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第1話「来世に期待。でも、本当はね?」
しおりを挟む「なんで人の家に勝手に入ってこんなにぐーすか気持ちよく眠れるのかな…」
かけたはずの鍵がかかっていない時点で嫌な予感はしていた。
泥棒が来るはずもない。まずこんなボロボロの家に盗みに来ないだろう。
それに、ここは弱小ながらも一応魔法大学である。監視の目はばっちりだろう。
ということは内部の人間の犯行で…こんなことをするのはひとりしかいない。
「おーい、雫(しずく)くん、起きてー。朝じゃないけど朝ですよー」
綺麗に割れた腹筋をチラ見せし、涎を垂らしながら鼻ちょうちんを華麗に作って眠る大男…雫に声をかける。
キラキラ光る金色の髪の毛に、ヒスイはそっと触れた。
ーー綺麗だなぁ。
サラサラの髪。髪の毛か体臭か香水かはわからないけれど、すごくいい匂いもする。
(この匂いがシーツに付くんだよねぇ…)
いい匂いすぎて逆に困るのだ。
ゆさゆさと体を揺さぶってみるものの効果なし。仕方ないので耳元で小さく囁いた。
「七年A組の雫さーん。卒業論文の提出は終わりましたかー?」
「終わったに決まってんだろーが! フザけんなっ! …あれ? ヒスイせんせ?」
バチィッと勢いよく目を覚ました雫がきょとんとする。
「…キミ、人の家に勝手に入って勝手に眠るのやめてほしいんだけど…」
「どうせ俺の部屋来てくれねえだろうが。しょうがないから来てんだけど」
「鍵かけてるはずだけど…」
「あってもないようなもんですよねー。魔法使っても使わなくても」
「…住居侵入っていう立派な罪状、知ってる?」
「あー、ねみぃ。せっかくヒスイせんせとイチャイチャしてる夢見てたのに」
「あのー、僕と会話してほしいんだけど…」
「はよ、ヒスイせーんせ。夢の続きしねえ?」
「…」
「あとさー、俺起こすのにその煽り文句やめてくんね? すげードキドキしながら起きる。心臓に悪い」
「卒業論文なに書いたの?」
「話逸らすな」
少し長めの前髪をかき上げながらじろりと金色の瞳で睨まれ、思わずたじろぐ。
「うっ…」
「なに? 俺に見つめられたらドキドキするか? あ、グラタン作ってるけど食う?」
「食べるっ!」
ヒスイの顔が、ぱあぁっ、と一気に明るくなる。
「キミの作るグラタンおいしいんだよねぇ! えへへー、グラタン、グラタン! あ、手洗わなきゃ」
大急ぎでキッチンで手を洗っていると、その横で雫がトースターにグラタンを入れていた。
取手を回すと、ジジジジ…、と音を立てながら内部が赤くなる。
その様子を物珍し気にじーっと眺めた。
「トースターってホントに焼けるんだねぇ。手から火出した方が早くない?」
イマイチ構造がわからなくてついつい見つめてしまう。上が赤くなってるけど…火はどこだろう?
「魔法が使える人間でもそんなことはできません」
「そっかあ。こんなに簡単なのに」
そう言ってヒスイは左手を出して、小さな炎を出して見せた。
「やっぱ寒い日は直火に限りますなあ」
フッと炎を吹き消され、代わりに抱きしめられた。
「ヒスイせんせあったけ~。…子供体温」
「僕は! キミより! 年上っ!」
「はいはい。オニオンスープも作ってるけどいる?」
「いるーっ! 玉ねぎすごいおいしいやつ! 食べる食べる! …え、なにその顔」
見上げた先には眉間に皺を寄せる雫の顔が。残念な物を見ているような、哀れみの表情というか…。
「俺以外にそういう態度取らねえほうがいいよ」
「?? どういうこと?」
「ヒスイせんせは世の中知らねえからな~。せいぜい俺の腕の中でぬくぬくしてくだせえ」
ぎゅ、と抱きしめられてもヒスイの頭ははてなマークでいっぱいだ。この子の言うことはイマイチわからない。
テーブルにグラタンとスープを置いて、ふたりは手を合わせる。
意識せずスプーンを掴み上げると「ヒスイせんせ、持ち方」と指摘され、慌てながらも正しくスプーンを手にした。
ちら、と見上げると雫ははニカッと笑って親指を立てる。それを見てヒスイも嬉しくなった。
「だいぶスプーン上手に持てるようになったよな。次は箸にチャレンジするか?」
「あれは難しすぎるよ…」
少し前に雫が色違いの箸を二膳買ってきてくれたものの、キッチンの引き出しの奥の奥に眠っている。
ふーふー、とグラタンを冷まし口に入れると熱くてついはふはふと口が動き「火傷すんなよ」と声をかけられた。
続いてオニオンスープを飲む。今日もおいしくて、思わず微笑んでしまう。
「ん~おいしーなあ。雫くんって料理上手だよね。…勝手に忍び込むクセはやめてほしいけど」
「残業して帰ってきたヒスイせんせにおいしーい手料理作って待ってんの。褒めろ」
「好きで残業してないよ…ていうか用務の僕がなんで毎回会議出なきゃいけないんだろ…」
「もう少し人と絡めっていう校長先生の粋な配慮だろ」
「参加しても文字読めないから資料意味わかんないのに。今日も疲れたあ」
「お疲れのところ大変申し訳ありませんが、本日もオベンキョウといきましょうか」
「うげええ」
食べ終えたグラタン皿等があっという間に下げられ、サッとテーブルを拭かれる。ついでに洗ってくれたら嬉しいなぁと思うものの、シンクに下げられるだけで終わってしまった。
ヒスイはテーブルに突っ伏す。
「お勉強はんたーい」
「あ? じゃあお前の秘密バラしてもいいってのか?」
「…脅しはんたーい」
「お前が人間じゃなく魔族って周りが知ったらどうなるんだろうなあ。しかもサタンの息子とか。ここにいられないどころじゃねえよなあ。あー考えるだけで楽しい。なあ、ヒスイせーんせ」
髪の毛を軽く掴まれ、強制的に顔を上げさせられる。
鋭く口角を上げ、雫の綺麗な顔がニヤアといじわるに笑った。
「……お勉強します。させてください」
「よろしい」
ぱっと髪の毛を離されたため、勢いよくテーブルに額をごちっとぶつけた。
ーーここはS学園大学。魔法が使える生徒が学びにくる場所だった。
この世には人間と魔族が住み、お互いにいい距離感を保ちながらそれぞれ暮らしている…のは昔の話で、現在では魔族が人間側に奇襲を仕掛けることが増えてしまった。襲うことが魔族の本能らしいが、殺される人間はたまったものじゃない。そこで人間側も対処しようと魔法学校や魔法大学を増やし、魔法が使える人間をたくさん輩出してきた。
ちなみに、ヒスイが用務員として働くS学園大学は魔法を学ぶにしては弱小大学である。
「そういやお前、花粉は大丈夫か?」
額をさするヒスイの前にマグカップを置く。ひくひく、とヒスイの鼻が動いた。
この匂いは…。
「ココアだ! 花粉? うん、大丈夫、僕は秋の花粉に弱いみたいだから。あ~ココアおいしい…」
「俺と初めて会ったときみてえに川で眼球洗うなよ。人間か魔族かわからんで本気でパニくりかけた」
人間と魔族の違い、それは見た目である。
魔族は人間と同じ姿であるサタンと、その周りでウロチョロする骨だけの犬のような見た目の二種類。
しかし大学等の古い教科書には、稀に半魔(はんま)と呼ばれる生き物が存在し、主にサタンと人間の間に生まれた子を指すと記載されていた。
「あー…だってあの時ホントに目が痒くてさぁ。義眼をじゃぶじゃぶ洗いたくなったんだよねぇ」
そう言ってヒスイは顔の左側に指を突っ込み、左目を取り出してみせた。
「うおっ! いきなり出すな! 知っててもビビるだろ!」
「あはは、ごめんね。でもこれ義眼だし」
「心臓に悪いわマジで…」
雫が胸に手を当てているのを「ごめんね」と笑いながら謝った。
半魔の特徴として、人間が使うことのできない魔法を使えることともう一つ、身体的特徴があった。
それは片眼である。
右眼しかなく、左側は眼球といった特徴がなくただのっぺりとしている。
雫が取り出した義眼を指差す。
「それ、校長先生がくれたんだっけか」
「うん。これ左側に入れとけば義眼になるよ、って。普通の人間っぽく見えるし普通に目の機能も果たしてくれるって。…まあ一番は僕の力を抑えるためだけどね」
エメラルドグリーンの義眼を掲げた。
キラキラと、電球に反射して輝く。
いくら半分は人間の血が混じるといっても、強大な魔力を持つサタンの元に生まれたためその力を抑える役割も果たしている。
(こんなもので全部抑えられるわけないのに)
自分で自分に蓋をしているだけだーーヒスイは義眼を顔の左側に埋め込んだ。
「さて」
トン、と雫がテーブルを叩いてにっこり笑った。
「今日は何が知りたい?」
ーー半年前の秋、麗らかな午後の昼下がりだった。
その日S学園大学は学祭を迎え、外部からもたくさんの人が遊びにきていた。
用務員であるヒスイは言われたとおり大学内を巡回していたが、その日は特に花粉がひどい日だったために
敷地内の端っこにある自宅まで我慢ができず、つい学内の川でこっそり義眼を洗ってしまった。
洗えるなんて便利だね~、なんて笑っているところを雫に見られたのである。
そのときの雫は、学外の制服を着ていた。外部の人間だから見間違いで済ませるだろうとその場を逃げたものの、ちょうど一ヶ月後にまた雫と出会ってしまった。なぜか学内の制服を着た雫にーー。
(まさか編入してくるとは思わなかった)
雫が元いた大学は、S学園大学なんか足元にも及ばない非常にレベルの高い学校だった。
事情はわからないが卒業まで半年ほどしかないのに編入、そして再会だ。
突然やってきてはノックすらせずズカズカと上がり込み、いきなり顔の左側に大きな手を無理やり突っ込み義眼を引き摺り出して、ニヤア、と笑われた時には流石にヒスイは震え上がった。
『よお、半魔サン。やっと見つけたぜえ? さあーー』
僕よりよっぽど魔族であると、人生で初めて思った瞬間だった。
「んー、そうだなぁ…。スプーンの持ち方はだいぶ覚えたしお箸も大丈夫だし」
「箸はあの引き出しの奥から一度も出してねえだろ」
「……今日はあったかいねえ」
「話を逸らすんじゃねえよ」
「えーっと、んーっと…あ、じゃ文字を読んでみたいかな。ゆくゆくは書いてもみたい」
「じゃあ今日からしばらくはそれだな」
雫が引き出しを開けてガサゴソと漁っては紙とペンを取り出す。何度でも言うがここはヒスイの家である。
「ていうかお前、ペンの持ち方知ってるか?」
「ペンにも持ち方があるの!? ええー…すでに心が折れそう…」
「教育受けてなかったらそんなもんだろ。気長に教えてやるからとりあえず今日はひらがなだ」
ペンを手に、雫はさらさらと文字を書いていく。
「これが五十音順だ。ひらがな全部書いてある。全く読めないのか?」
「魔法を使えば読めなくもないけど、それは僕がホントに理解できてるのかって聞かれたら全く理解できてない。ついでに言えば文字も魔法を使えば書けるけど、全く理解ができない。僕にとっては文字ってただの記号にしか見えなくて…」
そう答えると雫の眉間に皺が寄る。意味がわからないという顔だ。
「人間にはできないの?」
「魔法って便利なのか不便なのかわからんくなってくるな…。まあいい。読み書きをワンセットで教える。ヒスイせんせは何て文字書いてみたい?」
「しずく」
「…へ?」
「しずく、って書いてみたい。キミの名前の書き方教えて欲しいな」
そう言うとなぜか雫が顔を覆った。
金色の髪の毛から覗く耳が真っ赤である。
「…初めて書いてみたい文字が俺の名前って、俺の名前ってえええ…」
「え、なに…僕なにか変なこと言った?」
「ヒスイせんせ絶対俺のこと好きでしょ。これ絶対好きだろ。前にも言ったけど俺と付き合うべきだってこれ。絶対に幸せするから」
「僕は誰も好きになりません。僕は孤独に寂しく生涯を終えるのです。来世に期待」
そう言いながら、五十音順が書かれたひらがなたちを見る。
…魔法を通してならなんて書いてあるかわかる。でも。
「やっぱりなんて書いてあるのかわかんない…」
「これが俺の名前ね」
雫が一文字ずつ丸をつけてくれた。
「し、ず、く……す、って書くのむずかしそう…」
「確かにここの丸くなる部分は書きにくいだろうな。シャーペンで薄く書いてやるからしばらくは上からなぞって書け」
「…雫くんはさあ、僕が読み書きできなかったりお箸の持ち方すらわかんないの、バカにしないの?」
前々から疑問だった。
ーー『お前が知らないことを全部教えてやる』
恐怖の二度目ましての挨拶の後、こんなことを言われた。
てっきり、学園から追放されるか脅されるとばかり思っていたから『あえ?』と素っ頓狂な声が上がったことを約半年経った今でも覚えている。
あの日から雫は、教育を一切受けていないヒスイに対して様々なことを教えてくれた。
スプーンの持ち方、箸の使い方(まだ使えないけど)、トースターは本当に焼けること、魔法を使わなくても電子レンジで温められること…本当にたくさんのことを教えてくれる。
(別にいられなくなったらなったでいいんだけどな…)
素性を知られたくなければこの学園から出ていけ、と言われても、はいどうも、と出て行くのに。
なぜかヒスイの秘密をそのままに、人間生活というものを教えてくれる。
「なんでバカにしなきゃいけねえんだ?」
逆に聞かれた。
「だって僕、人間としては何もできないよ? 能力低いじゃん」
「お前は好きなやつをバカにできるのか?」
「誰かを好きになったことないもん」
「何回でも言うけど、俺はお前が好きなんだよヒスイせんせ。あの日見たときから」
「…義眼じゃぶじゃぶ事件?」
「そ。あの日から三日三晩、マジでお前のことが頭から離れんかった。で、四日目に気づいた。これ、恋だ。半魔に恋してるよ俺、って。その日この学園に来て校長に、ここにいる半魔について教えろ、って言ったら、編入してきたら教えてあげるって言われたからここに来…」
「あえ!?」
ヒスイは勢いよく立ち上がり、ガタンと椅子を倒してしまう。
だって、それって、それってーー。
「僕のせいで編入してきたってこと!?」
「そうだ」
「初耳なんだけど!?」」
「言ってなかったか? ヒスイせんせのこと教えてもらう代わりの交換条件」
くらりくらくら。ヒスイの目の前が回る回る。
(だって、だってこの子の前の大学ってとんでもなく頭いいところって聞いたよ!? それを、それを卒業間近にして編入させるって…えぇー……)
校長からもそんな話聞いていない。
弱小大学だから、雫のような生徒は喉から手を出すほど欲しいに違いない、それを自分のような半魔をエサに交換条件を持ち出すとは。
「ちなみに編入ともう一個、条件があった」
「…なんでしょう」
「卒業後はこの学園の教師になること。新しく学科を設けるんだと」
ぐらりぐらぐら。目の前が回る回る回る…ヒスイは立っていられず、へにゃり、と座り込んでしまった。
「前の大学では結界監視っつーのを専門にしてきたから、その学科を作るんだとさ。まあこの学園レベル低いからそんなの教えられる教師いないわな、この中には」
そう言って雫がケラケラ笑う。少しばかり(かなり?)バカにしているようだが、それだけの実力と校長自らスカウトするぐらいの人材なのだろう。
相変わらず立てずにいると、わしゃわしゃと髪の毛を撫でられた。
「つーわけで来月からここの教師だ。よろしく同僚」
「…僕は用務員デス」
「そういやヒスイせんせのこと呼び捨てにできるなー。いやあ楽しみ楽しみ」
「…キミはそれでいいの?」
「あ?」
「僕はねぇ、優秀な子のキャリアを潰したんだよ…とんでもない罪悪感に打ちひしがれてるよ…」
「僕のために全てを捨てて来たんだね! っていう優越感でいいんじゃねえの、そこは」
「……」
もう座ってもいられないから横になる。色んなものを投げ出したい。
しくしく泣いていると「ねえヒスイせんせー」とひょいと抱っこされ、あぐらをかく雫の足の間に座らせられる。
ぎゅむ、と後ろから抱きしめられた。
「……離してください」
「ちょっと真面目な話していい? いつもヒスイせんせ言うじゃん? 来世に期待って。あれ何」
「何って、そのままの意味だけど」
「ヒスイせんせってどっか冷めてるよね。ねえなんでだ? 俺と楽しく恋しよ」
「僕は生徒に手を出す気はないし、そもそも半魔だからね…幸せになんてものになれるはずがないよ」
「ホントは?」
「……うん?」
ホントは、とは、どういう意味だ?
はてなマークだらけで顔を上げると、ちゅ、と額に唇を寄せられる。
この大男、意外と唇が柔らかい。
「絶対そんなこと思ってないだろ。顔に書いてる」
思わずむにむにと自分の頬を触ってみた。魔法で何かしたわけでもないし、たぶん大丈夫…。
「ホントはどう思ってんだ? 来世に期待なんてぜってーウソ。俺の腕から逃げないのがその証拠」
「じゃあ逃げれば…」
「はよ言えや」
細い腰に回る腕の締め付けが強くなり、これは抜け出すのに苦労しそうだ。
ヒスイはしばらく考えた。うーんうーんと唸りながら右へ左へ揺れ、ついでに前後まで揺らすと雫の顎でしっかり頭をガードされる。なんとかして言い逃れできないか考えたものの、これは無理そうだ。
「…笑わない?」
「わからん」
「そこはさあ、笑わない、ってしっかり言おうよお。……じゃあ、言うよ?」
雫の腕の中で抱える。
そのまま、ごにょりと今にも消え入りそうな声をなんとか紡ぎ出した。
「ぼく、は……できれば、恋してみたい。ドキドキしてみたいし、いっぱい好きになってみたいし、いっぱい好きになってもらいたい。誰かひとりの特別になってみたい…誰かに特別に、思われ、たい」
羞恥で耳が熱い。痛い。
半分人間半分魔族の半魔である自分にそんな資格はないとわかっている。
わかっているけど…特別、というものを知りたい。
ずっとひとりで過ごしきた。暗い森の中で人目に触れることなく、ただじっと、朝日が昇るの見て日が沈むのを眺め、何かを口にしなくとも生きられる体を恨み、けれども呼吸をし、自分から死ぬ勇気もなく時間が流れるのを待つ時期もあった。
ひとりはさみしい。
でも自分から行動をするには分不相応だ。自分の立場ぐらい知っている。
頭の上で大きく吹き出された。
「考えが童貞のガキだな。要はありのままの自分を受け入れてほしいってことだろ」
「お願いだからそういうこと言わないで恥ずかしいの充分わかってるんで…!」
「だったら!」
さらにぐっとと腕に力が入った。ヒスイの小さな体がすっぽりと収まってしまう。
「余計に俺でいいじゃん。俺、魔法省から内定出てたけどそれ蹴ってここ来てるから」
「マホウショウ…? え、え、キミってエリート中のエリートだったの!?」
「お前を知りたいからココに来た。ねえヒスイせんせ。これって十分に俺の特別じゃねえの?」
ごくりと息を飲んだ。
ーーなにこれ。今これ何が起こってるの。
(僕の人生に今! 何が! 起こってるの…!?)
だらだらだらと正体不明の汗が大量に落ちる。暑いのか寒いのか、もうワケがわからない。
がんばれ自分と、謎に自分自身を励ましながら考えた。
(まず僕は半魔で、この子は人間で、僕はこの学園の用務員で、この子は生徒で…あ、でも、来月からここの教師になってーー僕に会いたいがためにマホウショウを蹴ってここに来て…あれ?)
最後の一文、もしかしてめちゃくちゃ特別なのでは?
(待って待って待って。で、でも、でもさ、僕を好きじゃなきゃ何の意味もなくて…うん?)
ーー僕、この子に何度も好きって言われてる。
好きって、好きって、そういうことーー?
「わああああああ!」
ジタバタ暴れ回ってなんとか雫の腕の中から脱出したもの、あまりにも焦りすぎてテーブルの脚に頭を
ひどくぶつけた。
「いっ!」
「すげー音。ていうか焦りすぎだろ」
「まって、待って、来ないで、こっ、こなっ」
「あ? 拒否ってんじゃねえよ。まあいいや。ようやくヒスイせんせに意識させられた」
そう言って雫が立ち上がる。
「寮に戻るわ。これ以上の時間になると外泊届いるしな」
「あえ、あ、はい…」
「なんだあ? 物欲しそうな顔しやがって。今はこれで我慢しとけ、童貞ちゃん」
ガシッと強く首の後ろを掴まれ目を丸くしていると、目を閉じた雫の顔が迫ってきた。
まつ毛長いなあ、キラキラしてるなあ、なんてぼんやり考えていると唇を重ねられた。
ゆっくり離れたと思いきや最後に、ちゅっ、とワザと大きな音をさせて唇をついばまれ、ニンマリと笑われる。
「ファーストキス、ごっそーさん」
ひらひらと手を振って出ていく後ろ姿を、ヒスイはただただ見つめるだけだった。
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