慈子観音

66号線

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第2話

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 山鉾が京都の市街地を一周し終わって八坂神社へと戻っていった。俺は寺の境内にある庭へと出た。依然として灼熱の西日が光を降り注いでいた。盆地の夏は蒸し暑く、立っているだけで体力を奪われそうだった。売店で買った緑茶のペットボトルをバックパックから取り出し、俺はごくりと音をたてて飲んだ。慈子観音となったあの男なら、飢える誰かが目の前を通ったら迷わずペットボトルを差し出したりするのだろうか。たとえ自分が熱中症になる危険があっても。俺は自由競争のご時世で自分を犠牲にしてまで他人に献身する行為は非現実的であるように思えた。
 ふと、誰かの視線が俺の顔に向けられているのが分かった。あ、ここの境内では飲食禁止か、まずいことをした。住職に怒られると思い、慌てて俺はペットボトルを口から離して周辺を見渡した。しかし、こぢんまりとした日本庭園には俺以外に人影すら見当たらない。腑に落ちないまま俺はふと自分の足元を見た。その刹那、息が止まった。目と鼻の先にいつの間にか人が立っていた。
 それはぎろぎろと動く大きな目でじぃっと俺を見上げていたのだ。視線の主は慈子観音も顔負けの痩せぎすな子どもだった。奇妙なことに、四十度を超える猛暑だというのにそいつはくたびれたトレーナーと擦り切れたコーデュロイ生地のズボンを着こんでいた。さらによく観察すると、頬のあたりにうっ血した生々しい痣をいくつか確認できた。口はひたすら右手人差し指の爪を噛んでいる。足元から突如として放たれた異様な雰囲気に俺は成す術も無く屹立するしかなかった。地面を蝉が這いまわっている様子だけが切り取ったように現実的だった。
 漸く冷静さを取り戻した頃、子どもは先ほどからある一か所に視線を送り続けていることに気が付いた。視線の先を目で追っていくと俺の左手にぶち当たった。そこにはペットボトルと一緒に買ったあんぱんが入ったビニール袋がぶら下がっていた。ははぁ、さては、こいつが狙いだな。
 俺は試しに左手のビニール袋を左右に軽く振ってみた。一瞬、子どもは予想以上にびくっと身ぶるいした。俺の勘は的中したようだった。自分の思惑が俺に悟られたことが恥ずかしいのか、子どもはじりじりと後ずさりして拳を握りしめた。彼は眦を釣りあげ強い警戒の念を俺に向かって放出した。精一杯に威嚇する様子が哀れで、何だか自分が大人げない気がしてきた。
「ごめん。これ欲しいならあげるよ」
 驚かせた謝罪の意をこめてビニール袋を差し出すと、子どもから険しい表情が消え、かすかに笑った。漸く見せる安堵の笑顔に俺は何となくほっとした。
 だがしかし、お互いの真意を解りあえた喜びはつかの間だった。子どもは嬉々として俺からあんぱんをひったくると一気に駆け出した。彼は五メートルほど走ってから立ち止り、振り返って消えた。信じ難いが、俺にはあの時確かに子どもの姿が徐々に薄くなっていくのが見えたのだ。最後に見えた「ありがとう」とかすかに動く口元と、俺にとってはたかだか百円のあんぱんを後生大事に握りしめる小さな手が印象的だった。

 慈子観音が祀られるこの寺で、俺は見知らぬ子どもに自分の糧を与えた。これも一種の因縁なのだろうか。ひょっとして彼はこの世の人ではないかもしれない。京都は八百万の神々がおはす場所だ。年に一度、祇園祭に山鉾が巡行するこの日は異世界との境目が曖昧になる。長刀鉾に乗った選ばれしお稚児さまが刀で封印の縄を断ち切れば、人間のすぐそばを百鬼夜行が平然と闊歩していても不思議はない。
 視えないだけで魑魅魍魎は存在するのだと俺は信じている。なぜなら浪漫があるからだ。浪漫には希望がある。夢を見る余地がある。理屈では解決できない出来事がこの世には山ほどあるのだ。俺は言葉で世界の全てを説明出来たら非常につまらないと思う。人間は因縁のなかで生き、因縁のなかで死ぬ。これだけが事実で、俺はこの持論を曲げる気はない。世界はなるようにしかならないのだ。
 俺は結論の出ない雑考を頭の中で堂々巡りさせ、境内に茫然と立ちつくしていた。
「俺も慈子観音になれるかもしれないな」
 御身使いは、さしずめ実家で飼っている猫だろうか。その日の夕食を失った俺は宿へと踵を返した。京都タワーの向こうに見事な夕陽が顔を覗かせていた。存在しているかもしれない視えない隣人たちも、生きている人間の俺も一緒に茜色に染まった。沈む夕陽のなかを獅子が駆けていく様が見えた気がした。
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