恋愛捕食者

瀬文奥六

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第1部

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 家の扉を開けるや否や、母さんがすごい剣幕で飛び出してきた。
「ゆうちゃん」と叫んだが、僕一人しかいないのを見ると、眉根を寄せて訊いてきた。
「まーくん、ゆうちゃんと一緒じゃないの?」
 母さんが何を言っているのかわからなかった。なんで僕と優花が一緒にいると思っているのだろうか。そんなはずはないのに。
「どうしたの?」
 僕は母さんに説明を求めると母さんは今にも泣きだしそうな顔でまくしたてた。
「ゆうちゃんが帰ってこないのよ。もう九時だというのに、いったいどうしたのかしら。まさか誘拐でもされたんじゃ。それとも殺人……。今朝ニュースでやってたあの娘みたいに、殺されてるんじゃ……。そうよ、きっとそうだわ、どうしましょう。110番したほうがいいかしら。それともお父さんに……。そうだわ、お父さんに電話しましょう」
 母さんは自己解決したかのように、「電話、電話」と言いながら部屋の中に入っていった。
「ちょっと待ってよ、母さん」
 僕は母さんを呼び止めた。
「まだ事件に巻き込まれたと決まったわけではないよ。優花に限ってそんなはずはない。きっと何事もなかったようにふらっと帰ってくるよ。ここ最近帰りが遅いんだろ」
「でも、何の連絡もよこさず九時までなんて今までなかったわ。いくら電話しても出ないのよ」
「大丈夫だって、もう少し待とう。九時なんてまだそんなに遅い時間じゃない。今父さんに電話しても心配をかけるだけだよ」
「でもついこの間、若い女の子が殺されたのよ。そしてその犯人はまだ捕まっていない。万が一ってことも……」
「だから大丈夫だって」
 僕と母さんが玄関先で言い合いをしていると、背後で扉が開いた。優花だった。
「ゆうちゃん、何時だと思ってるの! 連絡もよこさないで、どこ行ってたのよ!」
 母さんは優花につかみかかった。優花は顔色一つ変えない。こうなることは予想していたようだ。
 優花の肩を揺すりながら、「ゆうちゃん、ゆうちゃん」と一言も発しない優花の名前を何度も叫ぶ。母さんの目には涙がにじんでいた。
 優花はその目をにらみ返した。そして何も言わずに、母さんを振りほどくと、足早に二階に向かった。
 階段を上っていく優花を母さんが追いかける。
「ついてこないで!」
 優花が声を荒らげた。母さんは足を止め、階段下に崩れ落ちた。両手で顔を覆い、声をあげて泣いている。
 僕は母さんを見下ろしながらよけると階段を上った。

 僕が階段を上りきると、優花は自分の部屋に入っていくところだった。僕は優花の背中に語り掛ける。
「お前、彼氏できただろ」
 優花の動きがぴたりと止まる。
「なんでお兄ちゃんなんかにそんなこと言わなきゃいけないの」
「図星だな」
 優花は僕をにらんできた。
「心配してるんだよ。母さんも。それならそうと素直に言えばいいじゃないか。別に悪いことしてるわけではないんだし」
「母さん?」優花は下を向きながら訊いてきた。
「お兄ちゃんはあの人のこと母さんだと思ってるの? 母さんだと思っててあんなことしてるの?」
 優花の握られたこぶしが小刻みに震えている。
 僕の予想は当たっていた。優花が僕たちに冷たく当たる理由は、やはりこれだったのだ。
「お前、やっぱり知っていたんだな。いつ知ったんだ?」
 優花は顔を上げ、真っ赤な目で僕をにらむと、何も答えず自分の部屋に入っていった。ドアの向こうから嗚咽が聞こえてきた。

 自分の部屋に入りベッドに腰掛けると、妹や母のことなど忘れ、今日撮ったスマホの中の彼女を眺めた。何度見ても美しい。まさに僕が追い求めていた人だ。
 つやのあるポニーテールの黒髪。豊かな胸のふくらみ。愛らしい顔立ち。どれをとっても以前一度だけ愛したあの女性に匹敵する、いやむしろ上回っているかもしれない。
 あの女性を超える女なんてもう現れないと思っていた。しかし現実に彼女が僕の目の前に現れた。これが運命というものなのだろうか。もし神様が本当にいるのならば、僕のすべてを捧げてもいいと思う。そのくらい彼女との出会いは僕の人生に大きな光を与えてくれた。
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