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第二章 朱南国
信頼と恐怖
しおりを挟む「……う」
また、この天井だ。
戦って、意識がなくなって、目が覚めるとこの天井。
「朱己! 目が覚めたんだねえ!」
「……? 弥生?」
声のする方を見れば、コップを持って立っている彼が見えた。にこやかに近づいてくる。
「気分はどう? 体起こせる?」
「大丈夫、ありがとう」
随分と優しい彼は、体を起こすのを支えてくれ、またおぞましい液体が入ったコップを差し出してきた。少し顔が引き攣ったが、甘んじていただくことにした。
「朱己、体軽いんだねえ」
「え? そんなことないわ」
「そんなことあるよ! ここまで運んだの僕だよ」
「え!?」
思わず、おぞましい液体を噴き出すところだった。というかこの液体、本当に美味しくない。彼は終始にこやかに、齢十歳程度の見た目で、私の膝に手を置いている。
「朱己、辛くない?」
「大丈夫よ、体ならもう」
「違うよ、心。僕達は、心が資本なんだ。腕がもげようと、足が取れようと、センナさえあればもとに戻せる。だけど、そのセンナは心次第だから」
真面目な顔で覗き込んでくる彼の瞳からは、感情は読み取れなかった。
私の心が、無事か?
そんなもの、わかっている。無事なんかじゃない。
「……まだ、怖いの。だめね、しっかりしなきゃいけないのに」
「そっか。何が怖いのか、言語化できる?」
そう言われると、難しい。言語化。何を怖いと思っているか。死ぬのが怖いと師走には言った。生き抜く覚悟を持てと言われた。だけど、それだけじゃないんだろう。今もこうやって恐れていると言うことは。
私の恐怖の正体。
「……なんだろう」
「ねえ、少し休もうか。テシィを散歩しよ!
師走には言っておくから!」
弥生は、ほら、と私の手を引いて寝台から出るように促す。少し気後れしながらも、有無を言わせない勢いに導かれるまま従った。
思えば、テシィに来てから街を見たことがない。いつも移動は気を失っているときで、いつもの天井の部屋と硝子張りの部屋、空間、それくらいしか行き来していない。
「ほら、あそこだよ」
手を引かれるまま着いていくと、大きな街に着いた。賑わう民と、生活の基盤が整っていることを感じさせる空気。
「素敵な街ね」
「でしょ? 師走が頑張ったんだよ」
目の前の弥生は、師走のことが大好きなようだ。満面の笑みで、まるで自分が褒められているかのように喜ぶのだ。
「国は民のためにある。師走はそう言って、ヴィーでハミダシモノだった僕達を、一手に担って連れ出してくれたんだ」
「そうだったの……」
冷徹な一面が印象的で、あまり気にしたことがなかったが、彼はとても長としての適性があるらしい。
「師走はね、敵には容赦ないけど、味方には本当に優しいんだ。口は悪いけどね!」
「そうね、口は悪そうね」
思わずクスりと笑ってしまったが、彼は真剣に師走について語ってくれた。彼の全てから、師走が滲み出ているようだった。彼はにこやかな笑顔を突然消して、先程のような真面目な顔になった。
「師走はね、この国を守るためならなんでもするよ。邪魔なら相手の国だって滅ぼす。それが師走の覚悟なんだ。誰から恨まれても、嫌われても。だから、僕らも師走のためならなんだってする。師走のためなら容赦なく殺すし、命を賭ける。それが、師走への唯一の恩返しの方法だから。そしてそれは、師走も理解してる」
「……恩返し……」
心のささくれた部分に、言葉が引っかかった。
もしかして私は、十二祭冠の皆が、私のために命を賭すことへの覚悟が持てないかもしれない。
もう失いたくない。自分が死ぬのも怖い。自分が死んだあと、苦しむ人たちがいることも。
失いたくない、生きたい、共に生きていきたい。そう思えば思うほど、恐れは姿かたちを変えて大きくなっていく。
「朱己、師走はね、僕らを信頼してくれているんだ」
「信頼?」
長と臣下として? と聞き返そうと思ったら、彼が先に口を開いた。
「そう、信頼。僕らがそんな簡単に負けない、死なないって。僕らも自信がある。いつか死ぬことになったとしても、そのときはそれだけのことがあった、僕らが最善を尽くした結果だって、師走が受け止めてくれる。常に師走が覚悟をしてくれてるって、信頼してるんだ」
「師走を信じてるのね」
「朱己は? 信じてる? 師走みたいに、覚悟がある?」
彼の言葉に目を瞠った。
私は、信じているのだろうか。失いたくないという恐怖に駆られて、そもそも自分の味方が勝つということを、信じていなかったのではないか。心のどこかで。
「信じるってね、怖いよね。だけど、僕らは心が資本だから。必ず生きて帰ってくる、そう信じられるかどうかは、信頼してるかどうかだよ」
「生きて帰ってきて、とはいつも思ってたけど……」
そうか。私は、どこかで信じてなかったのか。
目の前の弥生は、満面の笑みを湛えたまま、私の手を握った。
「長が臣下を信じられないときって二つあるんだ。臣下が弱いと思っているか、臣下が裏切ると思っているか。これは朱己の潜在的な部分の話だよ。この前、師走に深層心理へ突き落とされたときに見なかった?」
「深層心理……! ……そういうことだったのね」
私を裏切りざるを得なかったこうちゃん。
私が、守れなかった子供とこうちゃん。
私は、自分の弱さを無視してきたことだと気づいたから、あの空間から出られたと思った。あのこうちゃんが、自分自身だと思ったから。
それだけじゃなかったのだ。あのこうちゃんは、自分の中の、臣下を信じきれていない気持ちも表していたのか。自分より弱い、そしていつか裏切られるかもしれない、両方あったかもしれない。
「朱己、僕らは馴れ合いはしない。お互いを結ぶのは信頼のみなんだ。そこには旧知の仲だとか、そんなものはない。朱己は? 信頼で結ばれてる?」
「弥生。その辺にしておけ」
唐突に聞こえた声の方へ目をやれば、相変わらずの無表情で、いつからそこに居たのかわからない彼が立っていた。
「あ! 師走に見つかっちゃったよー」
「其奴を勝手に連れ出すな」
弥生は師走の言葉に口を尖らせ、両手を頭の後ろで組みながら師走の方へ歩いていく。
「おい」
「は、はい」
弥生の脇を通り、私の目の前へ来る彼は、心底面倒臭そうな顔をしていた。
「……一度朱南へ帰る。行くぞ」
「えっ」
私がついていけてないことは、相変わらず構う素振りもなく。私の腕を引いて抱え込む。
「朱己! しっかり開花させてきてね。僕、早く朱己とやりたいんだ」
「え、ええ……」
笑顔で手を振る彼に、つられて手を振り返した。彼の真意を掴みきれないまま。
師走は無言で彼を一瞥すると、相変わらずの驚異的な速さで朱南へ移動した。
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