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天使奪還
しおりを挟む「最終確認だ。明日、オークション会場に突っ込む。天使は恐らく衰弱状態だ」
「治療課の人間連れて行きますか?」
「現場に慣れてないだろうから同行はさせん。C地点にて待機させとけ」
「了解」
「俺が天使を保護するからお前らは退路を確保しろ」
「了解です、リーダー」
「それじゃあ明日の夜ーー天使奪還作戦、開始だ」
体が動かない。呼吸が苦しい。指一本すら動かない。
(人間界の空気はこんなにも苦しいのですね…)
息を吸ってもまるで泥を飲み込むかのような重さだ。天使が住む天界とは違うと聞いていたが、まさかこんなにも差があるとは思ってもいなかった。
エマは虚な瞳で考える。
(僕は…売られるのでしょうか…?)
あまり聞き取れなかったけれど、これからオークションにかけるようなことを言っていた。人間にとって天使とはめずらしい生き物らしい。
逃げたいけれど逃げられない。檻の中に入れられているだけなのに衰弱しきって体が動かない。
そもそも人間界に来たくて来たわけじゃない。天界で普段通り過ごしていると突如現れた魔法陣に吸い込まれてしまったのだ。それが人間界に繋がり、人間に捕獲されてしまった。
(いつの間に人間は天界へ来られるようになったのでしょう…)
本来、人間は来られないはずだった。人間側の魔法がどんどん進化しているため、今まで出来なかったことが出来るようになったのだろうか?
「それでは最後の出品です」
パッと大量のライトが当たり、エマは眩しさに目をつむる。その瞬間に会場内がざわついたのがわかった。
「あれが天使…」
「なんと美しい…」
「それではオークション開始でーー」
司会が言い切るより前に爆発音が聞こえた。マイクの混線ののち、低い声が会場内に響く。
「この会場は魔法省が取り抑えた。全員動くな」
叫び声や小さな爆発音が聞こえるが、エマにはあまりよくわからなかった。衰弱仕切ったせいで目が見えずらいのだ。
バタバタと人が走る音が聞こえ、カシャンと檻の錠が外れるのがわかりぐいっと体を引き寄せられる。
半分も見えない視界に映ったのは大柄な男。驚いたように目を丸くしている。
「これが天使か。オークションにかけたい理由もわかるな」
「なに感心してんですかリーダー。その天使死にますよ。早くC地点まで連れて行ってやってくださいよ」
「わかってる。あとは任せた」
エマの体が浮く。恐らく男が担いだのだろう。
ぽんぽんと背中を叩かれた。
「俺は魔法省の駿河久遠(するが・くおん)だ。お前を助けに来た。名前を教えてくれ」
「え……ま……」
「エマか。怖かったな、エマ。もう大丈夫だ」
なぜだろう、呼吸の苦しさも何も変わらないのにスッと胸に安心感が広がった。
男が…久遠が走る。どこをどう走ったのかわからないが、気づけば別の建物の中に入っていた。
「お前が治療課の人間か?」
「そうだよ。もう準備はしてあるからこっちに寝かせて」
もう目が見えない。どこか硬い床に寝かせられたのはわかる。
何かあたたかい光のようなものに包まれた気がして、恐らく人間の使う回復魔法だろうがあまり効果はなさそうだと思った。
「ごめんね、ちょっとだけ血を採るからね」
首元にチクリと痛みが刺す。
「…先に言っとくけど、僕は天使治療するの初めてだからね」
「わかってる」
「資料があまりにも少なすぎるから失敗する可能性のほうが高いんだよ。…あー、数値が悪い。悪すぎる。衰弱のレベルを超えてるよこれ」
「どうにかならないのか」
「ちょっと僕の治療範囲を超えてる。…せめて天使の基礎体力が上がればなんとかなるかもしれないけど…」
「基礎体力ねえ。……お前はあっちを向いててくれ」
「はいはい。僕は何も見てないし何も聞いてません。知らぬ存ぜぬを貫き通します」
「エマ」
優しく名前を呼ばれた。
「嫌かもしれないが少し我慢してくれ」
そう言って唇を柔らかい何かで塞がれた。
喉元を何かが通っていく。ごくりと飲み込んだ瞬間、さっきまで見えなかった目が見えるようになり、久遠にキスをされていることにも気づいた。
「同意のない人間同士の魔力の譲渡は法律違反だが、天使はどうなんだろうな」
「あーあーあーあー、僕は知りません何も聞いていません」
「エマ」
もう一度名前を呼ばれた。久遠の瞳が柔らかく微笑んでいる。
「俺の魔力を少しだけお前に注いだ。どうだ? 呼吸はできるか?」
そう言われて、先ほどのような息苦しさがないことに気づく。思わず大きく息を吸って咳き込んでしまった。
「大丈夫か?」
背中を撫でられ頷く。
「だいじょうぶ、です…」
「姿形だけでなく声も綺麗とは。こりゃ欲しがる人間の気持ちもわかるわ」
「駿河さん関心してる場合じゃないですよ。エマさん、もう一度血を採ります」
そう言って首元に小さな試験管を刺される。一瞬のチクリとした痛みののち「この数値なら治療課での治療が可能です」と言われた。
「それじゃあ一旦魔法省に引き上げるか」
「僕はオークション会場へ行くね。もう検挙終わってるだろうから、怪我した人の治療に当たるよ」
「頼む」
そう言って小柄な少年がのんびり走っていく。
横にさせられた体を引っ張り上げられ、久遠に抱っこされた。
「え、と、あの…」
「これからお前の治療のために魔法省へ連れて行く。お前の今後のことも話し合わないとな。ーーエマ、もう大丈夫だ」
久遠に微笑まれ、エマも小さく笑った。
しかし体力が限界なのでまた目が閉じてしまう。
意識を手放す寸前、久遠がぽつりと呟いた言葉はエマには届かなかった。
「恋に落ちる瞬間ってホントにあるんだな」
治療課のとある一室へと久遠は入る。
四隅に甘く香るお香を焚き、柔らかな光が降り注がれる偽物の太陽が浮く中で中央のベッドにエマが横たわっていた。
時折優しい風が吹くのも治療課の人間が魔法を使っているのだろう。鳥の鳴き声も聞こえるが部屋にはいない。
ふと上を見ると蝶が飛んでいる。この部屋だけ世界観が違った。
エマに大量の管が刺され、それらがモニターへと映し出される。
治療課ではないので見方はわからないが、異音が出ていないので恐らく正常だろう。
久遠は丸椅子を手に、枕元の近くに座った。
「ホントにまあ綺麗なお顔で」
金色の腰まで伸びる長い髪の毛に、金色のまつ毛は優しい風に小さく揺れるほど長い。
顔なんて陶器のように滑らかで真っ白だ。ピンク色の小さな口は少し開いておりかわいい。
久遠はそっと、エマの頭を撫でた。
「こりゃ欲しい人間はわんさかいるだろうな…」
今は収納されているだろうが、恐らく羽根もあるはず。真っ白い羽根で飛ぶ天使なんて美しすぎる。
頬を撫でるとエマの目がそっと開いた。金色の目だ。
「あったかい…」
久遠の指先に擦り寄る様子に胸があたたかくなる。
「エマ。気分はどうだ?」
「ん…大丈夫、です…」
「どこか痛いところはないか?」
「たぶん、大丈夫…」
「悪いな、こんなところで。本来なら天使専用保護空間を使いたいんだが生憎、先客でな。簡易的に保護空間を作ったんだ」
エマの瞳が真上を見る。綺麗な青色の羽根を持つ蝶が一羽、エマの頬に降り立った。
くすぐったそうに笑う表情に、久遠は愛おしさを感じた。
「体中の管は明日にでも取れるそうだ。そのあとでお前に色々と聞きたいことがある。今はゆっくり寝ていてくれ」
立ち上がると「あ…」と小さく声をかけられまた座る。
「なんだ?」
「手、を…」
頬に添えるとエマが嬉しそうに笑った。
「あったかい…。あなたの手はあたたかいですね…」
「俺は久遠だ。名前で呼んでくれ」
「久遠……久遠の手はあたたかいですね…もうしばらく…このままでいてもいいですか…」
「ああ、お前が眠るまでそばにいよう」
目を閉じたエマから小さな寝息が聞こえても、愛おしさのあまり久遠はしばらくその場から離れられなかった。
この時間が永遠に続けばいいのにとつい願ってしまった。
「管は全部取りました。少しなら動いても大丈夫です。あまり無理をしないように」
そう言って治療課の少年はモニターを乗せた台をガラガラと押しながら出て行った。
ベッドに座るエマが喉を押さえた。
「もう苦しくないです。呼吸も普通にできます」
「この部屋の中はどうする。今のままでもいいし、人間界の空気に徐々に慣らすこともできるが」
「そうですね…徐々に慣らしていきたいです。迎えが来るとも限りませんし」
そう言ってさみしそうにエマが笑った。
久遠は丸椅子を持って、もう少しエマに近づいて座る。
「天使がオークションにかけられるって通報があってな。まあそのオークション自体が違法なんだが。お前はもうすぐオークションにかけられるところだった。何があったか聞いてもいいか?」
「僕もよくわからなくて…。突然、魔法陣に吸い込まれたのです。どこに辿り着いたのかはわかりませんが、とにかく空気が合わなくて…」
魔法陣という言葉に久遠は眉を潜めた。
(天界や地界を行き来できる異界飛びは魔法陣は使わないはず…)
「動けないところを人間に捕獲されました」
「お前を捕獲したのは恐らく、野良の魔法使いだ。魔法省の登録を受けていない魔法使い。魔法もどんどん進化する。俺たちの知らない魔法のひとつやふたつあって当然だな。お前に家族は?」
エマがふるふると首を横に振るのを見て、心の中でホッと息を吐く自分がいることは、久遠はとっくに気づいていた。
「魔法陣が現れたとき、僕は一人でいました。だから僕に気づいて迎えが来る可能性は限りなく低いです…」
久遠はエマの頬を撫でた。
「ここにいればいい」
「え…?」
「無理に帰るな。お前の面倒は俺が見るから人間界にいろ」
「そういうわけにもいきませんよ。あなたに迷惑がかかります」
「俺は迷惑じゃない」
「……?」
意味がわからないと言った顔をするエマ。小首を傾ぐだけなのにかわいいと思えてしまう。
青い蝶が一匹、飛んできた。エマが手を伸ばすとその指先に留まり、エマが笑う。
「綺麗ですね」
「ああ、綺麗だ」
久遠は蝶を見ていなかった。ずっとエマを見つめている。その視線に気づいたエマが久遠を見る。
「どうかしました?」
「いや、なんでも」
蝶が飛んでいき、そういえば、とエマが口を開いた。
「あなたの…久遠の魔力を少し頂いたと思うのですが、よかったのですか…?」
「お前を助けるにはああするしかなかった」
「なぜ初対面の僕に対してそこまでするのですか?」
久遠はゆっくり立ち上がり、ベッドに腰掛けるエマの頬を両手で包んだ。
「綺麗だなあ、エマ」
「??」
「お前を好きになったと言ったら、お前は信じてくれるか?」
前髪をかき上げキスを落とす。
今エマはどんな顔をしているんだろうとふと目線を下げた瞬間、久遠は驚いた。
エマは真っ白な肌を真っ赤にしている。
まさかここまで意識されると思ってもいなかった久遠は思わず吹き出しそうになった。
「え、あ…え?」
「こんなに綺麗なのに色恋は初めてって顔だな。悪い、かわいすぎて笑いそうになっちまった」
「え、えっと、えっと、あの…え? え?」
「そういえばお前、まだ羽根を出していないがちゃんとあるのか?」
「羽根、は、収納しているので…」
そう言うので手を伸ばして背中を撫でてみた。
「ひゃあっ」
「背中撫でただけでそんな声出すんじゃない」
「だ、だって、久遠の手、手つき、が…」
「好きなやつには優しく触りたいだろう? 羽根は出せるか? 見てみたい」
腕を掴み耳元で囁くと、途端にエマの体に力が入る。真っ赤な顔で目がぎゅっと閉じられる様子を見て、本当に色恋は初めてなんだなと思い知らされる。
(かわいい…)
オークションにかけられる前に助け出せてよかった。
こんなかわいい天使、誰にも渡したくない。
掴んでいた腕を離すと、エマは自身の手を体に巻きつけて背中をぐっと丸めた。
その瞬間、目の前に真っ白で大きな羽根が背中から現れた。
「おお、すごい。羽根だ。ーー本当に天使なんだな」
顔を上げたエマの額から汗が流れているので、どうした? と拭ってやった。
「久しぶりに出したので…羽根の出し方が一瞬わからなくなりました」
「そんなことがあるのか」
これには笑ってしまった。
この天使は意外にドジなのかもしれない。
おずおずとエマの手が伸び久遠の腕に触れる。
「あの、少し飛んでみてもいいですか? あまりにも飛んでいないので忘れてそうな気がして…」
「ああ。支えてやろう」
エマの細い腰に腕を回してだっこをしてやる。羽根もあるのにあまりにも軽くて驚いた。
エマの手が久遠の首に巻き付く。ばさりと、羽根が大きく広がった。
(このまま飛び立たなければいいのに)
この腕の中にずっといてくれていいのに、と久遠は思っていた。
そんな願いが叶ったのか、どれだけ経とうとも浮かび上がる気配がない。少し強く抱きしめすぎたのかと腕の力を弱めると体が落ちるので慌てて抱き止める。それの繰り返しだ。
「エマ? お前もしかして」
エマは大きな目をぱちくりさせていた。
「飛び方…わからなくなっちゃいました…」
これには久遠は吹き出した。
綺麗だと思った天使がかわいかった。しかも少しばかりドジな天使。
会えば会うほど表情がコロコロ変わることがわかり、愛しさは増すばかりだった。
「エマ。今日はイチゴを持ってきたぞ」
そう言って簡易的保護空間へ入る。四隅に置かれた甘い香りのお香はなくなり偽物の太陽も撤去され、鳥の声も聞こえなくなっていた。
だいぶ人間界の空気に近づいたことがわかった。
ベッドに座るエマは久遠の手にしたものを目に入れると、ぱっと顔を輝かせた。
「イチゴ! 赤い果物ですね」
「ああそうだ。食べてみような」
「はい」
天使とは本来食べなくても平気らしいが、これから人間界に住む可能性があるため幾分かは食べれたほうがいいだろうと判断し、毎日のように何かを持ってきていた。
ベッドに腰掛け、カゴに入れられたイチゴを見せた。
「真っ赤ですね。ツヤツヤしてます」
「ヘタを取って食べるんだ」
「こう…ですか?」
エマが見よう見まねでイチゴのヘタを取り、恐る恐る口に入れる。
しかし口に入れた途端にエマが泣きべそをかいた。
「すっぱいです…」
「お前って天使なのに幸薄いよなあ。まあそこもかわいいが」
そう言いながらエマの小さな口に指を突っ込み、涎だらけのイチゴを回収して自らの口に放る。
「おー、すっぱい。これはエマにゃ無理だ。こっちは甘いからこっちにしとけ」
別のイチゴを一口齧って安全(?)を確認してからエマの口に放り込んだ。
「ん! 甘い! おいしいです!」
「で? あれから少しは飛べたか?」
「…いいえ全く」
「天使が飛び方忘れるとかおもしれえなあ」
「僕にとっては死活問題です。飛べなきゃ意味ないです」
「じゃああとで飛ぶ練習しような。支えといてやるから」
そう言うとエマが嬉しそうに微笑むものの、またもやハズレのイチゴを引いたらしく泣いていた。
エマの体を抱っこすると背中から羽根を出す。大きくバサリと動かしてみるが、やはり飛べる気配はなかった。
「部屋の中だから無理なのか? 狭さの問題とか」
「一理あるかもしれませんね」
「どこか広い場所…お前のリハビリも兼ねて外へ出てみるか」
そう提案するとエマが沈んだ顔になる。
「外…大丈夫でしょうか…」
「俺も一緒に行くからな」
「…本当ですか?」
「当たり前だろ。念の為、治療課から薬を貰っておく。危険だと判断したらすぐに帰ろう。どうだ?」
背中をぽんぽんと撫でるとエマが嬉しそうに笑う。
久遠も笑った。
(ホントはそんな練習させたくねえけどなあ)
飛べないままでいいのに。
抱っこしたエマの胸に顔を埋めた。
「なあ、エマ」
「はい」
「前にも言ったが、無理に天界に帰らなくていいんだ。ここにいろ。俺が面倒を見る」
エマは困ったように笑った。
その笑い方から天界に帰りたいのだと察する。どうやらまだまだ劣勢のようだ。
仕方ないので話題を変える。
「どこか行きたい場所あるか?」
「海…海が見たいです。天界に湖はたくさんあるのですが、海はなくて」
「そうか。じゃあ俺たちの初デートは海だな」
そう言うとエマが顔を真っ赤にさせた。劣勢ではあるが、脈がないようではない。
ふと、久遠は思った。
「お前、そもそも歩けるのか?」
「たぶん…?」
頼りない返事に久遠は吹き出した。
靴を用意すると意外にもエマはすたすた歩いた。駐車場までの道のりのエマのドヤ顔を思い出しては肩を震わせながら車の助手席を開けてやる。
「お前は本当に愛おしいなあ」
「へ?」
「髪の毛を括ってやろう。海は風が強いからな」
エマの長い髪の毛を結んでやる。柔らかくてサラサラしていて、ずっと触れていたい。
「お前は綺麗だな」
最後に額にキスを落として運転を始める。ちらりと横目で見たエマは顔を真っ赤にして助手席に沈んでいた。
「ーーエマ? どうした?」
海へ着き、いざ砂浜を歩く段階でエマの足取りが止まったことに首を傾ぐ。
エマは、ぶるぶると足を震わせていた。
「情けない顔すんじゃねえよ。何が起こった」
「あ、あの、砂浜ってなんでこんなに重いのですか…」
「砂浜だからな。ああ、歩きにくいのか? しょうがねえなあ、ほらこっち来い」
腕を広げるとエマが迷うことなくぽすんと腕の中に入ってくる。愛おしい。
片腕でひょいと抱き上げずんずんと砂浜を進むとエマはびっくりした顔をしていた。
「久遠は力持ちですね」
「お前が軽いんだよ」
「海は…広いですね。驚きました。こんなにも広いなんて…」
「入ってみるか?」
「いえ、大丈夫です」
きっちりと断りを入れたことに怪しいと感じ、試しに海に近づいた瞬間「ひっ!」とエマが高い声を上げた。
「ちょっ! 久遠!」
「なんだ?」
「何かが、何かが来ているのでやめましょう!」
「波のことか? 海だから波ぐらい立つだろ。ほら行くぞ」
「ストップストップストップ!」
エマの反応がおかしくて、波打ち際をワザと歩いてやる。腕の中のエマがぎゃあぎゃあ騒ぐのが楽しい。
綺麗だと思った最初とは全然違う印象だ。
綺麗、かわいい、愛おしい、幸薄い、かなりドジ、そしてうるさい。
「お前はおもしろいな、エマ。体調はどうだ? 薬飲まなくても平気か?」
「そうですね…この体もだいぶ適合してきたみたいです。苦しくないです」
「俺の魔力も混ざってるからか?」
確証はないが、人間である久遠の魔力を少し渡したのでその可能性もある。
ふふ、とエマが笑った。
「久遠のおかげですね。ありがとうございます」
そう言って擦り寄られ、久遠も笑う。
「思ったより人多いな。これじゃあ飛ぶ練習は無理だ。またにしよう」
「また…連れてきてくれるのですか?」
「ああ。いくらでも連れてきてやる」
「…でも海には入らないでくださいね?」
「ん? 入りたいのか?」
「いいえ全く!」
ぶんぶんと勢いよく首を横に振ったのがおかしくて、つい声を上げて大笑いしてしまった。
久遠は思う。「また」という約束を必ず果たしたいと。
エマは窓にもたれかかって外を眺めていた。
「あれが道路、あれがビル、あれが横断歩道、あれが車、あれは…信号機? 赤と青と…黒? 何色でしたっけ…」
久遠に教えてもらったが覚えきれないものが多い。
突然出現した魔法陣に吸い込まれて人間界へ来てオークションで売られそうになってから一ヶ月が経過していた。
「僕は人間界で暮らすのでしょうか…」
迎えは来ない。目立つタイプではないのできっと忘れ去られているのだろう。
ガラリと窓を開けた。強めの風にエマの長い金色の髪の毛が揺れる。
(俺が面倒を見る、と久遠は言っていましたが…甘えていいのでしょうか…)
人間界について知らないことが多すぎる。きっと久遠に迷惑をかけるだろう。
エマは目を閉じた。
(でも…)
いられるなら一緒にいたいと、この一ヶ月で思いは変わってきた。
久遠の優しい手が好きだ。
あったかくて、いつも抱き支えてくれる大きな手。
(一緒にいてもいいのでしょうか…でも僕は天使で…)
ゆっくり目を開けると、不意に声が聞こえてきた。
『…エマ、エマ』
聞き覚えのあるこの声は…。
「ララ様!?」
神の双子の片割れであるララの声だ。ぱっと顔を上げるもどこにもいない。
『ああ、ようやく声が届きました。遅くなりましたね、エマ』
「ララ様…僕がいないことにお気づきで…?」
『申し訳ない。気づきませんでした』
「ですよね…」
『明日にでもそちらに天使を派遣しましょう。帰っておいで』
「……」
『ーーエマ』
「…はい」
『天使でも神でも人生は一度きりですよ。そこを踏まえて行動しなさい。ちなみに僕は愛に突っ走ります』
エマはくすりと笑った。この人らしいセリフだ。
ふと、特殊な匂いにエマの鼻が反応し外を見た。
なんでしょう。タバコでしょうか?
窓の下を見たときだった。頭に強い衝撃を感じバランスを崩し、窓の外へ落ちてしまった。
痛みを感じる中で落下しながら見た光景は、あの日人間界へと吸い込まれたものと同じ絵柄の魔法陣だった。
タバコのような匂いがする。それよりももっと鼻をつく匂いで、意識がぼーっとする。
体も動かない。臭気の魔法でも使っているのだろうか。
「何度も逃げやがって…魔法使い雇うのにどれだけ金いるかわかってんのかコイツ…」
「またオークションに出そう。それぐらいの金、コイツなら回収できる」
どうやらまた人間に捕まったようだ。
恐らく魔法だろう、目も見えずらい。耳は…かろうじて聞こえる。
不意に髪の毛を引っ張り上げられた。
「っ」
「綺麗な顔してんなあ。羽根はないのか?」
「天使だからあるだろ」
背中をベタベタ触られてエマは背筋が凍った。
ーー気持ち悪い。
「ゃっ、触らない、で…っ」
「声まで綺麗とはさすが天使だな」
「オークション会場で声を出してもらおう。倍に跳ね上がるぞ」
何も見えない状態で気持ち悪い手で触れられる。
(久遠…っ)
咄嗟に心の中で叫んだ時だった。
『僕と弟の美しい創造物に触れる人間どもにはお仕置きです』
ボンッ、と巨大な爆発音が聞こえた瞬間、あたたかい風が目に触れたことにより視界が復活した。
エマは見た。
爆風と共に現れた久遠を。
「エマ! お前らエマに何しやがった!」
返事を聞く暇も与えず久遠が男たちに殴りかかる。あっという間に伸されたふたりをそれでも殴り続ける様子に少しばかり恐怖を覚えた。
「く、久遠…」
「なんだ!」
「し、死んじゃいます、よ…」
「少しぐらい死んでも死なねえだろ」
どういう意味だろうか。男ふたりが血だらけになったところで満足したらしい、久遠がこちらを向く。
「エマ、怪我はないか」
「はい…大丈夫です…。でもどうしてここが…」
『僕が呼びました』
「いわゆるこれが神の声ってやつか」
ハンカチで手を拭きながら久遠が納得したように頷く。
『エマ』
柔らかい声で名前を呼ばれる。
『お前が望むものを与えましょう』
「僕が、望むもの…」
エマは久遠を見つめる。
久遠は心配そうにこちらを見ていた。
エマは笑った。
「僕は人間になりたい」
久遠の目が大きく見開いた。
『その望み、叶えましょう。ーーエマ、お前にたくさんの加護を降らせましょう』
キラキラと、星屑のような光り輝く球体がエマに降り注ぐ。
光が消えた頃、自身の体に異変が起こったのを感じた。
「羽根が…羽根が出て来ません…。僕は本当に人間に…」
久遠に腕を掴まれた。
「いいのか、本当に」
心配の色を浮かべる久遠に、エマは微笑んだ。
「これが僕の望みです。人間になって…久遠のそばにいたい…久遠と一緒にいたい」
久遠が目尻を下げて嬉しそうに笑い、エマを抱き上げて口付けた。
エマは泣きべそをかいた。
「やっぱり無理です…」
それを見た久遠は吹き出し「だから言っただろ」と笑いながらエマの体をひょいと抱き上げた。
「今日こそは歩けると思ったのですよ」
「で? 実際は?」
「無理でした…僕に砂浜は早かったです…」
エマが人間となり一ヶ月が過ぎた。
その間に何度か海へ来ては砂浜チャレンジを繰り返すものの、エマの足に砂浜は重かった。
「いやあ、おもしろい。何回も来てんのに一向に歩ける気配がねえな」
「歩けると思ったのですよ…」
「はは、そのチャレンジ精神はどこから来るんだ?」
抱え上げる腕の中のエマに大笑いしてしまう。
「海にはいつになったら入れるんだろうな」
「入りませんよ。絶対に入りませんよ」
「夏になれば泳げるぞ?」
「夏?」
「太陽が活発になるすごく暑い季節のことだ。今はまだ海水温が低いが、そのうち泳げるようになる」
「泳ぐのですか…この広い海を…。人間は怖いことをしますね…」
「よーし、今年の夏は泳ぐぞ。エマを連れて泳いでやる」
「やめましょう本当にやめましょう」
ぶるぶる震え始めるエマがかわいくてかわいくて、久遠は笑った。
「お前は本当に愛おしいな、エマ」
そう言うとエマは唇を尖らせる。
「どうせ幸薄いですよ」
「まだ言ってないだろう?」
「まだってことはそのうち言うつもりでしたね」
「はは」
笑いながら頬を撫でると、その大きな手にエマが擦り寄る。
「久遠。僕は幸せです」
「ああ、俺もだよ」
エマの長い髪の毛が海風に揺れる中、ふたりは笑い合った。
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※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
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