを最後にして、翼をもがれた。

 空をじっと見上げている天音を見たとき、天音が飛び出しそうで怖かった。閉じた翼を大きく広げ、空に飛んで消えてしまいそうだった。思わず抱きついて止めると天音は、キョトンとした表情でいた。
「姉さん……何?」
「えっと……ごめん」
 それでも手は離さなかった。

 天音は、無表情で空を見上げていた。天音は感情を知らない。だから大丈夫。この檻から出ない、と思っていた。

 天音はこのとき、空を見上げていたのは、他の世界がどうなっているか、興味をもっていた。檻の中にいるのに、それについて興味を抱いてしまったこと、それについて当時のわたくしは知らなかった。

 それは、ある日突然だった。
 天音がいなくなった。昨日までそこにいたのに、突然蒸発したかのように。天界を隈なく探しても天音の姿はなかった。

 誰に聞いても、みな、口々一緒「知らない」と。お姉さんに続き、天音までわたくしの前からいなくなるのは嫌だ。世界が白黒になってしまう。わたくしを一人にしないで。

 翌朝、天音は何食わぬ顔で帰ってきた。
 どうやら、人間界にバンダナを落としたみたいでそれを取りに行ってたみたい。そんなの神様に言えば、楽に手に取れたのに。

 言えない事情がある。それは、本来消滅した天使のものだから。消滅した天使のものを、何故天音が持っているか、ととやかく言われるから、無断で人間界に降りたのでしょう。

 帰ってきた天音は、足を怪我していただけで特に何もされていなかった。
「良かった。でもこれからは、姉さんに一言くらい報告するんですよ」
「分かった。ごめんなさい」
 正直でよろしい。
 天音が無断で人間界に降りたこと、まだ神様にバレていない。特に処分は下さらないだろう。良かった。

 足のかすり傷は、天音の力なら軽く治せる。また、檻の中で一緒に暮らせる。でも帰ってきた天音は、前の天音じゃなかった。閉じていた翼を広げ、自由を得た。檻から出た鳥は、綺麗な景色を見てそれに憧れ帰ることはない。天使も同じ。天音は、狭い檻の景色を抜け、綺麗な景色を見てきた。きっと、突き動かしたものがあるのだろう。

 天音の目は、消失とした目ではなく光りが宿っていた。大きな瞳の中に、まん丸なお月様が浮かんでいる。今まで、感情さえ知らなかった天音がそれについて、知った瞬間だった。


 それから天音が一人で何処かに行った。もう、それっきり戻らなかった。籠の中の鳥は自由を得た。

 天使が人間界に降り、初めて感情を知った。お姉さんと同じ、その感情は〝恋〟。天使にとって、恋というものはタブーだった。わたくしが使える神様だけのルールかもしれない。でも、タブーをおかしたと分かった天音は、一人で飛び出した。

 そして……人間に。

§

 僕は今衝撃的な話を聞いている。天音さんとお姉さんの過去。それは、天使という神秘的な存在がする過去ではない。
 僕は、天音さんと初めて出会った瞬間を思い出した。確かに彼女は、真っ暗な瞳で、自分は一人だみたいな眼差しだった。

 美人だったけど、何処か近寄りがたくいつも暗い雰囲気を出していた。どうしてそんな二人だけが知っている過去の話を、僕に語ったのだろう。
 僕のことを、少しだけでも認めてくれたのか。

 天和お姉さんは、はぁと深いため息をこぼした。
「すいません。こんな話をして」
「いや、でも……僕の知らない天音さんのことが聞けて、良かったです。ありがとうございます」
 ペコリと会釈し、顔をあげると天和お姉さんは眉間にシワを寄せ、睨んでいた。
「油断してました。わたくしの知っている天音が知られるなんて。忘れてください。その前に存在ごと消えて」
「辛辣な……僕が消えたら天音さんは悲しむだろ」
「いいえ、ありません」
 認めてくれたと思ったのに。まだまだ道のりは長そうだ。

 すると、帰っていった和也くんがバタバタと音を立て家に上がりこんできた。
「おい! この妹なんとかしろっ!」
 と妹の愛姫を指差す。
 愛姫は和也くんの腕を掴んでは離さない。ぎゅと抱きしめている。その態勢、この家を出たときのと同じ。まさか、その態勢のまま、外を出歩いたのか。 

 引き離しても、びくともしない。
 和也くんは、愛姫に付きまとわれて完全に死んでいる顔。慌てて帰ってきたのか、髪の毛が荒れている。逆に愛姫は、清々しい表情。和也くんの生気と根気を吸ったかのように、元気だ。

 愛姫を説得しても、和也くんを離さないと。一日だけで離れると発狂して死ぬ、と宣言。愛姫には兄ちゃんが一日いるだろ。それでも、愛姫は和也くんが良くて中々離さない。

 こんな茶番劇があっても、天和お姉さんは他人事みたいにお茶をすすっていた。和也くんは暴れて、愛姫は接着剤でもまとわりつき、僕は必死に剥がす。ほんとに第三者から見れば、茶番劇だけど、この日常がとても、愛くるしい。

 こんなに笑いあっている日常は、久しぶりだ。もうずっと、笑っていなかった。だからなのか、これが、愛おしく好き。

 結局、両親が帰ってきて愛姫はしぶしぶ和也くんから離れた。両親の前では優等生を演じているのだ。和也くんは、まとわりつき虫が離れるとさっと、帰っていった。天和お姉さんも、いつの間にかいない。

 僕らは、夕ごはんを食べた。5月2日の夕ごはん。両親と食べる夕ごはん。そういえば、この世界は僕が願った世界だ。死ぬとタイムリープするし、存在しない三人がいる。ならば、天音さんを見つけた瞬間どうなるんだろう。

 天音さんを見つけた瞬間、この世界は崩壊して、本当の本当の世界に辿りつく。そうなれば、両親と愛姫は……。本当なら、もうこの世からいなくなった二人。本当の世界に戻ったら、この二人の存在はいない。

 天音さんを探したいけど、やっと手に入れた家族の温かさ、どちらを手に取るか、天平にかけろということか。神様も酷なことだ。

 僕はずっと、天音さんのことを考えていた。タイムリープしても、落ち込んでても。三人を失うのは、嫌だ。かけがえのないものだ。この温かいものが、消えていく。

 三人は死んだ。とっくの昔に。だからもう、安らかにしてほしい。僕は天音さんを手に取った。

 洗面台で歯を磨いてたら、途中から愛姫が割り込んできて朝みたいに、占拠地を奪われる。愛姫も歯を磨くためにやってきたのだ。洗面台で兄妹そろって歯を磨いている。

 愛姫はシャカシャカと歯を磨いている。この手の届く距離に、失ったものがある。そこにある。なのに、自分から手放そうとしているのか。神様よりも、酷だな僕は。
「愛姫は、明日、和也くんに会えなかったらどうする?」
「ええーなにそれ、そんなの決まってんじゃん!」
 愛姫はニカッと笑った。 
「明日会えないのなら、明後日待つ。明後日も無理なら明々後日も待つ。ずぅと待ち続けるよ。愛姫の運命の人だもん。必ず来てくれる」
 僕はそれを聞いて、胸を刺された。

 心臓よりも、心が痛い。刺したものは、鋭利な刃物でもなく、愛姫の言葉だった。

 愛姫は、ぺっと口を啜ってそれがどうしたの? と不思議な表情していた。「いきなり聞いた兄ちゃんが悪かった。おやすみ」というと、愛姫は終始、不思議な表情しながらも、おやすみと別れた。
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