物語の環

ハコニワ

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追う者と追われる者

1―4 宏②

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 おばさんは首に巻いたタオルを取り、腰を上げた。俺の顔みてクスリと怪しげに笑う。
「ここで待ってるわ」
 おばさんが去り際に俺の服のポケットになにかを突っこんだ。
 あとで見てみるとメモ用紙だった。自由ノートを四角に切り取った用紙。ハサミで切り取ってないのか、用紙は形が四角とはいわず丸く帯びている。
 そのメモ用紙に黒のボールペンでこう書かれていた。
『ミスター工場地で待っている』
 ミスター工場とは、五年前社長が原因不明の自殺のせいで今はもう使われていない工場。小中学生や近所の悪ガキが試しに肝試しをするほど肝試しをするには人気の場所。
 そんなとこで待ってなにをプレゼントしたいんだ。
 おばさんの接客が終わり、早々に帰らせてくれた。見れば、まだ昼の二時だ。そういえば、なんやかんやで昼飯食っていない。昼飯食ってから、行こっと。

 時計を見れば、既に三時になっていた。どうにも空いてる店がなく、工場地から程遠い場所まで向かったのだ。それにて、工場に辿り着いたのが三時。もしかして、待ってるんじゃないかあのババア。こりゃ大変だ。けど、時間指定はなかったし。
 恐る恐る中を覗くと黒いスーツをきっちりと来た厳つい男二人がいた。
 な、なんでこんなところにヤのつく奴らが。来るんじゃなかった。さっと来た道を戻り帰ろうとした矢先、気づかれてしまい声をかけられた。
「お前だな。宏っていう美容師は」
「は、はい。そうですけど?」
 後退りをジリジリするも、もう一人の体格がでかい奴のほうが先回りして背後に立っている。もはや、袋の鼠状態。
「薬だ。大切に保管しろ」
 向かいにいる男が銀のアルミケースを差し出してきた。いかにも、厳重に鍵をして重そうなもの。受け取らなきゃいけないムードに耐えきれず、恐る恐る受け取ってみた。
 ずっしりとしていて、なにか不気味な重さ。確か、薬って言ってたな。薬? まさか……
 厳つい男二人が逃げるように去ってしまうのを俺は食い止めた。あとで殴られるも百の承知で。
「待ってください! こ、これは……まさか……ヤク」
 言い終わるまえに右頬を思いっきり殴られた。反動で、ゴロゴロと転がり落ちる。白にも似た銀のアルミケースが土埃で少し傷がついている。
 殴られた衝撃は気を失うほどだったけど、それでも食い下がった。どんなに惨めでも痛い思いしてもこの荷物だけは絶対に受け取らない。
 やってもいないのにこんな薬受け取って警察おくりなんて、なにがなんでも絶対にいやだ。
 特にこのことがバレて刑務所にいたらどうやって金を稼ぐ。兄さんはニートだし妹は月給少ないし、刑務所なんて行ってたまるか。

 しかし、意図をはかったように数台のパトカーがこの建物に向かってきた。あの黒いスーツをきた二人組はいない。慌てて、逃げるもアルミケースには確か、俺の指紋があったはず。
 慌てながらも、ハンカチを手に取り、取っ手の所を十分に拭き取った。これで良し。
 この歳でこんなに走るとは思わなかった。無事、パトカーから隠れて逃げて、やっと我が家に辿りついた。
 今日の悪いことはすべて忘れよう。そうだ、俺はごく普通の一般人だ。兄さんと妹のために毎日働いている男だ。
 そう、胸に言い聞かせると不意に胸騒ぎがした。良くないものを落としたんじゃ、その予感は的中した。
 あの指紋を拭き取ったハンカチがどこにも見当たらない。ポケットをなんども裏返しにしても見つからない。
 まさか、あの現場で落としたんじゃ……。おいおい、まじかよ。あのケースには麻薬が入ってて、そばには、俺のハンカチがある。
 これってまさか、証拠バッチリ逮捕されちゃう。

 一気に血の気がひいていった。頭の中が真っ白になる。暫く呆然としていると、声をかけられた。
「宏、なにやってんだ? 家の前で」
 兄さんが家の外にいる。びっくりして訊ねたいけど、うまく声がでない。
 きっと、青白い顔していたのだろう。兄さんが心配してきた。兄さんに心配されるのはいつぶりだろう。いつも、賢くしているからそう、滅多にない。
 嬉しい反面、恐怖がまだある。こうしている間にも警察のやつらが俺を特定して家に向かってきている。
 怖くなり、兄さんを引っ張って家に入った。なんと、家にはいつも忙しい妹の光がくつろいでいた。
「あ、おかえり」
「お前早いな」
「さと兄とひろ兄のほうが遅いんだよ。疲れた。ご飯は~?」
 ソファーの上でくつろぎ、光はまんざらでもなくご主人様。でも、正直ちょっとホッとした。
 少し話しただけでホッとするなんて。大丈夫だ俺。警察がきても逃げればいい。そうだよな。
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