インターパーソナル

未分類E

文字の大きさ
上 下
1 / 1

インターパーソナル

しおりを挟む
 なんで警察官になったかって? そりゃあ、取り締まられる側じゃなくて取り締まる側をやりたかったからだよ。意味を広げて言えば、支配される側じゃなく支配する側になりたかったってわけ。
 まあ、そんなことは置いといて、俺はあの時、誰かにぶん殴られたかったんだ。だから、アイツを殴った。不思議なことに人ってのはさ、他人に接する時、無意識に自分と同じような人格をその人のなかに期待するんだよ。いや、期待するどころじゃないな。信じてるんだ。当然のこととして受け入れて、一ミリもそれを疑わない。って言っても、そりゃあ頭ではわかってる。好きなものも嫌いなものも全く違ってるってことくらい。でも、反射的に、自分ができないことをできる人は自分より優れている、自分ができることをできない人は自分より劣っている、って考えてしまうんだ。
 え、何の話をしているんだ、って? ああ、そうか。君は何も知らないんだったな。はあ、じゃあ、どこから話せばいいんだ? 最初? 最初って言うと、あの職務質問か。
 あれはごく普通の日だったよ。取り立てて言うほどの事件もなかった。その何の変哲もない、よく晴れた日の夜・・・・・・、まあ、少なくとも俺以外の人間にとっては、ありふれた平日だったと思う。って言っても、その日に俺の身の回りで何かが起こったわけじゃない。俺はその三日前からある考えが頭から離れなかったんだ。さっき言ったよな。誰かにぶん殴られたい、っていうアレだよ。最初はそんなに深刻じゃなかった。単なる好奇心だった。ぶん殴られたら俺は何を感じるんだろう、っていう。恥ずかしさを感じるのか、怒りを感じるのか、悲しみを感じるのか、はたまた喜びを感じるのか。初めは、ふとそう思っただけだった。だが時間が経つにつれて段々とその思いが強くなっていった。誰かに殴られたい。でも、それだけじゃなかった。焦りみたいなものも同時に感じるようになったんだ。殴られなきゃいけない。殴られないと、おかしくなる。なぜかそう思った。頭で考えてみても、わからなかった。ただそういう感覚があったんだ。自分で自分を殴ってみたこともあった。でも、それじゃ解消されなかった。だから、その日も俺はずっと考えてた。誰に殴ってもらおうか、何て言って殴ってもらおうか、ってな。
 それで、俺はその思いを抱えたまま警邏、まあ、一般人にもわかる言い方をすれば、パトロールに出たんだ。午前二時にな。パトロールってのは二人一組になってするものだから、その時、俺は北島と一緒だったんだが、その北島ってのが与えられた仕事はきちんとこなすけど、警察官特有の正義感みたいなものが全く感じられないヤツで、言ってしまえば不真面目に見えるんだ。まあ、それは警察官として、っていう話だがな。で、何が言いたいかと言うと、俺は北島が自分に似ていると思ってたんだ。だから俺はそのパトロール中にパトカーのなかで北島に話しかけてみたんだよ。
「誰かに殴られたいって思うこと、ない?」って。そしたら北島は、
「ないけど。いきなり何だよ」
「いや、聞いてみただけだ」
「いやいや、お前は殴られたいって思うことあるのかよ」
 俺はそこで打ち明けて、北島に殴ってくれって頼もうかと思った。でも、しなかった。その時は暗くて見にくかったから忘れてたんだが、北島ってのは、いつも顔が真っ白で、いかにも不健康そうなんだよ。それに体格もよくない。身長はそこそこに高いが腕とか脚やらが細すぎる。こんなヤツに殴られたところで俺の欲望は満たされないだろうなって思った。だから俺は、
「ない」って答えたんだ。
 北島は、
「じゃあ俺のこと殴りたくて、こんな話してるのか?」って言ってきた。
「だから聞いてみただけだよ」
 北島は、
「逮捕しちゃうぞ」とかいう、くだらない警官ジョークを言ってた。
 で、そうやってパトロールしてるうちに、とあるコンビニの前を通りかかったんだよ。そしたら北島が、
「アイツ見ろよ」って言うから、俺はパトカーを止めて、そのコンビニの方を見たんだ。
 見たら、その駐車場でさ、コンビニの方と道路側を行ったり来たりしてるヤツがいたんだよ。で、俺は、
「怪しいな」って言ったんだ。
 まあ実際、俺は、そんなこと、どうでもいいと思ってたんだけどな。俺はソイツが本当に怪しいかどうかなんて考える余裕すらなかった。誰かにぶん殴られたいっていう思いで頭がいっぱいだったんだ。でも北島が、
「行くか」って言って車を降りていったから俺も付いて行った。
 近づいていくとソイツの姿がはっきり見えるようになった。ソイツは俺より身長が低かったのに、すごくたくましく見えた。服の上からでも胸とか腕の筋肉が盛り上がってるのがわかった。顔もさ、目が大きくて鼻はゴツゴツしてて唇も分厚くて、とにかく、はっきりしてたんだよ。ああ、コイツに殴られたい、って思った。もちろん俺は、そこでは何も言わなかったがな。北島には、さっき殴られたいと思うことはないって言ったばっかだったし、何せ仕事中だったからな。
 北島がソイツに声をかけた。
「ちょっと、お話聞かせてもらってもいいですか」って。
 ソイツは少し緊張してるようにも見えたが、すぐに芯の通った声で、
「はい」って答えた。
 俺はますますソイツに好感を持った。北島が、
「今、この辺ウロチョロされてましたけど、何されてたんですか」って聞いたら、ソイツは、
「いえ、ただコンビニに寄ろうか、家に帰ろうか迷っていただけです」って、はっきり答えたんだよ。
 それで俺はコイツに殴られようって決めたんだ。それまではまだ、ひょっとしたら弱々しいヤツかもしれないっていう不安があったんだが、その答えを聞いて、迷いさえもはっきり外側に表れる意思の強いヤツだって感じたんだ。
 北島が、
「本当に、ただそれだけ?」って、ソイツに聞いてた。
 ソイツはやっぱり、
「はい。それだけです」って、はきはき答えるんだよ。
「一応、持ち物を確認させてもらいますね」って言うと、ソイツは躊躇なく背負ってたリュックを差し出してきたんだが、その時、ソイツは反抗的な目つきをしてたんだよ。
 それで、俺はどうしてもコイツに殴られなきゃいけないって、このチャンスを逃してはいけないって思ったんだ。だから、どうしようって必死に考えてさ、ある妙案を思いついたんだよ。
 リュックの中をひと通り調べて何もなかったから、すぐに返してやった。それから、ここが重要なところだが、俺はソイツに名前と住所を聞いたんだ。わかるだろう。その時は住所だけ控えておいて、また今度、別の機会に訪ねていって殴ってもらおうって思ったんだよ。で、ソイツは名前と住所をゆっくり聞き取りやすいように言ってくれた。その堂々としてるところが、やっぱり俺は好きだったな。石川サトシって言ったっけな。まあ、そこから会うことはなかったんだけどな。それで俺は、
「ご協力ありがとうございます」って言って、北島と一緒にパトカーに戻った。
 この日のことで言わなきゃいけないのは、このくらいだと思う。それで、次に話すのは事件の日の事なんだが、その頃には俺はもう殴られなきゃおかしくなるって考えにとらわれすぎてて、むしろ、それでおかしくなってたんだ。
 俺は次の休みの日に早速そのメモ帳に控えた住所を訪ねてみた。そこはアパートの二階の部屋だった。で、俺はこの前会った体格のいい男が出てくると思ってインターホンを押したんだが、出てきたのはソイツとは真逆の、北島をさらに小さくしたみたいなヤツだったんだよ。俺はとっさに尋ねたよ。
「ここは石川さんのお宅じゃないんですか」って。
 そしたら、そいつは小さい声で、
「違いますよ」って言ったんだ。
 でも、その時、俺は見たんだよ。ソイツの反抗的な目を。パッと見は弱々しく見えるが、精神は意外としっかりしてるかもしれないって思って、コイツでいいやって、俺は妥協したんだ。何より焦りがあったからな。一刻も早く誰かに殴られなきゃいけない、っていう焦りが。だから俺は強引に部屋のなかに入っていって、ドアを閉めて鍵も締めて、それからソイツに頼んだんだよ。
「俺を殴ってくれ」って。
 でも、ソイツは殴ってこなかった。ただボーッとしてるように見えた。だから俺はもう一回言った。
「殴ってくれ」
 そしたらソイツは、
「何なんですか。出てってください」って言って、急に俺を追い出そうとするんだよ。
 まあ今考えれば、それは当然のことなのかもしれないが、その時の俺はもう正常な判断ができなくなってたんだ。俺は、コイツが俺の欲望を満たしてくれないのは、俺がコイツの欲望を満たしてないからだ、早急にコイツの欲望を満たしてやらなきゃいけないって考えた。それで、コイツの欲望は何だろうって考えた時に、俺はふと、コイツも俺と同じ、誰かに殴られたいっていう思いを抱えてるんだって思った。まあ、焦りもあったんだろう、俺はそれで間違いないって決めつけたんだ。だから俺は左手でソイツの胸ぐらを掴んで、右手でソイツの顔面を思いっきり殴ってやった。ソイツは後ろにふっ飛んでったよ。でもさ、これでやっと殴ってもらえるっていう喜びみたいなものは、一切感じなかったんだよ。逆に俺は殴ったことに対して喜びを感じたんだ。不思議なことに、その誰かに殴られたいっていう思いが、誰かを殴ることで解消されていく気がしたんだ。だから俺は、もっとコイツを殴ってみようと思って、ソイツに近づいてったら、ソイツはスマホを持って、
「警察呼びます」って叫んだんだよ。
 俺は吹き出したよ。コイツはバカだって思ったんだ。俺はポケットから警察手帳を取り出して、ソイツの顔の前に示してやった。で、言ったんだよ。
「警察は、俺だ」ってな。
 ソイツが絶望していくのが、もう手に取るようにわかったよ。正直言って気持ちよかった。それで俺はもう一発ソイツを殴ったんだよ。どんどん焦りが消えていって楽になった。それからまた三発殴って俺はその部屋を出た。そしたら殴ってスッキリしたのか、俺は全身がすごく気持ちよくなるのを感じたんだ。例えるなら、お風呂に浸かってるみたいな感じでさ、それで俺はそこの廊下に寝転んだんだ。たぶん寝てたんだろうな、気づいたら警察官が何人もいて俺は取り囲まれてた。で、捕まったってわけさ。
 まあ話すことと言ったら、こんなものかな。ああ、今はもう安心してくれて構わないよ。俺はもう誰かに殴られたいとも思わないし、誰かを殴りたいとも思わないから。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...