エデンの女王

ハコニワ

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一 不条理な始まり 

第8話 思い出

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 倫也くんに言われた一言が頭から離れられない。

『〝家族〟についてちょっと堅苦し過ぎてない? これやってもらったから、次これしないと、て考えてる? 誰もそんなこと思ってない。家族ってのは、貸し借りなしの関係だ。あん時言ったろ? ここの家族は温かいって。だったら、もう少し俺らに頼ってもいいんだぜ』

 わたしは、甘えることを知らない。だから、これをやってもらった分、次はこれをやらなきゃて思っていた。そんなふうにいつも、過ごしていた。それがクセになっていた。

 〝家族〟について知らないのに、知ったかぶりに何やってたんだろ。ほっとけないと言って、倫也くんにしつこくしてたり、幸音さんもこれくらい一人でやるものをわたしがやっていた。

 迷惑だったかな。

『ここの家族は温かいって。だったら、もう少し俺らに頼ってもいいんだぜ』 
 また倫也くんの言葉が脳裏によぎった。頭から離れられない。まるで、呪縛のようにつきまとってくる。そうだ。ここの人たちは温かい。ひだまりみたいだ。でもあの笑顔が全部嘘だったら――そんなわけない。はっきりいえる。あの人たちは、嘘をつかない。

 たった一週間、ほんの一週間一緒に暮らしてきただけで、わたしはこんなにもここの人たちのことを信頼している。想いあっている。この気持ちは嘘じゃない。

 翌日、起きた時刻は一時間も遅かった。普段この時間帯だ。絵伝にやってきて、ここの人たちが起きる前に起きている。
 起きて支度をするのが、新参者の礼儀だと思っていた。けど、たまには遅く起きるのもいいかもしれない。
 早起きは三文の徳、というけど寝惚けすけも得もあるものだ。

 目を擦りながら、居間に顔を出すと温かく迎え入れてくれた。
「今日は寝ボスケだったのね」
 和恵叔母さんが笑った。
「おはよう。もうご飯できてるよ」
 幸音さんが陽気に挨拶した。
「おはよう」とわたしも挨拶した。朝起きるともう既に朝食が出来上がっていた。藤村家の朝は早いなぁ。

 倫也くんも朝起きてて、居間に腰を下ろしていた。わたしが最後だったのか。

 誰かが作った朝ご飯は久しぶりだ。わたしがそろうと、「いただきます」の合図。各それぞれが箸をつける。やっぱり幸音さんの作ったご飯は美味しいな。

 食べ終わったらそれぞれの準備をする。幸音さんは食べ終わったのを皿洗い。和恵叔母さんと達也さんは、畑仕事に外に出る。倫也くんは相変わらず部屋にこもる。

 今日は休日だからなのか、雅也さんが家にいた。ご飯を食べ終わったあと、幸音さんと一緒に皿洗いをしようと、厨房に向かったとき、雅也さんに呼び止められた。
 居間の隣の廊下から、手招きしてくる。
「どうしたんですか?」
 不思議に思いながらも、雅也さんのところまで歩いていく。雅也さんはニコニコしてて、何を考えているのか分からない。
「何ですか?」
「えっと、いい機会だから、親しくなりたいなって」
 いい機会?
 確かに雅也さんと二人きりになったのは、初めてかも。でも、わたしはてっきり雅也さんと親しくしているつもりなんだけどな。
 雅也さんは手招きした。わたしは借りてきた猫のようについていく。

 たどり着いたのは、雅也さんの部屋だった。正確には、幸音さんと雅也さん二人の部屋。二人の部屋はわたしたちと違って大きい。畳上十二間。二人部屋なだけに広い空間だ。

 ここの敷居にくるのは初めてじゃない。でもこの部屋に来るのは初めてだ。敷居と敷居を跨がうように、渡り廊下があり、お風呂や客間があるのは左の敷居で、わたしの部屋と居間があるのは右の敷居。 

 雅也さんたちの部屋に招き入れられ、部屋が広いから、何処に座ればいいのかウロウロしていると、雅也さんが指定してくれた。四角い椅子。安心して、背もたれにもたれかかった。

 雅也さんは奥にある、本棚から何かを引っ張り出している。分厚いものを二冊か三冊腕に抱えて持ってきた。
「それは?」
「アルバムだよ」
 机に置いた。ドサリ音がするほど、その本の重みが伝わる。

 何故急にアルバムを見るのか……首を傾げているとそれが伝わったのか、雅也さんがこちらに顔を向けた。
 思わずびっくりした。雅也さんの顔、綺麗だから。眼鏡の奥にある瞳は、潤ってて優しくて、藤村家の顔面偏差値高いなぁ。

 雅也さんから距離をとった。それでも雅也さんのほうからすすす、とちかよってくる。恐らくこのアルバムを見るために近寄って来るのかも。
「力也はともかく、捻くれの倫也とも親しくなった若葉ちゃんに見せたいものがあるんだ。いい機会でしょ? ここの家のこと、もっと知ってほしいんだ」
 雅也さんは、ニコニコ笑っていた。
 にっこりと微笑んでいる。藤村家の長男として、二人の弟のことを心配していた人であり、わたしがどうやって仲良くなるか、見ていたのだ。

 人のアルバム見たことない。友達と呼べる人は同中か同小で、年月が経てばその関係は薄れていきやがて、関わることはなくなった。わたしの貧乏生活のせいもあるけど、毎日毎日バイトで、友達と遊ぶ機会もなかったな。
「見ていいんですか?」
 少しドキドキした。
「いいよ」  
 さらりと承諾してくれた。
 わたしは、恐る恐るその本を受け取ってページをめくる。幼いころの藤村家の写真がずらり。

 赤ちゃんの頃から今に至るまでの写真。わたしの知らない写真ばかりだ。
「これ、誰ですか?」
 母親、和恵叔母さんにすがりついて泣いている男の子の写真を指差した。
「これは、力也だね」
「えぇ、力也さんですか!?」
 クマをも倒すほど大柄で不器用の人が、小さいころは母親に泣いてすがっているなんて、信じられない。雅也さんが詳しく言うには、このとき温泉旅行で欲しいオモチャを買ってくれなかったから、駄々こねている写真。

 よくもまぁ、そんなときに撮ったものだ。
 次に、運動会の写真だろうか。幼少期の彼らの写真だ。徒競走で小さい子が走っている。一生懸命に走っている子の中で、気だるそうに後ろから走っている子が。
「これは、倫也くんですよね?」
「よくわかったね」
 雅也さんは目を見開いて笑った。
 一週間しか共に過ごしてないけど、この気だるさは分かるよ。他が一週間なのに、気だるそうにしているのは、彼しかいない。
「小さいころからこんな感じなんですね」
「うーん、これは諦めた感じかな?」
 倫也くん、この頃からすでに藤村倫也として成り立っているな。揺るがないな。

 わたしはアルバムを閉じた。
「なんだか、皆さん、家族てやっぱすごいですね」
 貧乏生活でろくに写真を撮らなかった。それでも、父は高そうなカメラを買ってわたしとの思い出を一枚一枚撮っていた。こうして、写真にして飾ることはできなかったけど、あの頃の思い出は、胸にいつまでも残っている。

 藤村家のこの写真はあまりにも眩しすぎる。わたしの知らない〝家族〟の領域が眩しい。途端に、惨めになってきた。

「いつか、このアルバムの中に若葉ちゃんも入るんだよ」
 雅也さんが優しく言った。
 その言葉が頭の中に入り、思考が止まった。藤村家の写真の中に、いつか、わたしが入る。雅也さんの中では、すでにそれは決まっていて、それは、もう家族だと言っている。
「……楽しみです」
 わたしは涙を貯めながら言った。
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