上 下
70 / 100
六章 侵略者と荒地 

第70話 その後

しおりを挟む
 ふわりと甘い香りがする。隣を見ると千枝ちゃんの顔が。
「え、あれ?」
「あれじゃない。重い」
 千枝ちゃんは眉間にシワを寄せていた。ついウトウトして千枝ちゃんの肩を借りていた。
「あ、ごめん」
 ばっと離れた。千枝ちゃんは文句を言わなかった。そっぽを向いて、そこに座ったまま。離れなかった。やがて、目的の場所までたどり着き刹那の家の、向かいにある和菓子店に足を運ぶ。

 店内に客はいなかった。朝早くても営業している。レジの奥の部屋でおばあちゃんが、椅子に座って眠っていた。店内はふんわりと甘い香りが立ち込めている。千枝ちゃんのほうが甘い香りがする、て思っていても絶対に口にしない。

 あの時と同じように、水羊羹を注文して熱々のお茶と一緒に食べる。外は冷えていたから熱々のお茶を飲むと、体の中がぽっと温まる。

 ここの和菓子店は水羊羹が美味しい。パクパク食べていると、千枝ちゃんがおもむろに話しだした。
「先日、有名歌手に会った」
 千枝ちゃんの言う有名歌手とやらを頭の中で模索した。有名歌手なんて、芸能界いっぱいいるから誰が誰なのか分からない。千枝ちゃんは話を続けた。
「北山刹那がまだ、機関にいた頃に励まされた、というやつで。今日のような昼頃に、ばったりここで遭遇して――『わたしのこと覚えてる? あの時はほんとにありがとう。あなたがいなかったら、わたし、この子に暗い人生を見せる所だった。ほんとにありがとね。今でも元気そうで良かった』と。満面の笑顔で手を握ってな」
 ぼんやりと思い出してきた。
 そういえば刹那がアポロで、まだガーディアンだった頃、コスモたちと一緒に有名人を探そうとしていたな。今思い出すとすごく懐かしい。

 あの無邪気だったあの頃が、遠い記憶のよう。時系列で言えば二ヶ月前。二ヶ月前まではガーディアン機関だったし、アポロと名乗っていた。たったの二ヶ月でこんなに変わるのか。
 感慨深くなって、しんみりした。

 千枝ちゃんがお茶をスズと飲んだ。渡されてから暫く経つから、少し冷めてきている。猫舌かな。

「当然。機関にいた頃の記憶は消えている。それで記憶が戻るスイッチでもなかった。でも、姉は不思議に首を傾げていた。『あたし、そんなことやったけ? 確かに大好きな人が失踪したら探すけど、そんな行動力ないなぁ』と。宇宙人と一緒になって探したんだろ? 思い出さなくていい記憶だ」
 千枝ちゃんは目を伏せた。
 艶のある髪の毛が肩に落ちる。
 あのときを思い返すと、ふと、気になっていたものを瞼の裏に思い出した。
「でも、サイン貰ったんだよな」
「サイン?」
「貰ったというか、横から奪われたな」
 はぁ、とため息ついた。
 千枝ちゃんは顔をあげ、俺の顔をまじまじ凝視した。有名人からのサインを、刹那は手にしている。大好きな歌手で人生で一度もないであろう芸能人のサインを、刹那は持っているのか疑問だ。

 千枝ちゃんは大きく目を開かせて、ぽつりと言った。「いいなぁ」と。
「千枝ちゃんもあの人好きなの?」
「偶に聞く」
 そういえばこいつら、双子だったな。性格が似てなさすぎて、時々忘れる。好きなものとか共通し合うんだろうな。離れて生活していても。

 千枝ちゃんのスマホが鳴った。突然。お互いビクリとして、千枝ちゃんは慌ててポケットにしまったスマホに手を伸ばす。ガーディアン機関からの連絡だろうか。千枝ちゃんの顔も緊張している。スマホを持っている指先が微かに震えていた。

 スマホを手に取り確認すると、ほっとした表情になった。どうやら違うらしい。
「誰から?」
「刹那からだ。遅れてくるって、ラインが届いた」
「ったく……」 
 俺は机に肘を置いた。こっちは朝早くから隣街まで来てんだぞ。そんでもって、向かい側の和菓子店にいる。招待したやつが遅れてどうする。千枝ちゃんがスマホをまたポケットの中にしまう。
「でもびっくりした。刹那と、もうそんな仲なんだ」
「〝友達〟だからな」
 千枝は哀しく笑った。 
 刹那としているなら、俺も千枝ちゃんとラインしたいな。この姉妹を黙って見届けたい。本当に姉妹だということを隠しながら、友達としてやっていけるのか。千枝ちゃんのほうこそ、限界なのでは。

 でもそれは杞憂だった。
 千枝ちゃんはどんな形であれ、姉とつまらない話や愚痴、他愛もない話をすること自体が楽しい。離れていた時間を埋めるように。ようやく姉妹の時間が動き出したんだ。

 おばあちゃんが空になったお茶碗に、また熱々のお茶を注いでくれる。コポコポと。さっき淹れたのか、湯気がこんもり出ている。ついでに、水羊羹も注文した。千枝ちゃんはもう何も頼まないと。注文した水羊羹が渡ってきて、机に置くとまた話を始めた。今度はガーディアン機関ソレイユとしての顔になった。

「あれから、ガーディアンも革命を起こした。度重なる宇宙人の侵略、そして、機関がそれに先回りして動けなかったこと。それら含めて長は、ガーディアン機関をさらに強くすると」
 べスリジアとの戦争は、ガーディアンもよくやっていたほうだと、一般人の俺からしたら褒め称える。でも宇宙人が地球に降りてきては侵略、誘拐してくる。地球を守るのがガーディアンの務め。

 それらから守らなければならないのに、先に動いたのは宇宙人のコスモたち。面子がただ漏れ。機関はアポロたちを退かせてさらに強化するのか。一体どこを強化するのやら。空気がやけに冷たくなった。

「北山刹那含む、前、機関がどうして無理に退かれたのか、それはアポロたちが力不足だったからだ。機関としての力は充分にある。でも、宇宙人を信頼し仲良くなったため、後に起こる戦争では役に立たないと長が判断したのだろう。アポロたちは、戦場では生き残れない。無様な死を遂げる。長はアポロたちを想って退かせた。考えたくないが、どうしてもこの結末に至る」
 千枝ちゃんは熱々のお茶を覗いていた。水面に映っているのは、自分の顔。酷く悲しい顔している。

 俺は息をのんだ。
 聞きたいことが山ほどある。机から身を乗り出して問た。
「二ヶ月前だぞ? それじゃあ長は、戦争が起きることを予知していたのか?」
「そうなるな」
 俺は絶句した。こうなること、全て仕組まれていた。アポロが刹那として、ルナが植物人間となり、レイは一人孤独を抱えて、そんな事になるのに想われていた、だと? そんなの大嘘に決まっている。ほんとうに想っているのなら、こんなことしない。 

 本当に狂っている。
 こんな話をきいて、ただただ怒りしか湧いてこない。なのに千枝ちゃんは安堵している。
「自分たちにとって、長は親だ。たとえひどい仕打ちされても、その親に想われていたという事実があったなら、アポロたちも救われる」
 千枝ちゃんは冷めたお茶をスズと飲んだ。

 ふぅ、と息をつく。俺の腹はまだムカムカしている。抑えきれない。チラリと視線が合うと「落ち着けよ」という冷静な目線が。これが落ち着いていられるか。殴りたい。あん時一発でも殴っとけば良かった。

「ああそうだ……」 
 千枝ちゃんが顔をあげた。
 申し訳無い表情。まだ長の話を続けるつもりか。俺はそっぽを向いた。でも千枝ちゃんは追い打ちをかけるように話しだした。 
「べスリジアで、巨大なエネルギー波を止めたのは宇宙人だったと聞いている。長もそのお方にひと目でも会いたかった、と言ってた。名前だけでも教えてくれ」
「断る」
 千枝ちゃんはムッとした表情になった。 
 俺もムッと睨みつける。
 空気がピリピリと刺すように痛くなってきた。

 すると、店内に誰かが入ってきた。刹那だ。
「おっはー! ごめんね! 寝坊したわ」
 無駄に明るい声が静かだった店内に、キンキン響く。電車で見た朝日の光と同じ笑顔の眩しさ。ほんとに周りのの緊張を解す笑顔だよな、こいつ。
 刹那はスキップするように店内に入ってきて、千枝ちゃんの隣に座った。
「何何何? 何の話してたの?」
「刹那には関係ない」
「そうだ。関係ねぇ」
「何で二人して、あたしをハブるの? やめてよぉ~」
 千枝ちゃんの体をユサユサと揺さぶる。千枝ちゃんは黙秘を貫いている。ようやく刹那が現れて、水羊羹をまた頼んだ。美味しいからまだまだイケるな。

 心なしか、店の中は明るくなった気がする。刹那は朝からあんころ餅を二つも頼んだ。刹那とは、他愛もない話ばかりした。愚痴にも近い。でも聞いていると普通の女子校生として、暮らしているんだな。安堵したのと、ちょっと寂しい気持ち。

 昼前になってやっと解散。
「またねぇ! 弟くんもまた元気でね!」
「お、おう」
 別れ際、大きく手を振る。
 刹那は変わってないな。太陽みたいだ。ほんとに。小さくなっていく背中を眺め、そうぼんやり思った。  

 再び電車に乗って帰路につく。人は疎らにいる。空いた席はいっぱいある。でも千枝ちゃんは隣に座った。
「にしても、同い年なのに弟はないだろ」
 ムッと睨みつける。
「同い年だったのか?」
「同じ高校一年生だろ」
 吐き散らすよう言った。悪態つく俺に、千枝ちゃんはふふっと微笑した。
しおりを挟む

処理中です...