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7 危険な女(ルクス視点)
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「っあ……でん……か……」
白いシーツの波を泳ぐよう女が身をくねらせている。大きな乳房、細い腰、艶やかなブロンドの髪。男の劣情をそそる全てを体現しているような女。
ふと、私は手を止めた。途端に女が不満げな声を上げる。私は自分でも分かるほど冷めた目で退出を言い渡した。
全く興が乗らない。
断じて私は男色でも不能でもない。私の立場や、自惚れではなく容姿に群がる女は多い。うんざりするほどに。
特にのめり込むこともなく、それなりに楽しんできた筈だった。あの夜会の日までは――
私の唯一の友人とも言えるシグルドが、長年密かに思い続けて最近やっと手に入れた婚約者と聞いていた。
私に劣らず女性人気の高いシグルドは、これまで並居る美姫達にも眉ひとつ動かさなかった。その冷たさが更に女性達を煽っているというのに。
正直男色かもしれないと本気で思っていた。尋ねたら「死にたいのか?」と真顔で言われたが。
そんなシグルドが一途に焦がれる女性だ、一目でも見たいではないか。
私は王城に連れてくるよう何度も打診した。しかしシグルドは頑として撥ね付けた。一応私はお前の上司なのだがね。
仕方ないので私は持てる権力を行使した。王家主催の夜会への正式な招待状。流石にこれは断れまい。
「楽しみにしてるよ」
そう言って笑うと、シグルドは笑顔でペーパーナイフを執務机に突き刺した。
「ご招待、誠に光栄の極みに存じます」
あー怒ってるね。お前が二人きりの時に慇懃丁寧な物言いをするのは本気で怒っている証拠だ。
だがお前も悪いんだよ。そんなに頑なに拒否されたら、意地でも我を通したくなるじゃないか。
私は久々に心が高揚するのを感じていた。
そして漸く会えた婚約者、リーティア・ロジェ。
正直美しい女など見慣れているし、造作だけなら彼女も普通に美しいだけの貴族の女性だった。
だが、彼女は引力のように惹きつける何かを持っていた。彼女が何を仕掛けたわけでもない。ただただ視線を奪われる。
なるほど、シグルドがあれほど拒んでいた理由を理解する。彼女はいるだけで男を惑わせる何かを持っている。この朴念仁すら狂わせるほどの。
妹も何かを察したようで、毛を逆立てきゃんきゃん吠えていた。
ハースリーは私を護衛するシグルドに一目惚れしてから、嫌がらせのように付きまとっていた。本当に気の毒な程シグルドに嫌われることしかしていない。当然鼻先であしらわれる日々だ。せっかくそんなに美しく生まれたのに、と私は残念で仕方がない。
まあそれにしても妹の言動は目に余った。たしなめるも全く効果がない。
しかしリーティア嬢は美しい淑女の笑みでそれを軽くいなす。そんな所でも女性としての品格の差が現れているというのに、愚妹は全く気付いていない。
私は妹からの救出を口実に彼女をダンスに誘う。シグルドには申し訳ないが、初恋に敗れた哀れな妹に思い出を、との兄心も多少はあった。まあ、リーティア嬢と話してみたいのが一番の本音だ。
躊躇いがちに私の手を取るリーティア嬢の、一挙手一投足も見逃すまいと見詰める私の目は、正に獣のようだったかもしれない。
彼女はシグルドとハースリーが気になって仕方ないようだった。本当にシグルドしか見えていないのだな。
リーティア嬢は淑女の仮面も剥がれた、素の表情を無防備に晒していた。そのどこか頼りない風情の中にも、滲む色香に私はクラリとした。
そして全く私など眼中にもない彼女に理不尽な苛立ちも感じた。彼女はシグルドの婚約者で、彼を愛しているのだから、それは友としては好ましい反応ではあるのだ。
あるのだが――
何度も言うが自惚れではなく、私は女性に好まれる容姿をしている。
シグルドとはタイプが真逆なので、単に彼女の好みではないのかもしれない。
しかしここまで空気のように扱われるのは初めてだったし、何故か彼女にそう扱われるのは許し難かった。
私は彼女の耳元へ顔を寄せた。ふわりと甘い香りが鼻先を掠める。
「この私をそんなに真っ直ぐ見詰める女性は君が初めてだ。私のことはルクスと呼んでリーティア」
私が知る女性たちというのは、私を見れば顔を赤らめ、目を伏せ、時に失神するものさえ居た。
リーティアのように透明で真っ直ぐな眼差しを私に向ける女性は初めてだった。
私は彼女に気付かれない程の加減で抱く腕に力を込めた。リーティアは危険だ。全てを投げ捨ててでもどうにかしてやりたい、そう思わせる何かを持っている。
男を狂わせ破滅させる、そういう類の女――私は本能的にそう感じた。
近付いてはならない。
私は気もそぞろな彼女を引き寄せた。リードに任せきりだった彼女は、抵抗もなく私の胸にトン、と頬が触れた。
私は一瞬だけ彼女を抱きしめた。ぶわりと悪寒にも似た何かが体を突き抜ける。それが強烈な劣情だと気付いた時、シグルドが彼女を奪うように連れ去った。
あれから、どうにも調子を狂わせている。気ままな情事も楽しめず、気付けばリーティアに想いを馳せる。
彼女が何をしたわけでもない。どちらかといえば敬遠されているだろう。これ以上関わってはいけない。分かってはいる。
だが――理性と感情が真逆のことを訴える。
本当に……冗談ではない。一国の王太子ともあろうものが。これ以上愚かな妄執に囚われてはいけない、と私は鍛錬場に足を向けるのだった。
白いシーツの波を泳ぐよう女が身をくねらせている。大きな乳房、細い腰、艶やかなブロンドの髪。男の劣情をそそる全てを体現しているような女。
ふと、私は手を止めた。途端に女が不満げな声を上げる。私は自分でも分かるほど冷めた目で退出を言い渡した。
全く興が乗らない。
断じて私は男色でも不能でもない。私の立場や、自惚れではなく容姿に群がる女は多い。うんざりするほどに。
特にのめり込むこともなく、それなりに楽しんできた筈だった。あの夜会の日までは――
私の唯一の友人とも言えるシグルドが、長年密かに思い続けて最近やっと手に入れた婚約者と聞いていた。
私に劣らず女性人気の高いシグルドは、これまで並居る美姫達にも眉ひとつ動かさなかった。その冷たさが更に女性達を煽っているというのに。
正直男色かもしれないと本気で思っていた。尋ねたら「死にたいのか?」と真顔で言われたが。
そんなシグルドが一途に焦がれる女性だ、一目でも見たいではないか。
私は王城に連れてくるよう何度も打診した。しかしシグルドは頑として撥ね付けた。一応私はお前の上司なのだがね。
仕方ないので私は持てる権力を行使した。王家主催の夜会への正式な招待状。流石にこれは断れまい。
「楽しみにしてるよ」
そう言って笑うと、シグルドは笑顔でペーパーナイフを執務机に突き刺した。
「ご招待、誠に光栄の極みに存じます」
あー怒ってるね。お前が二人きりの時に慇懃丁寧な物言いをするのは本気で怒っている証拠だ。
だがお前も悪いんだよ。そんなに頑なに拒否されたら、意地でも我を通したくなるじゃないか。
私は久々に心が高揚するのを感じていた。
そして漸く会えた婚約者、リーティア・ロジェ。
正直美しい女など見慣れているし、造作だけなら彼女も普通に美しいだけの貴族の女性だった。
だが、彼女は引力のように惹きつける何かを持っていた。彼女が何を仕掛けたわけでもない。ただただ視線を奪われる。
なるほど、シグルドがあれほど拒んでいた理由を理解する。彼女はいるだけで男を惑わせる何かを持っている。この朴念仁すら狂わせるほどの。
妹も何かを察したようで、毛を逆立てきゃんきゃん吠えていた。
ハースリーは私を護衛するシグルドに一目惚れしてから、嫌がらせのように付きまとっていた。本当に気の毒な程シグルドに嫌われることしかしていない。当然鼻先であしらわれる日々だ。せっかくそんなに美しく生まれたのに、と私は残念で仕方がない。
まあそれにしても妹の言動は目に余った。たしなめるも全く効果がない。
しかしリーティア嬢は美しい淑女の笑みでそれを軽くいなす。そんな所でも女性としての品格の差が現れているというのに、愚妹は全く気付いていない。
私は妹からの救出を口実に彼女をダンスに誘う。シグルドには申し訳ないが、初恋に敗れた哀れな妹に思い出を、との兄心も多少はあった。まあ、リーティア嬢と話してみたいのが一番の本音だ。
躊躇いがちに私の手を取るリーティア嬢の、一挙手一投足も見逃すまいと見詰める私の目は、正に獣のようだったかもしれない。
彼女はシグルドとハースリーが気になって仕方ないようだった。本当にシグルドしか見えていないのだな。
リーティア嬢は淑女の仮面も剥がれた、素の表情を無防備に晒していた。そのどこか頼りない風情の中にも、滲む色香に私はクラリとした。
そして全く私など眼中にもない彼女に理不尽な苛立ちも感じた。彼女はシグルドの婚約者で、彼を愛しているのだから、それは友としては好ましい反応ではあるのだ。
あるのだが――
何度も言うが自惚れではなく、私は女性に好まれる容姿をしている。
シグルドとはタイプが真逆なので、単に彼女の好みではないのかもしれない。
しかしここまで空気のように扱われるのは初めてだったし、何故か彼女にそう扱われるのは許し難かった。
私は彼女の耳元へ顔を寄せた。ふわりと甘い香りが鼻先を掠める。
「この私をそんなに真っ直ぐ見詰める女性は君が初めてだ。私のことはルクスと呼んでリーティア」
私が知る女性たちというのは、私を見れば顔を赤らめ、目を伏せ、時に失神するものさえ居た。
リーティアのように透明で真っ直ぐな眼差しを私に向ける女性は初めてだった。
私は彼女に気付かれない程の加減で抱く腕に力を込めた。リーティアは危険だ。全てを投げ捨ててでもどうにかしてやりたい、そう思わせる何かを持っている。
男を狂わせ破滅させる、そういう類の女――私は本能的にそう感じた。
近付いてはならない。
私は気もそぞろな彼女を引き寄せた。リードに任せきりだった彼女は、抵抗もなく私の胸にトン、と頬が触れた。
私は一瞬だけ彼女を抱きしめた。ぶわりと悪寒にも似た何かが体を突き抜ける。それが強烈な劣情だと気付いた時、シグルドが彼女を奪うように連れ去った。
あれから、どうにも調子を狂わせている。気ままな情事も楽しめず、気付けばリーティアに想いを馳せる。
彼女が何をしたわけでもない。どちらかといえば敬遠されているだろう。これ以上関わってはいけない。分かってはいる。
だが――理性と感情が真逆のことを訴える。
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