この虚空の地で

ハコニワ

文字の大きさ
上 下
68 / 126
Ⅳ 哀悼に咲き誇る~17歳~

第68話 第三邪鬼

しおりを挟む
 ジンのつくってくれた結界により、フレイムインパクトを唱えた。結果、フレイムインパクトの爆発と火力で跳ね返せた。
 リリスのありえないビームは、すぅ、と消え白い霧状に身を隠す。
「ありがとう二人とも」
 小夏先輩は、感謝の言葉を俺とジンに向けて言った。穏やかな表情で。
 ジンは、えっへんと鼻息を荒くして「助けるのは普通すよ」と答える。まんざら嬉しそうにしやがって。

 シモン先輩の左肩には、小夏先輩のハンカチがきつく結ばれている。これ以上、血を出したら大量出血で死ぬから。
 白いハンカチが、じわじわと赤い血で染まっていく。留まることを知らずに。
「二人とも、ほんとに、ありがとう」
 シモン先輩からも感謝の言葉を言われ、俺も流石に鼻の下を伸ばす。
 俺たちが安堵の空気でいると、気がつくとリリスは、遠い海の彼方へと歩いていく。操られたように、何処かに向かっているようだ。
「まずい」
 そう言ったのは、小夏先輩。目を硬く閉じて、先の未来を視ている。
「リリスはここから去ったあと、いくつかの島を潰し、それから……何? なんか、黒い悪魔みたいなものを海の底から引っ張りあげている」
 絶海の海の底にいる悪魔だ。

 あの悪魔を叩き起こすのか。それはやばいぞ。ここにきて、本物の悪魔なんかきたら、みんな死ぬ。生き残れない。

 すぐにリリスを追った。みんなが死ぬフラグは回収しないと。させない。俺たちは生きたいから。

 すると、何処からかジャラジャラと鎖の音が夜空に響いた。何処から発しているのか、それは、ある者の手のひらから出てきた。
 上空で仁王立ちに立つ、眼鏡の男。黒髪、黒い手袋、全身黒の男。眼鏡だけがキラリと光っている。
 男の放った鎖は、リリスの太い首をぐるぐると締め付け、赤い核にほんの僅かだが亀裂が入った。
 苦しそうにリリスはジタバタともがく。だが男は、鎖を離そうとしない。より一層グイと引っ張った。

「リリスよ。あの悪魔を起こすのか? だが、今ではない。勝手な行動をとるな」
 重低い声で男が言った。
 何だ、この男、見たことない新入り。いいや、こんな男いたか? それに、突然現れてリリスを捕まえるなんて、しかも、悪魔のことを知っている。まさか、アルカ理事長か!?
 アルカ理事長が男に変身したやつか?
 男の説教を聞いてか、リリスは、ジタバタもがくのをやめた。しゅんと肩をおとし、叱られた子供のように静かだ。

 男は、鎖を離し手の中に収めた。聞きたい。一体誰なんだと。だが、答える前に先に男が名乗った。
「ふぅ。良かったのぉお主、危なかったんじゃ。それじゃあワシはこれで」
 しゅんと消えた。
 やはり、あの口調はアルカ理事長。性別変わっても口調ですぐに分かる。

 でも、どうしてアルカ理事長がここに。今までどんな強い邪鬼が登場しても、現れなかったのに。悪魔を起こさないためなのか。もしくは、でも、アルカ理事長のおかげてリリスは止まった。
 しかも、核に亀裂を入れてくれた。なんともありがたい。

 そして、気づいた。リリスは静かに首をうなだれて動かない。ピクリとも。どうぞ仕留めてくださいと言わんばかりにうなじのある核を、こちらに向けている。
 今だ、リリスを仕留めるのは。

 ドクン、と心臓が跳ねた。大きく激しく。体が熱く煮えたぎる。
 今。今だ。今が絶好のチャンス。逃すわけにはいかない。このチャンスを、ものにしないと。

 心臓を回っている血液が体中を熱くさせている。
 すると、背後から殺気を感じた。ひんやりとした冷気がちりちりと肌に当たる。風じゃない。
 確かに夜風は冷たいけど、違う。風じゃないと断言できるのは、異様な冷たさの冷気だ。振り向くと、アダムの肋骨がブクブクと肥大化していた。

 首から下の胸にあたる部位。
 バキバキにわれていた肋骨が、水袋のように、プクプク膨らんでいた。体中から何かが蹴破っているような感じ。
 ボコボコと体中が膨らむ音が響く。
 嫌な予感がした。
 もう嫌な展開しか来ていない。
 俺はジンたちの場所にいち早く戻った。三人とも固唾を飲んでアダムから生まれる生命を見守っている。
 
「第三邪鬼」
 頭をうなだれていた小夏先輩がボソリと呟いた。
 顔は青白く、薄っすら開けた瞳は激しく目を泳がせていた。
「第三邪鬼、イヴがくる」
 小夏先輩が静かに告げた直後、凹凸だったボコボコがやがて、一つに固まりトプン、と何かが産み落とされた。

 黒いものだった。
 海面にじゃぶんと白い泡と水飛沫を上げた。
 ただ寄らぬ空気に誰もが口を閉じて様子をうかがった。本来の夜の静寂のよう。静かで水を被ったようにひんやりしている。

 黒いものは、アダムと同じく海面に浮いている。さっき産み落とされたばかりで、アダムの黒い液体がかかっている。
 だが、そこに生命がある。心臓の鼓動のようにドクドクとかすかに動いている。
 黒い液体が海面にドロドロと広がり、生命が顔を覗かせた。

 生まれて間もないのに、二足歩行で立ち上がった。アダムの肋骨から生まれたのに、リリスのように二つのお椀型がぶら下がっている。
 アダムとリリスに比べると小柄で、ひょろりとしている。そして、核がお腹にある。

 邪鬼が三体。
 イヴだ。
 アダムの妻であり、人間の女性の祖。

 リリスと違うのは、アダムから生まれたことでアダムに従順であること。リリスは、アダムから離れるとエデンの園から出て自立した女性になる。
 と、シモン先輩がペラペラと語った。教科書だけじゃない、アダムとイヴについてくわしくまとめられた、難しい本の文字を悠然に。
 AAクラスのシモン先輩にとって、あんな分厚い本をすべて暗記することは、造作もないことだ。

 邪鬼が一体増えたことに、これから指揮はシモン先輩がくだした。
 本来スノー先生がくだしすのだが、繋がらないし、たぶん、繋がることは今後ないだろうと判断。
 最上級生、学園最高峰AAクラスのシモン先輩が指揮る。その指揮は、とても大怪我を負った人物とは思えないぐらい、策士的で冷静だった。

 アダムは美樹班、イヴをユリス班、そして大海原にポツンと佇まっているリリスをシモン班、と区別した。各自、邪鬼を一時間で倒すことと命令した。
 現状心配なのは、ユリス班はたった二人でイヴを倒さないといけないことと、シモン先輩の怪我のこと。シモン先輩は、普段見せる堂々とした表情で大丈夫よ、と言うが、それは俺たち後輩に気を遣ってほしくないからだ。

 俺たちは、すぐに美樹とルイに合流しないといけない。その前にシモン先輩と約束を交した。

 最後まで生き残るって。
 シモン先輩は、約束を破らない人だ。笑顔で二人と別れて美樹とルイに合流する。


 俺たちが約束を交し、別れていく様を傍らで見守っていた小夏がボソッと呟いた。
「死亡フラグです。こんなとき、約束なんて」
「小夏は私が死ぬ未来、視えたの?」
「いえ」と短く返事する。チラリと左肩の血を見て、表情が堅くなった。そんな小夏に、シモンは左肩をもう片方の腕で隠して目を細めた。悟ったように静かにこうい言う。
「万が一のときはお願いね」
 暫く間を置いてから小夏が「はい」と短く返事する。
 曇天で月の光も顔を出さない暗くて静かな夜、ほんのりと風が吹いた。
 その風は、冷や汗をびっしょりかいた背中を冷たくさせ、首筋を通ると気味が悪いほど優しい風だった。

 シモン先輩と別れてからジンが、うーんと頭をひねっていた。おもむろに立ち止まったジンにどうした、と訊くとジンは、リリスがどうしてアダムをいきなり攻撃したのか、と考えていたらしい。

 そんなの決まっている。
 リリスは、アダムと別れたかった。からじゃないのか。
 それでもジンは頭をひねる。アダムから離れる前、リリスが放った強大なビームは何らかの意図だったのでは、と。

 頭をひねるジンを横に、俺はあまり頭を動けなかった。誰かの思惑とか、意図とか、考えるのはあとにしてしまう。俺は、ジンみたいに考えるタイプより、まず行動派。
 ジンは、頭をひねりながらリリスを見た。
 リリスはあれから一歩も動いていない。大きいから離れてもすぐに分かる。リリスは、何処までも続く海の彼方をなんともいえない表情で眺めていた。

 すると、ジンはパッと俺に視線を戻した。テストで難しい問題の答えが分かった少年のように、無邪気な顔を見せた。
「分かった! 小夏先輩が言ってた悪魔みたいなのを引きずり起こすために、アダムから離れたんだ!」
 イマイチ分からない。
「つまり、リリスは悪魔のためアダムから離れた。あのリリス、よっぽど悪魔に会いたかったんじゃないか?」

 冗談じゃないな。悪魔と会いたいなんて、どんな呪怨者だ。
しおりを挟む

処理中です...