朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

文字の大きさ
121 / 239
第二章 朱南国

信頼と恐怖

しおりを挟む

「……う」

 また、この天井だ。
 戦って、意識がなくなって、目が覚めるとこの天井。

「朱己! 目が覚めたんだねえ!」

「……? 弥生?」

 声のする方を見れば、コップを持って立っている彼が見えた。にこやかに近づいてくる。

「気分はどう? 体起こせる?」

「大丈夫、ありがとう」

 随分と優しい彼は、体を起こすのを支えてくれ、またおぞましい液体が入ったコップを差し出してきた。少し顔が引き攣ったが、甘んじていただくことにした。

「朱己、体軽いんだねえ」

「え? そんなことないわ」

「そんなことあるよ! ここまで運んだの僕だよ」

「え!?」

 思わず、おぞましい液体を噴き出すところだった。というかこの液体、本当に美味しくない。彼は終始にこやかに、齢十歳程度の見た目で、私の膝に手を置いている。

「朱己、辛くない?」

「大丈夫よ、体ならもう」

「違うよ、心。僕達は、心が資本なんだ。腕がもげようと、足が取れようと、センナさえあればもとに戻せる。だけど、そのセンナは心次第だから」

 真面目な顔で覗き込んでくる彼の瞳からは、感情は読み取れなかった。
 私の心が、無事か?
 そんなもの、わかっている。無事なんかじゃない。

「……まだ、怖いの。だめね、しっかりしなきゃいけないのに」

「そっか。何が怖いのか、言語化できる?」

 そう言われると、難しい。言語化。何を怖いと思っているか。死ぬのが怖いと師走には言った。生き抜く覚悟を持てと言われた。だけど、それだけじゃないんだろう。今もこうやって恐れていると言うことは。
 私の恐怖の正体。

「……なんだろう」

「ねえ、少し休もうか。テシィを散歩しよ!
師走には言っておくから!」

 弥生は、ほら、と私の手を引いて寝台から出るように促す。少し気後れしながらも、有無を言わせない勢いに導かれるまま従った。

 思えば、テシィに来てから街を見たことがない。いつも移動は気を失っているときで、いつもの天井の部屋と硝子張りの部屋、空間、それくらいしか行き来していない。

「ほら、あそこだよ」

 手を引かれるまま着いていくと、大きな街に着いた。賑わう民と、生活の基盤が整っていることを感じさせる空気。

「素敵な街ね」

「でしょ? 師走が頑張ったんだよ」

 目の前の弥生は、師走のことが大好きなようだ。満面の笑みで、まるで自分が褒められているかのように喜ぶのだ。

「国は民のためにある。師走はそう言って、ヴィーでハミダシモノだった僕達を、一手に担って連れ出してくれたんだ」

「そうだったの……」

 冷徹な一面が印象的で、あまり気にしたことがなかったが、彼はとても長としての適性があるらしい。

「師走はね、敵には容赦ないけど、味方には本当に優しいんだ。口は悪いけどね!」

「そうね、口は悪そうね」

 思わずクスりと笑ってしまったが、彼は真剣に師走について語ってくれた。彼の全てから、師走が滲み出ているようだった。彼はにこやかな笑顔を突然消して、先程のような真面目な顔になった。

「師走はね、この国を守るためならなんでもするよ。邪魔なら相手の国だって滅ぼす。それが師走の覚悟なんだ。誰から恨まれても、嫌われても。だから、僕らも師走のためならなんだってする。師走のためなら容赦なく殺すし、命を賭ける。それが、師走への唯一の恩返しの方法だから。そしてそれは、師走も理解してる」

「……恩返し……」

 心のささくれた部分に、言葉が引っかかった。
 もしかして私は、十二祭冠じゅうにさいかんの皆が、私のために命を賭すことへの覚悟が持てないかもしれない。
 もう失いたくない。自分が死ぬのも怖い。自分が死んだあと、苦しむ人たちがいることも。

 失いたくない、生きたい、共に生きていきたい。そう思えば思うほど、恐れは姿かたちを変えて大きくなっていく。

「朱己、師走はね、僕らを信頼してくれているんだ」

「信頼?」

 長と臣下として? と聞き返そうと思ったら、彼が先に口を開いた。

「そう、信頼。僕らがそんな簡単に負けない、死なないって。僕らも自信がある。いつか死ぬことになったとしても、そのときはそれだけのことがあった、僕らが最善を尽くした結果だって、師走が受け止めてくれる。常に師走が覚悟をしてくれてるって、信頼してるんだ」

「師走を信じてるのね」

「朱己は? 信じてる? 師走みたいに、覚悟がある?」

 彼の言葉に目を瞠った。
 私は、信じているのだろうか。失いたくないという恐怖に駆られて、そもそも自分の味方が勝つということを、信じていなかったのではないか。心のどこかで。

「信じるってね、怖いよね。だけど、僕らは心が資本だから。必ず生きて帰ってくる、そう信じられるかどうかは、信頼してるかどうかだよ」

「生きて帰ってきて、とはいつも思ってたけど……」

 そうか。私は、どこかで信じてなかったのか。
 目の前の弥生は、満面の笑みを湛えたまま、私の手を握った。

「長が臣下を信じられないときって二つあるんだ。臣下が弱いと思っているか、臣下が裏切ると思っているか。これは朱己の潜在的な部分の話だよ。この前、師走に深層心理へ突き落とされたときに見なかった?」

「深層心理……! ……そういうことだったのね」

 私を裏切りざるを得なかったこうちゃん。
 私が、守れなかった子供とこうちゃん。
 私は、自分の弱さを無視してきたことだと気づいたから、あの空間から出られたと思った。あのこうちゃんが、自分自身だと思ったから。

 それだけじゃなかったのだ。あのこうちゃんは、自分の中の、臣下を信じきれていない気持ちも表していたのか。自分より弱い、そしていつか裏切られるかもしれない、両方あったかもしれない。

「朱己、僕らは馴れ合いはしない。お互いを結ぶのは信頼のみなんだ。そこには旧知の仲だとか、そんなものはない。朱己は? 信頼で結ばれてる?」

「弥生。その辺にしておけ」

 唐突に聞こえた声の方へ目をやれば、相変わらずの無表情で、いつからそこに居たのかわからない彼が立っていた。

「あ! 師走に見つかっちゃったよー」

「其奴を勝手に連れ出すな」

 弥生は師走の言葉に口を尖らせ、両手を頭の後ろで組みながら師走の方へ歩いていく。

「おい」

「は、はい」

 弥生の脇を通り、私の目の前へ来る彼は、心底面倒臭そうな顔をしていた。

「……一度朱南へ帰る。行くぞ」

「えっ」

 私がついていけてないことは、相変わらず構う素振りもなく。私の腕を引いて抱え込む。

「朱己! しっかり開花させてきてね。僕、早く朱己とやりたいんだ」

「え、ええ……」

 笑顔で手を振る彼に、つられて手を振り返した。彼の真意を掴みきれないまま。

 師走は無言で彼を一瞥すると、相変わらずの驚異的な速さで朱南へ移動した。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

処理中です...