プラスティック・ヴィーナス

時雨虚太郎

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 この後、村上先輩に私は告白した。……その時のことは今も思い出したくない。ただ事実関係として言っておくと、私は彼に振られた。いやそれより、拒絶と言った方が正しい。彼は私を狂人のように見ていたし、また、恐れ、気味悪がっていた。私は、すぐに耐えられなくなって泣きながらその場をあとにしたこと、鮮明に覚えている。

 いろいろな思いがあった。彼は私が仲良くできた貴重な人であったし、受け入れてくれた人でもあった。その人の拒絶は、本当に、何といえばいいだろうか。苦しいとかつらいとかそんな生半可な言葉で片づけていいものではなかった。地獄の混沌をそのままそっくり移したかのような心だった。怒りとか絶望とか悲しみとか、そういうのをとにかく全部ぐちゃぐちゃに混ぜ込んで煮詰めて飲み干したような、そんな感じ。
 たぶんどれだけ言葉を重ねたってきっとあなた方には伝わらない。これを読んでいるあなたには。このときの私の感情が分からなかったからあなたは私を見失って私はあなたの目を覚ますためになのにそれなのに結局あなたはどこかに消えて


 はっ、としてキーボードから手を離した。私は何をしているんだろう。これは、彼に向けて書いているわけじゃないのに。私はひと眠りしてからすぐこれを書き進め、既に日は沈みかけていた。深呼吸をする。
 あの時のことは、今思い出してもつらいのだ。少しは薄れたけど、ふとした時に夢に出てくることだってある。彼がいなくなってから、それは余計に激しさを増してきた。私をとがめるように。私が、悪かったのだろうか。本当に愛されることを求めた私は悪だったのだろうか。
 なぜ、なぜなのだろう。世界は彼と私が本当に愛し合うようにしなかった。中途半端な手助け。それは私たちをあざ笑うためだったのだろうか。それともなくば、警告であろうか。私のような異常者はこの世界からいなくならなければならないという――。

 いや、いや、違うな。排除だ。私は、もう排除されようとしている。誰が排除しようとしているのか、神か、世界か、それとも人類か? 被害妄想も甚だしい、と言われそうだが、その可能性は否定できない。仮に、私が最初から彼と愛し合えていたとしても、社会は私を許さなかっただろう。私のような存在は秩序を乱すからだ。
 社会の常識から逸脱しながら生きながらえるのは社会の利益になる人間だけであり、不利益な人間は排除されるのだ。平等もなにもない。

 ただ、平等という概念をそこまで広げてしまうと、恋人というものは許されなくなりそうだ。だって皆等しく愛されなければならないんだから。はは、と自嘲的に笑って、私はそうか、とつぶやいた。私は不平等なこの世界だからこそ愛され、不平等なこの世界だからこそ排除をされるわけだ。悲しいくらいうまく出来てる。

 私は脇においてあったペットボトルから水を一口含んで、飲み込んだ。それにしても、だ。世界はどうして改竄されたのだろうか。いや、変化したのだろうか。こんなにうまくできてる世界なのに、あまりにも不合理が過ぎる。私を女にして、なにがしたかったのだろう。


 ……告白を続ける。私は村上先輩に告白した後、ショックで何日か家を出ることができなかった。それ以上語ることはない。語りたくない。そもそもどう過ごしたかもあまりよく覚えていないのだ。一種のトラウマのようなものだろうか。とにかく、一週間ほどは家にこもりっきりだったと思う。そのときから一人暮らしだったので、この生活を送ること自体に障害はなにもなかったし、大学の講義を無断で休んだって、家に連絡が来るわけもなかった。完全に孤立した空間だった。

 家にこもり始めて何日目かの朝、私はトイレに目覚めて起き上がったとき、その異常に気づいた。布団がまず、違った。私は確かに床に直接敷くタイプのもので寝ていたはずなのに、これがベッドになっていた。それに部屋の雰囲気も変わっている気がしてよくよく見てみると家具や小物が今まで使ってたものではなかった。

 初め私はどこかにさらわれたのかと思った。しかし、部屋の間取りや家具の位置は全く同じで、私はこの状況に不気味さを感じた。夢でも見ているのかもしれない。そんなことを思いながらトイレに行ったとき、さらに驚くことがあった。
 用を足そうとしたときに気づいたのだが、身体が完全に女性のものとすげ変わっていたのだ。これは夢だな、と思い、私はトイレをやめた。昔夢の中で用を足したらおねしょをしていた記憶がある。

 改めてベッドに座って、奇妙な夢が覚めるまでのんびりと待っていたのだが、この状況におかしさを感じた。夢だとして、あまりに感覚がはっきりしている。だいたい夢と現実はなんとなく説明しにくいものではあるがすぐ見分けがつくものではなかろうか。そう考えると、再びこの状況に不気味さが沸いてきたし、気持ち悪くもなってきた。
 たまにこういう状況に陥るような物語を見かける。そこで主人公は無駄に騒いだり、ハイテンションになっていたが、私はそんな気分にはなれなかった。自分の体がすっかり変質してるのは間違いなく恐怖だったし、なにより自分の存在が掻き消えてしまったのに、まだ意識があるという状況も恐ろしかった。

 自分の存在が消える。そんなことを思って洗面台に慌てて向かうと、そこには別人の顔があった。女だった。予想通りであったのに愕然としてしまった。膝をついてみた。ついてしまったわけではない。ちょっとした気休めである。実際人間が絶望したとき、膝をつく暇もないだろう。もっと狂った反応を見せると思う。
 そこであえて、私はありきたりな反応をしてみせた。こうすると、落ち着くのだ。私は物語の筋に沿って動いているだけの役者だと、そう思えて、全てが他人事に思えた。

 とりあえずの落ち着き――とは言ってもこれは応急処置にも近く、私の恐怖を払拭するには能わなかったが、動ける程度に自分を回復させるそれ――を得て、誰に相談すべきか、考えた。すぐにこんな案が浮かんだ理由を、今あえて考察するならば、混乱していたから、だろう。それか、混乱しながら役者ぶってしまったから、その世界に引き込まれてしまったか。

 私が相談すべき相手などは決まっていた。沙穂だ。沙穂に相談しよう、そう思った。しかし沙穂になんと説明すればいいだろうか。冷静を装った混乱者であった私は沙穂に電話をかけた。今すぐに家に来てほしいと。沙穂は住所を知らなかったので、その情報も送信した。沙穂は承諾してくれた。今日は講義のない日だった、というのもある。私はスマートフォンを耳から離すと、そのままの姿勢で彼女を待ち続けた。

 待ち続けた。待ち続けた。彼女のことを。私は今ではどうしようもなく、石像のようであった。題名をつけるならば、どうだろう。空白とでも名付けられるだろうか。チャイムが鳴った。私はほとんど機械的にドアまで向かい、開けた。当然のように立っていた沙穂を見て、本当に膝から崩れ落ちた。そっと、彼女が私の体を支えた。

「大丈夫?」

 それだけで、緊張が解けた。安心して、涙がこぼれた。


 私は沙穂に促され、部屋の中に入り、彼女にベッドに座らされた。彼女も追って私の隣に座る。

「……」

 沙穂は、無言であった。いつも通りであった。その笑みは、いつでも変わらないのだろうか。泣いていて冷静さを失っていたが、私は違和感を感じ始めた。

「ねえ、沙穂」

「なあに?」

「なにも、おかしいとは思わないの?」

「……どういうことかしら」

 沙穂は、この異常事態になにも違和感を感じていなかった。いや、彼女は私の家に上がったことはなかったから、部屋の趣味とかは分からないだろうが、私の容姿の変化に気づかないはずがない。明らかに元の顔とは違うのだ。面影も残っておらず完全に違う顔なのだ。なのに。

 私はこのことについて尋ねることにした。馬鹿らしい、とも思った。しかし、彼女は一切そのことについて触れてはくれなかったのだから、聞くしかなかった。

「僕が女になったこと、とか、なにも感じないのかってことだよ」

 すると沙穂は首を傾げた。そして目を細めた。不思議がっている、そういう顔だ。沙穂のこんな顔は、初めて見た。

「……あなたはもとから女性でしょ?」

 冗談を言っている様子ではなかった。いや、こんな状況で冗談を言う人間が居たら神経を疑うのだが。

 彼女は私をもとから女として認識しているようだった。私はもしかして、私が女だったら、なんてパラレルワールドにでも飛ばされたのだろうか。とにかく私は、どうすればいいか、どう話せばいいか、ひどく迷った。とりあえず起きていることを彼女に伝えなければいけないと思った。

「ねえ、沙穂。僕は……僕は元は男だ。いや、沙穂は元々女だと思っているかもしなない。でも僕は男だ。その……昨日まで男だったんだ。でも起きたら女になっていて、変に思うかもしれないけど、僕の中ではそういう認識なんだ」

 こういった必死の説明にも、沙穂は不思議そうな顔をしていた。ああ、流石の彼女でも、こんな血迷った話は聞き入れてくれないか、そう思った。

「……そう」

 沙穂が口を開いた。次の瞬間には病院にでも行けと言われてしまうだろうか。私は愛する人に散々拒絶された後で、共に多くの時間を過ごした彼女すらを失ってしまうのだろうか、憂鬱になっていた。この時点で私は幸福な生活というやつを半ば諦めていた。

 しかし、彼女は意外な言葉を発した。

「私には、よくわからないわ。でも、あなたがそう言うなら、そうなのかもしれない」

 私は驚いてしまった。彼女は、これを真に受けたらしい。

「自分で言うのもなんだけど、なんだけどさ、こんな素っ頓狂な話を、君は信じるのかい?」

「あら、嘘だと言うのなら、今の内よ」

 それは、少し茶化すような、信じるという解答に他ならなかった。……いまこれを書いていて思うのだが、沙穂は混乱をしていなかった。これが彼女の狂気であったといえば、いろいろと納得がいく。いつでも彼女は私を受容していた。

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