光の戦車と黄金皇帝 〜秘密の妃は素直じゃない

有馬 礼

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第1章 光の戦車はこじらせ屋さん

5 歌(回想)

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 陽が落ちて王宮に灯が灯され始めた頃、カーラが再びやってきた。

「失礼します、お嬢様。お湯殿のご用意ができました」

 遂にきた、とレイフは緊張に身体が硬くなる。夕食もほとんど食べられなかった。

 貴族の女性にするように湯浴みの手伝いをしてくれようとするのを丁重に断る。他人に裸を見られたり身体に触れられたりして平然としているなんて、貴族はすごいな、とどうでもいいことを考える。
 用意されていたのは、足首まである、ふんわりしたワンピースの夜着だった。同じ年頃の娘たちがきゃあきゃあ言いながら読んでいる読み物に出てくるような、身体が透けていたり、紐1本で危うく保たれているようなものではなくてほっとする。
 身体に触れるのは恥ずかしくて勘弁してもらい、髪を整えてもらって、軽く化粧をしてもらう。最後に手首と足首に1滴ずつ、ふわりと甘く香る香水をつけて、それが準備の全てだった。

「ではお嬢様、わたくしはこれで失礼したします」

「え、あ、まっ…」

 カーラは励ますようにうなずくと退出した。

 広い部屋にぽつんと取り残されたレイフは、しばらくカーラが消えたドアに腕を伸ばしていたが、諦める。
 この後、どうなってどうなるのだろう。
 あまりに心細くて、レイフは精霊たちを現す。

「なあ、私はどうしてればいいんだ?」

 精霊たちも困って首を傾げている。それはそうだ。彼らはレイフの一部だ。レイフが知らないことは精霊たちも知らない。

「や、そうだよな」

 はあ、とため息をついて、誰も見ていないのをいいことに室内履きを抜いで、ソファに横になる。
 昼過ぎにこちらに来てからまだ半日も経っていないのに、ひどく疲れた。クッションを枕にして目を閉じる。

「魔物と戦ってる方がまだマシだよ」

 土の精霊が半透明の黄色の狐に姿を変えると、壁をすり抜けて部屋を出て行った。

 しばらくして土の精霊は部屋に戻ってくる。
 様子を見てきた土の精霊は、何の情報も得られなかったようだった。

「いやいいよ。しばらく誰も来ないってわかっただけで」

 レイフはソファから身体を起こした。

「ここ、時間潰せるようなもの、なんもないのな」

 部屋の構造としては、居室とひと続きになった寝室、寝室の奥に浴室、という、いたってシンプルな造りだ。
 バルコニーに停めた戦車が夜の中に輝いている。
 レイフは光の精霊を呼び戻した。
 手の中に現した光の精霊は、楽器の形を取っている。精霊使いの村でよく演奏されている、リーリという弦楽器だ。4本の弦を弓で擦って音を出す。亡くなってしまったが、レイフの父はリーリの名手だった。レイフも父に教えを受けて、小さい頃からリーリを弾いていた。
 甘く、低く落ち着いた音色が、夜の闇に溶けていく。
 久しぶりの演奏は楽しくて、知っている曲を次から次へと弾く。
 手持ちの曲を全て弾いてしまい、この前ラシルラの町に来た吟遊詩人が歌っていた、叶わない恋の歌を弾く。父もそうだったが、レイフも1度聴くとその曲を演奏することができた。歌詞も1度聴けば覚えてしまう。曲をざっと弾いてみて、全て覚えていることを確認すると、今度は曲に歌を乗せる。
 演奏に夢中になっていたレイフは、背後の扉が開いたことに気づいていなかった。
 最後の1音が空間に溶けていく。

「素晴らしいが…婚儀の夜に歌う歌としてはどうなんだ?」

 レイフは飛び上がらんばかりに驚いて声の方を見る。
 王太子がドアにもたれて立っていた。

「いつから…?」

「3曲ほど前だな」

 王太子はレイフの向かいのソファにゆったりと腰掛けた。
 
「びっくりした。言ってくれよ」

「一応声はかけたが返事がなかった。…何か弾いてくれ」

「何かって何だよ。曲目で指定してくれないと、考えるの面倒くさいだろ」

 普段よりラフな格好の王太子を直視できず、顔を逸らす。

「流行りの歌など知らない」

 まあそうだろうなとレイフは思う。幼少期から王になるための勉学に追われ、王太子になってからは王を補佐し、今は代理を務めている。王の代理を務めることで次期国王としての研鑽を積むのだ。流行りの歌をじっくり聴く時間などないだろう。王宮の文化の担い手は、王妃をはじめとした女性たちだった。

「仕方ねえな」

 レイフはリーリを抱えなおした。さっきの叶わない恋の歌は、言われてみれば今夜には相応しくなかったかもしれない。しかし相応しい歌となると?
 レイフはゆっくりと息を吸うと、それと同じ速さで弓を上げる。リーリの甘く低い音が部屋に満ちる。
 レイフは軽く目を閉じて歌う。
 
「火よ 温め 照らす者よ 往く道示したまえ
 水よ 潤し 恵む者よ わがとも癒したまえ
 風よ 動かし 伝える者よ この糸繋ぎたまえ
 土よ 生じさせ 実らせる者よ この身還したまえ」

 最後の1音が完全に消えてしまっても、王太子は口を開かなかった。
 レイフが目を開くと、王太子がこちらをじっと見ていた。

「精霊使いの村で婚儀がある時に歌う歌だ。これならいいだろ。まあ、普通は周りが歌うんであって、自分じゃ歌わないけどな」

 レイフは自嘲気味に笑う。

「隣に掛けてもいいか?」

 王太子が尋ねる。レイフは少し眉を上げた。

「いいよ。もちろん」

 いつもはそんなことわざわざ尋ねないのに、不思議に思う。
 王太子はレイフの隣に掛けると、レイフの頬に手を伸ばした。無意識にビクッと肩が跳ね上がる。王太子は一瞬躊躇って手を引き掛けたが、思い直してそのまま触れる。少しひんやりした、柔らかな頬だった。

「正直、この部屋にそなたはいないのではと思っていた」

 レイフは子どものような、それでいて全てを見通しているような、不思議な表情で王太子を見つめていた。

「私は卑小な者だから今になって言うが、そなたにはもうひとつ選択肢があった」

「この国を捨てること」

「気づいていたか」

「この部屋に来てから、気づいた。私はこの国を捨てて、どこかに行ってしまうこともできる。これは王太子からのメッセージなんだって」

「ではそなたは、私を選んでくれたと思っていいのだな?」

 王太子の翡翠の瞳にじっと見つめられると、身動きができなくなって、目を逸らせることができない。出会った頃は線が細くて少女のような美しい顔をした少年だったのに、最近王太子はすっかり男になった。レイフが知る限り、最も美しい男に。
 レイフは王太子の瞳に釘付けになったまま、僅かにうなずいた。夢でも見ているように、全く現実感がない
 王太子は腕の中にレイフを抱き寄せる。レイフは身体を硬くする。

「ありがとう、レイフ。愛している。本当なら、そなたをどこか別の場所に逃さなければならなかった。そなたが求める自由を、本当に与えるならば。だが、私にはできなかった。卑小な私は、自分からそなたの手を離すことができなかった。許してくれ」

「許すなんて…。これは私が決めたことだ」

 簡単に王太子の腕の中に抱きこまれてしまったことに戸惑いながら、レイフはなんとか言葉を紡ぐ。他の武人に比べれば華奢に見えるのに、実際にその胸に抱き寄せられると、レイフの身体はすっぽりとその中に収まってしまった。大きくて温かい身体。

「わ!?」

 不意に王太子に横抱きに抱き上げられ、思わず首にしがみつく。

「やめてくれ。重いだろ」

 柄にもなく動揺しているレイフを見て王太子は笑った。

「意識のある人間は目方どおりの重さではない。自分で重心を取ろうとするし、こうやってしがみついてくれるしな。意識がなくなると、レイフでも重いかもしれないが」

「なんだそれ」

 王太子がどこへ行こうとしているのか察して、真っ赤な顔で力なく言う。王太子の肩に顔を埋めると、微かに香水の香がした。何の香だろう、この匂い、好きだ、とレイフはぼんやりした頭で思う。薄い布を通して、互いの体温が伝わる。
 開け放されていた寝室のドアを潜る。

「閉めてくれ、両手が塞がっている」

 腕の中のレイフに言う。

「なんなんだ」

 レイフは王太子に抱き上げられたまま、腕を伸ばしてドアを閉める。
 パタン、という軽やかな音が、やけに大きく響いた。

 レイフは、大人が3人くらい悠々と横になれそうなベッドにそっと横たえられる。王太子が両手を顔の両横に突いて、閉じ込めるようにして覗き込んでくる。顔が熱い。息がうまくできない。どうして今まで無意識に呼吸できていたんだろう。どうやっていたんだっけ?

「怖いか?」

 王太子に尋ねられて、初めてレイフは自分が僅かに震えていることに気づいた。うなずいたつもりだったが、首はほとんど動かなかった。

「そうか」

 言葉とは裏腹に、王太子はそのまま顔を寄せてくる。唇が柔らかく重なり、呼吸が絡め取られる。ほんの少しだけかけられた、王太子の身体の重み、その身体が持つ熱。それらに胸が雷に打たれたように締めつけられる。
 ふと気がつくと唇は離れていて、王太子の瞳がすぐそばにあった。
 王太子は身体を離すとニヤリと笑う。

「これでレイフの貞操は私のものだな」

「え?」

 王太子はベッドの反対の端に、背中を向けて横になった。

「明日誰かに、私と寝たのかと尋ねられたら黙ってうなずいておけよ。おやすみ、レイフ」

 そのまま灯りを消してしまう。

(ええ!?)

 レイフは暗闇で身体を起こして王太子の方を見るが、王太子はもう眠ることに決めてしまったようだった。
 肩透かしをくらって、呆然として再び横になる。

(何もする気ないんなら、最初から言っといてくれよ! どきどきし損じゃないか。私の緊張を返せ!)

 レイフも王太子に背を向けて目を閉じる。それはもう、ふて寝だった。
 この状況だというのに、ずっと緊張しどおしだったせいで、少しホッとしたら眠りが水のようにひたひたとやってきた。
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