たまご

ハコニワ

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一部 紫織汐の英雄譚

第1話 始まり

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 運動場で歓声な声が響き渡る。その声は、教室のところまで聞こえた。運動部の活き活きとした声が、放課後になると降り注ぐ。
 もう陽が暗くなる。黄昏時の教室。教室は真っ赤に色褪せ、赤くなり、影が伸びていた。
 陽が暮れるのが早くなったにも関わらず、まだ夏の名残が残っている。涼しい風。穏やかに吹く風が、髪の毛をなびいていく。

 陽が暗くなっても、汗水垂らして青春してるなぁ。

 一方私は教室に残って、机と睨めっこしていた。机のうえにあるプリントと。この時期になると、嫌でもこれから逃れられない現実。

 これを今日中に提出しなければ帰れない。教室に残っているのは、私だけだった。他のみんな、現実を受け止めて提出したといえる。でもまだ、私は夢の中にいてまだ、現実じゃないと錯覚される。

 ガラガラと静寂な空間に、扉が開いた音が響いた。振り向くと、ユニフォーム姿で泥だらけの男子生徒が入ってきた。
「うぉ。まだ残ってたのかよ」
「残ってましたぁ。悪い? というか、何しにきたの?」
「忘れもんだよ」
 男子生徒は、面倒くさそうに自分の席に向かった。私の前を通り過ぎると、汗の臭いがツンと嗅いだ。

 風は涼しい。なのに、汗はダラダラ流れていた。彼が歩いてきたところには、汗がポタポタと滴り落ちていた。汗ぐらい拭いて入ってくればいいのに。よほど、大事なものを忘れていたのだろう。

 自分の席で何やら探して、何かを見つけ、パっと明るい表情した彼がくるりと突然振り向いた。私は、びっくりして顔を背ける。
「進路表、まだなのかよ」
 言い返す言葉がない。
光輝こうきはもう出したの?」
 私は恨めたらしく睨んだ。
 彼の名前は、香合 光輝こうごう こうき。陸上部でエース。私の両親と光輝の両親が仲がよくて私も光輝も、小さい頃から仲が良かった。ようは腐れ縁だ。

 光輝は、私の席まで来てじっと机のうえにあるプリントを見た。まだ白紙なのを見て、馬鹿にするつもりだろうか、それとも貶すのか。
「もう諦めたのかよ」
 光輝が呟いた。
 一言だったけど、その声の奥に怒りが混じっていた。

 私は、光輝からもプリントからも逃げたくなった。かといって、窓の外で汗水垂らしている人たちを見たくなかった。私は仕方なく、足元を見つめた。
 光輝は、何も言わない私に嫌気がさしたのかさっさと教室を出て行った。ピシャンと閉じる音がしても、私は中々顔があげれなかった。

 光輝は、コレに何を書いたのか考えなくてもわかる。この学校は陸上強豪校だ。光輝は、そのエース。いくつかの団体にも声をかけられている。彼はもう将来が決まっているも同然。

 私もかつては陸上部だった。光輝と肩を並べるほどのエースだった。でも、五ヶ月前足を挫いて、私の陸上部人生は終わった。もう、終わったんだ。

 日本選手になって、メダルを取ろうという約束はもうできない。第1志望になりたいものをかけと言っても、一番なりたいものは終わったんだよ。書けれるわけない。私の頭とプリントは白紙だ。

 目を瞑った。視界が真っ黒になる。外から活き活きとした声が響きわたって、耳鳴りがする。こうしても、落ち着けない。その声を聞くたび、足に痛みが走って傷跡が疼く。

 活き活きとした声が悲鳴に変わった。甲高い女子生徒の声。私はびっくりして跳ね起きた。窓の外を見下ろすと、それまで部活動に励んでいた生徒たちが一目散に、走っている。まるで、ナニカから逃げるように。

 一体ナニから逃げているんだ。私は好奇心に身を前に乗り出した。ここは二階だ。校庭や街並みが見下ろせる。
 広い運動場で、様々なユニフォームを着た生徒たちがバラバラに逃げていた。陸上部の鬼の顧問から逃げていた。

 陸上強豪校ならでは、鬼と呼ばれるスパルタの教師。私は期待されてて、特にメニューがハードだった。だから裏ではみんなに嫌われている。
 嫌われているからといって、あんなあからさまに逃げなくても、と思った反面、嫌いな教師が逃げられている現状に、笑いが込み上がってきた。

 暫く様子を見ていると、少し様子がおかしいことに気がつく。操られたような千鳥足。二階から見ても分かるほど、肌が黒い。血管が固まったような赤黒さ。
 そして、バタリと倒れた。その地面には、真っ赤な血が教師を中心に広がっていた。真っ赤な薔薇だ。

 先生が血を出して倒れたあと、間もなくして体が動いた。正確には、腹の下。そして、そこから顔を出したのは奇妙な生物だった。

 全身黒くて細長い、骨が浮き出るほど皮がない体。人間の幼子よりも小さい。

 あれは……何?

 先生の腹から出てきたのは、人間でも動物でもなく、宇宙人みたいだった。私は食い入るように、ソレをじっと見下ろしていた。

 ソレは、ぐるんぐるんと周囲を見渡すと偶々、近くで転けた子が。宇宙人の手は短くて細い。なのに、その子にしがみつきグイグイと自分のほうに引っ張っていく。細腕なのに、なんて力。

 その子は陸上部の短距離選手だ。知っている。部活をやめても、挨拶してくれる可愛げのある後輩だ。
 悲鳴が轟いた。その子の聞いたことのない悲鳴が。みな、固唾を飲んでいた。地面に足がくっついて身動きが取れない。その子がどうなるのか、嫌でもわかった。分かっているのに、動けない。

 ズルズルと引っ張られ、ソレに食べられた。足から。ボキゴキ、と骨が噛み砕く音が。足がありえない方向に向き、禍々しい血がその辺を赤く染めていた。彼女の残骸はない。骨ごとまるごと食べた。

 周囲が凍りついた。空気が冷たい。涼しい風が凍てつく氷のよう。

 やがて、悲鳴が轟いた。あんなに地面にピッタリくっついていた足裏が離れて、我先にと逃げていく。

 ほんの数分間の出来事。息が止まっていた。思考が止まっていた。え、死んだの? 食べられた。アレに。アレて何なの。ぐるぐると思考が回っている。目の前で何が起きたのか分からない。しっかり見てたはずなのに、ぐるぐると頭が回っている。

 初めて人が食べられたシーンを見て、腹の底から食道に、何かが這い上がってきそうで、私は堪らず口を抑えた。

 もう一度、窓の外を見下ろした。運動場には、もう人はいない。変わりに残されたのは、赤黒く変色した血。腐敗した臭いが風にのって運ばれてきた。

 アレはいない。二つの赤い薔薇はあるものの、アレの姿はいなかった。もしかして、幻覚だったとか。そんなのありえない。運動場に二つの夥しい血痕がある限り、これが現実だと言わざるをおえない。

 それじゃあ、何処に行ったのか。
 再び悲鳴が。学校を震わすほど、大きな悲鳴。もしかして、校舎に入ってきた。

 悲鳴はいくつか反響して、何処からしているのか分からない。でも、複数から聞こえた。バタバタと足音が廊下に響く。

 心臓が大きく跳ねた。さっきのアレが、校舎に入ってきている。
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