わたしとあなたの夏。

ハコニワ

文字の大きさ
30 / 57
一 大倉麻耶 

第29話 帰還

しおりを挟む
 わたしは言葉を失った。
 あのとき、あの言葉は嘘だった? ありえない。確かに、どうして信じたんだろう。そうだ、この子だからだ。素直で優しくって誰にでも明るい子が嘘などつくはずがないとハナから思っていたからだ。
 言葉を失い、情景がグニャリと歪んだ。そのまま奈落の底に真っ逆さまに落ちるところを篤さんがギリギリのところで体を支えてくれた。すると、景子が声をあげた。
「まっちゃん、気をつけて。男の人は狼さんだよ。佳代子さんみたいにならないように」
 景子は潤った目で篤さんとわたしの顔を交互に見張った。すると、わたしと篤さんの前に礼子が割って入ってきた。礼子はもう持ち前の冷静沈着な姿勢。流石だ。景子の変貌ぶりに驚いたのは一瞬だったらしい。
「その言葉を聞いて、一つ聞いていいかしら?」
 景子は大きく首を傾げた。礼子は話しを続ける。
「佳代子さんはどうして社で首をつってたと思う? その狼さんに貞操を奪われたから。しかも、非合意に。村中の年寄りはまだ祟りだの云々言ってたけど、私は間違いなくその狼に食われて自さつしたって考えられる。で、景子はどうして佳代子さんの死は祟りではなく、狼だっていったの?」
 いつもながら、突き放すような口調。でも、どこか刺々しい怒気が含んだ感じに聞こえる。
 景子は礼子の顔を暫く見つめ、次第に大きな瞳を細めた。上目遣いで礼子のことを睨んでいる。そんな景子の口から思いもよらない言葉が飛び交った。
「見てたから。偶然だよ。夜中外に出てみたら佳代子さんが襲われてた。猫みたいに泣いて狂う程狼さんと戯れてたの」
「助けなかったの?」
 わたしが訊ねると景子は鼻で笑った。
「どうして? 他人を助けても良いことはない」
 わたしは景子の言葉を疑った。
 公園で遊んでいる子どもたちの面倒も積極的にやって頼りのある子が、宿題を忘れたふりをして、わたしと一緒に廊下に立たされた優しい子が、そんな無慈悲な言葉が言えたのだろうか。
 いいや、聞き間違いだ。悪魔の言葉だ。
 今、まさに目の前に立っているのは景子ではなく、その体に乗り移った悪魔だ。そうに違いない。だって、その手に持っている斧は一体誰に振り下ろして一体誰を傷つけているのか、わたしは瞬時に分からなかった。

 悲鳴が轟いた。鈍った音が耳に障る。戦慄のメロディを奏でるに相応しい痛苦の悲鳴。それは誰の? 礼子だ。

 わたしの目先に倒れかかってきた礼子。腰がヘナヘナだったことも忘れ、わたしは真っ先に礼子のもとへ駆け寄り、地面ギリギリで支えた。礼子は左目をおさえ、苦痛の表情が広がっている、プツンとなにかが切れたように左目から夥しい血が溢れてくる。
「礼子! しっかりして! 礼子っ!」
 顔を覗き込むと暫くしてから礼子の片目がこちらを確認した。水にでもかけられたような潤った瞳。均等に整えられた眉がハチの字に曲がっている。
 その姿は本当に、痛ましい。わたしの思考と心は無意識に〝憎悪〟が生まれた。
 わたしは景子を睨んだ。そのとき、どういう表情をしていたのだろう。
 景子は返り血を浴び、真っ白な肌だったのが真っ赤に染まっている。手にしている斧にはペンキを塗った感じにべっとりと血が付着していた。
「景子、どういうつもり!?」
「お父さんも佐奈ちゃんも失ったれいちゃんは本当に悲しい。きっとこれから生きていても無駄だと思う。だから、こうするの!!」
 斧をまた振り下ろした。シュンと空気を割く爽快な音とともに。
 礼子を肩で抱えて、わたしは自慢の動体視力で交わす。一人で充分な幅の橋を渡り切るには目の前の景子が邪魔。
 わたしの思考はこのとき、なんの躊躇もなかった。景子を押し退け、怪我しても心配は微塵たりとも感じない。ここは逃げるしかない。
 それはこの場にいる篤さんでも分かったこと。目が合うとまるで、分かったようにコクリと首を頷いた。
 斧を振りかざす時間を与えず、篤さんが景子に飛び乗った。その隙にわたしと礼子は橋を渡った。そんな渡っていないのに、遠くに感じる。
 背後では景子と篤さんの奮闘の声が聞こえてくる。もしかしたら、このまま二人とも一生会えなくなるかも。そう悟ったが振りかえらなかった。振り返ることはしなかった。
 まだ、薄っすらと希望の光がある自分に吐き気を感じる。
 ゆっくりだった歩幅がだんだんと速くなったのを気に礼子が声を漏らした。
「待って……止まっ……て」
 わたしはすぐに足を止め、顔を覗いた。首を項垂れた状態だと黒髪が顔を隠して表情は読み取れない。けど、日常では全く見かけない弱々しい態度に、わたしは心の底から心配した。
 地ベタで礼子をおろし、座らせると、なにをするかと思いきや穿いてたスカートの切れ端をビリリと引き裂いた。
 スカートの奥は真っ白な太腿が晒されてた。そんなの気にも留めず、礼子は行動を続ける。
 顔をあげ、髪の毛を全部後ろに払いのけるとちぎった布を左目にあてて頭の後ろで結んだ。それでも、布から溢れだすその血は彼女の体内からどくどくと脱出していく。ぶわっと薔薇の花が咲いたように布に血が染みている。
「礼子、大丈夫? 立てる?」
「大丈夫……て言えそうにないわ」
 その声は冷たくも熱くも、硬くも柔らかくもない。個性を押し殺し、体温と色が抑制された無感情な声だった。
 息をスッと吸うと礼子がおもむろに腰をあげた。慌てて礼子の腰を支えると手の甲に手のひらが合わさってきた。
 汗で湿った手のひら。
「礼子……?」
 顔を覗くと礼子はさらにプイと顔をそらした。暫くそれが続いたので気にせず、前を歩く。肩から感じる礼子の体温と息がかすかに弱っていることに、わたしは焦った。
 何度も何度も元気づけようとわざと話しかけたりする。それでも、彼女はわたしと一度も目を合わしてくれなかった。


 気がついたらわたしも満身創痍。人一人担ぐのにこんな力がいるなんて、初めて知った。担いでいるのがどんな尊い重みかも知る。
 歩き続けて足がパンパンだ。意識も飛びそうになる。歩き続けて思考は真っ白になりかけていた。わたしは今、どこに向かっているのか、今、どこにいるのか分からなくなってくる。


 光が見えた。家の窓の隙間からこぼれだす温かい光。ようやく村が見えたのだ。点々とした光の粒は儚く小さい。
 あんなに感情が煮えたぎって村を出たのに、こんな感じで再び帰ってくるとは誰も思いつかないだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...