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6話 男爵夫人の願い
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「奥様、お茶をお持ちしました」
チェルシーの言葉に、男爵夫人が顔を上げた。ひどく悪い顔色だ。
ベッドから出ようとした彼女を、チェルシーは慌てて止める。
「無理はなさらないでください。お医者様に絶対安静だと言われていますので」
「そうね……。それじゃあ、行儀が悪いけれど、ここでいただくわ」
起き上がった夫人の背を支えるようにクッションを置き、チェルシーはお茶を淹れた。
「ふふ、あなたのお茶は相変わらず美味しいわね」
「……奥様、食べられるようでしたらお菓子もどうぞ」
夫人は一月前に突然倒れてから、みるみるうちに弱っていった。食事もほとんど喉を通らなくなり、薬湯やチェルシーの淹れる茶くらいしか口にしなくなった。
医者やマイロは、夫人は長くはないだろうと診断した。心身ともに衰弱しており、成す術はないと。
それでもチェルシーは諦めきれず、茶と一緒に食べやすい菓子も出していた。
「ありがとう。……嬉しいけれど、気持ちだけいただくわ。それは、あなたが食べてちょうだい」
「……はい」
やはり駄目なのかと、チェルシーは目を伏せた。
お茶を飲み終えると、夫人は横になった。苦しそうに大きく息を吐き、チェルシーを見やる。
「チェルシー……少し、わたくしの話を聞いてくれるかしら? あなたに、伝えたいことがあるの」
「……もちろんです」
平静を装おうとしたが、どうしても声が震えてしまう。
夫人の死がもうすぐそこまで来ていることは、お互いによくわかっていた。
「知っていると思うけれど、わたくしは元々平凡な村娘だったの。たまたま村に立ち寄ったあの人と出会い、恋に落ちて嫁ぐことになったのよ。田舎者の平民が貴族に嫁ぐなんて、無謀だと家族に強く反対されたのだけれど……あの人を諦めたら、わたくしの人生はもう幸せではないと暴れたのよ」
「……奥様が、ですか?」
信じられないというチェルシーの反応に、夫人は楽しそうに微笑んだ。
「ええ。その頃はわたくしもお転婆だったから。数日水も食事も取らずに部屋に立てこもったの。そうしたら、泣く泣く認めてくれて。……申し訳ないと思っているわ。抗議するにしても、他にも方法があったのに」
夫人の語り口から、仲の良い家族だったことが伺えた。村を離れれば、滅多に会えない。好きな人の元にいくとはいえ、離れがたかっただろう。
それでも、夫人は旅立つことを選んだ。
「貴族教育は厳しかったわ。それまでろくに礼儀も知らなかったのだから、覚えることもたくさんあって。……でも、全く苦じゃなかったの。あの人と一緒になるためだったから」
夫人は目を伏せた。
やせ細った己を手を見つめ、言葉を紡ぐ。
「もし、過去に戻ったとしても、わたくしは必ずあの人の手をとるわ。きっと。何があったとしても」
夫人の声は澄んでいた。
だから、チェルシーもただ彼女の言葉に耳を傾けた。
「わたくしは、幸せな人生だったわ。愛する人と結ばれて、子どもも出来て……家族を置いて行くのがつらいけれど。……チェルシー、短い間だったけれど、あなたにはとてもお世話になったわ。ありがとう」
「……いえ。あたしのほうこそ、奥様にはたくさん良くしていただいて……っ」
堪えきれず、チェルシーの目から涙がこぼれた。
夫人は優しく微笑んだ。
「チェルシー。あなたに、紹介状を書くわ」
紹介状があれば、チェルシーのような孤児でも他の貴族の家でも働きやすくなる。本来ならば嬉しい提案だった。
だが、今後も貴族の家で働くのは危険な気がした。男爵に会う可能性があるからだ。些細なことから夫人の故郷を調査したことがバレるかもしれないし、なるべく男爵には関わりたくはない。
「あら。もしかして、これからもここで働いてくれるつもりかしら?」
返事のないチェルシーを見つめ、夫人は微笑む。
「それは嬉しいけれど、おすすめしないわ。あの人は後妻をとらないでしょうから夫人付きの仕事はないでしょうし、乳母やシッターは既にいるもの。それに……あなたはここにいないほうがいいわ」
寂しそうに笑う夫人を見て、チェルシーは悟った。
夫人は薄々気づいている。詳細はわかってはいないだろうが、男爵が自分に言えないことを行っていることを。
(それだけじゃないわ)
彼が侍女の消息不明に関わっていることも、チェルシーが自身の身に危険が及ぶのではないかと恐れていることも、きっと夫人は悟っている。
「奥様……」
「ルーイづてでも新たな仕事先を探すことはできるけれど……紹介状があったほうがより良いところで働けるから。ここから少し離れているけれど、友人がいるからそちらに行くといいわ。とても気の良いご婦人だから安心してちょうだい。馬車の手配などは……さすがに今のわたくしでは難しいわね。あの人に手配をお願いするわ」
これは夫人の気遣いだ。夫人の生前の頼みであれば、男爵はチェルシーを無事に新たな主の元に引き渡すだろう。
遠方であれば、男爵に遭遇する可能性も低くなる。逃げ切ることもできるのかもしれない。
「ありがとうございます、奥様」
「いいのよ。……わたくし、いろいろ面倒をかけてしまったのだもの」
夫人は今夜書いておくと約束し、子息を連れてくるようチェルシーに頼んだ。
男爵を交え、家族三人で過ごした夫人は、翌朝眠るように亡くなった。
チェルシーの言葉に、男爵夫人が顔を上げた。ひどく悪い顔色だ。
ベッドから出ようとした彼女を、チェルシーは慌てて止める。
「無理はなさらないでください。お医者様に絶対安静だと言われていますので」
「そうね……。それじゃあ、行儀が悪いけれど、ここでいただくわ」
起き上がった夫人の背を支えるようにクッションを置き、チェルシーはお茶を淹れた。
「ふふ、あなたのお茶は相変わらず美味しいわね」
「……奥様、食べられるようでしたらお菓子もどうぞ」
夫人は一月前に突然倒れてから、みるみるうちに弱っていった。食事もほとんど喉を通らなくなり、薬湯やチェルシーの淹れる茶くらいしか口にしなくなった。
医者やマイロは、夫人は長くはないだろうと診断した。心身ともに衰弱しており、成す術はないと。
それでもチェルシーは諦めきれず、茶と一緒に食べやすい菓子も出していた。
「ありがとう。……嬉しいけれど、気持ちだけいただくわ。それは、あなたが食べてちょうだい」
「……はい」
やはり駄目なのかと、チェルシーは目を伏せた。
お茶を飲み終えると、夫人は横になった。苦しそうに大きく息を吐き、チェルシーを見やる。
「チェルシー……少し、わたくしの話を聞いてくれるかしら? あなたに、伝えたいことがあるの」
「……もちろんです」
平静を装おうとしたが、どうしても声が震えてしまう。
夫人の死がもうすぐそこまで来ていることは、お互いによくわかっていた。
「知っていると思うけれど、わたくしは元々平凡な村娘だったの。たまたま村に立ち寄ったあの人と出会い、恋に落ちて嫁ぐことになったのよ。田舎者の平民が貴族に嫁ぐなんて、無謀だと家族に強く反対されたのだけれど……あの人を諦めたら、わたくしの人生はもう幸せではないと暴れたのよ」
「……奥様が、ですか?」
信じられないというチェルシーの反応に、夫人は楽しそうに微笑んだ。
「ええ。その頃はわたくしもお転婆だったから。数日水も食事も取らずに部屋に立てこもったの。そうしたら、泣く泣く認めてくれて。……申し訳ないと思っているわ。抗議するにしても、他にも方法があったのに」
夫人の語り口から、仲の良い家族だったことが伺えた。村を離れれば、滅多に会えない。好きな人の元にいくとはいえ、離れがたかっただろう。
それでも、夫人は旅立つことを選んだ。
「貴族教育は厳しかったわ。それまでろくに礼儀も知らなかったのだから、覚えることもたくさんあって。……でも、全く苦じゃなかったの。あの人と一緒になるためだったから」
夫人は目を伏せた。
やせ細った己を手を見つめ、言葉を紡ぐ。
「もし、過去に戻ったとしても、わたくしは必ずあの人の手をとるわ。きっと。何があったとしても」
夫人の声は澄んでいた。
だから、チェルシーもただ彼女の言葉に耳を傾けた。
「わたくしは、幸せな人生だったわ。愛する人と結ばれて、子どもも出来て……家族を置いて行くのがつらいけれど。……チェルシー、短い間だったけれど、あなたにはとてもお世話になったわ。ありがとう」
「……いえ。あたしのほうこそ、奥様にはたくさん良くしていただいて……っ」
堪えきれず、チェルシーの目から涙がこぼれた。
夫人は優しく微笑んだ。
「チェルシー。あなたに、紹介状を書くわ」
紹介状があれば、チェルシーのような孤児でも他の貴族の家でも働きやすくなる。本来ならば嬉しい提案だった。
だが、今後も貴族の家で働くのは危険な気がした。男爵に会う可能性があるからだ。些細なことから夫人の故郷を調査したことがバレるかもしれないし、なるべく男爵には関わりたくはない。
「あら。もしかして、これからもここで働いてくれるつもりかしら?」
返事のないチェルシーを見つめ、夫人は微笑む。
「それは嬉しいけれど、おすすめしないわ。あの人は後妻をとらないでしょうから夫人付きの仕事はないでしょうし、乳母やシッターは既にいるもの。それに……あなたはここにいないほうがいいわ」
寂しそうに笑う夫人を見て、チェルシーは悟った。
夫人は薄々気づいている。詳細はわかってはいないだろうが、男爵が自分に言えないことを行っていることを。
(それだけじゃないわ)
彼が侍女の消息不明に関わっていることも、チェルシーが自身の身に危険が及ぶのではないかと恐れていることも、きっと夫人は悟っている。
「奥様……」
「ルーイづてでも新たな仕事先を探すことはできるけれど……紹介状があったほうがより良いところで働けるから。ここから少し離れているけれど、友人がいるからそちらに行くといいわ。とても気の良いご婦人だから安心してちょうだい。馬車の手配などは……さすがに今のわたくしでは難しいわね。あの人に手配をお願いするわ」
これは夫人の気遣いだ。夫人の生前の頼みであれば、男爵はチェルシーを無事に新たな主の元に引き渡すだろう。
遠方であれば、男爵に遭遇する可能性も低くなる。逃げ切ることもできるのかもしれない。
「ありがとうございます、奥様」
「いいのよ。……わたくし、いろいろ面倒をかけてしまったのだもの」
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男爵を交え、家族三人で過ごした夫人は、翌朝眠るように亡くなった。
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