24 / 163
第2章 鮮烈なるイモータル
第23話 ガラスの鎧をまとう不死
しおりを挟む
湿地に入る手前で馬車を停め、イドラたち四人はぬかるんだ地を踏んだ。
地面の柔らかい湿地にそのまま入ってしまうと、馬の蹄も馬車の車輪も沈んでしまう。よってここからは徒歩で向かう必要があった。
ミロウが比較的太くて丈夫そうな広葉樹の幹に綱を結び、馬を留める。輪っかができる独特の結び方だった。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
「件の個体……スクレイピーはどこにいる?」
「わたくしも正確な位置まではわかりかねますが、木もまばらですから海岸に進めばいずれ見つかるでしょう」
「そうか。で、ミロウたちは手伝ってくれるのか?」
「……いえ。あくまで不死殺したるあなたへの依頼ですから、わたくしたちは手出しできません。どうしても危なくなれば、もちろんその限りではありませんが——」
「なるほどね。いや、いいよ。二人はソニアのことを守ってやってくれ」
イドラへの依頼だから手出しはしない。筋は通っているかもしれないが、協力してことに当たる方が手短かつ確実なのは子どもでもわかる。
おおむね状況を察し、イドラは歩くため、水気を多く含んだ土から靴裏を離そうとする。が、突如袖をつまんで止められた。
「あ、あの。イドラさんもしかして、わたしを置いてこうとしてません?」
「え? つもりもなにも……イモータルと戦うんだぞ、今から。ソニアが近くにいたら巻き込まれちゃうだろ」
「やっぱりそうだったんですねっ!? だめです、わたしも戦えます! このワダツミもありますし、お役に立てますっ」
紐で背負った、彼女が持つには大きいように見える刀を肩から外す。ソニアのその動作を見てベルチャーナは「あれ?」と首を傾げた。
「その剣、ソニアちゃんのギフトだったんだ」
「荷物持ちとかさせてないって言っただろ。……これはソニアのだ」
正確にはソニアのギフトではない。ウラシマのギフトだ。しかし、なぜかその能力はソニアやイドラにも使えてしまう。
理由がわからない以上、そのことは伏せておく方がいいだろう。ギフトはその個人に対するロトコル神からの恵みというのがロトコル教の共通認識だ。その根底を揺るがし、無用な混乱を与えかねない。
「少々珍しいですね。ギフトは性質こそ変わりませんが、大きさなんかは持ち主とともに成長するもの。まだ幼いのにこんなにギフトが大きいなんて、将来有望かもしれませんわね」
「え、あ、ありがとうございます……」
そのことをわかっているからか、ソニアも訂正はしない。けれども他人のギフトを褒められ、少しいたたまれなさそうだった。
「って、そうじゃなくて、わたしだって戦えます! この体になって強くなったんです、お邪魔にはなりません!」
「そうは言ってもな……危ないことに変わりはないし」
「わたし、足手まといになんてなりたくないですっ。言ったじゃないですか、パワフルですから大丈夫です! パワフルソニアです!」
「なんだよパワフルソニアって……!」
役に立ちたいのだと言ってくれるのは嬉しい。だがイドラは同時に、ソニアがイモータルを軽んじているのではないかと思えてならなかった。
イモータルにはそれなりの個体差がある。だが、どれも例外なく危険な存在なのは間違いない。この三年、不死殺しとして旅を続け、イモータルに殺されかけたことなどもはや数えきれない。あらゆる傷を即座に完治させてしまう、マイナスナイフを持っていてもだ。
「いいかソニア、イモータルってのは怖いんだぞ。力も強いし、ひるんだりもほとんどしない。個体によっては馬や牛なんかよりももっと大きいんだ」
「わかってますっ。イドラさんについていって、守ってもらうだけなんて嫌なんです!」
「でもだな——」
「ちょっとー。言い合ってるところ悪いけど、あんまりやってると陽が落ちちゃうよー? 流石に夜に葬送、じゃないや、不死殺しをするっていうのは危険すぎるってベルちゃん思うな。足場も悪いし」
冷静なベルチャーナの意見に、つい言い返そうとしたイドラは押し黙った。
それはそうだ。視界が不安定な中での戦闘ほど恐ろしいものはない。これはイモータルに限らず、魔物やただの動物だろうが同じことだ。
ソニアはまなじりを決し、橙色の両目でイドラを見上げる。
「はぁ。仕方がないな、危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「——! はいっ、わかりました!」
「本当にか? それはもう脱兎のごとく、わき目もふらず一目散に逃げるんだぞ?」
「わかってます、大丈夫ですっ。でもそれをするのは、絶対に無理だって思った時だけです!」
説き伏せる頃には日没だろうと思い、ため息をついて折れたイドラだったが、にこにことするソニアを見ればやはり心配になってしまう。
「今度こそ行きましょう。いざとなれば、わたくしも助けに入ります」
「ベルちゃんもだよー。怪我もギフトで治せるから、よっぽど酷い怪我じゃなかったらへーきだよ!」
もたもたしていれば、それだけリスクは高くなる一方だ。四者はぬかるんだ地面を歩き出す。
足元に気を付けながら進んでいくも、何度か巨大な水たまり……池塘《ちとう》に行く手を塞がれ、そのたびに迂回を強いられる。
「わあ、見てください。表面から黄色いお花が顔を出してます! 小さいけどきれいですっ」
「コウホネですね。あの下には、泥の中を走る地下茎があるんですのよ」
「さっすがミロウちゃん、くわしい~」
「すごいですっ」
——遠足気分か。
女三人寄らばなんとやら。沼のそばを通りながらはしゃぐ三人に思うところはあったが、イドラは口にしないでおいた。
それからいくつかの池塘を越え、海岸線が見え始めた頃、その異形の姿は現れた。
「……あれか。わかりやすくて助かるな」
白い怪物は、夕日の光を浴びてオレンジ色に染まっていた。
それだけではない。やけに煌めき、周囲にその光を反射させている。
「大きさ、形状ともに報告通りですね。スクレイピーで間違いないでしょう」
「報告通り? 羊に似た形だって聞いてたが……」
「シルエットを見た限り、そのように見えますが」
「……いや」
似ているのはシルエットだけだ、とミロウに聞こえない程度の大きさで呟く。
スクレイピーは、地面から突き出た大きな岩に顔や背をこすりつけている。そうしている姿を見ていると、耳が見当たらないことにイドラは気が付いた。
耳のない羊。印象としては、そんな感じだ。あるべき器官がなかったり、逆に多かったりするのはイモータルとして珍しいことではない。
だがイドラは既に、あれが身を覆うものが羊毛などではないことを見抜いていた。
胴体を包む、白いもこもこの体毛のようなものは、橙の光をちらちらと反射させ、煌めき、半透明で——細かく、尖ってもいた。
ガラス片だ。砕いたガラスの破片に似たものが、あのイモータルの体を包んでいる。さながらバッターにくぐらせ、たっぷりパン粉をまぶした揚げ物のように。それらが光を反射させているのだ。
(それにあの角……魔法器官か?)
耳のない頭部には、てっぺんから真っ白い角が天を衝くかのごとく生えている。三年間、何度も死線を越えて積み重ねてきたイドラの経験が、あれは魔法器官に類するものだと警鐘を鳴らす。どんな魔法を使うか、までは推測できないにしても警戒はすべきだろう。
「ともかく、接触する。二人はここにいてくれ」
「ええ。お手並み拝見させていただきます、イドラ——不死殺し」
「がんばってね~」
「わわっ、置いてかないでくださいっ」
馬車の中で、対象について綿密に調べ上げるというエクソシストの葬送の手法を知ったイドラだったが、今日この場でそんな時間的余裕は存在しない。今回は普段通り、戦いながら殺害の筋道を考えるやり方を取るしかなかった。
左の腰のケースからマイナスナイフを抜き放つ。青い刃は昨夜と変わらず、静かな色を湛えていた。
それを手の内で半回転させて逆手に構えると、イドラは一気に走ってスクレイピーへと接近する。幸い、この辺りの地面はまだ周囲に比べて水気が少なく、多少の泥はねはあるものの足を取られる心配はなさそうだった。
「——ゥ、————ゥゥ」
スクレイピーは気が付いているのかいないのか、イドラの方には意識も向けず一心不乱に岩に体をこすりつける。どれだけの間そうしているのか、岩の表面は削れ、滑らかになってしまっていた。
抵抗してこないなら好都合だ。イドラはすぐそばにまでたどり着くと、迷いなく右腕を振るう。
「ふッ!」
胴体を覆うガラス片のようなそれらは、間近で見てみると一つ一つは意外と大きく、イドラの手のひら程はある。
そこへ向けて突き刺すように放った一撃は——呆気なく弾かれた。
「なっ……マイナスナイフが弾かれるなんて」
マイナスナイフはただのナイフではない。ギフトの、それも天恵試験紙によってATKの値が-65535と判定された、百年に一度の奇跡。切れこそしないものの、硬い木の幹だろうが路傍の石だろうが刃自体は通る。イモータルであれば、これまで例外なくその白い肉体を切り伏せてこれた。
それが、スクレイピーがまとうガラス片にはまるで通じなかった。こんなことは旅を初めた時どころか、ギフトを手にしてからの六年間で初めてのことだ。
イドラの背筋に氷柱を差し込まれたような強い寒気が走る。それはイモータルを戦う上で何度も感じてきた、しかしその中でももっとも強い死の予感だった。
「——————ゥ?」
スクレイピーが振り返る。その目は、イモータル特有の黄金色をしていた。
「だったら、顔はどうだッ!」
死神はすぐ背後に立っている。ならば逃れる活路は、前にしかない。イドラは恐れを殺し、自らさらに踏み込んで振り向いた横顔に再び刃を振り下ろす。
青いナイフは今度はすんなりと敵を斬り裂いた。血の代わりに、真っ白い砂がぽろりと零れる。
通じる。ガラス片に覆われた胴体以外の部位であれば、通常のイモータルと同様に攻撃は通じている——
手ごたえにイドラの口に笑みが浮かぶ。
唐突かもしれないが、人とイモータルの生命活動には大きな差異がある。
人間にとって、少なくとも生命活動の一点において重要なのは、脳や心臓といった器官だ。脳や心臓が消し飛べは人は死ぬが、手や足がちぎれても失血にさえ気を付ければ直ちに死ぬことはない。
それに対し、イモータルには血も流れていないし、死ねばただの砂になってしまうことから、臓器もなにも詰まっていないように見える。ならばどうやって動いているのか——そんなことは、誰にもわからない。
ただ肝心なのは、イモータルは血は流れないが、同じ箇所だけを斬り続けても死ぬということだ。個別のダメージが全体に蓄積する。イドラはそのことを経験から深く知っていて、死の目盛りが書かれた容器を与えた傷の量で満たす、というようなイメージを持っていた。 ガラスの鎧に身を包むのなら、それに覆われない顔や手足を斬り続ければいい。
イドラは追撃に飛び込もうとし——しかし身をひるがえして後ろへ下がる。
「ゥゥ————ッ」
「はっ、顔を斬られても体を掻いててくれれば楽だったんだけどな。楽な話はないか」
スクレイピーは岩から身を離し、今にもイドラへ飛び掛かろうとしていた。
反撃は本能のままに行われた。愚直な突進だ。しかし轢かれれば無事ではすまないだろう。特に頭部の角に加え、例のガラス片も突き刺されば致命傷になりかねない。
当然、受けてやる理由はない。経験から危機をいち早く察して距離を取ったことで、回避の猶予は十分にあり、イドラは難なく回避する。
「えっ」
「あ——」
そしてその直後、自身の後方——スクレイピーの突進の軌道上に、遅れてやってきたソニアがいることに気が付いた。
「まずい、逃げろソニア!」
スクレイピーに停止する素振りはまるでない。このままでは、小柄なソニアなど簡単に吹き飛ばされてしまう。数秒後の惨劇が鮮明に頭に浮かび、イドラは急いで叫ぶも、既にどうすることもできない。
地面の柔らかい湿地にそのまま入ってしまうと、馬の蹄も馬車の車輪も沈んでしまう。よってここからは徒歩で向かう必要があった。
ミロウが比較的太くて丈夫そうな広葉樹の幹に綱を結び、馬を留める。輪っかができる独特の結び方だった。
「お待たせしました。では、行きましょうか」
「件の個体……スクレイピーはどこにいる?」
「わたくしも正確な位置まではわかりかねますが、木もまばらですから海岸に進めばいずれ見つかるでしょう」
「そうか。で、ミロウたちは手伝ってくれるのか?」
「……いえ。あくまで不死殺したるあなたへの依頼ですから、わたくしたちは手出しできません。どうしても危なくなれば、もちろんその限りではありませんが——」
「なるほどね。いや、いいよ。二人はソニアのことを守ってやってくれ」
イドラへの依頼だから手出しはしない。筋は通っているかもしれないが、協力してことに当たる方が手短かつ確実なのは子どもでもわかる。
おおむね状況を察し、イドラは歩くため、水気を多く含んだ土から靴裏を離そうとする。が、突如袖をつまんで止められた。
「あ、あの。イドラさんもしかして、わたしを置いてこうとしてません?」
「え? つもりもなにも……イモータルと戦うんだぞ、今から。ソニアが近くにいたら巻き込まれちゃうだろ」
「やっぱりそうだったんですねっ!? だめです、わたしも戦えます! このワダツミもありますし、お役に立てますっ」
紐で背負った、彼女が持つには大きいように見える刀を肩から外す。ソニアのその動作を見てベルチャーナは「あれ?」と首を傾げた。
「その剣、ソニアちゃんのギフトだったんだ」
「荷物持ちとかさせてないって言っただろ。……これはソニアのだ」
正確にはソニアのギフトではない。ウラシマのギフトだ。しかし、なぜかその能力はソニアやイドラにも使えてしまう。
理由がわからない以上、そのことは伏せておく方がいいだろう。ギフトはその個人に対するロトコル神からの恵みというのがロトコル教の共通認識だ。その根底を揺るがし、無用な混乱を与えかねない。
「少々珍しいですね。ギフトは性質こそ変わりませんが、大きさなんかは持ち主とともに成長するもの。まだ幼いのにこんなにギフトが大きいなんて、将来有望かもしれませんわね」
「え、あ、ありがとうございます……」
そのことをわかっているからか、ソニアも訂正はしない。けれども他人のギフトを褒められ、少しいたたまれなさそうだった。
「って、そうじゃなくて、わたしだって戦えます! この体になって強くなったんです、お邪魔にはなりません!」
「そうは言ってもな……危ないことに変わりはないし」
「わたし、足手まといになんてなりたくないですっ。言ったじゃないですか、パワフルですから大丈夫です! パワフルソニアです!」
「なんだよパワフルソニアって……!」
役に立ちたいのだと言ってくれるのは嬉しい。だがイドラは同時に、ソニアがイモータルを軽んじているのではないかと思えてならなかった。
イモータルにはそれなりの個体差がある。だが、どれも例外なく危険な存在なのは間違いない。この三年、不死殺しとして旅を続け、イモータルに殺されかけたことなどもはや数えきれない。あらゆる傷を即座に完治させてしまう、マイナスナイフを持っていてもだ。
「いいかソニア、イモータルってのは怖いんだぞ。力も強いし、ひるんだりもほとんどしない。個体によっては馬や牛なんかよりももっと大きいんだ」
「わかってますっ。イドラさんについていって、守ってもらうだけなんて嫌なんです!」
「でもだな——」
「ちょっとー。言い合ってるところ悪いけど、あんまりやってると陽が落ちちゃうよー? 流石に夜に葬送、じゃないや、不死殺しをするっていうのは危険すぎるってベルちゃん思うな。足場も悪いし」
冷静なベルチャーナの意見に、つい言い返そうとしたイドラは押し黙った。
それはそうだ。視界が不安定な中での戦闘ほど恐ろしいものはない。これはイモータルに限らず、魔物やただの動物だろうが同じことだ。
ソニアはまなじりを決し、橙色の両目でイドラを見上げる。
「はぁ。仕方がないな、危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「——! はいっ、わかりました!」
「本当にか? それはもう脱兎のごとく、わき目もふらず一目散に逃げるんだぞ?」
「わかってます、大丈夫ですっ。でもそれをするのは、絶対に無理だって思った時だけです!」
説き伏せる頃には日没だろうと思い、ため息をついて折れたイドラだったが、にこにことするソニアを見ればやはり心配になってしまう。
「今度こそ行きましょう。いざとなれば、わたくしも助けに入ります」
「ベルちゃんもだよー。怪我もギフトで治せるから、よっぽど酷い怪我じゃなかったらへーきだよ!」
もたもたしていれば、それだけリスクは高くなる一方だ。四者はぬかるんだ地面を歩き出す。
足元に気を付けながら進んでいくも、何度か巨大な水たまり……池塘《ちとう》に行く手を塞がれ、そのたびに迂回を強いられる。
「わあ、見てください。表面から黄色いお花が顔を出してます! 小さいけどきれいですっ」
「コウホネですね。あの下には、泥の中を走る地下茎があるんですのよ」
「さっすがミロウちゃん、くわしい~」
「すごいですっ」
——遠足気分か。
女三人寄らばなんとやら。沼のそばを通りながらはしゃぐ三人に思うところはあったが、イドラは口にしないでおいた。
それからいくつかの池塘を越え、海岸線が見え始めた頃、その異形の姿は現れた。
「……あれか。わかりやすくて助かるな」
白い怪物は、夕日の光を浴びてオレンジ色に染まっていた。
それだけではない。やけに煌めき、周囲にその光を反射させている。
「大きさ、形状ともに報告通りですね。スクレイピーで間違いないでしょう」
「報告通り? 羊に似た形だって聞いてたが……」
「シルエットを見た限り、そのように見えますが」
「……いや」
似ているのはシルエットだけだ、とミロウに聞こえない程度の大きさで呟く。
スクレイピーは、地面から突き出た大きな岩に顔や背をこすりつけている。そうしている姿を見ていると、耳が見当たらないことにイドラは気が付いた。
耳のない羊。印象としては、そんな感じだ。あるべき器官がなかったり、逆に多かったりするのはイモータルとして珍しいことではない。
だがイドラは既に、あれが身を覆うものが羊毛などではないことを見抜いていた。
胴体を包む、白いもこもこの体毛のようなものは、橙の光をちらちらと反射させ、煌めき、半透明で——細かく、尖ってもいた。
ガラス片だ。砕いたガラスの破片に似たものが、あのイモータルの体を包んでいる。さながらバッターにくぐらせ、たっぷりパン粉をまぶした揚げ物のように。それらが光を反射させているのだ。
(それにあの角……魔法器官か?)
耳のない頭部には、てっぺんから真っ白い角が天を衝くかのごとく生えている。三年間、何度も死線を越えて積み重ねてきたイドラの経験が、あれは魔法器官に類するものだと警鐘を鳴らす。どんな魔法を使うか、までは推測できないにしても警戒はすべきだろう。
「ともかく、接触する。二人はここにいてくれ」
「ええ。お手並み拝見させていただきます、イドラ——不死殺し」
「がんばってね~」
「わわっ、置いてかないでくださいっ」
馬車の中で、対象について綿密に調べ上げるというエクソシストの葬送の手法を知ったイドラだったが、今日この場でそんな時間的余裕は存在しない。今回は普段通り、戦いながら殺害の筋道を考えるやり方を取るしかなかった。
左の腰のケースからマイナスナイフを抜き放つ。青い刃は昨夜と変わらず、静かな色を湛えていた。
それを手の内で半回転させて逆手に構えると、イドラは一気に走ってスクレイピーへと接近する。幸い、この辺りの地面はまだ周囲に比べて水気が少なく、多少の泥はねはあるものの足を取られる心配はなさそうだった。
「——ゥ、————ゥゥ」
スクレイピーは気が付いているのかいないのか、イドラの方には意識も向けず一心不乱に岩に体をこすりつける。どれだけの間そうしているのか、岩の表面は削れ、滑らかになってしまっていた。
抵抗してこないなら好都合だ。イドラはすぐそばにまでたどり着くと、迷いなく右腕を振るう。
「ふッ!」
胴体を覆うガラス片のようなそれらは、間近で見てみると一つ一つは意外と大きく、イドラの手のひら程はある。
そこへ向けて突き刺すように放った一撃は——呆気なく弾かれた。
「なっ……マイナスナイフが弾かれるなんて」
マイナスナイフはただのナイフではない。ギフトの、それも天恵試験紙によってATKの値が-65535と判定された、百年に一度の奇跡。切れこそしないものの、硬い木の幹だろうが路傍の石だろうが刃自体は通る。イモータルであれば、これまで例外なくその白い肉体を切り伏せてこれた。
それが、スクレイピーがまとうガラス片にはまるで通じなかった。こんなことは旅を初めた時どころか、ギフトを手にしてからの六年間で初めてのことだ。
イドラの背筋に氷柱を差し込まれたような強い寒気が走る。それはイモータルを戦う上で何度も感じてきた、しかしその中でももっとも強い死の予感だった。
「——————ゥ?」
スクレイピーが振り返る。その目は、イモータル特有の黄金色をしていた。
「だったら、顔はどうだッ!」
死神はすぐ背後に立っている。ならば逃れる活路は、前にしかない。イドラは恐れを殺し、自らさらに踏み込んで振り向いた横顔に再び刃を振り下ろす。
青いナイフは今度はすんなりと敵を斬り裂いた。血の代わりに、真っ白い砂がぽろりと零れる。
通じる。ガラス片に覆われた胴体以外の部位であれば、通常のイモータルと同様に攻撃は通じている——
手ごたえにイドラの口に笑みが浮かぶ。
唐突かもしれないが、人とイモータルの生命活動には大きな差異がある。
人間にとって、少なくとも生命活動の一点において重要なのは、脳や心臓といった器官だ。脳や心臓が消し飛べは人は死ぬが、手や足がちぎれても失血にさえ気を付ければ直ちに死ぬことはない。
それに対し、イモータルには血も流れていないし、死ねばただの砂になってしまうことから、臓器もなにも詰まっていないように見える。ならばどうやって動いているのか——そんなことは、誰にもわからない。
ただ肝心なのは、イモータルは血は流れないが、同じ箇所だけを斬り続けても死ぬということだ。個別のダメージが全体に蓄積する。イドラはそのことを経験から深く知っていて、死の目盛りが書かれた容器を与えた傷の量で満たす、というようなイメージを持っていた。 ガラスの鎧に身を包むのなら、それに覆われない顔や手足を斬り続ければいい。
イドラは追撃に飛び込もうとし——しかし身をひるがえして後ろへ下がる。
「ゥゥ————ッ」
「はっ、顔を斬られても体を掻いててくれれば楽だったんだけどな。楽な話はないか」
スクレイピーは岩から身を離し、今にもイドラへ飛び掛かろうとしていた。
反撃は本能のままに行われた。愚直な突進だ。しかし轢かれれば無事ではすまないだろう。特に頭部の角に加え、例のガラス片も突き刺されば致命傷になりかねない。
当然、受けてやる理由はない。経験から危機をいち早く察して距離を取ったことで、回避の猶予は十分にあり、イドラは難なく回避する。
「えっ」
「あ——」
そしてその直後、自身の後方——スクレイピーの突進の軌道上に、遅れてやってきたソニアがいることに気が付いた。
「まずい、逃げろソニア!」
スクレイピーに停止する素振りはまるでない。このままでは、小柄なソニアなど簡単に吹き飛ばされてしまう。数秒後の惨劇が鮮明に頭に浮かび、イドラは急いで叫ぶも、既にどうすることもできない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる